幸福の檻 5
東方司令部司令官の不在は内外に伏せられたまま、数日が経った。
相変わらず何の手がかりもないまま時間だけが無情にも過ぎていく。
そして町の片隅では、甘やかで幸せな生活が密やかに送られていた。
それは誰にも知られず、知られてはならない秘密。
ワンルームの狭い部屋はベッドを置くと隙間がぐっと減り、その天井は部屋の主が吸う煙草のヤニで煤けている。2人が並んで立つには窮屈なキッチン。バスルームの壁や床に敷き詰められた水色のタイルは所々はがれている。
決して住み心地がいいとはいえない空間。でも愛が沢山詰まっている。
部屋の主は、今日も1日の仕事を終えて帰路に着いた。
繁華街を抜け住宅街に入ると、自然に足が速まる。
早くあの人に会いたい。
その部屋の中には、少しばかり素直じゃない、けれどとてもかわいいあの人が待っていてくれるはずだ。
扉を開けたら待ちきれないように胸に飛び込んできて抱きついてくる。
おかえりのキスをねだると、頬を染めてそっと眼を閉じる。その唇にキスをして。
腕の中にやわらかくていとしいぬくもり。
自分は幸福の檻に囚われている。
「今日は頑張ったんだぞ。昨日お前が買ってきてくれた材料でとっておきのシチューを作ったんだ。満足のいくできばえだと思うぞ。今温めなおすからちょっと待っていてくれ」
ロイはそう言ってキッチンの中をパタパタと動いている。
ハボックは笑ってそれを眺めながら上着を脱いでソファの背にかけた。
「俺も何か手伝いましょうか」
「いや、いいぞ。そこに座っていてくれ」
そこ、とはソファだ。この家にはソファと小さなローテーブルしかない。食事のときは、一人がソファ、もう一人はフローリングの床にマットを敷いて直に座っていた。
「……ロイ、今度俺が休日の日にテーブルと椅子を買いに行きましょうか」
「え?」
「ここにおけるちょっと小ぶりの、でも2人分の食事が乗っても少し余裕があるくらいのテーブル、欲しくありませんか。窓際に置いてもいいですね。きっと朝は明るくていいですよ」
「…………」
ロイのほっぺたが赤くなって、キッチン越しからこちらを期待に満ちた目で見ている。
「ロイ?」
「……お前と外に、買い物にいけるのか?私のためにテーブルを買ってくれるのか?」
「あー…そういえば」
この部屋にロイを連れ込んでから、ロイは1度も外に出ていないのだ。
ハボックはロイに「記憶のないあんたには外は危険がいっぱいだから、家から出ないように」と言い含めていた。一般的に顔の知られているロイ・マスタングである。外をふらふら歩いていて、いつ誰に彼を見られ発見されるか分からない。そしてその噂が軍関係者や憲兵に伝わればすぐにロイ探索に動き出すだろう。
この生活も終わりをつげるのだ。
想像してハボックは頭を振った。まだ、この時間を手放したくはない。
「そん時までに俺があんたに合う服をいくつか用意しときますね。今みたいに俺の服ばっかだと着心地悪いでしょう」
「ん?むう、まあお前のはデカイからな……」
シャツの袖は長くて幾重にも折り返しているし、ジーンズもウェストがぶかぶかでぎゅうっとベルトで締め上げているが、裾の長さは泣きたいくらい余しているのでこれまたくるくると折り返していた。
「ロイに似合う服……、かわいいのがいいですかね」
「スマートでノーブルなのがいいぞ!」
ロイはシチュー鍋をかき回しながら鼻歌でも歌いだしそうなご機嫌だ。
「いや、かわいいの絶対似合いますって。楽しみにしていてくださいね」
シチュー皿なんて大層なものはハボックの家にはない。
少し底の深い皿にほくほくと湯気の立つシチューをよそおうと小さなテーブルに並べた。あとは生野菜のいっぱい入ったボウルとバスケットに入ったバケット。
いつものようにロイは床に座ろうとしたら、ハボックが手招きする。
「なんだ?」
「ロイ、こっちに来て食べましょうよ」
「?そのソファは2人で座るには窮屈だぞ。肩を押し合いながらでは食べにくいだろう」
「そうじゃなくて」
ソファに座っていたハボックは、開いた足の間をぽんぽんと軽く叩いた。にっこり笑う。
それだけでロイはハボックの言わんとしていることが分かった。瞬時に頭に血が上り、耳まで真っ赤になる。
「ば、バカ!そんなところに座れるか!」
「えー?大丈夫ですよ。いつまでもロイを床に座らせておくのもどうかなーと思うんですもん。俺が床に下りてもいいけど、二人でソファに座ったほうがいいでしょ」
「膝の上に座るなんてそんなの!私は子供ではないぞ!」
「俺が食べさせてあげますよー?ほら、来て」
ハボックはロイに向けて手を差し伸べた。
大きな、優しい手。ロイをいつも包んで甘やかす手だ。ロイはその手が嫌いではない。
「…………」
ロイはそっとその手に自分の手を重ねた。するとハボックは強引なくらいの力でロイを引っ張ると、ソファに座らせてしまった。そして背後からすっぽりと彼を覆うようにして腕の中に抱きしめた。
「……お、い!」
羞恥にロイはうろたえた。
「あったかいです。あんたのシチュー、冷めないうちに食べなきゃ」
「……そうだぞ。とっておきなんだからな」
「はい」
ロイが息を小さく吐いて笑った。自分を力強く抱きしめる腕をなだめるように撫でた。
幸せな時間。抱きしめても、笑い合っても。でも時折心に影がよぎる。それはどこかでこの時間の終わりを知っているからかもしれなかった。
「ほら、あーんしてください」
「おい!私を子供扱いするのはよさないか!自分で食べられると言っているだろう!」
「口の端にサラダのドレッシングがついてますよ。ふいてあげますね」
「だから自分で出来ると………!」
「パンのくずが膝にいっぱい落ちてますよ。こんなに散らかして」
「お前が余計なことをしなければ…、わっ」
ハボックの膝の上でロイの身体がビクリとはねた。
ハボックの、パンくずをはらう指がロイの内股をそっとかすめたのだ。
しかしハボックは何食わぬ顔でしれっと言った。だがその口許が少し笑っている。
「どうしたんですか、変な声を出して」
そして再びロイの太股の上に手を伸ばした。パンくずをはらう仕草を装って、ジーンズの上を明らかに性的な意味をにじませてなで上げる。
「ん、バカ……っ」
たまらなかった。
昨夜のことを思い出す。
初めて、やっと2人は身体をつないだ。
記憶を失ってからこちら、自分を気遣ってなのか、ハボックは自分と性的な接触を避けるように何もそれらしいことを求めてはこなかった。
だが3日前、やっと気持ちが通じ恋人たちがするような唇へのキスができたのだ。
その日の晩は、初めて身体を寄せ合い抱きしめあって寝た。思えば2人はいつも背中を向け合って寝ていたのだ。小さいながらも前進だった。
そして次の日の夜はお互い裸になって身体を確かめるように触りあった。
決死の覚悟で、ロイから誘ったのだ。
互いの手で性器を高めあい達した。身体や脳みそがとろとろに溶けていきそうなくらい気持ちよかった。ハボックも照れくさそうな顔でロイの唇にキスすると嬉しそうに笑った。
だが自慰の延長線上のようなその行為でその日は終わった。
そして昨日。
とうとう2人はひとつになったのだった。
昨日のハボックはいつもの彼と違った。家に帰ってくるなりロイを抱きつぶすみたいにして唇を荒々しく奪い、食事も無視してロイをベッドへと放り投げた。
衣服を剥ぎ取り、興奮した様子でロイの身体をベッドに縫いつけ、けだものの目でロイを見下ろしていった。
「今日は仕事中、ずっと昨日のあんたの色っぽいカッコばっか思い出しちまって困りました。あんたのこと考えて」
ハボックはジーンズの前をぐいぐいとロイの股間に押し付けた。ロイはその熱と硬さに喉を鳴らした。
「ハボック………」
「あんたを、抱きたい」
その真摯なまなざしにロイは胸を震わせた。
そしてそれからはハボックの情熱に翻弄された。
愛していますというささやきを何度も聞いた。
どろどろになっていく身体。
彼の昂ぶりが自分の信じられない場所を割り開いて沈んでいく感覚。熱くて苦しくて、でも気持ちよくて。身体の奥深くで彼の熱を感じるとたまらない気持ちになった。もっと奥まできて欲しくて、みっともなく泣いてねだった。
彼の重なってきた身体の熱。
優しく、時には容赦なく自分を暴いた指先。
そんなものを、食事中だというのに思い出させるのだ、この男は。
「しょ、食事中だぞ」
ハボックはロイを膝の上にちゃんと抱えなおすと、ロイの身体を本格的にオとしにかかってきた。ロイの両足に手をかけると、やんわりとそれを割り開く。
「な、なにをするつもりだ!」
「ね、昨日初めてだったのにひどくしちゃったから心配だったんだけど、今日大丈夫そうですか?」
ハボックはそう言ってさわさわとロイの感じやすい内股周辺をジーンズ越しに触れた。ロイは歯を食いしばってくすぐったさと背中を這い上がる感覚に耐えた。簡単に流されてたまるかという意地だ。
「だ、大丈夫って……、わ、私は」
「あんたがかわいすぎて、俺もう駄目です。あんたを閉じ込めて誰の目にも触れないように、どこか遠く誰もいないところで2人きりで暮らせたらいいのに」
「……どういう意味だ?わ、私はお前の側にいるではないか。今はほとんど2人きりだぞ…?それよりもそのイヤラシイ手をとめろ…っ」
「いやです。触りたい」
「!」
ジーンズの上からハボックのいたずらな指がロイの股間を撫で、さらにその下の奥まった場所へと動いた。そこは昨日のしつこいくらいの情交のせいで、少し赤く腫れ上がっている場所だ。
ロイの身体は羞恥と期待とで瞬時に動けなくなってしまった。
身体は、今も生々しくその気持ちよさを覚えている。
「今日は、優しくします」
情欲のにじむ声で、ハボックはロイの耳元に囁いた。
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20060426up