幸福の檻 31






「どーゆーことなんだか、説明してもらいてえもんだなあ、ロイ」

 午後のうららかな日差しに包まれた東方司令部副司令官の執務室で、中央から所用のために出張に来ていたマース・ヒューズ中佐は机の向こうに椅子に座って呑気に窓の外を眺めている友人に向かって言った。

 昨晩はこの友人の家に結局ヒューズは泊まらせてもらったのだった。
 そしてもう一人、どういうわけか家の前で派手に転がって意識を失った泥酔男、すなわち友人ロイ・マスタングの部下のジャン・ハボック少尉とも同じ屋根の下で過ごすことになり(そのまま放っておくわけにもいかなかった)そのまま迎えた今朝。
 さあ朝食を取って今日も元気に仕事行こー、のはずだったのだが、何やらロイとその部下がぎこちない感じになり、あれ?何?何なの?とヒューズをカヤの外に押し出して、二人は勝手にドアの向こうに消えて、深刻そうな話をしだし、挙句なんだかアヤシイ方向へと会話は向かっていき…。
 出歯カメみたいだといわれても、だって、ドアの向こうから聞きたくなくても会話が聞こえてきちゃったんだもんよ、というのがヒューズの言い訳だ。


「いい天気だなあ、ヒューズ。こんな日は建物の中にいるのは勿体ない。外に出て昼寝でもしたいな」
 ぼんやりした声でロイは言う。ガラスに映った彼の表情は、言葉ほど太陽の下を焦がれている風には見えなかった。
「おい、話をはぐらかす気か。そうはいかねえぞ。今朝のことだ、ハボック少尉とのことだよ。話せ」
「今日は慌ててこなさなければならない仕事もないし、少しその辺を散歩でもしてきてもいいような気がする」
「人の話を聞け」
「正直言うとさっきから眠くて仕方がな―――」
「ロイ!」

「どうしたらいいのか、分からないんだ」

 唐突に声に力をこめてロイが言った。
 ヒューズの方に背中は向けたまま、その頭が俯かれる。椅子の肘掛にかけられた手がぎゅうと力をこめて握られた。
 はっとして、ヒューズが声を呑んだ。

「お前に話そうにも、どう言ったらいいのか分からない。俺もどうしたらいいのか分からないんだ。何が自分をここまで追いつめているのかさえ…。自分でまいた種なのに、どうすることもできなくて…正直、怖い」
「ロイ……」
「なあ、ヒューズ。あいつは…あいつはこんな俺に笑ってくれて、受け入れようとしてくれる馬鹿なんだ。あんなヤツがいるから……」

 あいつ。
 昨夜酔いつぶれたロイが無意識にだろうが呟いた「あいつ」という言葉をヒューズは思い出す。
 あのときのあれは、ハボックのことだったのだ。

「…俺はお前がどんなヤツか知ってるつもりだ。少なくとも気を許しもしない相手と寝るヤツじゃないってことは知ってる。むしろお前は必要以上に周りに壁作って距離を置きたがるやつだってこともな。だから、毎日顔をつき合わせなきゃならないような部下と、気まぐれで関係を持つなんてことはしない。だから話を聞いたとき意外に思った」
「………」
「お前らしくないことをした。その意味や理由を考えると、ひとつしか考えられない」
 ヒューズは頑なにこちらを振り向かない背中に向かって言った。

「理性でコントロールできない分野だ。人間の、本能」

 とん、と自分の胸を、立てた親指で指し示す。

「気持ちだ。お前を突き動かしたその衝動は、人間が誰でも抱く欲望だ。時に人を苦しめ、また幸せにもするもの。忘れたのか、ロイ」
「……私は、そんなもの、知らない」
「知らないって…、おい、ロイ?」

 ヒューズは溜息をひとつついて、机の向こう側に回りこんだ。椅子を90度ほど回転させて、友人の身体をこちらに向けさせる。ロイは抵抗らしい素振りも見せず、黙ってされるがままだった。ただ、顔は上げなかった。
 ヒューズは、肘掛の上の彼の手の甲に自分の両手を重ねて身を屈め、彼の顔を覗き込んだ。ロイは唇を少しかみ締めて、視線を合わせようとはしなかった。

「……なあ、ロイ、お前、少尉が好きなのか」
「……知らん」
「…んー…、じゃあ言い方を変えようか。あいつと一緒にいると安心するか」
「……あいつが、甘やかすから」
「ふうん?それが居心地いいなってお前は思っちまったわけか?」
「…最初は、からかってやるつもりだった。別に…、そんな気持ちは微塵も持っていなかったんだ」
 ロイは促されてぽつぽつと喋り始めた。ヒューズは優しく相槌を打った。
「なのに、あいつは冗談とも本気とも取れない態度で俺を抱き締めてきて…俺はつい楽しくなって……あの時、どうしてそんな気持ちになったのか、今でも分からない。でもその最初を間違えたから、今こんなに話がややこしい感じになっているんだと思う。後悔してるんだ。こんなつもりじゃなかった」
「どんな風に後悔してるんだよ」
「…あいつを、傷つけたかったわけじゃない。こんな風に、私という人間に巻き込みたくはなかった。でも、…でも、あいつは……」

 友人の声がそこで震えた。
 ぽたり、とロイの深い青色の軍服のパンツの上に水滴が落ちて滲んだ。
 彼の瞳から溢れてこぼれ落ちたものだった。

「……こんな俺が、我儘を、言ってもいいんだろうか」

 ロイの手がヒューズの掌の下で動いた。ヒューズは何も言わずに体を動かすと、そっと彼の後頭部に手を回し、優しい仕草で彼の頭を自分の方に引き寄せた。
 ロイは目の前の友人の身体に想いをぶつけるようにしがみついて、歯を食いしばった。どうして涙が溢れてくるのか分からない。ただ狂おしい感情が胸に押し寄せてきて窒息しそうになる。

「…欲しいんだ。あいつが、欲しい」

 くぐもった声が聞こえて、ヒューズは眼下の黒髪に指を滑らせた。
 彼の心からの叫びを聞いたような気がした。

 欲しいなら、何を躊躇うのか。何を迷っているのか。ヒューズは理由を問おうとして、思いとどまった。彼の心にわだかまっている思いに、その闇を自分は理解しているようでしていなかったのかもしれないとその時感じた。
 それでも、言いたかった。
 友人として、ヒューズはロイに言いたかった。

「……お前を縛り付けているのは、過去じゃない。お前自身だ。後ろばかり見てないで、前を向け、ロイ」

 あいつは、どんなお前だってもうとっくに受け入れてるじゃないか。
 お前がただ、臆病なだけだ。










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