幸福の檻 28
「な、なにをする……っ」
キスされている。
ロイはすぐさまハボックの頬を叩き、身体を離そうとしたが、悔しいことに放すまいとする逞しい男の腕の力に負けた。
背後のドアが閉まる。
そうすると部屋の中になだれ込んだ二人と廊下に残っていたヒューズとの間に扉一枚の距離ができた。ヒューズが部屋に入ってくる気配はなかった。
これ以上はないという至近距離で、恐ろしいほどに深い色を湛えた青い瞳にロイは捕まった。
今はこの目に見つめられたくない、そう思う。心に余裕がない。
それは、暴かれるのではないかという恐れだ。
心の奥底まで、丸裸にされる。見られたくない所まで。
「ハボック、放せ…!」
「放しません」
「ハボック少尉……!」
「俺は、あんたを追いつめたい訳じゃないんだ」
だからどうか震えないで、と。
そう言われて、ロイは初めて自分の体ががたがたと震えているのに気がついた。そんなみっともない自分を目の前の男に晒したくなくて、強張る身体を闇雲に動かし、なんとか身体を離そうとした。それでもやっぱり憎らしいくらいハボックの腕の力は強くて、逆にロイの身体を引き寄せて自分の胸に抱き込んだ。
「……俺、大佐がなに考えてるのか全然分かんないです。分かんないけど、分かることもある」
「放せ!」
「頭で考えるんじゃなくて、心で、本能で、感じればよかったんだ。なのに俺は表面上のあんたの言動に振り回されて、ホントに馬鹿みたいだった」
「少尉!こんなことを私は許していな……」
「あんたは俺のことが嫌いじゃないですよね」
ロイは冷たい焔に、胸を貫かれた気がした。喘ぐようにした喉が小さくヒュッと鳴った。
ハボックは抱きしめる力をさらに強くした。
もう間違いたくはない。遠回りもしたくない。
何よりも彼を放したくない。
「でも、俺の何かがダメなんだ。だからあんたは俺を受け入れてくれないんでしょう。何がダメなのか言ってください。俺は頭が悪いから言ってくれないと分からない。直さなきゃいけないことなら直します。してほしいことがあるんなら言ってください。あんたのためならどんなこともしたいし努力します」
「な…なにを、言ってるんだ……」
体温が、身体にしみこんでくる。
侵食されるのは、果たしてどちらなのか。
ロイの心を満たすのは後悔だった。
どうしてあの日、自分は踏み込んでしまったのだろう。全てはあの日から始まった。
記憶を失ったフリをして、甘い時間を過ごしたあの日々を悔やんでも悔やみきれない。
ハボックは胸の大きい女性が好きだと公言して憚らないノーマルな男だった。その彼が、どこからどうみても男である自分を意識したり、関係を持ちたがるようになるまで、どのような心の動きが彼の中であったのか、自分には想像も出来ない。
でも、こんなふうにしたのは。
彼と自分の関係を、均衡を崩したのは自分なのだ。こんなはずではなかったなどという言い訳は、今更しても仕方のないことだけれど。
「何がダメなんですか。どうしたらあんたは俺に…」
一時でもいい、暖かい場所をと求めた自分の脆弱な心が、糸をもつれさせた。
こんなはずでは……と思う反面、自分のずるい部分が言い知れぬ歓喜に震えているのがロイ自身にもわかった。
「……なぜ」
かすれた声が口から漏れた。小さく弱弱しいそれを、ハボックの耳は拾い上げた。震えるロイの手が自分の背にまわされ抱きついてくるのに、ハボックは目を見開いた。
「なぜ、お前はそうなんだ……っ」
目の前の温もりにすがりつくのは、自分の弱さだろうか。
でも。
それでも、許されるのだろうかと、思ってしまう。
彼が許してくれるのならば。
ぬくもりに、その力強さに、心ごとさらわれる。
涙があふれる。
放したくないのは、きっと自分もなのだ。そう思った。
ロイは無意識にでもこの男を求めてしまう理由がやっと分かったような気がした。
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20071013up