幸福の檻 19
(う〜ん……)
マース・ヒューズは首をひねって唸っていた。
目の前には酔いつぶれてテーブルに突っ伏している友人がいる。やはり体調が良くなかったのか、さほど量を飲まずしてつぶれてしまったロイ・マスタングだった。
ヒューズは酔っ払い始めた彼に何気なくさりげなく「何か言いたいことがあったら聞くぞ〜?」ぐらいのニュアンスで訊いてみた。
しかし彼も頑なでなかなか口を開かず、逆にいつもはヒューズが嫌がらせのようにしつこく聞かせている家族のことをロイが話題にあげて話をそらしたりする。
まったく扱いづらい友人だ。
ただ、つぶれる間際に彼が消え入りそうな声で呟いた一言をヒューズの耳は拾い上げた。
「……お前もあいつも馬鹿だな。私といたって、いいことなんかひとつもないのにな……」
自嘲気味な響きをもった、それ。
お前もあいつも。
あいつとは誰なんだろう。
(人間関係で悩んでんのか?)
恋人だろうか。友人だろうか。それとも部下だろうか。
(あいつ、ねぇ……)
ロイは物腰の柔らかさや若くして大佐位を得たことによる出世から、人当たりがよく世渡り上手の人間に見られることが多い。だが実際はとても不器用な男であることを長く付き合ううちにヒューズは知った。
本心をあまり他人に見せたがらない。
彼の本心の根っこのところはとてもシャイで純粋なのだが、それを他人に見せるくらいならば死んだほうがマシ、そのせいで勘違いされようが人に嫌われようが構わない、というくらいの徹底ぶりなのだ。
あいつ、がロイの恋人ならばいいのにとヒューズは思う。
いつも他人と自分との間に一線を引いて、いずれ大総統になるという目標のために彼は脇も見ずに今まで走ってきた。目標のために邪魔なものはことごとく切り捨て、自分自身の犠牲もいとわなかった。
そんな彼のことを本当に理解し、受け入れてやれる人間が自分以外に現れないだろうか、と願っていた。
(俺じゃあ、やれることに限界があるから)
彼のために、やれること。やれることは全てやってやりたい。でも。
(俺の1番はもうお前じゃないからな)
彼のために死んでやれないかもしれない。自分が1番護りたいのは、大切なのは妻と子供だから。だから自分では駄目なのだ。
同志ならばいる。ロイの志を知り、彼に付き従う部下達が。
だがそれだけでは足りない。彼と対等な立場に立ち、精神的に支え、彼が心から気を許せる相手が必要なのだ。
疲れ、傷つき、ささくれ立った心を癒してくれる人。
「……お前もイイヒト見つけて早く結婚しろよ」
そう言ってヒューズは、冷たい木製のテーブルに幾分線が細くなった頬をくっつけて寝息を立てている友人の黒く艶やかな頭髪に指を伸ばして、優しくかきまぜた。
「サイッテー」
「最低…かなぁ」
ジャン・ハボックはその頃飲み屋のオネエチャンと飲んでいた。
肩と眉毛は下がり気味である。
「だって嘘つかれたんでしょ、騙されたんでしょ。そのオンナ最低じゃん。純情な男心をもてあそんだんじゃん、何様ってカンジ」
オネエチャンはべっとりと赤い口紅の塗られた肉感的な唇を尖らせて言った。すぐ隣に座るハボックの腕に豊満な胸をすり寄せて媚びるのも忘れない。胸の大きく開いた服から見事な谷間が見えたが、ハボックの心はいつものようにはときめかなかった。
「でもさ、何が本心なのか分かんない人なんだよ。複雑で俺よりすっごく頭いいし……」
確かに彼は自分を騙したし、心を鋭い棘でえぐるられるような辛辣な言葉も投げられた。だがやはり他人にロイのことを酷く言われると腹が立つハボックだった。
「それに俺なんかを騙して何の得があるのかって考えると、デメリットは沢山ありそうなんだけど、メリットなんてなさそうな気もするし。なんかもっと別のとこに本音があるような……」
「お兄さん、いいカラダしてるから、それ目当てかもよ?」
「それはないと思うけど……」
だってロイは男だ。しかも女たらしで男の敵と言われている人だ。そんな彼が進んで同性と、しかも後々問題の残りそうな自分の部下と関係を持ちたがるとは思わない。
先程から手が止まってしまっているハボックの掌の中のグラスに、オネエチャンは琥珀色の酒を注ぎ足しながら、つまらなさそうに溜息をついた。
「要するに、ヒドイこと言われてふられたけど、まだまだそのコのことが好きだって言いたいのね、お兄さんは」
「………」
「じゃあさ、こんなとこでくすぶってないで、そのコのとこ行きなよ。ウジウジしてるうちに手遅れになって逃げられちゃうわよ」
「でも俺もブチ切れて酷いことしちまったし、もうホントに嫌われてっかも……」
「じゃあ酷い者同士、お互い様ね。ねえ、あたしこんな仕事してるからお客様からいろんなことを聞かされたりするんだけど、『タイミング』って凄く重要みたいよ。お兄さんは一人でグルグル考えていても答えが出ないことを馬鹿みたいに一人で悩んでる。それじゃあタイミングを逃すわ。後悔するわよ、きっと」
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20061109up