幸福の檻 12






 何もかもを、今夜はっきりさせたかった。


 すべてを、すべてを話そう。
 彼が忘れているすべて。
 自分の気持ち、想いをすべて。

 自分たちの関係は変化するのだろうか。
 何もなくなるかもしれない。
 彼と自分をつなぐすべてのものを失うかもしれない。
 あるいは。
 何かが始まることも、何かを知ることもあるかもしれない。

 わからない。
 だけど、今夜彼と話して、そうして。

 この曇った心をどうにかしたかった。どうにかせずにはいられなかった。
 彼の、その、笑顔の裏をのぞいてみたいとそう思ったから。





 日が沈み、街をそっと暗闇が包みこんだ。
 ロイの自宅を目指してハボックは住宅街を歩いていた。時折家路を急ぐ人とすれ違うが、あたりはひっそりと静まり返り、時々どこか遠くのほうから犬の鳴き声が聞こえてくる。
 ハボックは煙草をくゆらせながら、両手をジーンズにつっこみ、やや猫背気味にゆったりとした足取りで歩いていた。
 1歩、また1歩。
 足を踏み出すたびに心が落ち着かなくなってくる。
 この道は、あの日通った道だ。
 ロイの記憶が戻ったあの深夜に、2人で歩いた道だった。
 ロイの自宅の門の見える場所で別れるまで、無言で歩いた道。彼は何も訊かなかった。
 なぜ。
 なぜ。
 なぜ。
 自分が同じ状況に陥ったとしたら、訊きたい事が山ほどあると思うのに。
 これはどういうことだ、なぜ自分がここにいる、今まで何をしていた。
 だが、彼は何も訊かなかった。
 ただ静かに、取り乱すこともなく、淡々と「夢は終わった」のだと、そう自分に言った。

 夢の終わり。

 それは自分の台詞だ。
 ロイ・マスタングと恋人として過ごした1週間こそ、ハボックにとって「夢」そのものだった。彼を愛することを許され、彼に愛された奇跡のような時間。

 彼の記憶とともに、自分の想いは封印しようと思った。
 記憶をなくしていたあの彼はもういない。もうどこにも存在しない彼。
 もとより、彼と自分の間には何もなかったのだ。1週間とはいえ自分は幸せなときを過ごしたではないか。これ以上何を望もうというのか。
 ロイ・マスタングは無類の女誑しで有名だ。性癖は勿論ノーマルだろう。間違っても自分のような男の想いを受け入れるとは思えない。

(思えないよなあ…。俺、今夜玉砕しに行くのか)

 でも、それでもかまわないと思った。ロイは迷惑かもしれないがハボックは自分の気持ちに踏ん切りをつけたかった。このまま黒く重く自分の中に沈殿していく行き場のない彼への想いを、自分ではもうどうにもできなくなっている。
 彼を想う気持ち、彼が考えていること、もやもやしているすべてのことを、今夜はっきりさせるのだ。


 思いにふけりながら歩くうちに、見慣れた黒い門扉が見えてきた。





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20060622up