*大切なもの03






「生ビールをお持ちしました」
 店員が黄金色の液体がなみなみと注がれた大きなジョッキをふたつ、テーブルの上に置こうとするのを、しかしザックスが手で止める。クラウドも店員が持ち上げたジョッキの中でたぷんと揺れた液体に気を取られた。
「待った、俺ら追加頼んでねえよ」
 ザックスがそう言うと、店員がにこりと笑った。
「はい。あちらの奥のお客様がこちらにと」
 店員の男がやんわりと指し示した店の奥のほうをザックスとクラウドは自然に目で追った。そこにはザックスにとっては見覚えのありすぎる面々が座ってこちらを見ていて、ザックスはびっくりして思わず大声を出した。
「お、お前ら…!?」
 厨房に近い壁際のテーブル、ザックスとクラウドのテーブルからは少し身を乗り出さないと視認できない位置のテーブルに二人の男が座っていた。
 クラウドの知り合いではない。
 ふたりとも服の上からでもそうと分かる体格の良さと、何よりも青く光る特徴的な目をしていたから、彼らはザックスの同僚か友達なのだろうとクラウドには分かった。
 遠目からでも彼らの前のテーブルの上の皿にはほとんど料理が残っていないのが見て取れた。もしかしたらクラウドたちよりも前からそこに座っていたのかもしれない。
 椅子に深く腰掛けてくつろいでいるほうの男が、二人に向けて手をひらひらと振った。
「よー、ザックス。俺たちのおごりだ。受け取れよ」
「おまっ、びっくりするだろ。気づいてたんなら声かけろよ」
「いやいやいや、だって、邪魔しちゃ悪いと思ってなぁ」
 そう言ってにやりと笑った男は、向かいに座る連れの男に意味ありげな視線を送る。
 それを見てザックスが眉を寄せた。
「邪魔って……おい、お前らまさか俺たちの話盗み聞きしてたのか?」
「盗み聞きって言うか盗み見って言うか。いや、ぶっちゃけお前ら、そんな大声でそんな内容の会話してたら、俺たちだけじゃなくて店内にいるヤツらみんなの興味惹きつけまくりだからな。わかってなかったんだなやっぱり」
「…っ」
 クラウドがはっとして素早く周囲を見回すと、そんなに広くはない店内でぽつりぽつりと埋まっているテーブルから、こちらを見ている人たちと視線があってしまった。
 今までのザックスとのあれとかこれとかの会話を聞かれていたのだろうかと背中に嫌な汗がじわりと浮かぶ。会話を聞かれるばかりではなく、まさかキスされたところを見られでもしていたらと思うと…恥ずかしすぎる。
 身を縮めるようにして再びクラウドは椅子におさまった。さっきとは別の意味で頭の中がぐるんぐるんになって、足というか全身から力が抜けるみたいになって立っていられなかった。
 店員がテーブルの上に静かにジョッキを置いて去っていく。
「ちょ…、お、お前ら一体どこから俺たちの話聞いてた…!?」
 人目のあるところで平気で人にキスをして愛を囁くようなザックスでも、その場に友人知人が同席していたとなれば、さすがに動揺するらしい。声をひっくり返してわたわたしている。
 男はそんなザックスを見てにんまりと笑ったのだった。


*


「クラウド、紹介する。こっちがカンセル。2ndで俺と同期。んでこっちがルクシーレ。同じく2ndで後輩」
 テーブルの隅っこでガチガチに小さくなっているクラウドに、ザックスは奥の席からこちらのテーブルに誘いもしないのになぜか移動してきたふたりを紹介した。
「…にしても、お前ら一緒にメシ食うくらい仲いいの?」
 知らなかったなあとザックスがこぼすのに、今日はたまたまだとクラウドの横の男が笑って言った。
 クラウドの隣に座ったのがカンセル、向かいのザックスの横に座ったのがルクシーレという名前らしい。
「よろしく、クラウド」
 カンセルが目元をゆるめて横からクラウドに右手を差しだし握手を求めたが、クラウドは緊張した面持ちで背筋を伸ばした。
「…クラウド・ストライフです。サー・カンセル」
「任務中じゃないんだからサーはいいって。ほらリラックスリラックス」
「は、はい。ありがとうございます…」
 そうは言われても…とクラウドは俯く。
 ぺーぺーの一般兵の自分がソルジャー三人に囲まれてリラックスも何もあったもんじゃないと思うわけだ。
 向かいに座っているルクシーレもよろしくとにこやかに挨拶してくれたが、クラウドは何となく彼の目を見て、彼が本心から笑っていないように感じた。何となく苦手なタイプかもしれないと思う。
「しっかしお前らに見られちまうとはなぁ。ていうかマジで俺らのことどこから見てたんだよ?」
 ザックスはもらったビールを豪快に胃に流し込んだ。ジョッキをテーブルに戻しながら傍らに座る後輩を振り向く。
 ルクシーレは肩をすくめた。
「実はザックスさんたちが店に入ってテーブルに座るところから見ていました。おふたりより先に俺たちは店にいたんです。ザックスさんに気がついたとき、声をかけようって俺はカンセルさんに言ったんですが、後でいいって言うもんですから」
 ザックスは口をとがらせてカンセルをじとっと睨んだ。そんな表情をするとずいぶんと彼の端正な顔が子供っぽく見える。
「カンセルー、おまえー」
「お前最近かわいらしいコとつるんで歩いてるのよく見かけるって情報あったから、もしやと思ったんだよ。でもよくよく見れば連れは男の子みたいだし、男はお前の恋愛範囲外だって知ってるから、まあよほど気の合う友人なんだろうなって納得しかけたところで、お前が大胆にもこの子の唇を奪うというシーンを見ちまったってわけ」
「う…、なんでお前らの視線に全然気がつかなかったんだろー…マヌケすぎる俺…」
 ザックスに察知できなかったものを自分がどうこうできたとは思えないので、クラウドは心の中でこっそりザックスに文句を言った。泣きたくなるような今のこの現状は全部ぜーんぶザックスのせいだ。やっぱり見られていたなんて…キスしているところも見られていたなんて最低だ。

「それにしてもザックスさん、まさか本気じゃないですよね」
 それまでとは打って変わって、ルクシーレが幾分尖った声を出した。顔はそれでもやんわりと笑っていたが、ちらりとクラウドを一瞥したときのその目が、人を見下すような冷たい光を宿していて、クラウドは緊張して体を硬くした。やはり彼に対してのクラウドの第一印象は外れていなかったようだ。
 しかしザックスの受け答えはのんびりしたものだった。
「何が?」
「だから、この子のことです」
 わざわざ言葉にしないといけないのかという微かな苛立ちがルクシーレの声に混じる。
「おい、ルクシーレ」
 カンセルがクラウドを気遣うようにルクシーレをたしなめた。しかしルクシーレは一歩も引かない。
「俺がクラウドに本気かって聞きたいのか?」
 ザックスは突っかかるような後輩の物言いに特に気分を害する風でもなく、椅子の背もたれに背中を預けると胸の前で腕を組んで少しだけ首を傾げた。
「冗談ですよね?」
 ルクシーレはどうしてもその事柄を冗談にしたいらしい。
 クラウドは俯きながらもザックスがどう答えるのかが気になって耳をそばだてていた。
 この場を丸くおさめるには「冗談だ」と答えるのがいいのだろうが、実際に彼にそう言われるのを想像したら何だか面白くないクラウドだった。
 とにかく今日この店に来てから、ザックスの突拍子もない言動に散々クラウドは振り回されたのだ。それなのに全部冗談にされれば、それはそれでなんだかむかつくような…複雑な気持ちなのだった。
 なかなか答えないザックスに、クラウドが少しだけ顔を上げて彼を盗み見ようとしたら、ばちりと見事に彼と視線がかち合った。
 ザックスはじっとまっすぐクラウドを見つめ返しながらゆっくりと口を開く。
 クラウドにはこれからザックスが何を言おうとしているのか、彼の目を見たら分かってしまった。
「冗談じゃないぜ、本気だ」
 ザックスは友人に向けて実に男らしく言い切った。
 熱を含んだザックスの目にとらわれたクラウドは、おかしなくらいに鼓動を速くする胸を上から押さえた。
 目をそらしたくても、視線が外せない。顔が熱くなって息をするのが苦しかった。こんな意味の分からない動悸を感じるのは初めてでクラウドは焦った。
「な…なんでですか? ザックスさんにはもっとふさわしい人がいると思います。そういう人を選ぶべきだ…!」
 ザックスの返答が本当に不快なのだろう。ルクシーレは今度ははっきりとそれを表情に表した。
 ふさわしい人、というフレーズがクラウドの胸に突き刺さる。
 浮き立つ気持ちはあっという間に消え、頭から血が下がり、胸は氷塊を浴びたかのようにひやりと冷えて嫌な具合に脈打った。

(…そんなの自分でも分かってる…)
 人に言われるまでもない。
 自分と彼とでは本当は友達という関係さえ不釣り合いなのだということはクラウドにだって分かっているつもりだ。
 今でも彼がなぜ自分とこうしてちょくちょく付き合ってくれているのか不思議に思うことがある。
 クラウドと違って友人がたくさんいるザックスには、休日や空いた時間に会いたい人が他にもたくさんいるだろうに。自分ばかりが彼を独り占めしてもいいのだろうかと時々思う。
 勿論ザックスと過ごすのは楽しいし、付き合ってくれるのも声をかけてくれるのもクラウドは純粋に嬉しかった。
 ザックスとは何ていうか…たぶん「合う」のだ。一緒にいても疲れないし、ごく自然に気を許せる、クラウドにとっては数少ない人間だ。だから無意識に甘えてしまう相手だとも思う。そしてそんなクラウドの甘えに存分に応えてくれるのがザックスという男なのだ。
(ザックスにふさわしい恋をささやく相手は、かわいくて綺麗な女の人…)
 クラウドは多少ザックスという男に夢を持ちすぎかもしれないが(だって性格はどうあれ憧れのソルジャーなのだ)それを差し引いてもルクシーレの言うことはその通りだと思う。その相手が決して自分のような何の取り柄もない、しかも男であっていいはずがないのだ。どんなタチの悪い冗談だと耳にした誰もが思うだろう。現にクラウド自身だってそう思った。
(そしてふさわしい友達はふたりのような人なんだ)
 同僚で、対等にやり取りが出来る相手。並んで立っても釣り合うような。
 勿論プライベートでのザックスとクラウドの関係には、どちらも仕事上の上下関係は持ち込んでいない。
 けれど今日みたいにザックスを挟んで他人がふたりの空間に入ってくると、ザックスに対して抱いているコンプレックスをクラウドは改めて認識させられる。普段、それらをクラウドがあまり感じないで済んでいるのは、ザックスがそういう風にうまくクラウドを導いてくれているからなのだろう。

 目の前の三人とクラウドの間には、どうやったって消すことが出来ない境界線が敷かれているようだった。少なくともクラウドにはそう感じる。
 決して自分はその中には入れないという疎外感がクラウドの胸を重くする。

「…そうだな。ふさわしくないかもしんねえな」
 ザックスの口から重い溜息が漏れた。
 フサワシクナイ。
 クラウドの耳にザックスの声がわんわんと響く。
 がつんと硬い何かで頭を殴られたような衝撃を受けた。
 確かにクラウド自身もそう思っていた。
 けれど、まさか今この場で、そんなにはっきりと言われるとはさすがにクラウドも思っていなくてショックを受ける。さああと目の前が暗幕がかかったように暗くなった。
「……っ」
 息苦しさを感じ、クラウドは唇を噛んで耐えた。
 ザックスは今どんな顔をしているのだろう。
 どんな表情をして、クラウド本人の前で、人を傷つけるかもしれないそんな酷い言葉を言ったのだろう。
 悲しみや悔しさ、様々な感情がクラウドの中で渦巻く。自分が惨めに思えて顔を上げられなかった。ただただ己の膝の上で血の気を失うほどに丸く固めた拳を見つめた。きっと他人には見せられない酷い顔を自分はしているだろうとクラウドは思った。

「そうですよ、ザックスさんにはもっと――」
 やっと自分の望む答えが聞けて嬉しかったのか、少し弾んだルクシーレの声を、しかしザックスは遮るように続けて言った。

「違う、逆だ。俺のほうがクラウドにふさわしくないって意味だ」

 クラウドは自分の耳を疑った。










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