*大切なもの 02





「なあ、まだ怒ってんのかクラウド。ほら、これも俺の分やるから食べろ。な?」
 ザックスはわざとらしく自分の左頬を手でこすったあと、自分の皿からクラウドの皿にいそいそと鶏肉のソテーを移した。
 男らしいラインを描く彼の頬は幾分赤く色づいている。先刻、彼の向かいに座る少年の振り回した右手がばちんと小気味よい音を鳴らして、店中の人間の視線を集めた場所だった。
 その少年、クラウドはむっつりとした顔で黙々と目の前の料理を次々に口に運んでいる。
「クラウド〜…」
 テーブルの上の皿に顔や服がくっつくのではないかというほどに、ザックスは体を倒して下からクラウドを覗き込む。その視線を避けるようにクラウドは顔をぷいと反らして身を引いた。
「悪かったよ。だってお前があんまりかわいいから」
「……かわいいって何だよ。俺をからかってそんなに楽しいのかよ」
 むくれながらクラウドは食べ続けた。
 ザックスにもらった鶏肉をフォークで刺して口に入れる。
「からかってなんかねえって! マジでお前はかわいい!」
 拳を固めて力いっぱい言うザックスを、クラウドは鶏肉で頬を膨らませながら冷ややかな目で睨んだ。
「…冗談でも、俺がそういうこと言われるの嫌いだって、あんた知ってるよな」
「あー…うん、知ってマス…」
「ていうか、なんで俺あんたにキスされなくちゃならなかったわけ!? あんたから貰ったものをなくした俺に嫌がらせ!?」
 ぶんぶんぶんと脳震盪でも起こしかねない勢いでザックスは頭を横に振って否定した。
「ち、ちげぇよ! そんなんじゃねぇ」
「じゃあ何!?」
「何って、そりゃあそんな気持ちになったからだろ」
「は!? そんな気持ちって何…っ」
「だから、人がキスしたくなる気持ちって言えば、好きだからだろ。それしかないだろ」
「………え…」
「そうだよ、俺があげたもんなくして落ち込んでるお前見てたら、なんかすんごくかわいくて好きだなあって思って、だからキスしたくなったんだよ」
「………」
 クラウドが呆然とした顔で握っていたフォークを取り落とした。
「…す、き…って、ザックスが俺を…?」
「ああ。好きだ、クラウド」
「好きって…、まさか、その…」
「好きだ。もちろん、友達って意味じゃなくて」
 ザックスとしては真摯に胸の内を告げたつもりだった。
 しかしクラウドにそれは伝わらなかったらしく、彼は訝しげに眉を寄せて、そろそろとザックスの方に手を伸ばした。後ろに流したザックスの長めに伸ばした前髪の下のあらわになった額に指先でそろそろと触れる。
「…おい、何の心配してんだよ」
「…だって、頭大丈夫? ソルジャーでもやっぱり風邪とか引くの?」
「熱で頭がどうにかなっちまったって言いたいのか? まあ医者にも治せないっていう恋の病にならやられてるかもだけど。もちろんお前相手に」
 わずかな沈黙。
 クラウドはより一層胡散臭そうな目をザックスに向けた。
「……やっぱり今日のあんたはおかしいよ。早く帰って休んだ方がいいと思う。疲れてるんじゃない?」
「って、なんでそうなる!?」
「だって普通ならあり得ない。ザックスが俺にそんなこと言うなんて絶対おかしい」
「おかしいってなんで?」
「なんでって…あんた男はダメ、同性なんて興味ないって常日頃から自分で言ってるじゃないか」
「うん。さっきまでそう思ってた」
「さっきまでって…。本当に分かってるのかな。自分で言いたくないけど…確かに俺女みたいな顔してるけどさ…」
「クラウド、そうじゃない。顔とか関係ない。お前だって今までに人を好きになったことぐらいあるだろ? 恋ってさ、突然人の上に落っこちてくるんだ。そんな感じでさっき俺はお前が好きだって気がついてキスしたくなったんだ。好き、好きだからキスしたい、その流れはわかるよな?」
「わからない」
 きっぱりとクラウドは言い切った。
「わからないわけ――」
「わからないよ! それになんかあんたの、その自分は全然悪いことはしてませんっていう顔がむかつく! キスなんてほいほいするもんじゃないし、意味もわからずに突然男にキスされた俺の気持ちがわかるか!? 涙でそうだよ…!」
「…ええと、なあ、もしかして俺クラウドのファーストキスもらっちゃった?」
「……っ、ううう、うるさいっ」
「…え、マジ? そなの?」
 クラウドは耳まで真っ赤になる。どうやら図星をさされてうろたえているようだ。
「…っ、悪かったな! 俺はあんたと違って全然モテないし、興味ないんだよ!」
「うそ、やった! クラウドの初めてもーらいっ」
 そんなことを喜んでいるザックスの頭はねじが一本ゆるんでおかしくなっているとしかクラウドには思えなかった。ここまで来ると怒りよりも呆れる気持ちの方が強くなる。声を張り上げたり自分の主張をまじめに訴えるのが馬鹿らしく思えてきた。
 とりあえず腹いせに、ザックスの取り分である彼の前のテーブル上の皿から断りもなしに彼の好物を取り上げて、クラウドは自分の口に放り込んだ。
 けれどザックスはにこにこしながら「もっと食っていいぞ」と言って、さらにその料理をクラウドに勧める。全く嫌がらせにならなかった。
 クラウドは目の前の友人に聞こえるように大きく溜息をついた。
「……訳がわからない」
「ん? 何が?」
「全部だよ」
「そう? 俺の中ではすごく単純なんだけどなぁ。クラウドがかわいい、クラウドが好き、クラウドにキスしたい、の三段階で単純明快」
「……」
 がくりとクラウドは肩を落とした。
「クラウド?」
「……そういうの、どうかと思う」
「ん?」
「あんたの彼女…花売りの子だっけ? この間うれしそうに話してた彼女のこととか、ちゃんと考えてあげなよ。俺がもしあんたの彼女だったら、知らないとこで自分の恋人がほかの奴とこんなことしてたら、すごく嫌な気持ちになると思うから」
「や、彼女は別に恋人じゃないって。友達だから」
「…誰でもいいよ、とにかくあんたの恋人がかわいそうだって言ってるんだ」
「へえ、クラウドってやっぱり真面目だなぁ」
「あんたがユルすぎるんだよ!」
「んー。でも残念、この間ふられたばっかで俺今恋人募集中なんだよね」
 それはクラウドには初耳だった。
「え…、そ、そうなんだ…」
 なぜだか少しうろたえる。
「んでやっぱり優しいなあ、お前。また惚れなおしたかも」
「…!?」
 ザックスはテーブルに頬杖をついてにこにこと笑っている。
 まだ恋人はおろか異性に告白したこともないクラウドには、こんなに手放しで他人から好意を口にされた経験はなく、初めてのことだった。
 クラウドも人並みに感情を持つ人間だ、他人から好意を寄せられれば悪い気はしないが、何とも気恥ずかしく背中がもぞもぞとくすぐったくなるようで落ち着かない。
 …というかどうやらザックスが本気で言ってるらしいことがわかって、クラウドは自分の顔が熱くなるのを止められなかった。それが自分でもおもしろくなくてクラウドは照れ隠しに唇を突き出してむくれて見せた。
 クラウドだってザックスのことが好きだけれど、それはあくまで友達としてだ。
 突然好きだなんて言われても困る…。
「…けど、けどさっき、ザックスは俺に忘れたり落としたりしないプレゼントくれるって言ったのに、キスなんかして俺をだました。それが許せない」
 そうなのだ。ザックスがクラウドの気持ちを聞かずに一方的にキスしたことが許せない。
「だましてないって。キスが俺からのプレゼント」
 ザックスはしれっとそう返した。
「は?」
「俺からの初めてのキスで、クラウドの中に思い出として残るだろ。思い出は忘れない限り決して消えたりしない。もちろん道端に落としたりなんてしない。あとキスに俺の想いいっぱい詰め込んだから、きっとクラウドを守るおまじないになると…」
「ふっ…、ふざけてるっ、何その身勝手な発想! あんたそういうロマンティストなとこあるよな。女なら喜ぶかもしれないけど俺には寒いだけだっ!」
「えー、いいアイディアだろ」
 本当に本気でザックスは自分には非がないと思っているのだ。
 この件についてはいくら二人で話しても、どこまで行っても平行線で、永遠に通じあえないような気がする…。


「……」
 クラウドはフォークを持ち直して料理に向き合った。
 はっきり言って疲れた。
 早く食べて(食べずにこの場を去るという選択肢はなぜかクラウドの中には無かった)、全然話のかみ合わないこの友人と別れて自分の部屋に帰って休みたい。
 ザックスが微塵も悪びれた様子を見せないのが、またむかつく。
「おいしいか、クラウド」
「……」
 無視する。
 でも料理はおいしい。
「お守りが欲しかったら俺を呼べよ。お前のそばに行ってお前を守るし願いを叶えてやる」
「……」
 無視だ無視。
「お前が大切にしてくれてたその何かの代わりに俺自身がなるから。俺はお前を大切にする。絶対になくならないお守りだぜ、俺」
「……」
 ザックスが、お守り。
 その表現がクラウドの気持ちを動かした。非情に不本意ではあったが。
 そろりと上目遣いにザックスの様子をうかがえば、彼はとろけそうに幸せな顔でクラウドを見ていた。こんな顔で見つめられたらきっと老若男女を問わず、誰もが胸をときめかすのではないだろうかと思う。
 例外なくクラウドの心臓もどきりと大きく脈打った。
「な? だから俺と付き合って、クラウド」
 ザックスはそう言うと、笑顔でフォークに刺した鶏肉をクラウドの口の前に近づけた。条件反射で唇を開いてしまったクラウドは、差し出された鶏肉を口の中に受け入れてしまう。それを見てザックスは満足そうにまた笑った。
「……」
 もぐもぐと口の中のものを咀嚼しながら、クラウドは照れ隠しのために眉間にしわを寄せて見せた。
「…ねえ、これって実はなんかのゲームとかワケありの遊びなんだろ…?」
 この期に及んでも、やっぱりまだザックスの唐突な告白に何か裏があるのではないかと疑ってしまうクラウドだった。
 だってどう考えたって、ザックスが自分のことを好きだとか付き合ってなんて言うのはおかしいと思うのだ。
「まだ信じてくれねえのかよ?」
 ザックスの顔からちょっと笑いが引っ込む。
「だって…」
「――俺の、」
 腰を浮かして体を倒したザックスの顔が、クラウドの顔前に近づく。するとわずかにそれまで笑っていた彼の表情も様変わりして、射るような鋭い目で正面からクラウドを見つめた。
「俺の本気、見せてやろうか? 今からでも」
「…本気……?」
「そうしたらお前は俺の言うことを信じるしかなくなるだろうけど、お前は後悔するかもしれない。いや、するな、絶対」
「……何それ。後悔なんてしない…」
 クラウドはぐ、と顎を引いてそう答えた。
 正直言うと、ザックスの言う「本気」が具体的にどんなものをさしているのかクラウドには想像も出来なかったが、その何かをする前からクラウドが後悔すると決めてかかっているザックスに、クラウドの生来の負けん気が刺激されたのだった。
「分かってないな、クラウド」
 そう言って、お前よりは世の中やあらゆることを知っているという風な顔をするザックスにクラウドは苛立つ。
 しかしこういう目をしたザックスに見つめられていると、自分がまるで逃げ場のない壁際まで追いつめらているかのように感じて焦る。
「…分からないよ、全然分からない。あんたのその告白だってまるで信憑性がない」
「俺ってそんなに信用ねえのかよ。信じてもらうための手っ取り早い方法はやっぱり俺の本気を見せることだけど…さっきも言ったけど絶対お前、あとで後悔すると思うんだよな。俺もだけど」
「…そんなの…っ、」
 最初から決めつけるな、そう言おうとしたけれど、クラウドは言葉を飲み込んで俯いた。
 だんだん自分がどうしたいのか分からなくなってくる。

 果たして自分は彼の告白を信じたいのだろうか。
 彼が本気だとわかったら、自分はどうするつもりなのか。
 頭の中がぐちゃぐちゃだ。
 それもこれもザックスが悪い。
 突然キスなんてするから…。
 そんな形のない不意うちのプレゼントなんて、欲しくなくたって受け取るしかない。
 思い出や記憶なんて忘れたくても簡単には自分の中からなくならない。

「クラウド?」
「………か」
「ん?」
「…ばか…ばかばかばかばか、ばかザックス…!」
「え、え、なに突然、クラウド」
「最低だ…っ!」
 自分の中で処理できないことを目の前の男に突きつけられて、なんだかクラウドはすごくこの場から逃げたくなった。
 瞳に滲んだ涙がこぼれない様にぎゅと目を瞑って立ち上がったクラウドだったが、ちょうどその時、テーブルの横に店員がやってきて、クラウドは動きを止めた。










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