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戸惑いの春 1
一ヶ月がたってしまった。
なんだかよく分からない勢いでザックスに告白されてからもう一ヶ月。
そして今日は俗に言う「ホワイト・デイ」だ。
「…どうしよう」
クラウドはどうしようもないくらい途方にくれていた。悩みすぎてここ数日胃が痛い。
今晩の予定を思うと、気が重くて仕方がなかった。
「ばっくれようかな…」
本気で今日だけはこの街から逃げ出したいと思うのだった。
かれこれ一週間前になるか。ザックスに勝手に予定を取り付けられた。
「久しぶりにメシ一緒に食おうぜ。この間友達にすっげえおいしい飯屋教えてもらってさ。お前田舎料理っぽい素朴なの好きだろ?」
別に断る理由も無かったので頷こうとして、その提示された日付を見て固まった。その日は正にホワイト・デイ。これは…、とクラウドは考えた。口に出してはっきりと言われていないが、あのバレンタインの告白に対して、何かしら自分にリアクションを求められているような気がしたのだ。
実はクラウドとしては寝耳に水なザックスの「クラウドのこと、俺好きなんだ」な衝撃告白からこちら、特にこれといって彼からそれに対する「それでクラウドは俺のことどう思ってる?」的な問いかけもなかった。告白前と同じような彼との付き合い。あの日のことは、実は冗談だったんじゃないかなんて思ったくらいだった。
でもときどき、ふとした拍子に感じることがある。
彼の眼差しや、笑顔や、何気なく触れ合った指先でさえ。
背中がこそばゆく感じるくらい、彼から慈しみや優しさや熱が伝わってきて、意識したくないのにしてしまう。
顔が熱くなって俯くことしかできなくなって、こんなのおかしい間違ってると思うのに自分ではどうしようもない。
「好きだなんて急にそんなこと言われても俺困るよ」
あの日、告白されて混乱しながらクラウドは言った。
ザックスは、ごめんと口では言いながら、でも少しもすまなさそうな態度ではなくて言葉を続けた。
「別に今すぐ返事をどうこうなんて思ってねえよ。その…やっぱびっくりさせたよな。ゆっくりでいいから、ちょっと俺のこと考えてみてくれよ」
考えるって、ザックスとそう言う意味で付き合えるかとかそういうのを?
ザックスのことが好きか嫌いか。
二択だったら当然好きだと答える。だって友達だ。嫌いだったらそもそも友達なんてやってない。
でも恋とかそういうのは、そんな風にはザックスのことを見たこともないし、感じたこともないと思う。……いや、正直よく分からない。
クラウドの初恋は故郷にいた幼馴染みの女の子だった。あのとき彼女に抱いていた淡い想いとザックスに対して感じている想いを比べるなら、違うもののような気もする。
最近感じるのは、ザックスの存在感が肌に馴染みすぎていて、彼と一緒にいることに不自然さを感じなくなってきているということだ。それは多分、彼が自分にとって気を許せる「友達」だからだ。
友達から恋人へ。
もし、もしもそんなふうに今の関係が変化したら、彼に抱く自分の気持ちはどう変わるんだろう。
今のままでいいじゃないかとクラウドは思う。
親友だといってくれる。隣に立つことを許してくれる。時には連れ立って馬鹿をして、喧嘩して、笑い合い、必要なときには寄り添える。それだけでいいじゃないか。
愛とか恋とか、二人の関係をちょっとしたことで不安定にするような要素なんて、余分に加えなくたっていいじゃないか。
「………」
クラウドは開いた携帯電話の画面を見つめた。
何か今晩の約束をうまく断れる言い訳とか用事とかがないだろうか。メールで「やっぱ行けそうにない、ごめん」とちゃちゃっと文字打って軽いノリで今夜の憂いをさっぱりどこかに捨てられないだろうか。
……そんな風にできる性格だったらこんなに悩んでないよな、とクラウドは自分に突っ込みを入れた。
好きだと言われた。
一ヶ月たってもクラウドの中で返事はまだ出せていない。
でも「俺には無理、恋愛なんて考えられない、きっぱり断ろう」そう思い切れない自分がいる。
ちょっと軽くてお調子者で、でも憎めないザックス。いつか彼のようなソルジャーになりたい、クラウドの同僚の中にはそう言っているヤツもいる。
仕事以外で一緒にいるときは、この人本当にみんなの憧れるソルジャー?みたいな極々普通の人間に見えるのに、でもやっぱり彼は格好良くてキめるときはキめるデキル男なのだ。それはクラウドも認める。
そんな彼と一緒にいられる自分、彼に想われている(らしい…よく分からないけれど)自分。それがどこかくすぐったいような嬉しいような、自慢したくなる気分をクラウドに運んでくる。それはある種の優越感なのだろう。
…でもそんな卑しい気持ちで、今のところザックスの気持ちに応えようなんて方向にこれっぽっちも気持ちが傾いていないのに、彼をさっさと突き放せないでいる自分のことがどうしようもなく嫌だと感じているクラウドだった。小さな棘が心をちくちく刺している。
「おい、聞いているのか」
「え」
クラウドの思考は耳に飛び込んできた声によって途切れた。
「何をぼうっとしているんだ。大丈夫か、お前」
「すみません。大丈夫です」
クラウドは、自分がブリーフィングルームにいることを思い出した。小隊長のレミングが顎に生えた無精ヒゲをさすりながら眉間にシワを寄せてこちらを見ていた。両隣に並んで立っている同僚が目だけを動かして自分の様子を窺っているのが分かった。
今日の任務は市街での警邏だ。
某施設を視察する要人の身に危険が及ばないように、警備に努めるのが神羅カンパニーの治安維持部門に所属するクラウドたち一般の神羅兵に言い渡された任務だった。
クラウドが所属する小隊は、施設周囲のビルの内部を要人到着前に見回る任務を受け持ち、今は打ち合わせの最中だった。
失敗や見落としは許されない大切な仕事だ。
ザックスとの夜の約束のことは…今は忘れて任務に集中しなければならないと思い直し、クラウドは気を入れなおすためにも背筋をぴんと伸ばした。
夜のことは夜になってから考えればいい。いざとなったら…もうどうにでもなれだ。なるようにしかならない。クラウドは少し投げやりな気持ちで目の前のことに集中しようとした。
***
任務は何の問題もなく無事に遂行することができた。
忙しさに心は紛れ、一時はザックスとの約束のことなんて本当にすっかり忘れていた時間もあったが、今日一日の仕事から解放され勤め先のビルから一歩足を踏み出し、ミッドガルの小さく切り取られた夕暮れに染まる狭い空を見上げたら、途端にどどどっと現実が脳裏に押し寄せてきて、クラウドの心を鉛のように一気に重くした。
のろのろとズボンの後ろポケットに入れていた携帯電話を取り出し画面を開く。
二件の新着メールが表示されたのでフォルダを開くと一件は社内報、もう一件はザックスからだった。件名は「今夜の約束」。彼からメールが届いているんじゃないかなという予感は当たった。
「………」
…読みたいような読みたくないような。
急用が入ったから今夜は無理そう、なんていう内容だったらいいのにと願いながらメールを開く。
表示された文字、本文の最初の一、二行に目を通したところでクラウドは不覚にも涙目になりそうになった。
『思ってたより任務が早く終わって、今は今夜着てく服を物色中。約束の時間まで大分あるけどクラウドは仕事終わった? 時間早めても俺のほうはいいぜ♪ 今夜は美味いモンいっぱい食うぞー!』
メールの配信時間と現在の時間を照らし合わせる。今からほんの十五分ほど前に作成されたメールらしい。
「…そっか、はりきってるなあ、ザックス……」
クラウドはその場に座り込みそうになった。胃が痛むのは気のせいじゃない。
「……どうしよ……」
告白の返事。チョコのお返し。何も用意できていないのに。
「三日前、受付のリズとデートしてんの見ちゃったんだ俺」
「ザックスさんてあのソルジャーの?」
「ああ、すっごく仲良さそうだったぜ。あの人この間まで都市開発部のアンナと付き合ってるって噂あったのにな、もう別れたのかな。あの人彼女何人目つうか、でも二股とか三股とか平気でやってそう」
「羨ましいよな。それでも周りに恨またり妬まれたりしてないっぽいのが、またスゴイっつーか。いいよな、神様不公平だよな」
ビルから出てきた二人連れの男たちが、クラウドの横を通り過ぎるときに丁度そんな会話を交わしていて、クラウドの耳に自然に入ってきた。
「ザックス」「三日前」「デート」の言葉に頭が真っ白になる。
どういうことだ?
俺に好きだと告白しておいて。
あの男は俺の知らないところで女の人とデートしてたって言うのか。
俺が体調不良になるくらい悩んでいた時間にだって、女の人と楽しんでいた?
好きだって…今年は本命のコからしかチョコ貰いたくないからって…俺が(謀られた結果だけど)く、口の中に残ってたチョコをあげた(奪われた)のに。
あんな恥ずかしい思いを人にさせといて、俺の頭ん中グルグルにしといて、あの男は、彼は、ザックスは……っ。
やっぱり俺からかわれてたんだ。
ぶちり、とクラウドの頭の中で何かが千切れる音がした。
「!! ふざけんなあの男っ!!!!」
突然拳を固めて叫んだクラウドに、周囲の視線が集まる。
会社の一般業務が終わる時間帯、しかもビルの正面玄関の真ん前なので、人通りは多かった。でも今のクラウドはそんな人の視線も気にならない。完全に頭に血が上っていた。
たった今、心は決まった。
これから予定通り待ち合わせ場所に行って、しっかりおいしい料理をあの男の奢りで食べまくってから、きっぱりさっぱり、にっこり笑いながらはっきり言ってやる。
「俺ハ、モウアナタトハ付キ合ッテイケソウニアリマセン。サヨウナラ、モウオ会イスルコトハナイデショウ。今マデドウモアリガトウゴザイマシタ。トテモ勉強ニナリマシタ」
俺なんかをからかって何がそんなに楽しかったんだろう。
彼は何をやっても中途半端で何の取り柄もない俺のことを友達だと言ってくれた。
俺はとても嬉しかったのに、あの男にとってはそんなに深い意味なんて無い言葉だったんだろうか。軽い調子で言えるんだろうか、誰にでも。それとも心にも無い言葉だった?
気持ちが昂ぶって、目尻に勝手に涙がジワリと浮かんできた。
俺は悔しいんだろうか。悲しいんだろうか。分からない。分からないけれど。
もういい。もう知らない。
あんな訳の分からない男、こっちから縁を切ってやる。
そうしたら、こんなぐちゃぐちゃでどろどろな気持ちから、きっと解放される。
クラウドは握り締めていた携帯電話に目を落とすと、アドレス帳を開き電話をかけた。ほとんど間をおかずに電話の向こうから聞きなれた能天気な男の声が聞こえてきた。
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