11 逃げる





 捕まったら終わりだ。
 そう本能が告げていた。
 でももう既に手遅れなのかもしれない。






 雪山で初めて言葉を交わしたあの日。
 彼の第一印象は、性格は俺と全然違うけれどなんだか気が合いそうだな、いい人だなって感じだった。
 その後、数回彼と会う機会があって、なんで俺みたいなのにいつも声をかけてくれるんだろうっていう疑問を素直に口にすれば、彼は「だって俺たちトモダチだろう?」って答えた。
 友達。
 その響きがくすぐったい。いつの間にか俺たちは友達になっていたらしい。
 もちろん嬉しかった。舞い上がった。夢みたいだった。
 優しくて、かっこよくて、強い、彼。
 文句のつけようがない。
 自慢の友達になる…はずだった。

 でも。

 友達として付き合い始めるようになってしばらく経ち、なんだか「あれ?」って感じになってきた。
 確かにいい人だし、強いし、優しくてよく気のつく人だというのは間違いないけど、なんていうか…ちょっと色々理解できないところがあったのだ。
 つまり。
(なんであの人いつもあんなに体当たりなんだろ…)
 そうなのだ。文字通り…。


「お! クーラーウードーー!」
 びくうっ。
 神羅カンパニー本社ビルのエントランスホールに響くその声は。
 市街の警邏任務から帰ってきたばかりの俺は反射的にびくりと身体を揺らした。
 雑踏の中からその声を正しく拾うことが出来るのは、その声が友達の彼のものだから…というよりは、彼と付き合っているうちに、徐々に彼に抱くようになってきた緊張感というか危機感というか…そんなもののせいだ。
 最近は彼の声を聞くと、条件反射みたいに背中がびしいっと伸びる。
 うわあ、と思ったらもうダメだった。
 振り向かずに、俺の足は床を強く蹴り上げて前に踏み出していた。

 俺は、今、急いでいるんだ。
 俺は、あの人の呼ぶ声に気づいていない。
 だから、これは決して、逃げているわけでは…わけでは…っ。

「おい、待てよクラウド、聞こえてないのか!? ちょ…おいって!」

声を無視して俺は階段を駆け上る。
エレベーターホールに着いて、階数パネルの表示を確認する。焦りだけが募っていく。
彼は追いかけてきているんだろうか。

(追いかけてくんなくんなくんな…っ)
 ゆっくりと減っていくパネルの数字を睨むようにして見つめる。
 一刻も速いエレベーターの到着を祈る俺をあざ笑うかのように、たぶん数段抜かしで軽快に階段を上ってきているのだろう足音が俺の耳に飛び込んでくる。

 チン!
 エレベーターの到着を知らせるベルの音と、視界の隅に馴染みのあるダークカラーの服に身を包んだ大柄な男の影が飛び込んできたのはほぼ同時だった。

「クラウド!」
「……っ」

 間に合わないか!?

 エレベーターの扉が開く。
 中から降りてくる人々を押し退けるようにして俺は乗り込もうとした。逃げ場はもうそこしかなかった。
 マナーなんて知ったことじゃない。他の人間に気を遣う余裕なんてない俺は、飛び込んですぐに適当な上階の数字をいくつか押してから扉の開閉ボタンを連打した。

 はやく。はやくはやくはやく!

 けれど俺の願いも空しく。
 ガンッと力強く床を踏みならして片足をエレベーターに踏み込んだ彼の身体が、扉が閉まるよりも先に中に滑り込んできた。

 今日初めて彼と目があった。

(うわああああああ)
 心の中で絶叫。

 途端に、にこり、と彼が爽やかに笑って。
 エレベーターに飛び込んできた勢いそのままに俺に向かって突進してきた。

 そう、文字通り「体当たり」だった。

 少しもスピードをゆるめない彼に飛びつかれて、当然、俺は彼の体重と勢いを受け止めきれなきれなくて、彼もろとも床に転がってしまった。したたかに尻と腰をぶつけて俺は悲鳴を上げた。

 昔…そういえばこんな感じの似たようなことがあった。あれは故郷の村にいた頃、村長の家の巨大な飼い犬に飛びかかられてじゃれつかれたことがあった。
 黒くて大きくて毛がふさふさもふもふしていた犬…なんとなく目の前の彼と似ているかもしれない。

 そうして二人だけを乗せたエレベーターの扉は閉まり、ゆっくりと動き出した。




「…いたい……」
「久しぶりだなクラウド! 会いたかった〜!」
 俺はもろに彼の下敷きになっていた。重い。逃がすもんかって感じで俺の腰にはがっしりと彼の腕が巻き付いている。
 ああ…捕まっちゃったよ…。
「…うわあ、ざ、ザックス? 突然飛びつかれたからびっくりしたよ、もう」
 わざとらしいと自分でも思ったけど、俺はなるべく笑顔を作って彼の腕をさりげなく外そうとした。…けど全然外れない。くそ。
「ザックス…あの、重いんだけど…」
 ふたりだけの空間は静かに上昇していく。
 すぐにどこかの階で停まって扉が開くだろう。
 ほとんど抱き合ってるみたいに見えるふたりが、床の上に転がってるのを他の社員や誰かに見られるのは恥ずかしいので早いとこ、この体勢をどうにかしたい。
 けれど俺が直球で重いと訴えたのに、彼は動こうとしない。…どころかさらに腕に力を入れてぎゅううと抱きついてきた。
「ザックス?」
「……はなしたら、お前逃げるだろ」
「え?」

「なんで逃げるんだ」

 俺の胸元にぽつりと低いつぶやきがこぼれる。
 俺はどきりとした。
「に、逃げてなんか…」
「声、聞こえてただろ。なのにさっき俺のこと無視して逃げようとした」
 やっぱりばれていたのか。
「…それは……」
「おまえ、本当は俺のことが嫌いだから顔も見たくない?」
 抱きつかれている格好の俺の位置からは、彼のつむじしか見えないから、彼が今どんな表情でそんなことを言ったのかは分からなかった。けれど思いもしない言葉に俺は戸惑う。
「そんなことない、嫌いだなんてことは…」
「じゃあなんで逃げる」
 彼の頭がゆっくりと動く。
 ゆらゆらと不思議な光が揺らめく彼の双眸は、今まで見たこともないくらいに真剣で、まっすぐ俺の目を見返した。
「なんでって…」
 自分でもどう答えたらいいのか分からなくて一瞬迷う。
 あえて言うなら…。
「ザックスが、追いかけてくるから…かな…」
「俺はお前が逃げるから追いかけるんだ」
 彼は目を細めて少し拗ねたように唇をとがらせた。
 これには俺も反論したくなった。
「違う! 今日みたいにあんたが突っ込んでくるから、逃げたくなるんだ! 頼むからもっと普通にしてよ。意味分からないんだよ。重いからどけって!」

 そうなのだ。
 最近では、顔を合わせればなぜか彼は俺に抱きついてきたりして、友達としては過剰とも思えるコミュニケーションをとろうとする。人前だろうとどこでだろうとお構いなしにだ。
 最初のうちはその行為が、彼の特別な存在になれたような、親密さがよりが増した証のような気がして、気恥ずかしくも嬉しかったりしたものだが、こう会う度に毎回大柄な男にぎゅむぎゅむされまくるのは、だんだん暑苦しくてうざいような気もしてきた。
 それに他人の体温をこんなに近くで感じていると、なんだか変に意識してしまうというか、錯覚しそうになるというか…。いや、錯覚って…何を考えているんだろう俺。
 とにかく、やっぱりこういうのは困るし、迷惑だと思うわけだ。

「ザックス、いい加減に…っ」
「だからおまえを逃がさないように体重をかけてるんだって」
「逃げないったら!」
「信じられない。現に今日は逃げた」
「だってエントランスだったし、人がいっぱいいたし、あんたは今日も絶対抱きついてくると思ったし恥ずかしいだろ…っ」
 実際今はこうして抱きつかれているし。

 エレベーターが停まって扉が開く。
 俺は扉の向こうに立っていた男と目があった。白衣を着た研究者らしい男は、一歩だけ足を前に踏み出したが、すぐに表情をひきつらせてそれ以上は動かなかった。二人の男が中央で寝そべっているエレベーターに同乗しなかったのは、賢明な判断だと俺も思う。同じ場面に遭遇したら、いくら急いでいたとしても俺だって乗りたくない。
 そのまま、また扉は閉まり、動き出した。

「……見られた」
「人の目を気にし過ぎて、自分のしたいことを我慢するなんて馬鹿げてる」
「今はそんな話してない。でもあんたはもっともっと人の目とやらは気にした方がいいと思う」
 彼がやっと動いた。
 俺の顔の両脇に手をついて体を支え、真上から俺の顔を覗き込んでくる。動いた拍子に彼が背中に携えているバスターソードががちゃりと音をたてた。見るからに重そうな剣だ。もし自分が手にする機会があったとしても、振り回すどころか振り回されるばかりの手に余る剣だろう。背中に背負っているだけでもフラフラするかもしれない。
さっきは彼の体重とこの剣が自分の上にのしかかっていたから重かったのだと思うと、ちょっとむっとする。そもそも武器を携帯しているということは、これから任務か、任務から帰ってきたのか、それとも任務の途中か、どうなんだろう。こんな場所で俺と油を売っていても問題ないのだろうか。

「…クラウド」
 身体を拘束する腕は離れたのに、彼の下から抜け出すタイミングを逸して、俺は彼の顔を仕方なく見上げた。
 彼はなにかを思い詰めたような表情をしている。
「もう一度聞く。逃げんのは俺のことが嫌いだからか」
 問いつめるような棘のある響きはない。
 さりとて不安を匂わすような怯えも声には感じられない。
 ただ彼の瞳はまっすぐ俺を見据えていた。
「そういうわけじゃなくて…」
「じゃあどういう訳だ」
 俺が行きすぎていると感じる彼の態度や行動。だが彼自身は、変だとこれっぽっちも思っていないのだろうか。
「…逆に俺も聞きたいんだけど、ザックスはなんで人の顔を見るなり抱きついてくるの…?」
「逃げられる前に捕獲」
 捕獲って、ペットや家畜じゃないんだから。
「ザックス…っ」
「――もあるけど、単純に嬉しいからだな」
 嬉しい?
 彼はちょっと照れくさそうに頬をゆるめた。
「嬉しいって何が…?」
「おまえに会えると嬉しい。それにくっつくと安心する」
「あん…しん…」
 聞いたらますます頭がこんがらがってきた。何がどう安心するというのだろう。
 でも、なぜだか自分の鼓動が速くなる。顔が急に火照って熱くなったみたいな気がする。
「な、なにそれ…」
「うん、なんだろな…」
 彼は自分で言っておきながら、首を傾げて口の端を歪める。俺の方が首をひねりたいくらいなのに、目の前でそんな顔をされちゃうとそれ以上を追求しにくい雰囲気になる。

 仕方がないなあと苦笑しながら、俺は目の前の男に手を伸ばした。ちょっとためらいながらも彼の頬をグローブをはめたままの指先で触れる。すると、彼は一瞬泣きそうな顔をしてうなだれ、俺の胸の上にこつんと額を押しつけた。俺は彼のやりたいようにさせ、つんつんあちこちに向かって立っている彼の漆黒の髪の間に指を入れ、優しく撫でてやった。子供をあやすように。
 …そう、この間もそうして彼を宥めたのを思い出す。

「…ねえ、ザックス、もしかして俺に甘えてる…?」
「…かもしれねえ」
「なんか変なの…」
 年上なのに。
 自分よりもずっとずっと彼は大人だと思ったいた。
 なのにふとした瞬間にこうして時折、自分の前で思いがけない不安定で頼りない姿を見せる。
 なんだか不思議だった。


 この狭い空間に乗り込んでからずっと微かに耳に届いていたエレベーターの稼動音が止む。どこかの階にまた停止したようだ。
「ザックス、とりあえず降りよう」
 いつまでもここでこうしているわけにもいかない。
 俺は彼の背を優しく叩いて立つように促した。





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