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熱1
…暑い。
確かにそういう季節だった。
湿気の多い熱を孕んだ空気が夜になってもそこら中に漂っている。
だがクラウドの意識を眠りの淵から引っ張りあげたのは、その馴染みのある『暑さ』ではなかった。最近ではすっかり身体によく馴染むようになったものではあったけれど。
億劫に思いながらクラウドはまぶたを押し上げる。
目の前に、外郭を鋭利に削り取った造形の大きな手が見えた。自分のものではない。けれどそれが誰の手なのかは知っている。
その手の持ち主がクラウドに『熱さ』をもたらした正体だとすぐに分かった。
「…ックス…」
背中に張り付くようにしている友人のほうに身体の向きを変えようとして失敗する。
身体の右側を下にして寝ているクラウドに圧し掛かるようにして、逞しい腕がクラウドを拘束していて、それが重石のようにクラウドの身体の自由を奪っていた。
首だけをよじって背後をうかがうと、黒髪が肩口に見えた。
予想通り、友人のザックス・フェアがクラウドの身体を背後から抱え込むようにして腕を回し、ぴったりと寄り添って眠っていた。
いつの間に彼はこの部屋に入ってきたのだろう。
昨夜、クラウドがベッドに入ったときにはひとりだった。
本当はその夜はザックスと約束をしていて、一緒に夕飯を食べるはずだったのだが、ザックスに急な任務が入ってしまったために叶わなかった。仕方なくクラウドはひとり社員食堂の一番安価な定食を腹に収めて寮に帰宅し、翌日の仕事の準備をしてから早々に床に就いた。特に趣味も持ち合わせていないクラウドは、何をするということも思いつかなかったので、寝て身体を休めることに努めたのだ。
ザックスはソルジャーだ。任務の内容も、しがない一般兵のクラウドの仕事量や質とは比べようもなく、あちこちに飛び回り多忙だった。
ふたりの間で交わされた約束の中には、主にザックスの仕事の都合によって反故にされたものも数多くあり、しかしクラウドはそれも仕方のないことだと納得もしていた。多忙な上に、クラウドと違い快活で友人も多い男なのに、どういうわけかクラウドに頻繁に声をかけてくれて、時々一緒に過ごしてくれる、それだけでとても嬉しいことなのだった。
それにしても…。
なぜこの男は自分のねぐらに戻らずに人のベッドの上で寝ているのだろう。
おまけに暑い。いや熱い。湯たんぽ代わりに温もりを求めたくなる季節ならばいざ知らず、こんな暑苦しい陽気にわざわざ人にくっついている理由が分からないのだが。
クラウドは遠慮がちに身体を小さく動かした。それでザックスが目覚めてくれないかと期待したのだが、残念ながら彼は睫毛の一本すら動かさなかった。
腕は重いし背中は熱い。
けれど疲れて眠っているだろう彼を叩き起こすのも申し訳なく思うクラウドだった。
諦めてクラウドは身体から力を抜いた。ザックスがなるべく早く暑さに気がついて自分から身体を離すことを期待することにする。
クラウドは視線を前方に戻した。
眠らない街、とは誰が言ったのだろう。ミッドガルのプレートの上は、夜でも昼間のように明かりが煌々としている。故郷の真っ暗な夜空を思い出し、あの透き通った空気の中で降るように星が瞬いていた暗闇をとても懐かしく思った。
外からの明かりがブラインドの隙間から微かに届いて、部屋の中を薄く照らしている。
クラウドがその明かりを頼りに視線を巡らせば、床の上に転々と何かが転がっているのに気がついた。よくよく目を凝らせば、それはブーツだったりズボンだったりシャツだったりした。
「……」
ザックスがベッドに入る前に身に着けていたものを脱ぎ捨てて落としたのだろう。
任務から解放された後、彼はまっすぐここに来たのだろうか。
自分の部屋の方がこんな窮屈な一般兵の部屋よりも余程綺麗で環境がよいはずなのに、なぜわざわざここを選んでやって来たのか。理由はまったく想像できないし分からないが、しかしクラウドはなんだか胸の奥がくすぐったいような気分になる。
恐る恐るクラウドは手を動かして目の前の彼の手の甲に触れる。指の腹に吸い付くように彼の肌はやはり汗ばんでいた。やはり自分と同じように暑いのではないだろうか。
ザックスと触れ合っている背中や腰は熱く、クラウドが着ているTシャツや寝間着代わりのハーフパンツも汗でしっとりと湿っている。
首のくぼみに溜まっていた汗の粒がつうっとその時首筋を流れ落ちていった。
「……」
こう言っては何だが、背後に張り付いている友人のことが少しばかり鬱陶しいと思うのは、この暑さだから仕方のないことだろう。
けれど重い腕はびくともしないし、彼は起きる気配がない。
クラウドはもう一度溜息をついて、目を閉じた。
そうだ。眠ってしまおう。次に目覚めるときはザックスだってさすがに寝返りなり何なりで体勢を変えているだろう。クラウドも今このときを少し我慢して寝てしまえば、暑さを忘れられる。
そうして目を閉じてどれくらいの時間が流れたのか。数分だったか数十分だったか、クラウドの意識が半ば飛びかけていたときだった。不意に後ろからぼそぼそとこもった声がした。
「……クラ…ド…、今日はごめ…ん」
小さな声だった。
それは寝言だったのか。
けれどその優しい彼の響きが眠りに溶けかけていたクラウドをふわふわと包んで意識に溶け込んで、クラウドの口元は無意識に微笑んでいた。
そしてクラウドを穏やかな眠りへと誘ったのだった。
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