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HAPPINESS
たとえば。
たとえばお前の隣に俺じゃない他の誰かがいるなんてこと、考えたくもない。
考えたくないけど、時々考える。
俺じゃなくて、誰か他の女と一緒にいたほうが、お前は幸せなんじゃないのかって。
普通の家庭を持って、子供を育てて、誰が見ても羨むようなそんな夫婦。絵に描いたような幸せを、お前から奪っているのは俺なんじゃないか。
「子供が欲しいか」
クラウドにそう聞かれた。
俺が公園で遊ぶよその子供を何となく眺めていたときだった。
「そういう顔してる」
そのとき俺はどんな顔をしていたんだろう。
ぽつりと呟いたクラウドのほうが、余程寂しそうな表情だった。
彼が何が言いたいのかは分かった。
俺たちがどんなに望んだとしても、同性同士では新しい生命を生み出すことことは出来ない。
「あんた、子供好きだし」
だけど俺にはそれを叶える術はない、と言いたいんだろう。
それきり口を閉ざして俯いてしまった彼の手に指を絡めて、俺は寄り添った。
「子供なんて要らない。俺にはお前がいればいい」
言いながら、なんて陳腐な言葉なんだだろうと思った。
お前は自分のせいで、と言うけれど、それは俺だって同じ気持ちだ。
好きなら、愛しているなら他には何もいらない、なんてロマンティックな時期はとうに過ぎた。
冷静に周りも見えている。
周囲の人間がどう思ったって、俺は俺のやりたいようにするし、後悔もない。後ろめたさもない。
男同士のあれこれに、偏見を持つヤツだっているだろうけど、そんなの気にならない。
だけど、お前はどうなんだろう。
真面目だし、他人の目を気にする方だし。
それに俺の勢いに引きずられていやしないか。
強引に押し切ったり、時々無理言ってお前を振り回してるって俺にもちゃんと自覚あるし。
お前押しに弱いし、俺の我儘だって寛容に受け入れてくれるから…。
そうだな、…うん。お前と俺がうまく付き合えてるのって、お前のその広い心があるからこそ、だと思うよ。
俺はそれに凄く甘えてる。
だから…だから本当はお前がいつも無理してるんじゃないかって考える。
考えると怖くなるから普段は頭の中から追い出してる。
愛を疑ったことはない。
お前が俺をどんなに好きかってことは…自惚れじゃないだろ? 大切にしてくれる。いつも気にかけてくれる。見守ってくれている。
手放しでストレートに態度や言葉でそれを表すヤツじゃないけれど、ちゃんと伝わってくるよ。実感があるから。
だから俺はお前のそばにいられる。
そばにいてもいいんだって思う。
だけど。
時々考えるんだ。
お前は幸せか。
俺と一緒にいて幸せなんだろうか、と。
俺は自分の幸せを微塵も疑ったことはない。
昔と比べたら、そりゃあぬるま湯につかっているような平凡で平和で、何てことはない毎日だ。
だけど朝起きたらお前が隣にいて、手を伸ばせばいつも届く位置にいて。
くだらない些細なことで喧嘩したり、他愛ない近所の噂や話題に相槌をうって笑ったりする。
二人でやってる何でも屋に寄せられた依頼を、一緒に力を合わせて達成するのは楽しいよな。
ニュースペーパーに挟まっていた折込みチラシをチェックして、近くのマーケットに特売の食材を買いに行ったりして。
命のやり取りとは無縁の、心の凪いだ静かな日々。
穏やかな時間。
時々…本当に時々な、物足りなさを感じることもあるけど、これでいいんだって思う。
お前がいて、俺がいて。
こうしてまた一緒にいられるって、それだけでも十分奇跡だもんな。
あの丘で別れた日には考えられなかった。
俺の時間も、お前との思い出も何もかも、あの場所で止まったっきり、もう二度と動きはしないのだと覚悟していた。
だから今こうして、新たな思い出を共に積み重ねていけることがとても嬉しい。
本当はこんな形でお前のそばにいさせてもらえてるってのも、半信半疑なんだけど…だって出来すぎてるだろ?
俺は物凄くお前のことが好きだ。
許してもらえるならいつもくっついていたいし…なんていうか、俺結構そういうの、のめりこむタイプみたいだから。前から思ってたけど。
お前を愛してる。言葉になんかできないくらいに。
でも愛が常に自分にとって都合がいいものではないことも知ってる。
好きになった相手と本当の意味で気持ちが通じ合うなんてことは、奇跡に近いことだってことも。
おまけに俺とお前の場合はハードル結構高くて、そもそも男同士だし、お前は真面目だし、この恋は叶わないもんだって諦めてた。
今はお前と一緒にいられて、お前が俺の気持ちに応えてくれて…、夢みたいにうまく話が出来すぎてるって思ったっておかしくないだろ?
お前が俺のことを好きだって言ってくれるその気持ちを信じててないわけじゃないけれど、お前が俺に対してニブルヘイムからこちら、後ろめさを引きずってるの知ってるからさ、それで俺に付き合ってくれてるのかもとか、そういう風に考えちゃったり…しても仕方ないだろ。
おかしいか。俺だって時々後ろ向きになるさ。
公園の土を蹴る小さな足。
元気に飛び跳ねている子供たちを見て、ぼんやりと考えた。
クラウドの血を分けた子供はかわいいだろうな。
俺とクラウドの間にもし子供ができたらそりゃあもう……絶対ありえないけど、頭ん中に思い描くくらいは自由だろ。
科学や医学の進歩だとかでそのうち男同士でも出産可能になったりしねえかな。
俺らソルジャーみてえな人間突き抜けちゃってますーみたいな感じだったら、不可能なことも可能になっちまいそうな気がしねぇ? しねぇかな。
……。
考えてたら、なんか虚しくなってきた。
あーあ。
こんなこと、俺が考えてるくらいなんだから、クラウドならもっと前に、同じようなこと考えてるんじゃないかな。
子供欲しいな、とか。
ティファ、デンゼルやマリンと一緒に暮らしてた時期があった彼なら、なんかそういうとこの感覚、俺よりしっかりありそうだし。
彼を愛する気持ちは誰にも負けないって自信あるけど、子供ばかりはどうしようもない。
俺とじゃなくて、ちゃんとした家庭持ったらどんな風かって、クラウドは考えたことないか?
「子供が欲しいか」
俺の心を読んだかのような言葉が隣に立つ彼の口から聞こえた。
驚いて返事もせずにただ見つめ返していたら、彼はどこか寂しそうな笑みを浮かべた。
「そういう顔してる」
俺がどんな顔してるって?
「あんた、子供好きだし」
その後、何かを言いよどむ仕草をしてから、結局何も言わず、クラウドは俯いてしまった。
傷ついているんだろうか。
俺が何も答えないから…?
荷物を持っていないほうの手を伸ばして、彼の手を握り締めた。
「子供なんて要らない。俺にはお前がいればいい」
耳に唇を寄せて囁いた。そんな言い方しか出来ない自分が滑稽だ。
本当は聞きたかった。
子供が欲しいって、本当にそう思っているのは、お前のほうなんじゃないかって。
だけど聞けない。藪蛇だったらと思うと怖くて聞けない。
実際そうだったとしても、俺はクラウドと別れられるとは思わない。
お前がそう言うなら、お前の幸せのためなら身を引くよなんて、そんな綺麗事は言えない。
優しい男にも物分りのいい男にもなれない。
これだけはゆずれない。
絡めた指を解かれはしなかったけれど、彼は握り返してもくれなかった。
「自分の子供を腕に抱き上げてみたいって、考えたことないか」
彼の言葉に、本当に俺の心が読まれているんじゃないだろうかと胸が嫌な具合に脈打つ。
「時々考えるよ。ザックスは俺なんかといるより、きっともっといい人と一緒にいたほうがいいんじゃないかって」
…なんだよ。なんだよそれ。
あんたにはもっといい人が他にいるから、俺と別れて欲しいって言うのか。子供を理由にして遠まわしに別れの話を切り出そうとしてる…?
「だけど」
と、クラウドは続け、動揺にみっともなく立ち尽くしているだけの俺の肩口に、甘えるようにことんと小さな頭をもたれ掛けさせた。
人目のある場所で、彼のほうから接触してくるのは珍しい。
「俺、いやなんだ」
「…な、にが、イヤ…?」
ぎくしゃくと、それだけをやっとのことで俺は口にした。
俺ともう一緒にいるのはイヤだという意味だろうか。
さっきまでなんでもなかったのに、なんで突然こんな話になってるんだろう。
近所の知人から受けた依頼の仕事を終えて、今夜の食事の買い物をして、二人なかよく歩いて家路を急ぐその途中だった。
子供が遊ぶ公園が見えるこんな道を選んで歩かなければよかった。
頭の中に重くて嫌な考えばかりがグルグルと浮かび、胸の中に不安がふくれていく。
視線を下ろしてもすぐ近くに彼の後頭部と髪の間から覗く貝殻のような耳、それから肩が見えるだけで表情までは見えない。
「最近よく考えるんだ。知らなかった。自分がこんなに心が狭かったなんて」
我慢の限界だ、俺とはもう付き合えないってそう言いたいのか。そんな言葉は聞きたくない、聞きたくなんて―――。
彼の次の言葉と、俺の悲鳴のような叫びはほぼ同時だった。
「お前がどう言おうと別れる気なんてこれっぽっちもねぇからな!」
「どう言われたって俺絶対別れる気なんてないから」
俺の声量は公園内の子供たちの関心をひきつけて振り向かせるに充分だったらしい。
子供の視線が、こちらに向けられるのを肌で感じた。
しかし俺はそれどころじゃない。
手に持っていた荷物をその場に放り出して、クラウドの体を力いっぱい抱き締めて叫んだのに、胸の辺りで響いた彼の言葉は。
「は…?」
「ザックス…?」
焦った俺は体を離して、腕の中の恋人の顔を急いで覗き込んだ。
彼はまあるい目を大きく見開いて呆然といった表情だ。
「…今何て言った?」
「何って、あんたこそ。俺がなんで別れるって…?」
「お、俺と別れる気はないって言ったか、お前…??」
彼は眉間にうっすらと皺を寄せ、唇を少しだけ突き出して視線を横に流す。てれている時によくする仕草だ。
「…だって、あんたが他の人のものになるなんてイヤだ。見たくないし」
「そんなの俺も同じだ。お前は俺のだ」
「子供欲しいって言われても無理だけど…」
「そんなの分かってる。俺だってそれだけは叶えてやれない」
「あんたのしあわせを一番に考えたいけど」
「俺だって」
「でもきっと俺……」
少し苦しそうな表情になる。
「別れたいって言われてあんたに捨てられても、たとえ別れるのがあんたのためだとしても、潔く諦められないと思う…」
「俺がお前と別れたいって言うって? そんなのありえないだろ。ていうか俺を捨てるのはクラウドのほうじゃないのか?」
「な、何言って…、俺がなんであんたを捨てるんだよ」
「だって俺、お前に子供持たせてやれねえし」
「誰がいつ欲しいって言った。子供欲しいのはあんたの方だろ」
「それこそいつ俺がそんなこと言ったんだっての」
「それは……」
戸惑いに蒼い瞳を揺らしつつ彼が言いよどむ。
「…だってあんた、子供、好きじゃないか。周り、子供寄ってくるし、あんたは凄く楽しそうで…。そういうの見てて、あんたの父親になる姿とか俺勝手に想像して…似合うよなって思ったから」
なんだかさっき俺が「もしクラウドが普通の家庭を持って奥さんと子供と…」と想像していたのと同じことを彼は言ってるんじゃないだろうか。ただし立場が逆バージョンの。
「俺だってしつこく引っ付いて、お前のしあわせの邪魔してるんじゃねぇかって考えてた」
「何が邪魔…?」
俺はもう一度目の前の体を引き寄せた。優しく、柔らかに両腕で抱き締める。
「…なんか、おんなじこと考えてたんだなぁ、俺ら。しかもお互いピントのずれたヤツ」
「ザックス…?」
「俺もバカだし、お前もバカだけど、そんだけ愛されてるとも言うか。絶対別れない、なんていつもは聞けない言葉も聞けたな」
「そ、それは…っ」
二人とも互いに互いの幸せを考えて、想っているのは同じ。
だけどひとりで悩んで結論を出そうとしていた。
二人で出さなければならない大切な答えなのに。
「なあ、クラウド、急いで帰ろうか」
耳元に口を寄せる。
今度は本当に腕の中の彼の耳にしか届かないような小さな小さな声で囁く。
「 」
途端に彼の白い耳朶が見事に赤く染まった。
「なんかさ、別に今日まで自分の子供がどうのなんて考えたことなかったけど、今日お前に言われたら気になってきたっていうか」
びくりと彼の体が震えた。
違う、そういう意味じゃないから、と俺が安心させるようににかっと笑って見せると、意味が分からないのか、腕から抜け出した彼は探るような視線で見上げてきた。
「頑張るって…」
「だから子作り?」
「誰と…」
「お前に決まってんだろ」
クラウドは首を傾げて、こいつ頭は大丈夫か的な顔をしている。
「出来るわけ――」
「俺とお前の子供、絶対かわいいよな。カッコイイ俺とキレイなお前の遺伝子合わせたら、そりゃあすんごいのが…」
「人の話を聞け。出来るわけないだろ。あんたそこまでバカなのか」
「人類の文明の歴史は常に不可能を可能に変えてきたのだよ、クラウドくん」
「何偉そうに語ってるんだよ。そういう問題じゃな…」
「奇跡を信じるのもありだし、なんかほら、俺らフツーの人間と違うじゃん。クラウドの中のジェノバ細胞がこう、ちょろ〜んと変異して、なんかそういう特別な感じになって『人類初、男が出産!』みたいなこととか」
俺は結構大真面目に自分の考えを述べているんだが、それを聞いてる彼の顔はどんどん険悪になってきた。
ていうか完全に呆れられてる顔だ。
「ありそじゃね? ジェノバさん、子孫残したいな〜とか思うかもしんないじゃんか」
「もしそうなら、体ん中の細胞全部引きずり出す。死んでも構わないから」
「おまっ、俺とお前の子供見たくねえの!?」
「バカらしい」
「バカってなんだよ。絶対ないって言い切れるか。俺の精子を舐めんなよ」
生々しい単語にクラウドはぎょっとして真っ赤になった。
「何の話してんだよ黙れ! こんな場所でする話じゃ…」
自分で言ったそばから、そのことを今更ながら認識したのか、クラウドははっとした表情で辺りを見回した。瞬時に(実際は俺にだけ分かるくらいの微妙な感じだけど)赤かった顔が今度はサァーっと青ざめた。
さっきまで公園内で遊んでいた五歳ぐらいの少女と少年が、俺たちのすぐそばまで寄ってきて、じいっとこちらを見つめていたからだ。
「………」
二対のまあるくて大きな瞳が興味を隠そうともしないで俺たちの顔を見上げている。
俺もちょっとはしまったと思うが、クラウドはそれ以上に子供の視線に居たたまれない様子だ。
少年が純粋な視線を向けて話しかけてきた。
「ケンカはダメって、ママがいってた」
傍らの少女が少年の脇を小突く。
「あたししってる。これ『ちわげんか』ていうのよ。ママが、イヌもくわないとかっていってた」
少女はなにやら得意気だ。
「へー、そうなんだ。ケンカはダメでちわゲンカはいいのかな?」
「わかんない」
クラウドの方を見れば、子供たちの無邪気な会話を無表情に淡々と聞いていた。表面的にはそう見えても、たぶん心の中ではわあわあ叫んでいて、今すぐここから逃げ去りたい衝動に駆られているに違いない。
この場は俺が助け舟を出してやるしかないかな、と思う。
「そうだよな、ママの言うとおりケンカはだめだよな。でもだいじょぶ、俺たちケンカなんてしてないから。な、クラウド」
話をふられると思っていなかったのか、クラウドは振り向いた俺に目を見開いてびっくりした顔をして体を揺らした。相当動揺しているらしい。
「え、…あ、ああっ」
「俺たちいつも仲いいの。だからけんかなんてしない、しない」
俺は子供たちと視線を合わせるために腰をその場で下ろすと、手をひらひらと振って笑って見せた。
少女よりも拳半分ほど背の低い少年が、手に持っていたボールを嬉しそうに振り回した。
「しってるよ。おじさんたち、いつもいっしょにいるもんね」
おじさん。
その一言に、ぴきん、と俺のこめかみがひきつる。
確かにこんぐらいちっちゃな子から見たら、俺たち十分オッサンかもしれないけどさー。
何も今日初めて言われたわけじゃないし、今更すんごいショック受けたなんて言わないけど…。おじさん…は、やっぱ傷つく…かも。
だけど、誰がおじさんか、お兄さんと呼べ!と言い直させるのも、なんかちっちぇえ男だと思われそうなので、ここはぐっと我慢した。作り笑いを浮かべて、でもさりげなく言い換えておくのも忘れない。
「君たち、お兄さんたちのこと知ってるのかなー?」
「しってるー。なんでもやさんのヒトでしょ。ゆーめいだもん」
「おどってるんだよな」
「ちがうよ。そうげんでかりしてるってきいたよ」
「きんじょのおばあちゃんがパンやいてもらったっていってた」
「えー、じゃああたしりんごパイがいい」
「アレックスのママがふたりのファンクラブにはいってるって」
「ユーリアのママもはいってるってきいた」
子供たちは二人で盛り上がっている。
俺は立ち上がり、隣のクラウドに顔を寄せて耳打ちした。
「クラウド、お前踊ったのか? 狩りはこの間の蛇皮依頼のミドガルズオルムん時のだよな」
「…踊ってない。あんたこそパン焼いたのか」
「出先でオーブンの調子が悪いって困ってるおばあさんにあって、ちょっと手伝ったことはある」
「ファンクラブは知らない…」
「俺も。てことは非公認か。あー、関係ないけど懐かしいな。そういえば俺ソルジャーん時、ファンクラブあってさ…」
「知ってる。俺も入ってたし」
「はは、実は俺もこっそり自分のなのに入ってた…、て、えええ!? お前会員だったの!?」
「……」
「そんなこと一言も言わなかったじゃん!」
「なんとなく…入っただけだし。別にいいだろ」
「よくない、言えよ! まあ、あんなしょぼい情報より、俺と一緒にいたほうが俺のことよ〜く分かっただろうけどな」
「…俺、そのファンクラブ情報であんたのガールフレンドって勘違いされたことがあるんだ。“ザックスが金髪ショートのボーイッシュな女の子とデートしてるのを発見”とかって。それ、日にち的に間違いなく俺で、凄いむかついた」
「そんなことがあったのか? 当時お前かわいこちゃんだったからなー。う、いてっ、足踏むなよ。…まあ、女の子云々はともかく、デートはあってたんだからいいんじゃね?」
「あのときは別に…デートじゃなかっただろ。そのあとネット上で『幻の金髪彼女の正体は?』ってしばらくありもしない噂が行き交って、本人達のあずかり知らぬところで笑えないやり取りが続いたんだ。バレてなくたって、気持ち悪かったんだよ」
「へぇー。あ、もしかして外出すんのすっげえ嫌がってた時期があったよな。あん時か?」
「人の気も知らないで」
「だってそんな事情全然知らなかったんだから仕方ねえだろ。なんで言わなかったんだよもう。その情報、例のメールで流れたのか? 俺は読んでねえぞ」
「…裏メールだったから」
「裏? なんかいかがわしい響きだな、おい」
「特別な登録をしたあとの特典みたいなもんだったんだよ。結構マニアックな情報が一杯流れてた」
「どんな情報?」
「だからマニアックなヤツ…。癖、ほくろの位置、いついつに散髪したとか、なんとかって店で買いものして何々を買ってたとか、そんなの…」
「……それ、情報ソース、どこ」
「知らないよ。明らかに間違ってるって分かるのも幾つかあったけど、背中のほくろの位置とかは当たってたから、ザックスの近くにいた人じゃないかな」
「………」
…あいつかな。あいつなら情報流すくらいやりかねないよーな気がする。ていうか軽くストーキングされてたんじゃないか俺…。
懐かしい友人の顔を記憶の底から引っぱり出して頭の中に思い描きながら、顎に手を当ててうんうん唸っていたら、うっかり存在を忘れかけていた二人の子供の視線に気がついた。俺の顔をじいっと覗いている。
「ねえ、ホントにおじさんたちなかいいの?」
「え、なんで?」
「だってぜんぜんそうみえない。そっちのひとはずっとつんつんしてるし」
「いやいやいや、俺たち超なかいいよ!」
俺はクラウドの肩を自分の方に引き寄せた。
彼のほっぺたに自分のそれをぐりぐり押し付けてなかよしアピールをする。隣からは即座に「何するんだよ」ととげとげしい非難の声が上がったが、いつものことなので気にしない。
「ほーら、いいだろ、なかよし!」
それを見て少年の顔が微妙だ。というか嫌そうな顔になった。
「…なにしてんの。ちょっとキモイ」
キモいって何が。
隣のクラウドからも力いっぱい突き飛ばされた。
「はなせ、バカ!」
ぐいっと追いやられた俺は、さすがによろめいた。
何も知らない人なら、この細身の体なのにどこからそんな力が?て疑問に思うくらいのクラウドの強い力なのだが、そういう俺も常人とはかなりかけ離れた身体能力を持ってるので、そこんとこは対応できる。それでもまあ、ちょっと気を抜いてたせいで、みっともなく尻餅をつきそうになったが、何とかぎりぎりでこらえた。
怒ったのか、クラウドはくるりときびすを返すと、俺を残したまま歩き出した。
「え、何、ちょ、待てよクラウド!」
慌てて彼の背中を追おうとしたが、「荷物忘れてるよ」という子供の声に急いで足元に落ちていた夕飯の食材の詰まった紙袋を拾い上げる。
袋から飛び出て地面に転がっていたリンゴを少女が拾ってくれて、手渡してくれたとき、彼女にそっと耳打ちされた。
「なかいいのはわかったけど、あんまりやりすぎると、アイソつかされるわよ」
おしゃまな少女は、得心が行ったという風に頷いている。
受け取ったリンゴをもう一度少女の手の中に俺は乗せた。
「ダイジョブ。俺ってばすんごーくあいつに愛されてるから。ほい、これプレゼント。ありがとな!」
少女の横の少年の方は、どんどん遠くなっていくクラウドの背中を目で追いかけながら「やっぱりなか、わるいんじゃん」と呟いている。その少年の頭をぽんとひとつ叩いてから、俺はクラウドの後を追おうとして―――ふと思い出し、もう一度二人を振り返った。
「あ、そうだ。今度会った時、さっきの俺たちのファンクラブがどうのっての、も少し詳しく聞かせてくれよ。ママに聞いといて」
「クラウド!」
俺はすぐにクラウドに追いついて隣に並んだ。
そうしても彼が足を速めることもないので、俺と一緒にいたくないというほどには機嫌は悪くないようだった。
大通りから一本奥に入った人通りもほとんどない静かな道を歩く。道幅は車が二台行き交うのがやっとというくらいだ。
「怒った?」
クラウドの顔を覗く。
「……やっぱり子供欲しいんだろ…」
眉間に皺を寄せて正面を睨んだまま、ぽつりとクラウドは呟く。
「さっきも言っただろ。欲しくねえよ」
「俺たち別れたほうが」
またなんか言い出したよコイツは。
「クラウド!」
クラウドの肩を掴んで足を止めさせると、前に回って正面から彼の視線を捕まえた。魔晄に染まった美しい彼の蒼い双眸は今の彼の心を表して、不安そうに揺れていた。
彼が視線をそらそうとするのを追いかける。
「さっき言ってたよな、お前。別れてちゃんとした家庭もって、子供抱き上げるみたいな生活、俺にはあってるんじゃないかって。おんなじこと、俺も考えたよ。お前からそういう幸せ奪ってるの、俺かもしれねえなって」
俺の言葉が意外だったのか、僅かにクラウドは目を見開いた。
「そんなことない。ザックスはともかく俺は…」
「なあ、クラウド」
掴んだ肩を引き寄せる。道の真ん中だということも気にせず、彼の額に自分の額をこつんと触れ合わせた。目を閉じる。
「そういうことはちゃんと話そう。ひとりで結論出すのよそう。俺たちのことはふたりで解決しなきゃダメだ」
「…話したってどうしようもないこと、あるよ…」
「さっきのお前のわがままみたいなのか? 俺がどう言おうと別れる気はないってヤツは、嬉しい告白だったけど」
移動させた手のひらでクラウドの頬を包んだら、小さく彼が息を吐いた。俯く気配に目を開くと、かすかに赤く染まった彼の頬が金色の髪の合間、触れる指の隙間から見えた。熱も伝わってくる。
「…気持ちが互いに向き合ってるときは、話し合うとかそれでいいかもしれないけど、心が離れてしまったらきっと重くて迷惑なだけだ…」
「そんときはそんときだ。少なくとも、お前が俺を見限ることがあっても、俺がお前から離れたいなんて思うことはまずないない。あー、でもそしたら、つきまとう俺がお前にとってはうざくなるってことかもだけど」
「俺があんたのこと見限るなんてことはないよ!」
「そう? じゃあホラ、俺も絶対そんなことねえし、全然問題ないんじゃねえの?」
「……っ」
「子供の件は…そうだなあ、どうしてもって言うんなら孤児ひきとるとか。血のつながりなんてこだわりねぇし、いいんじゃねえかな」
「……そんなんで、いいの?」
「いいよ」
「…あんた、軽すぎる、悩んでる俺がいつもいつも馬鹿みたいだ」
「お前が重く考えすぎんの。足して二で割って丁度いい感じだろ、俺たち」
「……ばか」
ようやくクラウドの顔に笑みが浮かんで、俺はホッとした。
クラウドがキスをして欲しそうな顔をしているような気が何となくして、俺も笑いながら軽く唇にキスを送った。
すれ違っていた気持ちが通じ合ったときは嬉しくて、気分も盛り上がる。例に漏れず、俺のスイッチも再度ぱちんと入った。
「早く帰ろう」
「……うん」
クラウドのスイッチも入っているんだろうか。頬を染めて伏せた視線のその目尻が色っぽい。
今すぐ間の前の愛しい存在にかぶりつきたい衝動を抑えて、耳元に唇を寄せた。
「クラウド、子供何人欲しい?」
「え…?」
長い睫毛をしばたたかせるクラウドに、俺はウィンクしてみせた。
「でもやっぱりクラウド妊娠説捨てきれねえから、俺は頑張ろうと思う!」
「は!? 何言って…っ」
「リーブに相談してみるか。あいつ人脈ひろそうだし、何かそれっぽい詳しい人知ってそうじゃん」
「その考えは頭から追い出せよ! 馬鹿すぎるよあんた!」
「諦めたらそこで終わりだぞ!」
「終わるって何も始まってないっての!」
トントン、と誰かが俺の肩を叩いた。後ろから「お取り込み中悪いけどという遠慮がちな男の声が聞こえる。
振り向くと、顔見知りの男が立っていた。よく世話になる行きつけの雑貨屋の店主だ。その顔に微妙な笑みを浮かべている。
「あ、こんちは」
「あんたたちが仲いいのは知ってるけどさ、場所は考えた方がいいよ」
「え…」
雑貨屋は肩をすくめて目をぐるりと回した。俺もクラウドも周囲を見回す。
道を行く数人がこちらを気にして振り向いていた。子連れの女性、年配のおじいさん。
すぐ近くの家の二階の窓から身を乗り出していた中年の女性とも目があう。
なぜだか…そんなに大きな声で話していただろうか…注目の的になっているようだった。
ぽんぽん、とまた肩を叩かれる。
「お前たちの家、すぐそこなんだから、こんなとこで青春ドラマみたいに愛を囁きあってないで帰って二人きりなってからにしてくれよ。俺みたいな独りモンには目の毒だから。な?」
「………」
恐る恐るクラウドの方をうかがえば、顔が青ざめているんだか赤くなっているんだか分からないような緊張感あふれる表情で唇をかんでいる。
わなわなと細かく体が震えているのは…ああ、すっげえ恥ずかしがってんだな。
と、ばっと唐突に俺の方を向いたかと思えば、クラウドは手に持っていた荷物を俺の胸に押し付けた。
何、これも俺が持つの?
「…先帰ってて。俺ティファんとこ寄ってから帰る」
え、どういうこと?
「な、なんで!? なんか用事あんの!?」
突然何を言い出すんだお前は。今から帰ってメイクラブな流れだっただろ!
「一緒に帰るの恥ずかしいんだよ!」
恥ずかしいって何が。
「この狭い町ん中じゃ、ほとんどの人が俺たちのこと知ってるだろ、今更じゃねえか」
「恥ずかしいもんは仕方ないだろ! ああクソ、俺たちのこと誰も知らないとこか、誰もいないとこに引っ越したい…っ」
「俺は別に山ん中でもお前となら」
「もうあんた黙れ!」
雑貨屋がそこで茶茶を入れた。
「夫婦喧嘩はイヌも食わないってね」
あ、それ、さっきの子供たちにも言われたな。やーもー俺たちってホントに公認の仲なわけな。
クラウドは真っ赤な顔で眉を跳ね上げると、唇を引き結んですたすたと元来た道を歩き出した。
「おい待てよクラウド! ティファんとこ何しに行くんだってのっ」
「相談してくる」
「相談てなんの!?」
「……っ、だから」
行きかけたクラウドの背中が止まり、少しだけ振り向く。流された視線がちらっとだけ合った。
ぼそりと、呟く声。
「…さっきの…子供の……」
……え。
さっきの、子供の。
相談て。
「え、ええええええっ」
マジで!?
さっきはあんなに俺のこと馬鹿にしてたくせに、お前そんなこと言っちゃうの!?
や、俺はヤル気満々だけど、お前が…まさかお前が…え、えええええええっ。
耳まで真っ赤にしたクラウドはぷいと顔を背けた。
「…すぐ帰るから…」
「いやいや待て待て! 相談なんて明日でいいから! 今すぐ帰ろうクラウド、今すぐ二人で帰って確かめ合うほうが絶対先だと思う色々なことを!」
やばい、なんか俺今嬉しくて踊りだしそうだ。
「だからあんたはそういうの大声でやめろ! 付き合いきれない!」
クラウドは走り出した。
「待て、おいクラ…っ」
俺の制止の声に耳も傾けず、クラウドはタンッと地面を蹴った。
常人の域をはるかに超える跳躍力によって体が宙に浮くと、軽々と横手の二階建ての家の色褪せた屋根の上の、のぺりと横たわって設置されているパイプの上に着地する。そのまま彼は振り向かず屋根の向こう側に素早く消えてしまった。
それを見送ることしかできずに、ぽつんと両手に荷物を持たされてその場に残された俺の横で雑貨屋が言った。
「…心配するな。あんた十分愛されてるよ。砂吐きそうなほどにな」
「傍から見ても分かっちゃうぐらいアツアツに?」
「ああ、馬鹿らしい。じゃあな」
「近いうちに店寄らせてもらうわ」
「うちにはベビー用品は置いてねえぞ」
どこまで本気で言っているのか分からない雑貨屋の言葉に俺は笑う。
その後雑貨屋と別れ、当初の予定とは違い俺はひとりで家路に着いたのだった。
帰って俺が夕飯の支度を済ませた頃には、クラウドは帰ってくるだろう。
あいつの帰る場所は俺のいる場所なのだから。
そして、それは俺の帰るべき場所であることも意味する。
あいつが望んでくれるなら俺は隣にいる。いつまでも、どんなときも。
たとえば、なんて考えるのはよそう。
だって馬鹿げている。
俺が信じる道、あいつが選び取った道。
大切な、愛しい想い。
信じないでどうする?
愛する者を信じられなくて他に誰を信じられると言うんだろう。
あいつのためを思うなら、なんて独りよがりな考えもいらない。
俺がお前をしあわせにしてやる、なんて傲慢なことも言わない。
ふたりで、しあわせになるんだ。
なれるだろう? 俺たちなら。
この先に待つのは、楽しいことばかりじゃないだろう。
時には衝突だってするかもしれない。
だけど、いつの日か、そんなこともあったなあと遠い将来懐かしく笑いあえればいい。
その日のことを想像するとほんのり心が温かい。
しあわせって、イメージが漠然としてるけど、案外そんなふうに感じる小さなものなのかもしれない。
「とりあえず、今晩は子作りがんばるってことで」
勿論、さっきの子供云々のことは本気で言ったわけじゃなかった。
いくらなんでも現実的に俺たちの間で子供なんて作れるわけがない。調子に乗ってふざけたことを言ってしまうのは、いつもの俺の悪い癖だ。
孤児を引き取ると言ったのは、クラウドがどうしても欲しいって言うんならそういうのもありかな、という感じで提案してみただけだ。
クラウドは子供の件に関して、俺よりも真剣に何か考えるところがあってティファに相談しに行ったのだろうか。
俺のために、自分自身のために、あるいは俺たちふたりの幸せを考えて。
愛しさがこみあげてくる。
なんて素敵なんだろう。
互いのことを想いあうことの、素晴らしさ。尊さ。
こんなにも、こんなにも愛されているという実感があるのに。
俺は一体、何を迷い、つまらないことで悩んでいたんだろう。
『俺絶対あんたと別れる気なんてないから』
付き合いも長いのに、思えば初めてのような気がする。迷いも何もない独占欲の滲んだ言葉を彼の口から確かな言葉で聞いたのは。
「はやく帰ってこいよ、クラウド」
今俺がどんなに嬉しいか、お前に分かるか?
俺がどんなに嬉しくて幸せかってことをお前に伝える術を、俺はひとつしか知らないから―――同じものをお前に返すよ。
そうして小さな喜びを、これからもひとつひとつ積み重ねていこう。
だから、早く帰って、こい。
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