day6:rain





 目を覚ますと、視界に金色の光が飛び込んできた。
 同時に言い様もない愛しさで胸がいっぱいになった。
 嬉しくてその背中を更に抱き寄せる。
 肩口に鼻を埋め、息を吸い込んだ。その匂いを酷く懐かしいと思った。

 好きだ。

 叫びだしたい衝動を堪えた。

 好きだ。好きだ。好きだ。気が遠くなりそうなほどに。

 腕の中の愛しいぬくもりが身じろいだ。





「………起きたか、クラウド」
 白い首筋に何度も軽く口付けると、くすぐったそうに肩をすくめた。
「………ッス…?」
 起き抜けの、まだ寝ぼけ気味なかすれた声がかわいくて、耳のすぐ裏、髪の生え際近くを今度は強く吸ってやった。
「う、わっ!?」
 途端にクラウドの体が面白いくらいに跳ねたので、ザックスも驚いてつい腕の力を緩めてしまった。その結果、クラウドの体は勢いでソファからはみ出し、物凄い音を立てて床に落ちてしまった。
「うわっ、…っっ!?」
「クラウド!?大丈夫か!?」
 咄嗟のことで受身も何もあったもんじゃなかった。クラウドは左肩を打ち木床に転がった。
 慌てたザックスがソファから降りようとしたのをクラウドは片手を挙げて制した。
「だ、大丈夫…、びっくりしただけ……」
 恥ずかしそうにそう言ったクラウドが顔を上げると、その日初めて2人の視線が正面から合った。互いが、あ、という顔になる。
「…………」
 ザックスは何だか眩しいものを見るような目つきでクラウドを見つめた。
 クラウドは何かを確かめるようにじっとザックスを見上げていた。
「…………なんか、変な感じだな…」
「……うん……」
 ザックスの容姿はクラウドの記憶の中の彼とほぼ同じにまで成長していた。立ち上がれば、おそらく彼の背は自分の背を追い越しているのだろう。鍛え抜かれた体つき、綺麗に筋肉の盛り上がった腕も、がしりとした腰周りも、自分が憧れていたものだ。こうして目の前の彼と今の自分を比較すると、やはり一回りほど彼よりも自分の体は小さくて、クラウドはなんだか複雑な気分になった。
 同様に、ザックスにも今のクラウドを前にして思うところがあるらしい。
「ええとさ、俺の記憶の中のクラウドよりずっと大人になってて、なんかこう……なんていうか……」
「……老けたって言いたいのか……?」
「や、そうじゃなくて!」
 ザックスは首と両手をぶんぶん横に振り回した。
「全然!!!き、綺麗になったとかそんな感じだって!!!」
「…………」
 眉を寄せて何か言いたげな様子のクラウドに手を伸ばして、ザックスは彼の体を再びソファの上に引き上げた。
「顔、もっとよく見せて」
 クラウドの頬を両手で包み、自分の顔の近くに引き寄せた。
「……本当にクラウドだ」
 ザックスは愛しさと感動のまざった吐息を洩らした。
「……当り前だろ」
「うん、クラウドだ。クラウド。……クラウド」
 指で手のひらで頬を撫で、ザックスはその感触を思い出そうとした。雪の中から生まれてきたかのような、その白く透き通る肌は記憶の中のままで、指を滑らすと滑らかに吸い付いてくるような感覚も変わらなくて、ザックスは泣きそうなほど嬉しくなった。
「なぁクラウド、その…もうしていいか?」
「?」
「俺、おまえのこと思い出したから……キスして、いい?」
 昨夜クラウドが言ったことを気にしているらしかった。
 眉をハの字に曲げて面映げに問いかけてくるザックスがおかしく、そして愛おしくて、クラウドは目の前の顔に手を伸ばした。ソファの上で軽く腰を上げ、自分からザックスの唇に自分の唇を一瞬だけ合わせると、ザックスが驚いた顔をする。
 ザックスの記憶の中のクラウドは、非常に恥ずかしがり屋で照れ屋で奥手で、彼からキスしてもらえたのなんて自分が物凄くごねて頼み倒しての数回だけだった。
 これが「大人になった」とか「時の流れ」というヤツなのだろうか…なんてザックスが愕然としていると、
「俺あんたより年下だったし、あんたの強引さに昔はいつも振り回されてばっかだったから、こういうのも悪くないかもな」
 23歳のクラウドはさらっとそんなことを言って笑ってみせるから、現在17歳のザックスは耳の裏まで真っ赤になり、イニシアティブを取られてたまるか!という勢いでクラウドの体に飛びついたのだった。





 ついばむようなキスは角度を変えるうちに段々と深く重なり、互いの息を盗み合うようなものへと変化した。
「ん……っ」
 ソファの上にクラウドの体を縫いとめ、ザックスは上からのしかかった。
「…ね、も、ちょ……っ」
 クラウドが涙目でザックスの胸を拳で叩いた。ザックスが思う様次々と仕掛けてくる口づけに、クラウドはうまく息を継ぐことができない。苦しさに胸を喘がせた。
「いい加減、ん…、に……っ」
 もう何度目か分からない。唇をふさがれ、口内を蹂躙される感覚にクラウドの理性はゆるみ、頭がぼうっとしてくる。
 やっと離れた目の前の唇をクラウドは無意識に目で追っていた。それは唾液によって艶やかに濡れ、いつもより赤みがさしていた。ザックスはその唇に綺麗な笑みを乗せた。
「…クラウドの唇、いやらしい色してる」
 いやらしい色ってどんなだろう。ぼんやりと考える。
「……キスしてって、ねだってるみたいなさ」
「………ば、か」
 何言ってんだ、そう言いたかったけれど、舌が思うように動かなくて変な発音になった。
 声を立てて笑ったザックスがまた顔を寄せてくる気配に、クラウドは今度こそ身を捩った。
「もう口はいいって……」
 せめてもう少し息が整うまで待ってほしい。
「したい。今までできなかった分いっぱいしたい」
「しつこいって…、うわっ」
 ザックスの手が服の裾から入り込んで、いきなりクラウドのわき腹をそろりと撫で上げた。いたずら顔でにこりと笑う。
「キスさせてくれないんなら、じゃあ他のことするし」
 服を捲り上げ、綺麗に筋肉の浮いたクラウドの白い腹を露にした。
「ざ、ザックス……っ!?」
「いっただきます」
 ザックスの唇がクラウドの腹筋に触れようとした正にその時、ザックスの体を蹴り倒す勢いでクラウドが跳ね起きた。
「ちょっと待ってっっ!!!」
「うおっ!な、何だよ今更、往生際が悪いぞクラウド!」
「だ、だって、いいいきなり……!!!」
 服の乱れを慌てて直すクラウドの顔がゆでダコのように真っ赤だ。顔は幾分大人びたが、こういうところは昔のままでかわいいなと思う反面、ムードも色気もあったもんじゃないやり取りにザックスは肩をがくりと落とした。
「おま、いきなりってなんだ。今の流れからいったら当然そういう流れだろ!」
「そ、そ、そんなの…っ!」
 クラウドはうろたえた。でも冷静に考えたら確かに、そ…そうかもしれない。
「…………ご、めん…」
 急に恥ずかしさがこみ上げてきてどうしようもなくなり、クラウドは熱くなった顔を両手で隠した。
 いつまでたっても自分はこういったことが苦手で、一向に慣れることができない。穴があったら入りたい心境だった。
「……えーと、いや、そこで落ち込まれても俺どうしたらいいのか……」
「………」
「おーい、クラウド…?」
「………」
 なぜだか気まずい空気になってしまった。甘い空気もどこへやら、である。
(前にもこんなことあったなあ…じゃれあってるっぽいのが多いもんなぁ、俺たち…)
 ザックスは記憶を手繰り寄せながら、ぼりぼりと後頭部の髪の毛をかき回した。するとその動きにあわせて、砂埃がぱらぱらとソファや床の上に落ちていく。見ればそれは体のあちこちについていたもので、その時になってやっとザックスは自分やクラウドの体が埃にまみれて真っ白になっていることに気がついたのだった。
「………」
 日も上がり明るくなった部屋の中を改めて見渡せば、壁も家具も白く煤けて、息を吸い込んだだけでも噎せ返りそうな雰囲気だ。
「……クラウド、ひとつ訊いていいか」
「………何」
 覆った手のひらの間からくぐもった声がした。
「おまえ、昨日の夜なんで俺を連れてここに来たんだ?」
 誰もいない廃屋に2人きり、だ。
 暖かいベッドも喉を潤してくる水も何も無いこんな場所に。
「なあ、なんで?」
「……………だって」
「だって?」

 みんながいる場所でこんなことできないじゃないか。

 小さな声でクラウドはそう言った。
「え、それって、つまり……」
 つまり…そういうこと……?
 期待に胸を高まらせてザックスが確認すると、目の前の伏せたままの頭が小さくこくんと頷く。その首筋まで真っ赤に染まっていた。



(…何やってんだろう。何言ってんだろ俺。相手は17才だぞ、年下だぞ、あのザックスだぞ)
 今のクラウドには、相手が年下、というのがどうも何か引っかかるところらしい。
(落ち着け、落ち着くんだ俺…)
 クラウドがひとりぐるぐるしていると、不意に体が宙にふわりと浮いた。
(――――え?)
 驚いて顔を上げると、ザックスの腕に体を抱え上げられていた。
「ちょ、な、なに!!?」
「期待には倍返しで応えたい主義なんだ」
「は!?期待って何!?」
「かわいいことばっかしてくれるクラウドにお礼しねえとな」
 クラウドの額に音を立ててひとつキスを送ると、嬉しそうに笑う。その背中と両膝裏に腕を回し、軽々と抱き上げてザックスは歩き出した。
「待っ、どこ行く気だよ!?」
 ザックスの足は部屋の扉をくぐり、迷うことなく廊下の奥へと進む。
「ザック……、」
 視線の先に見た、ザックスの顔が真剣そのものだったから、クラウドは言葉を呑み込んだ。
「昨夜のうちにやっといて良かった」
 埃も払ったし、邪魔なものは全てどけておいた。
 シーツは無いけれど、むき出しのマットレスが2人分の体重を受け止めてくれるだろう。
 今2人に必要なのは互いの存在だけだ。
 寝室の扉をくぐる。
 寝れるように、昨晩2人でそれなりに整えたベッドがクラウドの目に入った。
 これから自分はここでザックスに抱かれるのだ、という予感に背中が甘くうずいた。



 今だけは。
 せめて彼が全てを思い出すまでは一緒にいさせて欲しいんだ、誰にともなくそう願った。
 それはただの甘えかもしれないけれど。それでも許されるのなら。
 覚えておこうと思った。
 焦がれ求めた彼をもう2度と失わないために。忘れないために。

 お願いだから、今だけ。今だけでいいんだ。
 全てを忘れた振りをする俺を、許してほしい。





 どこかで雨だれの音がした。





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