day2:cloudy





 その日は朝から厚い雲が空を覆っていた。

「おはよう、ティファ」
「おはよう、マリン」
 ティファが朝食の用意をキッチンでしていると、眠そうな目をこすりながらマリンが部屋に入ってきた。
「顔洗ってきなさい。デンゼルは?」
「まだ寝てるよ。目覚まし時計止めちゃったから。起こしてくる?」
 ティファは時計をちらりと確認した。
「そうね、お願い」
 再び部屋を出て行こうとしたマリンだったが、ふと扉の前で足を止め振り返った。
「ねえ、ティファ。クラウドは…?」
 酒場の夜は長い。子供はもう寝る時間よ、そうティファに言われて、もっとクラウドと一緒にいたかったマリンは少しぐずりながらも「今日は帰らないよね?」とクラウドに訊いた。彼はそれには答えず、ただ困ったように曖昧に笑っただけだった。
 以前一緒に暮らしていたときは、朝起きるといつもここでティファとクラウドの2人が「おはよう」と迎えてくれていた。だから今彼の姿がここにないという事実がマリンを不安にさせる。
「うん。隣で寝てるよ」
 ティファが笑った。
「昨日の夜は赤ちゃんの世話であんまり寝れなかったから、もう少し寝かせておいてあげよう?」
 その言葉にマリンの顔は一瞬で明るくなり、浮き立つ足取りで部屋を飛び出していった。





 昔「おまえ朝弱い?」と言われたことがあった。
 実際は起床時間を過ぎてもなかなか起き上がれないとか血圧が低くて…とかそういうことはなくて、むしろ朝には強いほうだとクラウドは思う。目覚まし時計をかけなくたっていつも時間に余裕を持って起床できる。
 でも彼と一緒にいるときは、もう少しこのままでいたい、なんて思ってしまって、いつまでもぐずぐずとベッドの中にいた。隣で、すぐ近くで「起きろよ」と笑いながら、でも彼もクラウドの横にいてベッドから降りようとしなかった。結局昼過ぎまで2人して寝転がっていた。
 髪の毛を優しく撫でてくれた手の感触を今でも覚えている。
 伝わってくるあんたの体温が気持ちよかったんだ、なんて本当のことは言ってやらなかったけれど。包まれる感じが嫌いじゃなかった。

 そう、こんなふうにあったかくて……。
 知らず口許がゆるむ。

 とさり、と腹の辺りに軽い衝撃があった。
(……?)
 それが移動して肩の辺りまでやってくる。ぺたぺたと腕にくすぐったい感触と重み。
(……何?)
 急速に意識が浮上する。
 目を開けた瞬間クラウドの眉間に――――。

 ぺちん。

 小さな紅葉の形をしたものがヒットした。





 朝食がすんでマリンとデンゼルを学校に送り出した後、いつものようにティファは食器を片していた。マリンは食事中もずっと隣の部屋で寝ているクラウドと赤ん坊のことが気になるようだった。
 学校から帰ってきた後でも彼はここにいるから大丈夫だよ、そう言ったけれど、彼女は不安そうな顔をしていた。
 マリンはきっと自分が思っているよりもずっと大人なんだとティファは思う。彼女がクラウドにここにいて欲しいと願うのは、自分が寂しいからという理由ではない。クラウドを一人にしておくのが心配だからなのだろう。

(私だって同じだよ)
 蛇口から出た水が皿を洗い流して配水管に吸い込まれていくのを目で追う。
(私だって心配で、力になりたいって思ってるのに)
 どうしてこの想いは届かないんだろう。
 心は思うように近づけなくても、この2年間クラウドの側にいて時折感じていた、彼の心に居続ける影、その存在。それが誰なのか、ティファはクラウドと話をしたことはない。
(私の知らない神羅時代のクラウド)
 ソルジャーになりたいという夢を胸に、村を飛び出した少年時代のクラウド。でも現実は厳しくてなかなか思うようにはいかなくて……。
 そんな中で誰かと出会ったのだろうか。
(ニブルヘイムと違って、ミッドガルにはたくさんの人がいる。きっと出会いなんてどこにでも転がってる)
 誰かと会って恋をした?
 長い間忘れられないくらい大切な人に?
(その人は今どうしてる?今でもクラウドは好きなの?)
 もうずっとティファの胸には棘が刺さったままだ。彼の中の誰かに思いをはせるときに痛んだ。





 隣の部屋のドアが勢いよく開く音がした。続いてどかどかと幾分乱れた靴音が近づいてくる。クラウドがどうやら起きたらしい。
 ティファは思考を中断させた。気がつけば長いこと水を出しっぱなしにしていたらしい。急いで蛇口を閉めた。それとほぼ同時に部屋の扉が開いた。
「ティファ!」
 常にない大声にびっくりする。
「おはよう。ど、どうしたの、クラウド」
 本当に起き抜けなのだろう。柔らかな日差しを集めたような金糸の髪が、寝癖であらぬ方向に一束はね上がっていた。服も乱れたままでブーツも足を突っ込んだだけの格好だ。
 しかし何よりもティファを驚かせたのは、いつもクールで顔に表情が出にくい彼が、動揺を顕わにしていることだった。
「ティファ、昨日の赤ん坊は!?」
「え…、何?」
「これ!これ見てくれ!」
 クラウドが小脇に抱えていたものを両手で持ち直し、ティファの前に差し出す。

 ぷらん、と小さな体が揺れた。
 そこには2、3歳ぐらいの全裸の幼児がいた。きょとんとした顔で指をくわえている。

「………え?」
「俺の隣にいたんだ!部屋のどこを探しても赤ん坊いないし……どこかに連れて行ってないよな!?こいつがまさか昨日の赤ん坊なのか!?」
 でも普通一晩でこんなに成長しないよな!?と言われても、ティファには答えようがない。
 だって昨日の赤ん坊は生後何ヶ月みたいな感じだった。こんなに顔立ちもしっかりしていなかったし、黒い髪の毛だってこんなにもさもさ生えてなくて……。

 幼児がつぶらな黒い瞳をティファのほうに向けた。
 その目を見てティファは確信する。にわかには信じられないが昨夜の赤ん坊と同じであると。

 不意に幼児が手足をばたつかせ始めた。
「くらーど、くらーど」
 どうやらこの幼児はクラウドと言う名前を知っているらしい。
「くらーど、だっこ」
 なんだか泣き出しそうな顔だ。慌ててクラウドは幼児を自分の胸に引き寄せた。すると小さな手を伸ばして、クラウドの服をぎゅっと握り締め、満足そうだ。

「………」

 本当にこの子が昨日の赤ん坊?
 目の前の大きなクエスチョンに星の英雄2人はしばらく動けなかった。





 幼児はスプーンをぎごちない手つきで握り締め、目の前の野菜シチューと格闘していた。
 その様子を横で頬杖をついてぼんやりとクラウドは目で追った。自分の前にあるシチューとパンには余り口をつけていない。ティファがその向かいで、やはりじっと幼児を見つめている。
 口に運ぶまでにスプーンからこぼれたシチューが、テーブルの上に点々と落ちていた。
 その口許にまでべったりついているのに気づいて、クラウドが指でぬぐってやった。
「おいしいか?」
 幼児は顔を上げて、にこっと微笑んだ。
「おいし!」
 それはとても微笑ましく、心が温かくなるような満面の笑顔で。
 ティファもつられて笑った。
 しかしクラウドはその形のいい眉をひそめた。
「どうしたの、クラウド」
「うん……いやなんか……」
「?」
「思い出すっていうか……」
「何を?」
 なぜだろう。彼を思い出してしまう。
 つんつんと伸びやかに生えた黒い髪のせいだろうか。
 魔晄をあびた彼の目は不思議な青い色をしていたけれど、この子の黒い目は色は違えど彼と同じような雰囲気を持っていないだろうか。
 そして何よりも今の笑顔が―――。
(こんなふうにいつも笑ってた……)
 重ねてしまう。
「………ザックス」
 無意識にその名を口にしていた。
 幼児がスプーンをくわえたまま、クラウドを見上げる。
「どうかしてるな…」
 似てるからってどうだって言うんだ。自分は少し感傷的になっている。そんなふうに彼を思い出すのもそのせいに違いない。クラウドは苦笑して頭を振った。
 そんなことよりも考えなくてはいけないことがある。
 この幼児が昨日の赤ん坊だとしたら、一晩でのこの成長ぶりは尋常ではない。人間ではなく、もっと別の生き物である可能性…新種のモンスターだとかモンスターの擬態した姿だとか、あるいは―――。
「なあに、くらーど」
 幼児が体ごとクラウドのほうに手を伸ばしていた。さっきまでスプーンを握っていたその指がクラウドの肘の辺りに触れた。指先にシチューがついていたらしく、ぬるりとした。
「?」
「くらーど、ざっくすって、よんだ」
「?」
「ぼくのなまえ、ざっくす・ふぇあ」
 ザックス・フェア?

 その名前は。

 ティファがクラウドの顔を見た。
 クラウドは顔色をなくして、ただ目の前の幼児を見つめている。
「ソルジャーと同じ名前…?クラウドの友達で…死んじゃった人…だよね?」
 それは、セフィロスと一緒にニブルヘイムに来たソルジャーの名前と同じだ。ティファも彼と会ったことがある。そして魔晄中毒に陥っていたクラウドを助けるために命を落とした人。


 彼と同じ名前?





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