day10:promise





 彼女の細い指が花に伸ばされる。
 白と黄色の清楚な花々が柔らかい光に包まれて咲き誇る場所。
 少し離れたところに座り込んでいる彼女の背中をクラウドはぼんやりと見つめていた。
「もう、ここに来なくても大丈夫だと思ったのにな」
 彼女がゆっくりと立ち上がり、後ろで束ねられた長い髪を揺らして振り返る。
 その翠色の瞳に真っ直ぐ見つめられて、クラウドは視線を落とした。
「わたしの一世一代のプレゼント、受け取ってくれないの?」
「……エアリス」
「うまくいってよかった。ちゃんとあなたのこと知ってるあなたの好きなザックス、返せたよね。それとも何か問題あったから、ここに来たの?彼、クラウドのこと困らせたり傷つけたりした?」
 クラウドは目を閉じ、首を横に振った。
「……ザックスは何も悪くない。俺が……」
 クラウドの前まで来たエアリスがクラウドの顔を覗き込む。
「なあに?」
「…………俺には…、無理だ、エアリス……」
 エアリスの視線から逃れるように顔を背け、消えそうな細い声でクラウドはそれだけを口にした。
 クラウドは自分でも自分の気持ちがよく分からなくなっている。
 ザックスと一緒にいたいと本気で思ったから、二人で住むために借りた部屋。でも冷静な頭で今その時の自分の行動を顧みると、この先ずっと彼と一緒にいたいからと用意したものではなかったように思う。彼のために何か自分にできないか、別れたとしても何か残せるものはないだろうか、そんな考えがあった。
 思えば、この数日間いつもずっと『いつか来る終わり』に心を囚われ、怯えていたような気がする。
 ザックスと一緒にいたい。いたいけれど怖かった。怖いけれど愛しくて、愛しくても苦しくて、辛い……。
 エアリスはしばらくそんな彼の暗い横顔を見つめていたが、やがてひとつ溜息をつくと彼から離れた。
「おかしいなあ。わたし、クラウドのために頑張ったのに。あなたにそんな顔させたかったわけじゃ、ない。大好きな人と一緒にいられるのって、嬉しいはずなのにな」
「………」
 嬉しくないはずはない。
 でも同じくらい苦しい。自分は彼と共にいるべき人間ではないと分かっているから辛い。彼を好きだという気持ちだけで片付かないことやうまくいかないことが、たくさんあるのだ。

「……ね、クラウド、わたしの初恋の人の話、しようか」
 唐突に彼女はそう言った。
 クラウドは少し驚いて顔を上げ、彼女の背中を見つめた。
「甘酸っぱい記憶、なんだ。彼は教会の屋根を突き破って上から、プレートの上から降ってきたの」
 エアリスは後ろで両指を組んで、あ、でもね、と言いながらクラウドを少し照れくさそうな顔をして振り返る。
「クラウドじゃないの。あなたに会う七年ぐらい前かな。あなたみたいに、あのお花畑にどーんって落ちてきた人がいたの。あなたもだけど、あんな高いところから落ちても平気なんて、びっくりだよね。ふふ、でもびっくりするくらいおんなじなの、偶然、なのかなあ」
「………」
「その人ね、不思議な人だった。、一緒にいると凄く楽しかった。花を売ってミッドガルをお花でいっぱいにしようって、素敵だなって言ってくれた。ミッドガルは花でいっぱい、財布はお金でいっぱい、なんて言ってた。おかしいでしょ。あなたと同じ、空みたいな綺麗な青い目をした優しい人だった。笑顔の凄く似合う人」
 あんな高い場所から降ってきて落命も大怪我もせずにいられる人間なんて限られている。自分と同じ青、魔晄を浴びた人間の瞳、選ばれた者だけが持つ色。
「……それって、まさか」
 エアリスは綺麗に微笑んで頷いた。
「……そう、ザックス」
「………、」
 クラウドの体が驚きにぐらりと揺れた。目を見開いてエアリスを見る。知らず喉が引きつった。
「でもね、あの頃のわたしはまだ恋心なんてよく分かってなかった。彼、ある日遠くへ仕事に行くって出かけていって、それっきり音信不通になちゃった。会えなくなって、寂しくなって、あとでやっとわたし彼に恋してたんだなって分かったの。もっとたくさん彼と一緒にいたかった、話したかった、約束した空も見たかったし、一緒にまた花も売りたかったなって、あとでいっぱい考えた。……ねえ、クラウド、そんな顔しなくてもいいよ、だいじょうぶ」
 自分は今どんな表情をしているんだろう。
 クラウドは胸の中心で渦巻いている己の醜い想いを彼女に知られたくないと思った。自分の知らない二人の接点、その関係への戸惑いと、認めたくはないが大部分は…これは嫉妬心だ。
「何年もたってから、ライフストリームの中で彼にやっと会うことができた。会えた場所が場所だから嬉しいっていうのもなんか違う気がしたんだけどね。でも彼ったら、あなたのことばかり気にしてるの。昔のこと、わたし色々訊こうとしたんだけど、あなたの心配ばかりしてる彼を見てたらなんか訊かなくても分かっちゃったっていうのかな。だからね、そんな顔しないで」
「………」
「もしも、って考える。もしも彼がどこにも行かなくて、わたし、彼とあの後も一緒にいられてたら、どうだったのかなって。でも実際は彼とは突然会えなくなっちゃったし、また会えたからって、そこからやり直しもできない。別れて過ごした時間はどうやったって埋まらないの。それぞれの時間は進んでしまっている。わたしと彼は離れ離れになった。出会ったり別れたり、くっついたり離れたり、それって、縁、なんだと思う」
 エアリスは再びクラウドの前に立ち、俯く彼を下から覗き込んだ。
「縁って不思議。世界はこんなに広いのに、ザックスと出会った後にわたしはあなたと会えた。繋がってるね、みんな。でもわたしとザックスみたいに、望まなくても突然ぷっつり切れちゃう縁もあるの。あなたはまだザックスと繋がってる。心、繋がってるのに、自分からそれを切っちゃうの?」
「…俺、は……」

“愛してる、お前のために帰ってきた。お前と一緒にいたいから帰ってきたんだ”
 自分を見つめる熱のこもった瞳、押しつぶすように自分の体を抱き締めてくる両腕、全身で自分を求めてくる彼を思い出す。泣きたいくらいに嬉しかった。陶酔にも似た幸せを心から溢れそうなほど感じた。
 過去を全部思い出してもなお、自分を愛していると言ってくれた。
 でも、自分が死んだら彼との繋がりはここで切れる。もう二度と会えない。永遠に自分は彼の声を、ぬくもりを、失うことになる。
 彼を失うのだ。……もう一度、失う―――。

「……失う…のは、もう、嫌だ………」
 胸が痛む。息ができなくなる。彼を失ったと、永遠に失ってしまったと知ったときの絶望を思い出す。心がどうしようもなく震えた。
 いつの間にか目尻にたまった涙が、堪えきれなくなって頬を滑る。エアリスは指を伸ばして、それを優しく拭った。
「うん。そうね、辛いよ。だから頑張らなくちゃ。簡単に諦めないで、捨てないで。生きるって辛いこと、いっぱいあるよね。でもね、怖がらないでクラウド」
「………っ」
「あなたは自分のせいで周りの人が不幸になってる、なんてそんなふうに思ってるかもしれない。色んなことに自分の無力さを感じてるかもしれない。でも、みんなクラウドの側にいる。自分でそうしたいからクラウドと一緒にいるってこと、分かってあげて。ザックスだって同じ」
 ぽたぽたと次から次へと涙が零れる。自分は決して泣き虫な性質ではないと思うのだが、ここ数日の自分の涙腺はどうかしているとクラウドは思った。子供のように泣いて、みっともない姿を人に見せていると思うと恥ずかしかった。
「あなたは何もできなかったわけじゃない。星を救った、それって凄いことよ。誰でもない、クラウドにしかできなかったこと、いっぱいあったの思い出して」
「…それは…みんなが、エアリスがいてくれたから、できたんだ……」
「そう、分かってきた?みんなが繋がってるってこと。誰か一人でも欠けたら今はなくて、出来なかったこともある。わたしとあなたが出会ったこと、あなたがザックスと出会ったこと、全部無駄なことなんてない。結果論だなんて言わないでね。誰もが色んな人と関わりあいながら、時には補い合いながら生きてるの。わたしだから出来たことがあるように、クラウドだから出来たことがある。それはあなたを支えるものにはならない?」
 それは自信にはならない?
 彼女の言葉が、水面に落ちた朝露のように静かに心に広がって沁みこんでいく。
 自分を否定すれば周りにいる人間をも否定することにならないだろうか。
「あなたのこと、ザックス凄く大事に思ってる。そんなの周りの人にだって分かるのに、本人が疑ってるの、おかしい。あなたの好きな人が、あなたを好きだって言ってる、その気持ちを信じられないの?彼を想う気持ち、しっかり抱き締めて、彼に愛されてる自分に自信、持とう?」
「……エアリス、だったら……」
 クラウドは掌で自分の目を覆った。もう涙でぐちゃぐちゃで、取り繕うことなんてできそうになくて、垂れそうになる鼻水をすすった。
「…ザックスと、きっと幸せになれるのに……」
「クラウド〜!」
 ぱしん、と両頬を怒った顔のエアリスの掌で叩かれて包まれる。
「もうクラウドは後ろ向き禁止!彼が誰か他の人のものになっちゃうなんて、これっぽっちも考えたくないくせに、そういうの、ナシ!」
「う……」
「ザックスのこと、好きでしょ」
「………うん、好き」
「離れたくないでしょ」
「……離れたく…ない」
「だったら、ね?」

 戻ろう?彼の元に、帰りなさい。

 ザックスの側にいたい。
 どんなことにも終わりはやって来て、それは避けようがなくて、またいつかどうしようもないことが起きて彼と別れる日が来るかもしれない。でももう、その「いつか」に怯えるのはよそう。
 手を伸ばせば彼が横にいて。
 抱き締めてくれる。
 彼を抱き締めることができる。
 共有できる時間がある。
 分け合えることができる熱がある。

 それはとても幸せなことだ。

「ザックス、あなたを待ってるよ、早く戻ってあげて。泣いてるかもよ?」
「そんなこと……」
「ほら、もうだいじょぶ、ね?」
 エアリスはクラウドの肩を慈しむように優しく叩いた。
「……うん、ありがとう。いつもエアリスは俺の欲しい言葉をくれる…。いつも救われてる」
「“お母さんみたい”ってまた言う気でしょ。もういいよ、それ。少し、傷つく」
 二人は顔を見合わせて笑う。
「うん、そんなふうに笑ってて、クラウド。わたしもザックスもそれが見たかったんだよ」
 クラウドは微笑んで頷いた。何かが吹っ切れたような清清しい顔をしている。
「俺、行くよ。本当にありがとう」
 こんなに何かを前向きに考えたことなんて、きっと今までなかったとクラウドは思う。彼の元に一刻も早く帰りたい、そんな気持ちになっている自分がとても不思議だった。今まで何を引きずっていたのか思い出せないくらい心が軽くなっている。
 早く彼に会いたくて、足を踏み出した。
 その背中を見送りながらエアリスは笑って言った。
「あ、ザックスに伝言、伝えてくれる?側にいるのにクラウドぐらぐらさせるなんて、愛が全然足りてない、しっかりしなさ〜い、って」
「………それは俺からはちょっと……」
 愛ならたくさん、受け止められないほどもらっている。
「お願いね。……じゃあね、クラウド」
 エアリスは光に中に溶けていくクラウドに手を振る。
「また…、でいいのかな」
「うん、またね。でも今度会うのはずっとずっと先だからね?」



 ―――約束。

 また会う日まで。
 笑って会えるといいね。
 みんなでまた笑って会おうね。





→you are my only ...