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day10:rainstorm(3)
思えば昔から、彼は自分の考えや思いを胸に抱え込んで一人腐らせる癖があった。
根が生真面目で神経質なせいもあるのだろう。自分に直接聞けばいいようなことでも、彼はなかなかそれができずにひとりで悩むことが多々あった。時には体調を崩すほどに。なんでそこまで、と自分には正直理解できないところもあったけれど、そんな彼だったからこそ放っておけないと思ったし、側にいて構ってやりたいという気持ちになったんだろう。そうして近くで彼の内面の心の柔らかさや優しさに気づき、不器用さの中に見え隠れする純粋な心根を間近で見るにつれ、それが自然なことのように自分が惹かれていったのは仕方がなかった。
少しでも彼の力になれればいいのに。
そんなくだらないことで悩まなくてもいいんだよって、心を軽くしてあげたい。
彼のはにかんだような笑顔が好きだった。いつも笑っていて欲しいと思う。
側にいれば彼のために何か出来るだろうか。
側にいたい。笑いかけてほしい。隣で笑っていてくれたら―――。
初めて手をつないだあの日を覚えている。
トモダチ、から一歩踏み込んだあの日。ミッドガルの街に珍しく雪が降っていた。近場へ遊びに行ったその帰り道、もうとっくに日が沈んだ時間だった。
寒くて凍えそうだと言い訳をしながら傍らを歩く彼の手に指を絡めた。らしくなく、心臓が口から飛び出そうなほどガチガチに緊張していた。唐突な接触に、彼からも戸惑いが伝わってきたが、つないだ指は外されなかった。
ただ、氷のようにひやりと冷たかった彼の指先が、自分の熱が移ったみたいにすぐに温かくなった。
微妙な空気が二人を無言にした。言葉を交わさず並んで歩いた。
ほんの少し触れ合っただけの場所から伝わってくる彼の熱やその感触に胸が高鳴る。逸る気持ちの正体を自分は知っている。自分は彼に恋をしている、と確認する。
別れ際、つないだままだった手を引き寄せてキスをした。彼は驚いた顔をしたけれど、なぜ、とは聞かなかった。拒絶もされなかった。
きっと何も言わなくても伝わったのだと思った。彼も自分と同じ気持ちだった、言葉がなくても自分たちは分かり合えるのだと感動した。これだけは言わなければという大切な言葉を口にせずに。
自分が浮かれすぎていたと分かったのは、そう時間もたたない後のことだった。
それから彼とトモダチ以上恋人未満、の関係がしばらく続いた。
恋だと意識して認めてしまえば、自分のほうは相手が同性だとかそういうことは全然気にならなかったのだが、自分と比べると恋愛ごとに初心で慣れない彼を気遣い、関係の変化を急ぐまいと心がけた。
キスをすれば応えてくれるし、抱き寄せれば腕の中におとなしく収まってくれる。何より自分の側にいてくれる、それがとても嬉しかった。でもなぜだか照れくさくて、好きだとか愛してるだとかいう声をかけられずにいた。ただ彼を抱き締めて、胸いっぱいに広がる愛おしさに満たされた気がした。
その幸せが独りよがりだったと気がついたのは、ある日の彼が呟いた一言だった。
「俺じゃザックスの彼女の代わりにはなれないけど」
彼女の代わり。
頭が真っ白になった。何を言っているのだろうと思った。
彼は、自分は彼女の代わりにはなれないけれど話ぐらいは聴いてあげられるから、なんて言う。どんな顔をしてそんなことを自分に言っているのかと思い彼の顔を見返せば、自分の視線から逃れるように目を伏せ表情は硬い。
どういう意味かと我慢強く彼に問いかけ、彼がぽつぽつと答えたことを簡潔にまとめれば、つまりこういうことらしい。
彼は彼女とうまくいっていなくて凹んでいるトモダチ、つまり自分を、慰めていたつもりだったらしい。
自分が慰めを求めて彼に手を伸ばしていたと?キスしたり?寂しいから?
「………どんなトモダチだよ。ていうか俺はそんなにお前の頭ん中で情けないヤツなわけ?」
侮辱されたような気がする、と言ったら彼は酷く青ざめて何度も謝った。
でもじゃあなぜあんなことをしたのか、という戸惑った顔をしている。きっと彼には、純粋な恋心が自分に向けられているという考えは欠片も浮かばないのだ。
遅まきながら、そのときになってやっと自分は彼への素直な気持ちを口に出して伝えた。
でも彼はなかなかそれを信じようとしなかった。
彼が自分の気持ちを本当の意味で受け止めてくれるには更に数ヶ月の時間を要した。その間に彼の内側でどのような気持ちの変化があったのかはわからない。それを受け入れ心を許してくれたあとも、彼はどこか自分達の関係に懐疑的だった。それは彼の心が無意識に作った自己防衛のための逃げ道だったのかもしれない。
だけど彼は自分の側にいてくれた。
手を握れば握り返してくれたし、唇を重ねれば応えてくれた。熱を分け合いもした。
それでいいと思った。側にいてくれるのなら。
言葉がなければ伝わらないこともある。
でも言葉や行動が、相手の全てを伝えてくれるわけでもないのだ。
(俺は何か見落としてなかったか?クラウドからサインは出てなかったか?)
二人のための新しい部屋。
一日中酒を飲んでぼんやりしていた彼。
夜中の手合わせ。
鳴り続ける電話。
泣きそうな笑顔。
あいつは過去の話を必要以上に気にしていなかったか。
すがりつく指先が。
涙が。
言葉が足りなかったかもしれない。無神経すぎたかもしれない。共にいられる喜びに自分ひとりで酔いすぎていたかもしれない。
離れていた時間を埋めるには何よりもこの数日では足りなすぎた。
でも今は後悔している場合ではないのだ。
(そこにいてくれよ、クラウド!)
あの丘に向かって真っ直ぐザックスはバイクを走らせた。迷いはない。ただ目に入る雨粒が鬱陶しくて空に向かい一度だけ叫んだ。
あの日も雨が降っていた。不安になる…雨が命の終わりを連想させる。
離れているからこんなことを考えるのだ。だから早く彼に会いたい。
***
記憶の中の風景と微妙に違っているその丘に到着し、自分の視界にそれが飛び込んできたとき、自分の心臓は本当に一瞬止まったとザックスは思った。
バイクが止まるのを待つのももどかしくて、乗り捨てるようにしてシートから飛び降りると地面に横たわっている彼の元に走り寄った。水たまりを蹴り泥水がばしゃんと跳ねる。バイクは派手に横転して地面を滑りながら止まった。
「クラウドっ!」
ザックスはそれでも彼がこんな場所でひとり倒れている理由を深く考えたくはなかった。
捜し求めていた彼の姿を見つけられたことは嬉しい。でもこんな光景が決して見たかったわけじゃない。
部屋を黙って出て行った彼が、どうしてこの場所に来たのか。どんな思いを抱えてここまで来たのか。
傷だらけになって雨に打たれるままに。
なぜ、なぜだ。俺がいるのに。…俺がいるから?
そんな理由、考えたくない。
ザックスはぐったりと眼を閉じているクラウドの肩を掴んで引き上げてから片腕で背中を支え、彼の身体を地面から引き剥がした。雨に濡れた青白い顔に、胸がつぶれそうなほどに不安になりクラウドの身体を強く揺さぶった。
「おいっ、目を開けろクラウドっ!!」
ひくりとクラウドの睫毛が震えたような気がした。
彼はまだ生きている。
「クラウド、しっかりしろ!」
早く目を開いてその目に自分を映してほしくて、もどかしい思いで彼の頬を軽く叩いた。
「クラウドっ!!」
「……………、」
微かに白い頬が揺れ、瞼が持ち上がる。長い睫毛の間から自分と同じ輝きを持つ綺麗な色の瞳が現れ、上から覗き込んでいる自分の顔をぼんやりとだが見返した。
「………ザ……クス…?」
色を失った唇が小さく動いた。クラウドの身体にこれ以上雨がかからないように、ザックスは自分の身体を腕の中の彼に更に近づけた。
「おまえっ、こんなとこで何してんだよ!?」
「…………?」
目を覚ましたばかりの彼は、自分の今の状況をまだ理解できていないようだった。自分に覆いかぶさるザックスの髪の毛の先から雫が絶え間なくぽたぽたと落ちてくるのを、不思議そうな顔で見ている。
「どこ行ったのかと思ったらひとりでこんなとこ…、何でお前はっ……!」
「………俺、消えてない……?」
「は!?消えるってなんだよ!?」
思わず叫んだザックスの頬にクラウドがそっと右手を伸ばした。冷たい、死人のもののような温度だ。
「……ザックス、言ってくれたよな。“お前が俺の生きた証”って。…だから俺、ザックスの分まで生きようって思った。今まで…、全部抱えて生きるのは俺には凄く重くて苦しかったけれど、それが償いになるんだって思って……」
「そんなの知ってる。お前が頑張ってたのは分かってる」
「……思い出したんだな。ここに来れたってことは……ここがあんたの死んだ場所だってちゃんと」
ザックスは頷いた。
正確には、クラウドが自分の墓標のように剣を突き立てたこの場所は、実際に二年前、自分が命を落とすことになった場所からは少しずれていた。だがクラウドがセフィロスとの決着をつけ自我を取り戻してから何度も通っていたこの丘は、ザックス自身もライフストリームの遥か高みからクラウドを見守っていたことによって何度も目にした風景で、実際の場所よりも何倍も思い出深い場所だった。
ザックスが頷くのを見て、クラウドの手から力が抜ける。自分の頬から離れそうになった手を、ザックスは慌てて掴みもう一度自分の頬にこすり付けた。やはり氷のような指先の冷たさに泣きたくなる。
クラウドは目を閉じた。
「……あんたが帰ってきたんだから、俺もういいかなって…。消えたいんだ…俺をここに置いていって……」
「だから消えるって何なんだよ!?なんでそんなこと言うんだ!?俺を置いていくのかクラウドっ、せっかく戻ってきたのに…俺お前に会うために戻ってきたってのになんで!?」
「…………」
開け、目を開けよ!身体を乱暴に揺さぶった。目を閉じたらもう彼が戻ってこないような気がして怖かった。それほど彼の指は冷たい。
ザックスの叫び声に、クラウドは再び薄く目を開けた。少し首を傾げてから力ない声を出した。雨が地面を叩く音にかき消されそうだったけれどザックスの耳はちゃんと彼の言葉を拾い上げた。
「……怒ってる……」
「怒ってる、当り前だろ!?お前はいつまでたっても俺を信じてくれねえ…、なんでだよ。なあ、何が足りないんだ!?言葉が足りないか、俺の何がお前を不安にさせるんだ。俺はお前を愛してる、お前のために帰ってきた!何度でも言う、お前と一緒にいたいから帰ってきたんだよ!信じろよ!」
「………俺のこと憎んでないのか…?嫌いになって…ない…?」
クラウドは本当に信じられないという顔で問い返してくる。
「俺がお前のせいで死んだってお前を詰るとでも思ったのか?俺はそんな男か?大切な人を置き去りにして平気で自分だけ逃げ延びるような、お前を捨てて自分だけ逃げればよかったって後悔するような、そんな男だと思ってんのかお前は?」
「………っ、」
叩きつけられるように投げかけられた言葉に、クラウドの顔がこわばった。瞬く間に瞳に涙がたまり、溢れて目尻から流れ落ちた。
「……がう、違う、…ん、ごめん…な…い、ザック……っ」
「……最期まで一緒だっただろ。俺はそれを誇りに思ってる。お前を残せた、後悔なんてしてない」
「……ごめん…」
「泣くな」
ザックスは身体を折り曲げ、クラウドの涙に唇を寄せた。とめどなく溢れ出るそれが雨に溶けてしまう前に吸い取る。今自分が彼に触れているどこよりも唇の先に温かみを感じることができた。嬉しかった。
鼻先が触れ合いそうなほどに近い距離で彼の眼を真っ直ぐ見つめた。
「クラウド、俺をもっと信じてくれ。俺はここにいる」
「………うん…」
「お前ともう一度生きたくて帰ってきた」
「………ん、うん、ザックス……」
切れ長の、意志の強さがそのまま表れているような力を持つザックスの瞳がクラウドは大好きだった。今自分を見つめるその澄んだ光を湛えた瞳には、嘘や偽りは微塵も含まれていない。
「……本当だったら嬉しい……」
「本当だって言ってる」
「……うん、ザックスがそう言うなら…そうだね。……ならやっぱり俺…今死にたい……」
腕の中の愛しい人がそう言って儚く微笑むのをザックスは息を呑んで見つめた。
「……こんなに幸せなら…幸せでいっぱいの時に…、失う前に……」
「何言って…、」
かくり、と目を閉じたクラウドの首が揺れた。握りこんでいたクラウドの右手が力を完全に失い、ザックスの手の中からするりと滑り落ちて地面に落ちる。
「………ク、ラウド?」
呼びかけてももう目を開かなかった。
白い顔を雨が流れ落ちていく。彼の表情は穏やかにさえ見えて、ザックスは汚れた頬を掌でこすった。冷たい。
彼の白い首筋に一筋走る擦過傷に気がついた。よく見れば裂けた夜着の間から見える肌に血が滲んでいる。素足のままここまで歩いてきたのだろう、泥だらけの爪先にも傷があった。改めて彼の様子を確認すると全く酷い格好だった。
何よりも抱き締める身体が、氷のように冷えきって冷たい…。
「、クソっ!!!」
ザックスは自分の着ていた上着を脱いだ。雨でぐっしょりと濡れて重くなっていたそれをぎゅうぎゅう捻って絞る。それをクラウドの体に被せてから抱き上げると、少し離れたところに転がっているバイクの元へと急いだ。
「そんなの俺は許さねえからな、クラウドっ!」
逝かせない、そんなの俺が許さない。
ザックスは囚われそうになる暗い予感を振り払うように空に向かって大きく叫んだ。
→promise
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