 |
day10:rainstorm(1)
いつかは自分にも訪れるのだろうと思っていた。
明日か、それとももっともっと先か。
しかし実際はこんなにも容易く、突然にやってくる。
ああ、目の前で死神が笑っている。
ミッドガルを望む丘に響いた銃声。
最後に見た、彼の不思議そうな顔。
空から落ちてきた白い羽根は。
***
「――――――っ!!」
名前を叫んだつもりだった。彼の名前を。実際には喉の奥に何かが引っかかったように声にはならなかった。
ザックスはベッドの上で目覚めるなり跳ね起きた。
苦しくてむせた。こめかみがジンジンと締め付けられるように痛む。
「………は、」
口許を押さえながら、ザックスは肩を揺らした。全身から汗が噴きだしている。
「……やっぱ気分のいいモンじゃねーよな……」
早鐘のような鼓動を落ち着かせたくて、大きく息を吸い込んだ。
「なんか…できればもう死にたくねーかも……なんて」
その朝、かつての自分が歩んだ23年分の人生の記憶をザックスは全て思い出していた。
(……俺らしいよなあ……)
最期までクラウドと共にいた自分にそう思う。
ニブルヘイムの神羅屋敷から魔晄中毒により前後不覚に陥っていた彼を連れて逃げ出し、ミッドガルへ向かった。あの何でもある街へ行けばクラウドを治してくれる何かがあるかもしれないと思ったし、何より人の沢山いる街だから紛れるにももってこいだと思った。でも本当は行くあてなどなかったから、少しでも知っている人間のいるところに帰りたかっただけかもしれない。
正直に言えば、ミッドガルへ向かう道中の短くも長く感じられた約九ヶ月間の間、いつもみたいにずっと前向きな気持ちでいられたわけじゃなかった。自分が支えなくては一人で歩くこともできなかったし、喋りかけても全く反応しない。ただ目を開けて閉じて、時折「あー」だか「うー」だかの不明瞭な唸り声しかあげないクラウドを前に、どうしようもない悲しさや空しさがこみ上げてきたこともあった。なんでこんなことになってんだと誰かに言いたくて、文句をぶつけたくて仕方がないこともあった。
だけど、自分のそんな心を癒してくれるのもまた、隣にあるそのぬくもりだったから。
(お前のおかげで俺は頑張れたし、最期まで俺らしくいられたんだと思う…)
自分に恥じぬ生き方を、最期まで。
夢を。
誇りを。
胸に抱いて、お前に残せたんだと思うから。
そして。
自分の死後にクラウドが歩んだ、今日までの数奇な二年余りの時。本来ならば自分は知りえないはずの彼の空白の時間も、ザックスは「記憶」として取り戻していた。ずっと――ライフストリームの高みから彼を見守っていた記憶だ。彼女とともに。
神羅屋敷の地下でセフィロス・コピー実験の被験者となったクラウドの体内に埋め込まれたジェノバ細胞が、メテオ災害を引き起こす原因になったということ。セフィロスとクラウドの決着。しかしそれで全てが終わったわけではなく、つい先日にはジェノバの遺伝思念体であるという三人の青年が現れセフィロスの亡霊を残していったこと。
二年間。クラウドがいかに迷い苦しんだのかをずっと自分は見ていた。知っていた。
犯した罪の重さに震え、自身の存在の意味さえ見出せなくなっていた彼を、自分はただ見守ることしかできなかったけれど。
(…まだ二年なのか…)
彼が様々なことに自分の中で折り合いをつけ、答えを見つけ出すにはまだ全然足りない、二年は短すぎるとザックスは思った。それほどに自分がこの世を去ってから今日までの間に色々な事柄や現実がクラウドを取り巻き押し寄せ、彼を流していったと感じる。
「……話したいことがたくさんあるんだ、クラウド……」
俺はお前のために戻ってきたんだと伝えたい。
俺はあの時、お前を守るために命を落としたことをこれっぽっちも後悔なんてしてないけど、それがお前の心の傷になって残ってしまったんだとしたら、それをどうにかして取り除いてやりたかったんだ。
ごめんな、俺のせいでごめん。
でももういいんだ。俺はここにいる。もう悲しくなんてないだろ…?
「なあ、クラウド、俺さ……」
ザックスは傍らで眠っているクラウドに話しかけた、つもりだった。
話したい。抱き締めたい。全ての記憶を手に入れた今この瞬間から、本当の意味での自分を取り戻し「生き直し」始めたのだとザックスは思った。今のクラウドと正面から向き合って、それで……。
「………?クラウド…?」
でも、振り向いた先にクラウドの姿はなかった。彼が眠っていたスペースはぽっかりと空いていた。
寝室の中をぐるりと見回したがどこにもいない。
彼が寝ていた辺りの毛布の下に手をくぐらせて、シーツに残る彼のぬくもりを探ったが、そこには温かみはほとんど残されていなかった。彼がかなり前に抜け出したのだということが分かった。
「?」
仕事か用事でとっくに起きたんだろうか。
ザックスはベッドを降りて寝室を出た。クラウドが用意してくれた自分達の新居は、寝室と二人がけのソファを置いたらぎゅうぎゅうになってしまうくらいの広さのリビング、キッチン、トイレ、ついているだけマシみたいな窮屈なバスがあるだけの狭い狭い借家だ。クラウドの姿を求めて、ザックスはあっという間にそれら全部を見て回ることができた。そして室内のどこにも彼の気配がないことを知った。
まだ越してきたばかりの部屋には物が何もなくて、ザックスはその生活感のない部屋の真ん中で立ち尽くした。
……なぜだろう。嫌な予感がする。
「……仕事…だよな……?」
(あいつのことだから、寝てる俺に気をつかって静かに家を出て行ったんだ。メモみたいなのも残ってないし、俺が起きる前に帰ってくるつもりだったんだよな、きっと)
気のせいだ。悪い予感なんて思い過ごしだと思い込もうとした。冷静になりたくて冷たい水で顔を洗った。服を着替えた頃には大分落ち着いてきて、飯でも作って待ってればいいかと楽観的に思った。そしてキッチンに向かおうとしたザックスは、ぎくりと足を止めた。
「……ケータイ」
キッチンの台の上に、クラウドの使用している携帯電話がぽつんと置いてある。彼はいつも留守番電話にしていて滅多に電話には出ないと言っていた。だとしたら、いつもこれを持ち歩いている訳ではないのかもしれない。だからここに置いてあったとしてもおかしいことでは…決して、な……。
キッチンの奥、その先にある玄関が目に入った。胸にざわっと黒いものが広がる。
(気のせい、じゃない)
ドアが僅かに開いている。隙間から雨の匂いが入り込んでくる。
不思議なことに、クラウドがベッドから抜け出した格好のままでドアから裸足でよろめき出て行く姿がザックスの脳裏に浮かんだ。
彼は戻らないつもりでこの部屋を出て行ったのだ、と確信する。なぜだかそれが分かる。
(そんな…、どうして……っ!?)
彼が出て行こうとする理由がまるで分からない。
(どこ行ったクラウド!)
分からない。でもじっとしていられなかった。走り出していた。
待っていたって彼は戻ってこないような気がした。
「どういうことだよ、クラウド!?」
部屋を飛び出し、雨の街に飛び出した。
(出て行った!?なぜ出て行くんだ!?なんで…、なんでだよ!?)
大粒の雨が天から降り注ぐ。傘をさして通りを歩く人々が、ずぶ濡れになって走っていくザックスを驚いたように振り返っていく。
(俺を置いて出て行くのか!?なんでだよ!?)
「…バカヤロウっ!俺たちはこれからだろっ!?」
雨の中を全力で走りながら叫んだ。ブーツが水たまりを蹴飛ばして派手に飛沫を跳ね上げた。
自分の思い過ごしであればいい、とまだ心のどこかで願っていた。
きっと、きっとあの扉を開けたら、そこにクラウドがいて、驚いたように自分を振り向いて、何でお前ずぶ濡れなんだよって笑いながら迎えてくれる。もうこんな時間か、悪い、もうちょっと早く帰るつもりだったんだけどって謝りながら俺の髪や身体をタオルで拭いてくれて、それで帰ろうって、一緒に帰るかって言って……。
ザックスは濡れた手で、七番街の楽園『セブンスヘブン』の扉を押した。
扉の開く音に、カウンター内で開店前の準備をしていたティファは顔を上げた。
「まだ開店前ですよー…」
「ティファ!クラウド来なかったか!?」
店の中に転がり込むような勢いで入ってきた青年にティファは息を呑んだ。
「ザックス、どうしたの、あなたずぶ濡れじゃ……」
「クラウド来てない!?」
「え、ううん、今日は来てないわ。どうかしたの?」
「わかんねえ、わかんねえよ全然…っ」
言い捨てるように言って、店をすぐに出て行こうとするザックスをティファは引き止めた。彼の様子はどう見ても尋常ではなかった。
「待って、落ち着いて。ねえザックス、どうしたの?」
短時間のうちに、ザックスの足元に身体から滴り落ちてできた水たまりができた。
「朝起きたら、あいつがいなくなってて…出てったみたいなんだ」
「出てったって…、買い物に行ったとか…?」
ザックスは俯いたまま首を横に振った。髪の毛の先から雫がぽたぽたと飛んだ。
「……俺を置いて、出て行っちまったんだと思う……」
「どうして…?」
「……わかんねえ」
理由も何もなくて出て行くはずがない。新しい生活を選んで始めたばかりなのに。
「………ケンカとかした?」
「……してない……」
「じゃあ何か…クラウドが嫌がることをした…とかはどうかな?」
「………ない……と思うけど…」
「その…ええと、あなたがそう思ってなくても彼の方は本当は、ってこともあるわけだし。つまりね、その…例えばだけどベッドの中でとか……、ううん!ごめん、い、今のなし!忘れて!」
「…………………確かに昨日はやりすぎたかも………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
しばらく、何ともいえない沈黙が二人の間に流れた。その後ティファがぽつりと呟いた。
「………そーなんだ…、じゃあソレじゃない…?」
「え、で、でも違うと思う!絶対そんなんじゃねーよ!むしろノリノリだったのはあいつの方だったもん!」
「や、待って、ちょっと、聞きたくないから!別にそんなの私聞きたくないってば!!」
ティファは赤面して耳を塞いでみせた。
「もう…っ、私が失恋したてだってこと忘れてない!?デリカシーないんだからっ」
「あ…、ご、ごめんティファ」
「ザックスの心配しすぎなんじゃない?帰ってくるよ、すぐに」
「……だといいんだけどさ…、やっぱ違う気がする。俺、あいつ探さないと」
「どこを探す気?」
「わかんねーけど、教会とか行ってみるよ。じっとしてらんないし。ありがとなティファ、あとでまた連絡する!」
今度こそ踵を返し、出て行こうとする彼の背中に、ティファはもう一度声をかけた。
「待って、これ使って!」
投げて寄こされたものを空中でキャッチすると、それは鍵だった。
「裏に停めてあるバイクの鍵。フェンリルの前にクラウドが乗ってたバイクだけど、まだ乗れると思う。使って」
「サンキュ!」
「ザックス!クラウドね、ずっと苦しんでた。あなたを犠牲にしたこと、エアリスを助けられなかったこと、ずっとひとりで抱えて苦しんでて、だから……」
扉を開け、外に一歩踏み出しながらザックスは振り向いた。
「知ってる。ライフストリームの中でずっと見てたから。だから俺はあいつのために帰ってきたんだ」
迷いのないザックスの穏やかな笑顔にティファは安心した。自分にはできなかったことを彼がやってくれるのだろう。クラウドの傷を受け止め、分かち合い、癒し、彼を許せるのだ。
「………うん。お願いね」
雨の中に飛び出していく力強いその背中を見送った。
自分にとってもクラウドにとっても思い出深い場所、スラムの教会を訪れたがクラウドの姿は見当たらなかった。再びバイクに跨って、ザックスは途方にくれていた。
「どこ行ったんだよ、クラウド……」
雨は相変わらず降っている。
ミッドガルの廃墟にも足を運んでみようかと考えて、ふと遥か遠くの空に意識が飛んだ。
街の外、荒野、荒野の向こう、この街を見下ろす丘。
どくり、と心臓が嫌な感じで脈打った。
自分が命を落とした、あの丘。
クラウドが墓標のようにバスターソードを乾いた地面に突き立て、何度も通っていたあの丘を。
(―――あそこ、か………?)
丘の情景が頭に浮かぶと、本当にクラウドがあの場所にいるような気がしてきて、ザックスは急いでバイクを発進させた。走り出したらもう迷わなかった。
→rainstorm(2)
|
 |
|