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day9:in the dark
ぽっかりと空いた空白の時間、その年月。
それでもずっと隣にあいつがいた。それが唯一の、救い。
「……何年だ?俺たちは何年あの中にいた?」
その日の朝、ザックスはベッドの上で抱えた膝に頭をうなだれさせ、重い息を吐き出した。
クラウドは傍らでシーツの上に身を横たえたまま、彼のその様子を下から見上げていた。
クラウドがこのベッドにもぐりこんだのは、あと二時間後位には日が昇ろうかというそんな時間だった。
昨日クラウドは仕事の為に日暮れ頃セブンスヘブンを出て、カームの街まで足を運んだ。とんぼ返りで帰宅したのだが、時間は既に日付が変わろうかという深夜になっていた。それからクラウドの帰宅を当然のように待っていてくれたザックスと遅い食事を取り、軽くシャワーを浴びてからベッドの上で二人しばらくじゃれあったり…しているうちに時間が随分経ってしまったのだった。睡眠はさほど取れていない。
「……あんなガラスの内側に何年俺たちは……」
ニブルヘイムの神羅屋敷。
非道に村を焼き払い自分達に刃を向けたセフィロスとの戦闘の後、地下にある研究室のビーカーの中で、二人は永い時間を過ごすことになった。神羅カンパニーの科学部門統括である宝条が率いる研究班の手により、実験のサンプルとして自由を、人としての権利を奪われ、魔晄に満ちた溶液の中に閉じ込められたのだ。問答無用に、ほとんど暴力的で最低な方法で。
「なんで…、どういうことだよ、どうして……っ」
あの忌まわしく陰気臭い地下で見た悪夢の中を、今ザックスはさまよっている。
やり場のない怒りや、悲しみ、絶望が心に溢れて彼を打ちのめしているのが分かった。
クラウドは起き上がり、彼の身体にそっと腕を伸ばした。びくりと彼の身体が揺れた。
「……クラウド、俺…」
自分の腕は少しでも彼の心を癒すことができるだろうかとクラウドは考える。そうであればいいのに。
抱きしめる腕の中から、彼には似つかわしくない迷いの滲んだ暗く沈んだ声がした。
「…ごめん、俺……」
「…昨日も言ったよ。あんたが謝ることなんて、何一つないんだって」
「でも俺が、」
それでもまだクラウドの赦しを請おうとするザックスの言葉を、クラウドは遮った。
「本当に謝らなきゃいけないのは、俺なのに」
その言葉がザックスには意外だったのだろう。彼は伏せていた顔を上げてクラウドの顔を見つめた。
「……?何を…」
「四年間、あそこにいたんだ。俺たちは」
時の流れから隔絶されたあの空間で、夢を見続けた。
「あんたがあそこから連れ出してくれた。だから俺は今、ここにいる」
そして俺なんかをバカみたいに守ろうとして、あんたは命を落としたんだ。そう続けようとして、でもできなかった。
自分が口にしなくても明日にはきっと彼は全てを知るのだ。だからそれまでは、という思いがクラウドの頭をよぎった。
(……俺は自分のことばかりで)
罪深い過去から目を背け、目の前の彼にみっともなくしがみついて自分に都合のいい言い訳ばかりしている。
どうして自分の心はこんなにも脆弱で打算的なのだろう。
あと少し、もう一日。彼と一緒にいさせて欲しいなんて、覚悟は決めたはずなのに心はまだ揺れ動いている。
(逃げないと、そう決めただろう)
どんなことも受け止めると。
でもそれは今日じゃない、明日でいいとまた自分に言い訳をする。
今日が、最後かもしれない。
「……ザックス」
手を伸ばす。
クラウドは、彼の頬を両手で引き寄せて自分から口付けた。
彼は温かくて、ただそれだけのことが嬉しくて鼻がツンとした。
こうして自分に応えてくれるぬくもりがあるということ、そのことがただ嬉しくて仕方がなくて、だけど同時にクラウドの胸を苦しくもさせた。
恋情と罪悪感が心の中でぶつかりあえば、どちらがより勝るのだろうか。
ザックスの存在が、今のクラウドには幸福と苦痛を与える。
「……クラ、…ん、」
今は彼から考える時間や余裕を奪いたいとクラウドは思った。
唇で声を塞ぐ。体を寄せ、しなだれかかるように彼に自分の体重をかけた。今ではすっかりクラウドよりも逞しい腕が難無く彼の体を受け止めた。
重なりが深くなり、互いに息を奪い合うような濃密なものへと変化していく。途中からザックスが主導権を取り返し、クラウドの首に手を回して思うさま彼の咥内を舌で荒らしまわった。
「…んで、そんなにお前こんなときに積極的なんだよ」
滅多にないクラウドから仕掛けられた行為に、ザックスは目の前で乱れた息を整えている彼を少し睨んだ。行為そのものを非難しているわけではなく、なぜ今?という問いかけだ。
「……。慰めにはならない…?」
頬を上気させたクラウドが、キスで上がった熱のせいで目をとろんとさせて言った。
ザックスはその表情を見ただけで一段と心拍数を上げた。
「な、慰めって……、え、クラウド?」
「…ね、今は難しくあれこれ考えないで」
何も考えないで。
ただ流されて欲しい。
クラウドは広い背中に手を回し、引き寄せた。涙が出てきた。
キスでともった熱が冷めないうちに、何も分からないくらいにして欲しい。
「…過去のことだよ、全部。全部終わったことなんだ」
その言葉は、クラウドが自分自身に言い聞かせているようにザックスには聞こえた。
耳元で小さく洟をすする音がした。しがみついてくる体はすぐに恋人同士の甘さというよりも、子供のするそれのような必死さに変わっていて、ザックスは戸惑う。
「…せめてあんたを慰めたいんだ。俺には他に何もできない…」
「………クラウド?」
ここに来て、ザックスはやっとクラウドの常にない思いつめた様子に気がついた。
そうだ、陰気臭いあの地下の研究室で四年間という長い年月を過ごしたのは、自分も彼も同じな筈だ。
受けた精神的身体的苦痛も同等、否、比べるべきものではないかもしれないが、もしかしたらクラウドのほうが程度は重いかもしれない。それなのに彼はより自分を心配し慰めたいなどと言う。自分を気遣ってくれていると思えば嬉しくないはずもないが、どうもそれだけではないような気がするのだった。
自分に引きずられて、思い出したくもない過去を無理矢理彼に思い出させてしまったのだろうか…?
(俺を慰めたいってお前は言うけどさ、むしろ……)
「…そんなんじゃさ、俺のほうがお前のこと慰めたくなるって、クラウド……」
「じゃあそれでもいい。慰めて……」
ザックスは、しがみついてくる自分よりも細い体をもう一度抱きしめてから、キスを交わし、ゆっくりと彼の体をシーツの上に倒した。
クラウドの体に乗り上げるようにしてクラウドの顔を覗き込めば、その瞳も頬も涙で濡れていた。
「…何で泣いてんだよ」
ザックスには、クラウドの涙の意味がわからない。
何が彼をそこまで追いつめているのかが分からないから、どう彼に反応を返したらいいのか迷う。
クラウドは泣き顔のまま微かに笑った。目尻からまた一筋、今度はこめかみを伝って涙が流れ落ち、シーツに滲んだ。
「…明日になれば、きっとザックスにも全部分かるよ」
「明日……」
神羅屋敷での永い悪夢から解放された二人が辿ったその後のことを思い出したらきっと分かるから。
本当はあんたの為に泣きたいのに、できない。
足掻いてもどんなに願っても、明日は来る。それは必然の理だから。
「だから今は」
分かっている。
罪を塗り重ねていく自分に吐き気さえ覚えるけれど、どうしようもない。
どうしようもないから目の前に手を伸ばして、助けてくれと叫んでいる。
叫ぶだけで、他に何もできなくて。
「今は、目の前の俺だけを見て。過去なんて見ないで」
助けて。
明日なんて来なければいい。
「……クラウド、きもちい……?」
身体中で熱が暴走している。
だけど頭の隅は、行為の最初から今までずっと冷めたまま。
腕の中に閉じ込めた彼の体は、陸に上げられた小魚のように何度も跳ねた。
白い雪のような肌は、今は薄っすらと桃色に染まっていて、汗とその他の体液によって濡れている。
本能が命じるままに、彼の体に進入し突き上げる。
身体は繋がっていても、彼の心はどこか遠くにあるような気がした。
昨日はこうじゃなかった。では一昨日は?その前は?
温かくて、気持ちよくて、愛おしくて、でも頭の隅では違うことを考えている。冷静さが残っている。
流されるのは簡単だった。そして彼にはそれが必要であるように思ったから、誘われた手を取った。自分が彼を慰められるのならばという傲慢な思いもあったかもしれない。今は少し後悔している。
きっとこれは、流してはいけなかった。うやむやにしてよかったことではないのだ。
何に苦しんでいる?
何がきっかけだった?
昨日までは何も変わりなかった。…いや、そうだっただろうか。おかしなところは本当になかったか?
時折寂しそうに笑っていなかったか?
分からない。
分からない。
―――明日になれば、ザックスにも分かるよ。
彼は笑って言った。諦念のような響きがあった。
(過去?)
過去が彼を苦しめているというのか。
(共有する過去が原因なのか?記憶を取り戻せば分かるのか?)
泣きながらしがみついてくる彼の額に指を伸ばして、汗ではり付いた髪の毛をはがした。それから頬に、瞼に、鼻先に、なだめるように何度もキスをした。
「…すき……、ザック……っ、ね、もっとして……、目茶苦茶に…、壊してい…から…、」
涙腺が壊れたように、もうずっとクラウドは泣いたままだった。
「するわけねえだろ。お前のこと大事なのに」
「…いいんだ…、あんたの好きなように、して…、ん、あ」
クラウドがザックスを煽るように自分から身体をゆすりあげて体内の彼を締め上げ、甘い声を上げた。
珍しく仕掛けられた彼からの行為に驚き、ザックスは背筋を走り抜けた感覚に男らしい眉をしかめて呻いた。
浅く息を吐きながら目尻を赤くしてクラウドは色っぽく笑った。
「…俺だって…きもちいいこと、嫌いじゃない……よ?」
ヤられた、とザックスは思った。
「っ!クラウドのくせに、ちょ…、おまえ生意気…!」
お返しとばかりに、一際大きく腰を引いて突き入れた。組み敷いた身体が強すぎる感覚を与えられて大きくのたうつ。続けて彼の弱いところをえぐった。
「…あ、あ……っ、ん、もっと…、もっ……っ!」
「も、あとで文句、言うなよ…っ、チクショ……っ!」
結局心も流された。愛しい身体に、存在に溺れた。
それでも、これだけは彼に言っておかなくてはいけないような気がして、何度目かにクラウドの身体の奥深くに自分を注ぎ込んだあとに交わしたキスの合間に、クラウドを正面から真っ直ぐに見つめてザックスは言った。
「お前が思い出して欲しくないことなんだったら、俺は思い出さないよ。思い出すなって言えば、そうする」
それを聞いたクラウドは一瞬驚いた顔をして、それから泣きそうな顔をしてそれでも少し笑って、できるわけないじゃないか、と呟いた。とても悲しそうだった。
***
ビーカーの中にいた。
淡く緑がかった白く光を放つ溶液に頭まで浸かっている。
よく馴染んだ色だと思った。これは魔晄だ。魔晄にどっぷり沈んでいる。
なぜ自分はここにいるのだろう。一体いつから…?
何も、何も分からない。思い出せない。
指先に少し力を入れてみる。自分が予想するより若干反応が鈍かった。
ビーカーの外を見ようと目を凝らした。
暗くてよくは分からないが、得体の知れない大げさな機械装置や、部屋の大部分の壁に沿って棚が据えられていて、たくさんの本や瓶が並んでいる部屋の中にいるようだった。
視界の隅に白い服を纏った人影が引っかかった。こちらに背中を向けていて男なのか女なのかは判別できない。
ぐるりと視線を動かすと自分の隣にも同じようなビーカーが並んでいた。
少し体を動かしてそのビーカーの中を覗くと、自分と同じように溶液の中に浮いている人物に気がついた。
愕然とした。
(クラウド!!)
声は届かない。
幾らか頭を垂れて目を閉じている彼の顔は、青白い溶液の中にいてもそうと分かるほど、透けるように白かった。
目覚めぬ夢を、見続けていた。
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