day8:cloudy(morning)





 朝目覚めた途端、ザックスは凄い形相でクラウドの服を捲り上げた。

 ザックスは彼の体を調べ、皮膚の引きつった場所を何度も何度も指でなぞっていた。
 それは全ての運命が狂ったあの日、かつては英雄と呼ばれた男がクラウドに残した痕跡だ。何かの戒めのように傷跡ははっきりと残っていた。
 それ以外にも注意深くよく見れば、クラウドの体には無数の傷跡があったが、ザックスはそのほかの傷には目もくれず、ただひたすらその傷跡だけを見つめていた。

 傷跡をなぞり、口付け、ザックスは「ごめん」「痛かったよな」と言った。


 ああ、思い出したんだな。
 ニブルヘイムで起こったことをザックスは思い出したんだ。
 狂気に取りつかれたセフィロスのこと。
 魔晄炉でのこと。
 流れた血を。
 燃えた村のことを。

 全ての、悪夢の始まりを。



***



「…………ザックス」
「………」
 クラウドの体に残る傷跡を確かめた後、ザックスはきついくらいの力で彼を抱きしめたまま、なかなか放そうとしなかった。
 まだ荷物の整理ができていない新居の寝室、ベッドの上、クラウドは自分の体にのしかかるようにして胸に額を押し当ててじっとしているザックスの背中をあやすようにぽんぽんと軽く叩いてやる。
「……よかった。助かって……」
 ぽつりとザックスがそう呟いた。
「……おまえが生きててくれて…、よかった」
「………」
 自分を抱きしめる身体が微かに震えているのに気づき、クラウドは手を動かして今度は彼の髪の毛に指を絡め、そっと優しく撫でてやった。
「…思い出したのか、ニブルヘイムのこと全部」
「……魔晄炉でセフィロスとやり合った…あたりまで」
「……そうか」
 顔を上げたザックスにキスをせがまれてクラウドは静かに目を閉じた。
 ザックスの舌が唇の表面をぺろりとなめ上げて離れていく。
 再びクラウドが目を開けたとき、間近から自分の目を真っ直ぐに見つめる真摯な青い瞳とぶつかった。
「ごめんな、クラウド」
「……何を謝るんだよ」
「おまえをちゃんと守ってやれなかった。本当は俺がセフィロスを止めなきゃいけなかったのに」
 クラウドは静かに首を横に振った。
「…違う。そうじゃないよ、ザックス。あんたが謝ることなんて何もないんだ」
 あの時は何が、誰が悪かったとか、そういうんじゃなかったのだとクラウドは思う。
 全てがもっと大きな、自分達ではどうすることもできない悪い流れの中にあった。
 自分達を飲み込んで押し流していった、抗えない運命の波に襲われたのだ、きっと。
「でも謝りたいんだ。おまえが守られてばっかのやつじゃないって分かってるけどさ、悔しくて自分が不甲斐なくて…、すっげえ辛い」
「ザックス、俺は今ここにいるだろ?」
「そうだけど……」
 ザックスはクラウドの両頬を掌で包み、顔中にキスの雨を降らせた。それから目の前の瞳をじっと覗き込む。
 魔晄の色を宿した不思議な揺らめきを放つザックスの瞳に自分の姿が映っているのに、クラウドは改めて深い感慨を覚えた。同じ瞳の色を持つことになった経緯は、決してクラウド自身が望む形としてではなかったけれど、こうして今ザックスといられるのもまた、魔晄とジェノバ細胞のおかげなのだと思うと複雑な気分になった。

「俺がおまえを守りたいって思うのはさ…」
 ザックスは目を伏せ額をクラウドのそれにそっと寄せた。
「おまえと一緒にいたいとか、いさせて欲しいとか、そんな俺のエゴみたいなもんで…、だから……」
「……分かってる。大丈夫。泣かなくてもいいよ」
「…泣いてねえよ……」
 子供にするようにクラウドは目の前の黒髪を撫でた。
 自分の方がきっともっとエゴで彼を縛りつけ、うそぶいているとクラウドは思った。罪深いほどに。

「俺、もう絶対クラウドから離れない」

 彼は全てを思い出しても尚、自分の傍にいてくれるだろうか。
 もう数日前から何度も何度もクラウドが考えたことだ。考えずにはいられなかった。自分では答えを出せないことも知っている。
 自分の口から真実を知らせるのが怖くて何も出来ずにいる自分は、きっとあの日から何も成長していないのだろう。どうしようもなく弱く、臆病で狡くて自分のことしか考えていない最低の人間だと自分を責める声が聴こえる。

「どんなに嫌がられたって一緒にいる。俺がもう一度ここに戻ってきた意味って、クラウドだと思うから」

 彼が戻ってきた意味…確かに自分なのかもしれない。
 彼が自分を罰するために戻ってきたのだとしたら、喜んでそれを受け入れたいと思う。その覚悟はできているつもりだ。
 そうではなく、もし、もし自分と共に生きたいと彼が望んで戻ってきてくれたのなら……。

(………自分に都合よく考えるな)
 クラウドは心の中で自嘲した。
 期待なんてするもんじゃない。勝手に期待した後に裏切られれば、自分が理不尽に傷つくだけだと幼い頃から知っている。


「クラウド、俺一緒にいていいよな?」
「…そういうのは全部思い出してからよく考えた方がいいと思う…」
「記憶なんて関係ない。おまえのこと何も分からなかったここ数日間だって、俺ずっとおまえのこと好きだったし、お前よりずっとガキだったのに俺……、なあ、これ聞いて引くなよ?俺毎晩おまえをどうにかしたくて仕方なかった。つまりその…性的な意味で、だ…」
「………」
 クラウドは眉をひそめた。半眼でザックスを見つめ返す。
 その様子を見て、慌ててザックスが言葉をつないだ。
「だ、だって仕方ないだろ!お前子供に対してすっげえ優しいの自覚してるか?あんな顔とかさ…俺今まで向けてもらったことなかったし、今思い出しても羨ましくてまた子供に戻りてえとか本気で…っていや、そうじゃなくて!だから我慢してたんだよ、ずっと!お前のこと思い出すまではってさ、俺なりのケジメのつもりで手は出すまいと!」
「……そういえば」
 何日か前、夜中にクラウドが目を覚ましたときに、ベッドの横でザックスがこちらに背を向けて座り込んでいたのを思い出した。夢現の状態だったので今まで忘れていたクラウドだったのだが、そういえば彼の体が微妙に揺れていたような…。
 それを聴くとザックスは微かに頬を赤らめて恥ずかしそうに視線をそらした。
「……えーと、だって男の子だし…?」
「………」
「…クラウドの寝顔見てたらついムラッときちゃて……」
「………」
 人が寝ている横で自慰していたというわけだ。
 クラウドは終始彼が子供だという認識で接していたので、二日前に彼と抱き合うまでは性的な思いや衝動を一度としてザックスに抱くことはなかった。
 あくまで大人と子供という図式で、乞われるまま、一緒に寝もしたし、確か風呂も…。
「……何日前だったか、一緒にシャワー浴びたよな。まだあんた10歳になるかならないかぐらいで…、あんたそん時俺の…そのあそこを触って…、子供なんだから純粋に興味あるんだよなと思ったんだけど、まさか……」
「え?や、やだなあ。さすがに俺だって…」
 そう言うザックスの目は、だがしかし泳いでいた。
「あのときすっごい至近距離で見てたよな…?」
「あれはさ、だって、立ったクラウドの腰が丁度俺の目の前に来るから身長差のせい……」
「ばか!ばかザックス!!」
 クラウドが顔を真っ赤にして上に乗っかっているザックスを押しのけようと暴れだした。叩いたり引っかいたり機嫌の悪い飼い猫のようだ。
「やたら体にべたべた触ってたのも、あんた…!」
「だって触りたい放題だったし、実際させてくれたし、いてっ、ちょ、クラウド、痛いって」
「ばか、どけっ!」
 子供にそんなふうに自分が見られていたこと、それに自分が全然気づけなかったことが、クラウドには恥ずかしかったり悔しかったりするらしい。
 クラウドは諸々のことを四角四面で見る癖があって、そのこだわりが彼らしく、またザックスが彼をかわいらしいと思うところでもあるのだが、少々柔軟な思考に欠けるきらいがある。
 ザックスは苦笑しながら、抵抗するクラウドの両手をベッドの上に縫い付けた。
 目尻を赤くしたクラウドが情けないような怒っているような複雑な表情をしてザックスを睨んだ。
「そんなわけで話脱線したけど、俺にはお前だけだからさ。信じてくれよ、クラウド」
「………」
 ザックスはムと口を曲げているクラウドに口づけた。
 開かれる唇に、自分は拒まれていないことを知り安堵する。
 角度を変え重なりが深くなる頃、クラウドの夜着の裾から手をもぐりこませ、その肌を掌で擦った。塞いだ唇の奥でクラウドがくぐもった声をあげて体を小さく揺らしたが、ザックスは構わずに肌を探り続けた。このままこの行為に流されてくれれば、傾きかけた彼の機嫌も有耶無耶になるかもしれないというずるい考えがザックスの頭に浮かんだ。
 息を奪い、クラウドの思考をとろけさせ、さあこれから…というときに、ザックスの耳がどこかで小さく鳴っている電子音を拾い上げた。
「…?」
 気になってザックスが顔を上げる。
「…なに、ザックス…」
 意識が半ば溶け出しているクラウドは、突然の行為の中断に、不思議そうな顔をしてザックスを見上げている。
「音……」
 そのときになって、ようやくクラウドもその音に気づいた。
「ああ…、俺の携帯電話。大丈夫、留守電になってる…」
「出なくていいのか?」
「別に…いつものことだし」
「大切な電話だったらどうすんだよ。仕事のとか緊急の連絡とか」
「だから俺が電話に出ないのはいつものことだって…」
 みんな分かってるし、とクラウドが続けるのに、ザックスは体を起こしてベッドから降りた。
「そんなのダメだって。携帯どこ?」
「…向こうの部屋…、キッチンの台の上に置いてきたかな…」
 ザックスはそれを聞くと、クラウドを置いて部屋を出て行ってしまった。
「………」
 何となく、何となく面白くないクラウドだった。



 着信音を響かせる携帯電話をキッチンで見つけると、ザックスはそれを手に取った。自分が以前新羅カンパニーで働いていたときに使っていたものとデザインが違っていて多少戸惑ったが、何とか電話をつなげることができた。
『え、珍しい、クラウド出てくれたの?』
 薄っぺらい端末の向こう側から聴こえて来たのは、ティファの声だった。
「おはよ、ティファ。ごめん、俺クラウドじゃなくてザックス」
『わ、びっくりした。そっか…、うん、そういうこともあるわけだよね…』
「ん?」
『ううん、こっちのこと。おはよう、ザックス。昨日はよく眠れた?新居はどう?』
「うん、上々。ティファ…、その……」
 ザックスは昨夜店を出るときに最後に見た彼女を思い出した。失われた恋に、泣くのを必死で我慢していた痛々しい彼女の顔を。
 どう彼女に言葉をかけたらいいのだろう…、と迷う。謝りたい気持ちもある。ザックスが言葉を探し言いあぐねているのを、ティファは聡く感じ取ったようだった。
『…気にしないで、ザックス。あなたが言いたいことは分かってる』
「ティファ……」
『でもそうね…私からひとつだけお願いが…、ごめん、ちょっと待ってて』
「?」
 電話の向こう側で何やら小さく不明瞭ながら、彼女と他の男の会話が聞こえた。
『ちょっとうるさいったら。人が電話しているときは静かにして』『ホントにあのソルジャーが電話に出てんのか、マジかよ』とか、そんな内容のようだ。
『ごめん、ザックス。だから私が言いたいのは“幸せにならないと承知しないから”ってことなんだ』
 二人とも幸せになってね、と彼女は言う。
 失恋したばかりの彼女が電話の向こうでどんな顔をして、その言葉を自分にかけてくれたのかは分からない。でも彼女の強く温かい心を感じ、ザックスはそれが嬉しかった。
「…うん。約束する」
『絶対だからね?』
「ああ。幸せになる」
 クラウドと二人で、幸せに。
 そのために今ここにいる。

『おーい、本題忘れてるぞ、と』
 電話の向こうで男の声がした。ティファはそれに向かって何か言ってから、
『今からこっちにクラウドと来れる?お客さんが来てるの。さっきからとってもうるさいお客さんととってもしずか〜なお客さんの二名様』
 ティファのその声に、早く来いよ〜、という男の声が重なった。






→afternoon