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day7:partly sunny
晴れ曇りのその日、一日ぶりにクラウドがエッジの一角にある店セブンスヘブンの扉をくぐったのは、もうすぐ夕方にさしかかろうかという時間だった。
そのとき、ティファはカウンターの中で開店前の準備をしていた。
「クラウド!よかった、心配したんだよ」
そう言ってカウンターの向こうから走り寄って来る彼女に、クラウドは驚いた顔をした。
「ここから出て行ったとき、クラウドの様子おかしかったし、相変わらず携帯繋がらないし、昨日一日帰ってこないから心配するでしょ」
「え、あ…、ご、ごめん」
ティファが下から顔を覗き込んで身体を近づけてきたので、思わずクラウドは腰を引いてしまった。
何となく…今日はそんなに間近な距離で自分を見られることに抵抗を感じる。彼の痕跡は全て隠し、または消してきたつもりだったけれど。
「……クラウド?」
「な、何?」
ティファがそんなクラウドの様子に、訝しげな目を向ける。彼の様子がなんだかいつもと違う、ということに気がついたのは女の勘か、それとも恋する乙女心のせいか。
「………なんか、あった?」
「ど、どういう意味……?」
「なーんかクラウド、変」
「…、変てなんだよ。別に……」
「そうかなあ」
クラウドが目を背けようとするけれど、ティファはそれを許してくれない。視線の動きに合わせて彼女も移動し追いかけてくる。
不意にティファの鼻がひくりと小さく動いた。
「……?」
ティファの嗅覚が何かを感じ取ったらしい。
鼻をクラウドの胸元に近づけて、くんくんと犬のようににおいをかぎ始めたティファに、クラウドは焦った。
(何か、におってんのか!?)
ここに来る前に、埃で真っ白になった服は着替えたし、シャワーも浴びて清潔にしてきたつもりだった。
顔を上げたティファと目が合う。クラウドは緊張した。
「クラウド、あなた……」
開店前の店の扉がまた開いた。
「クラウド、置いてくなよ〜!」
ティファとクラウドの間に明るい声が割り入った。
その男は軽いフットワークで二人に近づいてくる。大股な歩幅に合わせて木床が軋んだ音を立てた。
不揃いに伸びた黒髪は後ろに撫で付けられ、ツンツン尖っている。バランスの取れた大柄な体躯、そして何よりも顔の中心に位置する青い二つの煌めき…。
今や18歳にまで成長したザックス・フェアは、ティファの記憶に残る彼の姿とほとんど差異はなかった。
「ティファ、酷いと思わねえ?クラウドってば人のこと、さっさと置いて……」
喋りながらティファの横をすり抜け、クラウドの横に立ったザックスは、よどみのない自然な動作でクラウドの腰に手を回し抱き寄せる。
え、とそれに動揺したティファだったが、それよりももっとうろたえたのは当のクラウド本人だった。
「ちょっ、ザックス何して……っ」
「ん?」
「離せ!手、手!!」
「いいじゃん。おまえ相変わらず人前嫌がるなあ」
抱き寄せたクラウドの頬に、悪びれもせずに自分の頬をこすりつけるザックスだった。
「!分かっててやってんだろ、あんた!!」
何とかして腕を振りほどこうとするクラウドの抵抗なんて気にもせずに、あははと白い歯を見せて笑う。
目の前で繰り広げられている二人のやり取りにティファはぽかんとした顔をした。
「………」
頬を紅潮させて悪態をついているクラウドが珍しい…というか他人とこんなふうにじゃれ合っている彼を初めて見たような気がする。いつもは冷たささえ感じる表情やクールな言動は見る影もない。
(この二人、親友だったって言ってたよね…)
以前クラウドの口からザックスのことをそう聴いていた。ならばこんなやり取りは普通なのかなとも思うのだが、
(……でもなんか……)
それにしたってこの馴れ合いはどうなんだろう…とティファが思ったところで、ザックスがこちらに視線をちらりと向けた。その口許が、一瞬だけ微かに笑ったような気がして、そして。
「!」
腰を少しかがめたザックスがクラウドの頬に、唇を押し当てた。あからさまな音をたてた後、すぐに顔は離れていく。
目を見開いたまま固まってしまったクラウドは、機械仕掛けのおもちゃのようなぎごちない動きでザックスを見上げた。彼に触れられた頬を掌で押さえるその顔は、一瞬青くなりそれからまたすぐに紅くなった。
「ひ…、し、し、しし……っ」
どうやらクラウドは「人前で何するんだ、信じられない」というようなことを言いたいようだ。
「ひしし?」
溺れた者のように口をぱくぱくさせているクラウドの顔を、ザックスは楽しそうに両の掌ではさんだ。そして再びまた顔を寄せようとする。次に狙うのは頬ではなく淡い桜色の唇だ。
それを見ていたティファもまた固まっていた。
もはや目の前のこのやり取りは親友云々のレベルではない。明らかに違う、違うったら違う。
(う…、嘘でしょ……?)
近づいていく彼らの顔に、ティファの頬が引きつった。
「バ…っ、やめ、ザッ…!?」
「クラウド……」
あとほんの少しで唇が触れそうになったとき、ティファの耳に小さく木の軋む音が飛び込んできた。はっと我に返り、二人を前にして金縛りにあったかのように動けなかった体の緊張が解けた。
「クラウド帰ってきたの?」
階上から幼い声がする。二階にいたマリンが声を聞きつけて階段を下りてきたらしい。
ティファが、あ、と思ったときは、既にマリンが階段の向こうから顔を出していた。頭で思うよりも先にティファの体は先に動いていた。
「子供は見ちゃだめーーーーーーっ!!!」
子供に見せたら教育上悪いです!と考えたティファがとった行動は、手っ取り早い実力行使。
部屋の中央で身体を寄せ合っている二人を、その自慢の足蹴りで見事に吹き飛ばした。意表をつかれた彼らはひとたまりもなく床に転がった。
洗剤で泡立てたスポンジで、手際よく洗い場にたまったグラスや皿を洗っていくザックスのその視線が、時折店の裏口の方をちらちら見ているのにティファは気づいていた。誰を待っているのかは一目瞭然だ。
時間は宵の口、クラウドが仕事の用事で店を出て行ってからそれほどたっていない。
(落ち着かない人ね…)
客にオーダーされた蒸留酒の水割りを作りながら、ティファはカウンターから少し離れたところにいるザックスを観察していた。
出かけようとするクラウドに、ザックスは例によって俺も一緒に行くと言い張ったが、結局今回は留守番を言い渡された。クラウドの機嫌が夕方のアレのせいで悪かったせいもあるかもしれない。
クラウドの不在に、時間を持て余したザックスが店の手伝いを申し出た。シャツの腕をめくり、店の隅で張り切って洗いものを始めたわけである。
(調子が良くて明るくて)
ザックス・フェア。神羅カンパニーが誇るソルジャーだった男。愛敬のある表情、その整った造作。ソルジャーだけあって立派な体躯は、良くも悪くも人の目を惹く。
ほら、店に来ていた女性が目ざとく近づいて、何か彼に話しかけている。
「おい、ティファちゃん零れてるよ!」
「、え!?」
客の一人にかけられた言葉にティファが手許を見れば、グラスの容積を越えて注がれた酒が、テーブルの上に零れていた。
「わ、ご、ごめんなさい!」
物思いに耽るあまり、度を過ぎてぼんやりしていたらしい。
こちらの様子に気がついたザックスが布巾を片手にこちらにやってくる。
「大丈夫か」
「う、うん。大丈夫、ありがとう」
しかも優しい。
(フェミニスト、だよね。基本的に)
なのに、と思う。
(やっぱり…つまり…そういうことなのかなあ…)
先刻の二人の様子を思い出す。
はっきりと本人達の口から、二人がどういう関係なのかということを告げられたわけではないけれど、ただの親友同士が「キス」はしないだろうと思う。
カウンターに腰掛けていた常連の客が見慣れないザックスの顔に声をかけてきた。
「兄ちゃん、新しく入ったバイトの子かい。名前は?」
「ザックス・フェア。バイトじゃないけどティファさんには世話になったから、少しでも恩を返せればと思ってね」
「いい心がけね、若いのに」
離れた席で飲んでいた女性客が立ち上がり、ザックスに近づいて話しかける。
それに笑顔を返している彼の態度は爽やかそのもので、いやらしさの欠片も感じられないけれど、でも…とティファは思う。
(さっきのアレは)
自分の前でクラウドを抱き寄せ、キスしようとした際に自分に向けた彼のあの視線。
(ちょっと怖かったな…)
本当にほんの一瞬のことだったけれど、青い瞳が凍りつくような冷たさを孕み、自分を見下ろした。決して錯覚などではない。
あれは多分、無言の牽制。
二人の間に入れると思うな、と。見せ付けて線を引くための。
周りが思うよりもザックスはしたたかで狡猾なのかもしれない。
(そして、私は……)
本音を言えば、ティファは今すぐ店を閉めてベッドに倒れ込みたい心境だった。
長い間ずっと胸に抱いてきた一人の人を想う心が、行き場をなくして潰えようとしている。傍にいられるなら、いさせてくれるのなら、いつかは振り向いてくれる日が来るかもしれないと希望を持っていた。だけどそれは甘い考えだったと今更ながら思う。
(あんなふうにいつもと違うクラウドを見せられちゃうとな)
あのクラウドが、ザックスの前ではくるくると表情を変え、毒づきながらもどこか楽しそうで、見たこともないくらい生き生きとしていた。
それに、と思う。ティファを凹ました決定打はクラウドの身体に纏わりついていた、匂い。
店に現れたザックスがティファの脇を通り抜けたときに、それと同じ匂いが漂ってきた。本当に微かな、癇にさわるほどでもない爽やかな匂い。コロンの類かもしれない。
匂いが相手につくくらいの親密さ。その行為を想像する。
(そういえば、いつもよりクラウドが色っぽかったっていうか…桃色オーラが出てたっていうか……)
しかもクラウドをそうさせたのが隣でテーブルを拭いているこの男。
色々な意味で……悔しくないか?
失恋という敗北感に微妙な心理がプラスして働くのは、きっと恋敵が男だったからなのだと思うティファだった。
「遅いな…。な、ティファ、遅すぎねえ?」
時間はもうすぐ日付をまたごうかというところだった。
客もまばらになり、ザックスは空いているカウンターの席に座り込んで遅い食事を取っていた。
ザックスは頬杖をつきながら手元の皿の上のサラダをフォークで突つき、ティファに話しかけた。
「……クラウドが心配なのはすっごく分かるけど、それわたしに聞いたの、もう何回目だと思う?」
「えーと、3回ぐらい?」
「残念、6回目です」
決まり悪そうにザックスは首を少し垂れて後頭部を指で掻いた。着ている鈍色のニットの裾丈が短いのか、ザックスがそうして背中を丸めるとジーンズからはみ出した背中が覗いた。
ティファは余りにも自然に彼の存在を受け入れてしまっていた自分を顧みて、その不自然さを思い唐突に聞いてみたくなった。
「……ね、ザックス。死んだときのこと、覚えてるの?」
「ん?」
彼は一度死んだ人間だ。
そして赤ん坊として自分達の前に現れ、信じられないスピードで成長した。
今更彼自身の存在の信憑性を疑っているわけではない。
それでも聞きたくなったのは、未知のものに対しての好奇心からだった。
「死ぬってどういう感じなのかなって。普通は実際に“死んだ”ときのこととか、その後のことって、知りたくても分からないことでしょ?」
「あー、そうだよなあ。俺死んだんだよなあ…」
「覚えてないの?」
「まだそこまで行ってないっつうか……、俺今18歳になったぐらいなんだ。だから18までのことしか思い出せてなくて。ちなみに俺いくつで死んだの?」
全てを思い出しているわけではないのだ、という事実がティファの胸を突いた。
ニブルヘイムで起きたことも、その後に辿ることになった数奇な運命も、まだ何も。
「………。ごめん、わたしは詳しくは知らないの」
ティファが自分の口からそれを話すのは違うような気がして言葉を濁す。
「そっか」
意外にけろりとした表情で、ザックスはフォークで刺しまくっていたサラダの一塊を口の中に一気に放り込んだ。
「それにしてもホント遅えなあクラウド。俺ちょっとそこまで……」
ザックスの視線がまた裏口の方に向かう。
ティファの胸に言い様のない不安が渦巻いた。
ザックスがクラウドの近くにいるということの意味、過去の出来事が二人にもたらす影響や可能性について考えた。
(どんな気持ちでいるの、クラウド。大丈夫なの?)
今まで悩み苦しむ彼をずっと側で見てきた。生真面目で、なんでもひとりで背負い込もうとする彼だから、酷く心配だった。
セブンスヘブンが看板を下ろす頃、やっとザックスの待ち人は帰ってきた。
クラウドが裏口の戸を開けると同時に、垂れ下がり萎んでいた犬耳がザックスの頭の上でピンと立ち上がったのが見えた…ような気がティファにはした。
「遅えよ、クラウド〜」
「俺にも色々都合があるんだ」
抱きつこうとするザックスを適当にあしらいながら、クラウドはティファに向かって言った。
「ごめんティファ、遅くなって。ザックス迷惑かけなかったか?」
「クラウドまだか〜って、ちょっとウザかったかな」
「ごめん」
別にクラウドが謝ることじゃないのに、とティファは思ったが口には出さなかった。
「クラウド、俺だってちゃんと店手伝って…」
纏わりついてくるザックスをとりあえず無視してクラウドは続けた。
「部屋、借りてきた」
クラウドのその言葉にティファは息を呑んだ。
それは彼が自分の居場所を自ら選んだということだ。
「……ザックスと住むのね?」
「ああ。ここには…、住めないし」
そこで言いよどんだり、頬を染めないでよ!とティファの方が恥ずかしくなる。
「ごめんな、ティファ」
何に対して彼が謝っているのかが分からないティファではなかった。
(ああ、これが決定打なんだ。わたしの恋が終わるんだ)
長かった片思いが、こんなふうに突然終わる。寂しくて悲しかった。けれど、それが彼が選んだことなのだと言うのなら、自分も選ばないといけないとティファは思う。
「ザックス、行こう」
彼が新たに踏み出そうとするその足を止めたくはなかった。大好きだった彼をせめて笑って送り出したいのに。
「………クラウド」
行こうとする彼の背中をティファは呼び止めた。視界が滲んでいるのは仕方がない。
ゆっくりと振り返ったクラウドに問いかけた。
「……これで、いいんだよね?大丈夫だよね?」
自分たちの選択は間違っていないよね?
涙がこぼれ落ちないようにティファは瞳に力を入れた。
それにクラウドは穏やかに頷いた。
客が全て帰り、店の明かりを落とした後、ティファは闇に紛れるようにして独り泣いた。
満天とは言えない星空の下、二人は寝静まった夜道を歩いた。
無言で隣を歩くクラウドをザックスは窺う。
「……借りた部屋、俺たちの新居ってことか?」
「………」
「つまりそれって俺とクラウドの、二人だけの愛の巣ってこと…だよな?」
「!」
クラウドの顔が瞬時に赤くなり、足を止めてザックスを睨みつける。
「愛の巣って…っ、は、恥ずかしいこと言うなっ!!」
「だってそうだろ」
「!!」
ぐ、と言葉を呑み込んだクラウドだった。違う、とは反論できない。
「……し、仕方ないじゃないか。ティファたちとは一緒に住めないし、こういうことはちゃんとしたいだろ…っ」
ザックスは必死に言い訳しているクラウドを眩しいものを見るような目で見つめ、不意にその手を掴むと、建物と建物の間の暗くて狭い空間にクラウドの身体を引っ張り込んだ。
「な、にす……っ」
「クラウド」
噛み付くようなキスが降って来て、クラウドはびっくりして目の前の顔をただ見つめることしかできない。
唇を離してからザックスはとろけるような笑顔を見せた。
「うん…うん、そうだよな。ちゃんとして…しなきゃ…、どうしよう俺、すっげえ嬉しい、クラウド」
ぎゅうぎゅうと容赦ない力で抱きしめる。
「ザックス、苦しいよ。それにさ……」
落ちつかなげにクラウドは視線を彷徨わせた。
ミッドガルの廃材でほとんどが作られているこの街の建物のフォルムは、でこぼことあちこちが飛び出していて、狭い路地から見上げる夜空は複雑な形に切り取られていた。クラウドはその空から視線を戻した後、ぶっきらぼうに言った。
「………馬鹿ザックス…、こんなとこで盛るなよ…」
自分の腹の辺りを押し付けてくる不穏なそれの存在に気がついて。
「だって俺めちゃめちゃ嬉しくて」
「………昨日あんだけやっといて……」
「おまえのせいだと思うけど…」
「………」
人のせいにするか、とクラウドはふてくされて唇を突き出す。
正直に言えば、昨日丸一日かけての、湿気たベッドの上でのザックスとの濃密な行為は、クラウドの身体に少なからずダメージを残していた。頭はまだどこかぼんやりしているし、身体もあらぬところが痛んだり、だるさを感じたりしている。それでも彼に本気で求められれば、いつでもどんな時だって、きっと自分は彼を受け入れてしまうのだろうと思う。それは過去の経験から分かっているのだが。
「……別にいいけど、そんなに体力余ってるなら違うことしない?」
「違うこと?」
「あんたと手合わせしてみたい。剣で」
驚いたザックスが身体を離してクラウドの顔を覗き込んだ。
「どう?」
「え、ど、どうって、俺もそれはやってみたいけどさ、何もこんな夜中じゃなくたって……え?何で今!?」
確かに、こんな夜中を選んでやる意味が分からない。
おたおたしているザックスの隙をつき、クラウドはその腕の中から抜け出すと道路を歩き出した。
「新居にもう荷物は運んであるんだ。剣を取りに行こう」
「おい、待てよクラウド!ちょ、だからわざわざ何でこれから!?」
「大声出すな。迷惑だろザックス」
「訳分かんねえって。そんなの明日でいいじゃん!?これからいくらだって時間あるんだしさ!」
時間は無限じゃないんだ。
明日が今日と同じかなんて分からない。
明日のあんたが今日と同じように俺に笑っていてくれるかなんて、分からないんだ。
俺とのこと、自分の最期、全てを思い出したら、あんたはきっと。
「やりたいこと、できること、俺は思いついたときにやっときたいんだ、ザックス」
「……クラウド?」
たくさん考えた。覚悟も決めた。
怖いけれど俺はそれを正面から受け止める義務があるんだと思った。
俺の心はあのときから少しも変わらないけれど、あんたは違うかもしれない。
だから。
思い出が欲しいんだ。
思い出があれば、それだけでいい。俺はそれだけを抱きしめて。
→dance under the stardust
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