CALL ME 09





 パァンッ
 パンパンパンッパンッ
 射撃場に甲高く乾いた音が響き渡る。
 スコアに穴が次々とあいた。
 立て続けに放たれた弾丸、その最後の一発が枠内から微かに外れ、クラウドは眉をしかめて構えていた拳銃を脇に下ろした。
 一般兵士が普段使う銃身の長い自動小銃と違い、手の中にすんなりと収まるハンドガンは扱い慣れていない。それでも銃器系一般の扱いにはそれなりの自負心を持っているクラウドは、的を外してしまったことに少なからず苛立ちを覚え、軽く眉をしかめた。
 後ろでクラウドの射撃訓練の様子を見ていた同僚の男が小さく口笛を吹いた。
「珍しいな、ストライフ」
 クラウドはイヤープロテクターを外しながら肩をすくめて振り向いた。
「…たまにはね」
「調子悪そうだな」
「そんなことはない」
「そんなことなくて、お前が外すのか?」
「………」
 確かに同僚の言うとおり、調子はよくないのだろう。
 寝不足だし、頭痛がするし、情緒も若干不安定だ。
 原因は分かっている。
 あることが気になってそればかりに気を取られ、このところずっと目の前のことに集中できていないのだ。
 それはあの夜から続いている。
 遠征に旅立つ前、彼が自分に残していった言葉。
 それを思い出すと、どうしようもなく心が落ち着かなくなるのだ。



***



 灯りのない吹きさらしのビルの屋上でその夜、ふたりの影が重なった。
 密着した場所から彼の体温が伝わり流れ込んでくる。
 その熱にクラウドは眩暈がした。

 コミュニケーション好きの彼は、今までも頻繁に肩を抱いたり、腰に腕を回してきたり、手を繋いだり、たまにふざけて抱きついてきたりといった接触を求めることがあった。彼にとっては何てことのない癖や習慣のようなものなのかもしれないが、そういうのに慣れていないクラウドは戸惑うばかりだった。
 だけどこの時のように、体の自由を奪われるほどに強い力で抱き締められたのは初めてだった。

「好きだ、クラウド」

 深く、真摯な声で耳元に囁かれた言葉にクラウドの背中はざわめいた。

「好きなんだ、愛してる」

 一瞬彼の言葉が理解できなかった。思いもしない告白だったからだ。
 好き。
 愛してる。
 それって、つまりは…そういう意味で…?
 だって自分は…。

「ザックス…、だ、だって俺、男だよ…?」
 自分は彼に愛を囁かれるような女性じゃない。そんなことはザックスだってよく分かっているはずだ。
「知ってるよ」
「だ、だったらなんで…っ」
 もっともクラウドが戸惑っているのは、同性同士の恋愛がどうの、ということではなかった。
 圧倒的に男性比率が高い職場の環境のせいか、男同士でもあいつとあいつがデキてる、なんて言うような類の噂はクラウドの耳にもチラホラ聞こえてきていた。クラウドはその辺は割と大らかであったし、興味もさほどなかったので、そういうこともあるんだなあというぐらいにしか感じていなかった。
 しかし今回は勝手が違う。第三者の話ではない。さらには女の子大好き!といつも公言し、その付き合いもより取り見どりで羨ましい位盛んだと噂の絶えないザックスが相手なのだ。そんな彼がわざわざ男のクラウドに告白するというのが信じられなかった。
「なんでかなあって自分でもずっと考えてっけど、…お前だからっての以外に答え出ねぇんだよな。勘違いとかじゃなくて、男とか女とかそういうのも気になんなくて、お前をちゃんと好きで、だからあの夜だって…」
 あの夜…。
 クラウドを襲ったのは心を押しつぶされそうなほどの荒ぶる嵐、一方的とも思える暴力だった。
 あの日から時間をかけてクラウドは気持ちの整理をつけようとひとり足掻き、やっと少しずつ落ち着いてきた頃だったのに、ザックスの予想も出来ないような突飛な言動に、クラウドの心はまた掻き回されている。
「あの夜、俺は確かに寝ぼけてたけど、俺はお前を…、他の誰でもなくお前をちゃんと抱いたんだ。誰かと間違えたわけじゃない」
「俺を…?」
「そうだ」
 ザックスが腕の力を緩めたので、クラウドは体を離してザックスの顔を見上げた。
 視線が合うとザックスは微笑み、目許を和らげてクラウドの頬に指先で触れた。
「ごめんな。あん時は夢見心地だったから、俺、細かくは思い出せねぇけど」
 彼の指が、クラウドの薄い頬の上を愛おしむに優しく撫でる。いつも温かい印象のある彼のその手が、そのとき少し冷えていたのがクラウドには意外だった。
 頬を滑り、耳の後ろをなぞってから、クラウドの頭をすくい上げるように後頭部に手のひらが回された。顔を寄せられるとまた二人の間の距離が縮まる。視線をそらすことができない、何事も誤魔化しようのない距離だった。
「夢ん中で、俺はお前を抱いてたよ。…そういうの言われると、気分悪い?」
 自分では想像できないから、よく分からないとしかクラウドは答えられなかった。
 ザックスは少し笑った。
「…夢だって思ったから、俺の夢なのになんで自分に都合のいい内容じゃないんだろうって思った。夢ん中までお前に拒まれるのかって、そん時なんか凄くイラついたのは覚えてる」
 確かにクラウドはあの時、びっくりして流石に抵抗した。ザックスは夢だと思っていたかもしれないが、あれはクラウドには紛れもない現実の出来事だったのだから。
「ザックスが、おとなしくしろって言って…、今まで聞いたこともない声で、だから俺…」
「怖かったか、ごめんな」
 数回目になるザックスの謝罪の言に、クラウドは首を横に振った。泣きそうな気持ちがこみあげてくるのはどうしてだろう。
 必死な目で見上げてくるクラウドの視線を受け止めながら、ザックスは目許を緩めた。
「…お前は本当に優しいな」
「…っ」
 優しい、なんて他人に今まで言われたことがない。
 ザックスの頭が微かに動いたのを見て、なぜだかそのとき、クラウドはザックスにキスされるような気がして、思わず目をぎゅっと瞑ってしまった。だけどいつまでたっても彼の唇は降りてこない。気になってそろりと瞼を開けてみれば、すぐ目の前にザックスの顔があってクラウドをじいっと見つめていた。
 クラウドは途端に恥ずかしくなって俯いた。身体を引いて彼から離れたかったけれど、後頭部に回されたままのザックスの手がそれを許さなかった。
「……!」
 顔が熱くなった。
 期待、したんだろうか。
 ザックスにキスされることを?
 そんなクラウドの心の内をザックスは読み取ったのか、クラウドの視線を追いかけて更に身を屈めた。初々しい仕草で頬を桃色に染めているクラウドの顔を覗き込んだ。
「…していいのか?」
 何を、とは言わない。けれどクラウドにはそれだけでザックスの言いたいことが伝わったから、恥ずかしくて、さっきよりも強くぶんぶんと首を横に振り回した。さらに顔が真っ赤になる。するとザックスは嬉しそうに笑った。
「本当にかわいいな、お前」
 かわいい、なんて。
 他の人間に言われたら憤慨ものだ。お世辞にも男らしいとは言えない、母親に似た自分の顔の造りを充分クラウドは自覚しているから、その類の事を他人に言われるのは嫌いだった。容姿に関してコンプレックスを持っていると言ってもいい。
 だけどなぜだろう。今ザックスに言われた『かわいい』。確かに少し引っかかるものはあったが、いつものようにカチンとは来なかった。それは目の前の男がとても嬉しそうに笑っていて、微塵もからかわれている感じがしないせいかもしれなかった。

「…ザックスはしたいの…?」
 顔が熱いだけじゃない。胸の鼓動も乱れ、早鐘のように鳴り響いていた。
 間近で顔を見られている。一挙一動、どんな小さな反応も読まれてしまうような距離だ。クラウドは精一杯視線をそらしたけれど、彼が向ける真っ直ぐすぎる視線は頬に突き刺さって存在を主張する。
「したいけど、お前の嫌がることはしたくない」
「……キスとか…」
「キスしたり抱き締めたりしたい」
「………あの夜みたいなことも…?」
 ザックスの言う好きとか愛してるという想いが、その先どこに繋がっているのか、いくら奥手のクラウドにだって分かった。彼が夢の中で自分を抱いたというのならば、そうなのだろう。
「…クラウド」
「したいんだよね…?」
 ちらりと横目で彼を見て、クラウドはザックスの様子を窺う。
 ザックスは少し返答に困っているのか、男らしく真っ直ぐに伸びた両眉を情けなくハの字に下げている。クラウドから手を離し、首の裏を落ちつかなげに掻いた。
「…えと、正直言うと夢に見ちまうぐらい…には……かな?」
「………」
 やっぱり、そうなんだ。
 途端に泣きそうに顔をしかめたクラウドに、ザックスは慌てる。
「え、嘘嘘嘘っ! べ、別にそんな絶対にしたいとかそういうんじゃなくて…っ」
「……嘘…?」
「う…嘘じゃないけど…じゃなくてっ、ごめん、やっぱ無理だよな! てか急に色々言って驚かせちまったよな、ごめん! 今のはナシ! そこはまだあんまりこだわって深く掘り下げなくてもいいとこで、だから…っ」
「…でも最終的にはしたいんだろ」
「し、したくないって言えば嘘になるけど…っ」
「はっきり言ってよ」
 目をうるうるさせながら頬を赤らめて睨むように言うクラウドに、ザックスも頬を赤らめた。下心ありありなザックスから見れば、そんなクラウドはかわいく見えて仕方がないのだった。
「………………ハイ、したいデス」
 観念してザックスが言えば、クラウドはグと唇を真横に引き結び、俯いてしまう。金色の髪から覗く耳の先まで真っ赤だった。ザックスも気恥ずかしくなって同じように俯いた。
「……ごめん…」
「………。言えって言ったの…俺だし…」
「………」
「………」
 二人の間に冷たい風が吹きぬける。
 それにクラウドが小さく身震いしたのにザックスは気づいた。
 ビルの屋上に来てまだそれほど時間は経っていないが、季節のせいか、肌でそれと感じて分かるほどに刻一刻と空気が冷えていっている。

「―――帰るか」
 ふわり、とクラウドの身体を暖かいものが包んで、驚いて顔を上げると、ザックスがいつもの愛敬のある顔で笑っていた。ザックスが自分の着ていた上着を脱いで、クラウドに着せ掛けてくれたのだ。
「い、いいよ、ザックスが寒いだろ」
 慌てるクラウドに構わず、ザックスはクラウドの肩に掛けてやった上着の前を胸の前で合わせた。
「俺がお前のこと連れ出したんだし、風邪ひかれたくない」
「ひかないよ。それにザックスのほうが明日から出かけるんだし…っ」
「ヘーキ。俺鍛えてるし」
「ザッ…、」
「クラウドが冷えてたら、あっためてやりたいって思う俺の気持ち、分かれよ」
「…っ」
 それは一体どういう意味で、と思わず深読みしたくなるクラウドだった。
「それより」
 背をかがめて、ザックスはもう一度クラウドの顔を覗き込んだ。
「考えといて、俺とのこと」
「…え」
 ザックスの表情は本当にいつもくるくると目まぐるしく変化する。
 明るく快活な表情を見せていたと思ったら、次の瞬間には真剣な顔で見つめてきたりする。クラウドは容易く彼に振り回され、目が離せなくなる。
 今だって様々な感情を豊かに表す彼の双眸に捕らわれ、クラウドは瞬きも忘れるほど釘付けになっていた。
「時間かけて考えてみて。俺が任務から帰ってくるまで…その後でも待つけど、とにかく少し考えて欲しいんだ。俺、今夜凄く勝手なことばっか一方的に言ったし、お前には多分寝耳に水だったろうし。すぐに返事とか無理だろ?」
「………」
「困らせちまってるか? ごめんな。でもさ…」
 優しい、羽のようなキスがクラウドの額に落ちる。それからザックスは自分の額とクラウドの額を触れ合わせた。近すぎてぼんやりとしたクラウドの視界に彼の黒い睫毛が閉じたのが分かった。
「…本気だから」
 吐息と共に囁かれる声。まるで何かに祈るような仕草だとクラウドは思った。静かに心の中に沈む。
「…俺なんかのどこがいいの…?」
 聞きたかった。自分のどこが好きなのか。彼の周りには、彼に愛されるに相応しい人間が他に沢山いるのに、どうして自分なんかを選ぶのかを聞きたい。
 額が離れたと思ったら、ゴツンと再びぶつかった。鈍い痛みが伝わる。
「……っ」
「俺なんか、なんて言うな」
「だって俺、何の取り柄もない…」
 ザックスと友人付き合いをしているのだって、奇跡みたいに不思議なことだと思っているのに。
「俺が好きになったんだぞ。もう少しお前、自惚れろよ」
 どんな傲慢な言い草だろう。でも言われると何だか嬉しい。
「俺がどんなにお前のことがかわいくて仕方がないかってことを語りだしたら、それこそ朝になるな。それはまあ追々…、とにかく今日は帰ろうぜ。送るよ」
 言いざま、ザックスはひょいと屈みこむと、クラウドの背と膝裏に腕を回した。
 クラウドの視界がぐるりと回る。足の裏が地面から離れ、ふわりと体が宙に浮いた。あっという間にザックスの胸の前に横向きに抱きかかえられていた。
「え…、な、何ザックス!?」
「近道しよ」
 ザックスはクラウドを抱き上げたまま、タン、とコンクリートを蹴った。跳躍し、目の前のフェンスの手すりの上に軽々と着地する。
 何が何だか分からないクラウドは視線をめぐらし、自分の身体の遥か下方に、二人が先刻通ってきた暗くて細い道路が見えるのに気づいて青褪めた。
「わ…っ!?」
 ザックスはクラウドを抱えながら手すりの上でバランスよく器用に立ち、片足ずつ筋肉を伸ばすように軽くストレッチ運動をしている。嫌な予感がしてクラウドは叫んだ。
「ザックス! ち、近道ってもしかして…っ」
「直線距離が一番早い。ちゃんと俺に掴まっとけよ」
 どうやら屋根から屋根へと飛び移って、真っ直ぐ目標地点の一般兵宿舎まで向かうつもりらしい。
「やだ、ちょ…、待って! 降ろしてっ」
「お前がくっついてたら俺もあったかいから」
「…っ」
「すぐ着くから、目ぇつぶってろ」
 微笑まれてぱちんとウィンクされても、そんなんで落ち着くはずもなかった。
 ザックスの足が手すりから離れる。
 人ならざる尋常でない跳躍力。
 普段は余り気にならないのに、こういうときだけザックスがソルジャーだということをイヤと言うほど思いしらされる。一般的な感覚とどこかずれている。
 道を挟んだ数十メートル向こう側の建物の屋上を目がけて、二人の体は夜気を裂いて飛んだ。
 クラウドは声もなくザックスの首に抱きついて、恐怖を運んでくるあらゆるものを視界から追い出した。そうして残ったのは、ただ己を抱き締めるザックスの温もりだけだった。



***



『俺とのこと、考えといて。俺が任務から帰ってきたら返事を聞かせてほしい』

 ザックスはいつ帰ってくるんだろう。今日か明日か、それとも一週間後か。
 あのビルの屋上で話した夜からもうすぐ一月になる。
 つい数日前に彼からメールが来た。『もう少しで帰れそうだ』と。
 それからのクラウドは、それまで以上に落ち着かない気分に襲われた。
 何をしていても、ふとした拍子に彼のことを思い出しては、溜息をついている。
(ザックスはトモダチやめて、俺と、こ…恋人になりたいのかな…)
 自分とザックスが恋人であるという想像は、クラウドには難しすぎた。
 今までクラウドには恋人がいたこともないし…要するに未知の世界なのだ。初恋の体験は故郷でしたが、ほわほわとした感じの憧れの延長線上のようなもので、ザックスがにおわせる生々しいものではなかった。正直恋や愛なんて言われても、クラウドには手に余るばかりで途方に暮れる。

『無理だったら、ちゃんと言って。クラウドがどうしてもトモダチがいいって言うんならそうする』

 恋人じゃなくて友達としてでも側にいさせてくれると彼は言った。
(…俺、嫌がられてないんだ。よかった…)
 側にいることをまだ許してもらえる。あんなことがあって気持ち悪がられてるかもしれないと思っていたから、嫌われていないと分かって本当に本当に嬉しかった。
 でも。

『好きなんだ』
『愛してる』
『お前のことキスしたり抱き締めたり、したいよ』

 彼の告白。
 思い出すと勝手に顔が熱くなる。
(いつからそんなこと考えてたんだよ…)
 全然気づかなかった。
 自分が鈍いから気づかなかったのか、それともザックスが巧妙に隠していたのか。

『誰かと間違えたわけじゃない、俺はお前を抱いてたんだ』

 まだ信じられないけれど、彼がそんなことでわざわざ嘘をつく理由も見当たらない。
 一方的に身体を好き勝手されたあの夜のことは、思い出すと未だ体が震えそうなほどに怖い。強烈な衝撃を伴ってクラウドの心に刻まれている。出来るのなら封印し、どこかに捨てて忘れてしまいくらいだ。
 だけどあの夜が間違いでないなら―――ザックスにとってそれが間違いでなかったのなら、クラウドの心はほんの少し軽くなるような気がした。

『時間をかけてゆっくり俺とのこと考えて欲しい』

 もうずっと考え続けている。
 考えすぎて疲れるほどに。
 ザックスのことは勿論嫌いじゃない。好きだ。
 彼と過ごす時間は楽しかったし、もっとずっと一緒にいたいと思う。
 自分に向けてくれる笑顔を嬉しいと思う。
(俺がザックスに望んでいるのは……)
 何だろう。

『あの夜みたいなこともしたいって思ってる』

 彼が自分に与えてくれるもの、形あるものも目に見えないものも、そのひとつひとつがクラウドの宝物だった。
 屋上での、自分を抱き締める腕、近づいた鼓動、包まれた温もりを思い出す。
 その前に彼の熱をもっと直接的に感じる行為もしたけれど、屋上で彼から貰った優しさを感じる温かさの方がクラウドは好きだった。
(ザックスのことは好きだけど)

『好きだ、愛してる』

(ザックスの好きと同じかは分からないよ)
 ザックスが自分に求めるものが、自分の求めるものと同じなら何の問題もないのに。
 自分でも自分の気持ちが分からなくて、クラウドはずっと悩んでいた。
 まだ答えは出ていない。





 射撃訓練を終えた後、荷物が置いてあるロッカールームまで続く長い廊下をクラウドは眉間に皺を寄せて歩いていた。
 今日の訓練結果は散々だった。
 もうすぐザックスが帰ってくる。顔を合わせなきゃならない。返事はどうしよう。
 頭の中はそのことばかりがグルグルしていて、まるで身が入らないのだ。
 おまけにここ数日はベッドに入ってもなかなか寝付けず、眠れないから色々なことを考えてしまい、考えるから眠れない、の悪循環。寝不足がたたってか体調もイマイチだった。
 クラウドは溜息をついた。
(……本当にどうしよ……)
 目の前の角を曲がる。そうすればすぐそこにロッカールームの扉が見える、というときだった。
 どん、と角から飛び出してきた何かが勢いよくクラウドの身体に強い力でぶつかった。
 考え事をしながらぼんやり歩いていたクラウドは、避けることも足で踏ん張ることもできずにバランスを崩してよろめいた。
「!」
 たたらを踏んだ靴の底が床を見失う。体が仰向いた。倒れ行くクラウドの視線の先で目を丸くしている男の顔が見えた。どうやらぶつかったのは、その男の体らしかった。
 誰かが何かを叫ぶ声がする。
 あ、尻餅をつくな、とクラウドは咄嗟に思った。ドンくさくてみっともないな、とも。
 しかし尻が地面に叩きつけられて感じるだろう痛みよりも先に、後頭部にがつんという衝撃がある。壁に打ち付けたらしい。
「………っっ」
 打った場所がじんわりと熱くなった気がした。
 間を置かずに体が床に転がる。
 目を開けていられなかった。
 床に打ちつけるようにした身体も壁にぶつけた頭も当然痛むはずなのに、感覚はどこか他人事みたいに遠かった。

 クラウドは意識を手放した。





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