CALL ME 10 -interlude-





 白い雪を見ると、どうしてもザックスは彼のことを思い出した。
 ミッドガルに残してきた彼は、今頃何をしているのだろう。
 足元の雪を爪先で蹴散らし、ザックスの口から溜息がひとつこぼれ落ちた。


 ザックスは今、特別任務を受けてミッドガルから北西、アイシクルエリアにある北の大空洞の近くに発見された地下洞窟に来ていた。
 自然のものであるのか人間の手の入ったものとも分からない洞窟だったため、先に神羅軍の調査隊が調査に向かったのだが、その隊からの通信が途絶えたのだ。そのためソルジャーを含む調査隊が再度結成され、この洞窟に来ることになったのだった。
 洞窟内は思ったよりも広く、人が軽く通れる広さや高さの通路が網目のように何本も岩盤を突き抜けていた。一日や二日で内部を全て調べられる規模ではなかったので、洞窟の外にテントを張り、そこを拠点に数日に分けて調査することに決めた。想像以上に調査が難航して、もうかれこれ調査を始めて一月になろとしている。
 調査五日目に内部で人間が残したと思わしき痕跡を発見し、その翌日洞窟内に潜むウターイ兵にも遭遇したため、、本社から徹底的に調査するようにという命も出ていた。


 空には重い雲が垂れこめ、月も星の光も地上には届かない夜。
 息を吐き出すと白く凍るように現れて消えた。
 テントの幕の隙間から僅かに人工的な灯りが漏れ出ている以外には何一つ辺りには光源がない。けれど足元に積もって固まっている雪がぼんやりと白さを放ち、それほど暗い夜ではなかった。
 装備を全て外し身軽になったザックスは、テントから少し離れたむき出しの大きな岩の上にひとり腰かけて空を見上げていた。この空の続き、ずっと向こうの溢れるほどに明るさで満ちた都市の空の下に彼はいる。そんな風な繋がりを考えて、らしくなく感傷的になっているなとザックスは小さく苦笑した。
 そのとき、テントの中から長身の男がひとり出てきたのに気がついた。
 ザックスが目をやると、男はこちらに気がついて一瞬動きを止める。
 常人より夜目のきくザックスには、暗闇の中でも男の顔がかすかに緊張したのが分かった。しかし彼はすぐに表情を消し、上官であるザックスの元へと近づいてきた。
 男の肩には自動小銃がかかっている。見張り任務の交代のために出てきたのだろうとザックスは察した。
「ごくろーさん。外は寒いぞ、気をつけな」
 ザックスは男に向けてわざと明るい声を出した。

 男の顔にはイヤというほど見覚えがあった。
 ある機会に、本社のデータベースで社員情報を覗いたときに名前、顔写真は目に焼き付けている。
 スティーヴ・ウォン。
 一般兵。コレル出身。十九歳。肉親は既に他界。
 クラウドを何かと気にかけている彼の先輩格の人間だ。一般兵が住む宿舎、同じ建物内のクラウドの部屋の二階上に住んでいる。
 他人においそれと心を開かないクラウドが、彼とは他者と比べ懐いているような、そんな気がしてザックスはその存在が以前から気になっていた。任務のために必要な資料なのだとうそぶいて社内の彼の資料を調べた。心が狭い、セコい、と人に言われようが気になってしまったのだから仕方がない。他ならぬクラウドに関してのことなのだから…好きな相手のことを知りたいと思い、彼に関わる人間のことを知りたいと考え、知る術があるのだとしたらどんなこともしたくなるのは、恋する男の愚かさだろうか。

 スティーヴはザックスの前まで歩いてくると姿勢を正した。
「ソルジャー・ザックス。外は冷えます。中に入られたほうがよろしいのではないですか。お身体に障ります」
「そうだな、さすがに寒いわ」
「私は見張りの交代の時間ですのでこれで失礼いたします」
 スティーヴは硬い声でそれだけを言い、ザックスに一礼すると踵を返した。その無骨で真面目だとしか表現の仕様がない彼の背にザックスは反射的に声をかけていた。
「待てよ。時間、まだ余裕あんだろ。少し俺と話をしていかないか」
 振り向いたスティーヴの顔に若干の驚きが浮かんで見えた。
 ザックス自身も強い衝動や深い考えがあって彼を引き止めたわけではなかったが、いい機会かもしれない、そう思った。



 横に座れよ、とザックスがスティーヴに声をかけたら、ザックスの隣にではなくひとつ離れた別の岩の上に彼は腰を下ろした。時間になったら行きますから、とぶっきらぼうに言った。
 多分スティーヴの方もザックスが話したいことに薄々気づいているのだろう。さしさわりのない天候や世間の噂やニュース、仕事のこと以外に、二人の間に共通する話題はクラウドのことしかない。
 ザックスが口を開くまでスティーヴは押し黙っていた。
「この前はクラウドが世話になったな。礼を言うよ」
 わざとザックスはスティーヴの癇に障るだろう言い方を選んだ。案の定、彼は眉間に微かに皺を刻んだ。
「…別に礼を言われる筋合いはありません」
「言いたいことがあれば言えよ」
「……」
 スティーヴはしばらく難しい顔をしてから呟くように言った。
「…俺はあなたみたいな人間は苦手です」
 遠まわしな言い方ではなく嫌いだとはっきり言えばいいのにと思ったが、ザックスは黙って先を促した。
「…クラウドから、おおよそのことは聞きました。彼を苦しめているのはあなたですよね? これ以上彼を傷つけないでください」
 彼、とは勿論クラウドのことだろう。
「彼をあなたの気まぐれで振り回さないでください」
「気まぐれ?」
 気まぐれ。スティーヴにそう思われる要因が普段の自分の態度にはあるとザックスは自分でも自覚している。だがクラウドに関しての自分をそう言われるのは業腹だった。
「彼はとても苦しんでいる。傍から見ていてもここ最近とても辛そうでした。あなたの心ない行為が彼を――」
「お前に何が分かる」
 スティーブの声を遮る。
 ザックスは努めて感情を殺そうとしたが、おさえきれない苛立ちが声に混じり、わずかに語尾が震えた。膝の上で組んだ指先が白くなるくらいに力が入った。
 はっとして、スティーヴが顔を上げた。
 ザックスは闇に紛れて灰色に沈む前方にひろがる雪の地面を、感情を抑えきれずに目元をゆがめて睨みつけたままだった。
「お前に、俺の、何が分かる」
 ザックスはもう一度、今度は低く唸るような声で言った。短く区切りながらの言葉には、恐ろしいほどの迫力があり、向けられた剥き出しの怒りの感情を受け止めて、スティーヴの背中に一瞬冷たいものが走り抜けた。
 ザックスはゆっくりとスティーヴの方を振り向いた。ひたと据えられた双眸は真っ直ぐにスティーヴの目を射抜いた。
 獲物として狙われた動物はこんな気持ちなんだろうか、とスティーヴは思う。
 強い力を持ったそれに目がそらせない。腹の底がひやりと冷たく凍るようだった。
 彼がソルジャーであるから凄味がある、とかそういう理由ではない。
 本当に、本気で、ザックスが怒っているのだということが伝わってきた。
「お前はクラウドのなんだ。保護者気取りか。俺たち二人の問題だ。余計な口出しはするな」
 気圧されているとしても、ここで怯んで引き下がるわけにも行かないスティーヴは、己を鼓舞するために拳を握り締めて立ち上がった。
 上官に楯突いているという考えは頭の中にはもうなかった。
「後輩を心配して何が悪い!」
「それが余計だと言ってるんだ。クラウドがお前に何を話したのか知らない。俺たちのことをどこまで知っているのか知らないが、少なくとも外野のお前に何か言われる筋合いはねぇんだよ!」
「だったら泣かすなよ! あいつ泣いてた。どうしたらいいのか分からないって。あなたは遊びか何かのつもりだったのかもしれない。けれどあいつは…っ」
「勝手なこと言ってんじゃねえよ、俺は本気だっ!」
 大声で言い争うふたりの声を聞きつけて、テントの中から他の隊員が顔を出してこちらを見ていたが、構わず続けた。
 スティーヴは「本気」の二文字が余程意外だったのか、虚をつかれたような顔で小さな目を丸くした。
 ザックスはそんなスティーヴに詰め寄った。
 荒く踏み出したブーツの爪先が地面の雪を削って小さく宙に散らした。
「本気で悪いか! お前こそクラウドにあんまり近づくな! あいつは俺のなんだから、お前がいくら俺より職場であいつの近くにいたってなぁ…っ」
「え…、え…?」
「だいたいお前、気にいらねぇんだよ! なんでお前んとこにクラウドが俺たちのことを相談しに行くんだ。納得がいかねぇ!」
 子供の言いがかりのようなことをザックスはスティーヴにぶつけた。
「ほ…本気? まさか…」
「まさかってなんだ、クラウドかわいいだろ! 俺が好きになって悪いかチクショウ!」
「ま…待ってください、サー。ちょっと…ちょっと場所…場所変えませんかっ」
 テントの中から興味津々といった態で耳を傾けている同僚も気になったし、さらには見張りの交替の時間も迫っていたので、スティーヴはこの問題発言を連発しだした自分よりも年下の上官の腕を取り、見張り台を設置している巨木の下まで引っ張っていったのだった。



 見張り台はテントを張ったキャンプ周辺とその奥の洞窟の入り口が一望できる見晴らしのいい場所に作られていた。
 積もった雪に触れた冷たい風が、遮るもののないその台の上を吹き抜けていく。
 時間に遅れずに交代要員として見張り台に上ってきたスティーヴの後ろから、隊をまとめる黒髪の我らが上官殿の姿が続いて現れるのを見て、前任の見張りの男は驚いて台の上から落ちそうになったのはつい先程のことだ。
 双眼鏡を片手に任務をこなしているスティーブの足元で、ザックスはどかりと胡坐をかいて腰を下ろし、どこか不機嫌な表情だった。先刻勢いと激情に任せてスティーヴに大人気ない発言をしてしまったことに今更ながらバツが悪い思いをしているらしかった。
 スティーヴは双眼鏡のレンズを覗き込んで下界を見下ろしながら淡々とした口調でザックスに声をかけた。
「…クラウドのこと、本気なんですね」
「……悪いかよ」
「悪くはありません。…意外ですけど」
「自分だってそう思ってるよ。自分で言うのもなんだけど俺女にモテるし。けど仕方ねぇだろ、気がついたらあいつ好きになっちまってたんだから」
「…仕方がない、というのは違うと思いますが…そういうの、年相応に見えます。人間らしいというか」
「んだよ、それ」
 唇を尖らせるザックスにスティーヴは小さく口許だけで笑った。
「…俺が口出しするのはおこがましいのかもしれませんが、ちゃんと彼に言葉にしてあなたの気持ちを伝えればいいだけのことじゃないんですか。それをしないから彼を迷わせ苦しめているような気がする」
「…言ったよ。ここに来る前、お前んとこにクラウドが行ったあの夜に」
「…伝えたんですか?」
「恋人になって欲しいって。返事はこの任務が終わってから貰うことになってる。早く帰りてえよ」
 スティーヴはちらりとザックスを見た。
「…クラウドからいい返事がもらえるって分かっているみたいですね」
 それにザックスは片眉をひそめて大きく息を吐き出した。
「さあなぁ、それは何とも。夢か現か分かんねえ状態で無理矢理あいつ抱いちまった時点で、俺だいぶ減点入ってるし、嫌われたり怖がられたりしたかもしれねえからなぁ」
「…そういう、生々しいことを別に俺に話さなくてもいいです…」
「実際のところ、クラウドはお前に俺たちの何を話したんだよ」
「…友達と、その友達の話です」
「トモダチ?」
「…酒に酔ったせいである友人とその女友達が勘違いをして関係を持ってしまってぎくしゃくしている、とかそういう感じでした。相談されたけれどどう答えたらいいのか分からないと…。少し考えればクラウドにそんな相談を持ちかける友人なんていないだろうし、それより以前に、彼の首元に不似合いなキスの痕を見たことがあったので、それでもしかしたらと思いました。自分のことを話しているのではないかと」
「こう言っちゃ悪いけどあいつと恋愛は対極にあるって言ってもいいくらい縁がなさそうだもんな。…見たのかお前、俺がつけたキスマーク」
「彼が任務中に倒れたときに。今思えば…あのとき、あなたにクラウドが倒れたことを報せるべきではなかったと思いますよ」
「いんや、俺のせいであいつ倒れたんだから、俺は行かなきゃならなかったし、報せてくれたお前には感謝してるよ。ただ俺が…あんなことしでかしちまった後で、クラウドにどう接したらいいのか自分の中でまだ整理できてなくて焦っちまって、肝心の最初の一歩を踏み間違って、失敗しちまった。言わなきゃいけなかったことも言えずにずるずる長いことクラウドのことを悩ませちまって……」
 ザックスは低く重たい空を振り仰いだ。
「あー…ホント最低だ俺。取り繕って、あいつの前でいい顔ばかり見せて、あいつの望むとおりのいい友人を気取って、そうしていればずっと一緒にいられるってそう思ってたんだ。俺の欲にまみれた想いなんて、受け入れてもらえるはずがないと思ってたから、トモダチでいよう、ほんの少しでも彼に邪な想いを気取られないようにって―――でもさ、頭の中は正直で最低だ。あいつを犯す夢、何度も見たことあるよ。その次の日に、素知らぬ顔であいつの隣にいたりするんだ。人のいい笑顔を浮かべて、無害ですって顔でさ」
「…少し喋りすぎではないですか」
「誰かに聞いて欲しいのかな俺。…喋りすぎといえば、お前も今日はよく喋るな。いつもはぽつぽつ必要最低限なことしか言わねえのに」
「…言葉を出し惜しんでいてはいけないときもありますから」
「そうだな。その通りだな。俺はクラウドに伝える言葉が足りなかった。帰ったらたくさん言うよ。愛してる、お前だけだって」
「……」
 風が吹き抜ける。
 頬を叩くそれは冷たく凍えるようだったが、その温度はスティーヴにとって心地よくさえ感じた。すぐ横で繰り広げられている上官の愛の独白に引きずられて多少体温が上がっているのかもしれなかった。
「…ところでウォン」
「…なんですか」
「お前本当にクラウドのこと、何とも思っていないんだろうな?」
「…好きですよ」
 延々と聞きたくもないような他人の恋愛話を聞く羽目になったその意趣返しも含めてスティーヴは言ってやった。
 途端にザックスの顔がさあっと険悪なものに変わる。
 ころころと感情のままに素直に表情を変えるこの上官の年相応の一面を見れたことは、今夜の最大の収穫かもしれないとスティーヴは思った。
 こんな彼といつもクラウドは一緒に過ごしているのだろうか。
 勢いよく立ち上がったザックスは面白いくらい分かりやすい態度でスティーヴに食って掛かってきた。
「おまっ、クラウドはダメだからなっ! ぜったいぜえったい手ぇ出すな! ていうかもう近づくなお前!」
「…そんなことを言われても、同じ職場で働いて同じ場所に住んでいますから…」
「お前は神羅やめろ! んでクラウドは引越しさせる!」
 スティーヴはこらえきれず噴きだした。
「何笑ってんだお前!」
「サー…、いえ、言いたいことは分かりますけど…本当に…」
「笑いすぎだ!」
 上官がいる手前、任務を疎かにすることは出来ないのでスティーヴは双眼鏡を構えてはいたが、見張りの仕事をきちんと実行できていたかは微妙なところだ。笑いで手が震え、集中力が落ち視界がぶれた。
 ひとしきり笑った後でも、ザックスはまだぶうたれた顔でスティーヴを睨んでいた。少しいじめすぎたかな、と思う。
「…すみません、言葉が足りませんでした。クラウド・ストライフのことは好きですが、それはどちらかというと肉親のような、という意味でです。俺には妹がいました。彼はその妹に少し似ているのです」
「妹…」
「…内気で優しい子だった。彼を見ているとふと思い出します。幸せになってもらいたいと…亡くなった妹の分まで幸せに、勝手ですがそう願ってしまうんです」
「……」
 途端に上官のとげとげしかった気配がすうっと薄れた。
 それからは互いに無言のまま少しの時が流れる。
 ザックスが今どんな表情をしているのか、スティーヴは気になったが、視線は双眼鏡の向こう側に据えたままでいた。
 心のつかえが取れたような、そんな清清しい気持ちにスティーヴはなっていた。今夜こうして話が出来て、ザックス・フェアと言う男を少し知ることが出来、良かったと思う。何よりもクラウドに対する彼の気持ちが本物だと感じられたことが嬉しかった。
 しばらくして、隣から「あー」だか「うー」という気の抜けた声が上がった。
 ザックスが狭い見張り台の上で両腕を動かして伸びをした。
「さあてと、俺そろそろ寝かせてもらうわ」
「…お疲れ様です。ゆっくり休まれてください」
「んー。見張り、頼むな」
「了解です」
 ザックスは見張り台から身体を乗り出す。どうやら直接下に飛び降りようとしているらしかった。建物で言えば台は三階位の位置にあるので、彼らソルジャーからすれば大した高さではないのだろう。
 そのまま行ってしまうのかと思いきや、ザックスは黒髪を揺らして再度スティーヴを振り向いた。
「…お前と話、出来てよかったよ」
「……」
 同じ気持ちだったがスティーヴはあえて返事はしなかった。しかし続いて彼の口から出た言葉にがくりと肩が落ちる。
「妹みたいだって言うんなら、ホントにクラウドに手ぇだしたらお前変態だからな、やめろよ」
「…まだその話を引っ張るんですか」
 呆れ気味にそう返すのに、ザックスは人懐こい笑顔を残して台の上から飛び降りたのだった。





「そうだ、メール打っとこ」
 ポケットから携帯電話を取り出す。
 洞窟の探索ももうそろそろ大詰めだ。近いうちに完了するだろう。ミッドガルに戻れる日も近い。
 ザックスは端末を開いて、いつものアドレスに宛ててメールを送った。

『元気か。今何してる?
 もうすぐお前の元に帰れそうだ。
 会いたい。
 早くお前に会いたいよ、クラウド』

 愛してる、の言葉はまだとっておく。
 彼はどんな返事を用意して待ってくれているだろう。
 いい返事をもらえるなんていう自信はない。
 けれど、きっと自分はクラウドがどんな答えを出したとしても、諦められる気が全然しない。

 だって俺はもう知っている。
 どんなにあやふやでも、夢の中だと思っていたんだとしても、あの時、確かに、あいつの熱を知ってしまったから。
 夢を、現実のものにしたい。自分のものにしたいから。

 もう後戻りなんて、出来ないのだ。





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