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CALL ME 07
ザックスはクラウドの手を引いて、LOVERESS通りを抜け、細い路地に入っていった。
真夜中でも灯りがともる賑やかな大通りとは違い、一本道を奥に入れば暗く静かな空間がひっそりと広がっている。
ザックスはその中を歩き、閉店時間をとうに過ぎた雑貨屋と小さな看板の灯りがぽつんとともっている地味な店構えの居酒屋の間の古ぼけたビルの脇に入っていく。狭い建物と建物の間、地面に転がっている何か黒い大きな塊(おそらくはゴミ袋)を避けて進み、その奥の階段を上る。
カンカンカンカン
鉄骨がむき出しの錆びて赤茶けた階段を駆け上る二人の靴音は、周囲の建物に反響してやけに大きくクラウドの耳に届いた。そうしてザックスに引っぱられるままに一体何階分の階段を上ったのか…二人の足がやっと止まったのはビルの屋上、開けた場所に出てからだった。
屋上は給水タンク以外には何もない殺風景な場所だった。上ってきた階段と同様に、屋上の入り口には鍵のかかった扉があって、ザックスはそれをひょいと乗り越えた。
「……いいの?」
立入りを禁止されている場所に無断で入ったらいけないんじゃないだろうかとクラウドは少し躊躇ったが、ザックスはクラウドに手を差し伸べてこちらに来いと促した。
扉はクラウドの胸辺りの高さだ。迷った後に意を決して扉に腕をかけて足で扉をまたいだら、横からザックスの腕がクラウドの腋の下を支え、子供を抱き上げるように身体を持ち上げられてしまった。抱いたクラウドを地面に降ろすと、ザックスはまた彼の手を取って歩き出す。
流石に階段をほとんど駆け足で上ったせいで、クラウドは息が切れていたが、前を行くザックスはそんな様子は微塵も感じられなかった。俺だって身体鍛えてるのに…とクラウドは少し悔しくなったが、そもそもソルジャーとただの一兵卒を比べること自体が間違っているのだとも思い、やはり自分とザックスの間には見た目以上に距離があるのだという事実を突きつけられた気がして寂しくなった。
何でもかんでもクラウドとザックスとでは差がありすぎるのだと思う。
ふと気がつけば、そんな風に考えてしまうくらいのコンプレックスがクラウドの中にずっとあったような気がする。
トモダチって、きっと対等じゃなきゃいけない。
二人はどう考えてもそうではなかった。
職場での上下関係や能力の差という意味だけではなく、クラウドはザックスに甘やかされてばかりで、クラウドのほうからはザックスに何も返せてなかったように思う。
(だって、返せるものなんて俺何も持ってない…から)
きっと二人がトモダチになるのなんて最初から無理があったんだと今ならはっきりとそう言える。
ザックスは、そうとはクラウドに気付かれないように、きっと今まで物凄く色々気を遣って、時には我慢してクラウドと付き合ってきてくれたのだろう。
人の良い彼のことだからクラウドのような人間を放っておけなかったか、あるいはただ単に自分とは対極の位置にいる人間に興味があったか…とにかく彼の努力があったからこそ、今日まで二人は付き合いを続けることが出来たのだ。
(俺にはそんな価値なんてないのに)
分かっていたけれど、クラウドにとってザックスは、心を許してもいいと思えた初めての、唯一のトモダチだったから。
(嬉しかったんだ)
始めは憧憬だった。彼は自分が目指すソルジャーで、そんな彼が自分に声をかけてきてくれて、まさか友達になれるだなんて。
凄く嬉しかった。友達なんて、どうやって付き合ったらいいのか分からなくて戸惑うクラウドに、ザックスは色々なものを見せてくれた。沢山の温かい気持ちを教えてくれた。思い出も。
今思い返せば、本当に夢のような日々で―――本当に夢だったんだろう。
夢はいつか覚める。多分今日で終わる。
屋上を横切り、フェンスの間際までやってくると、思いのほか視界が開けていて、眼下に周囲の建物の屋上や屋根を見て取ることが出来た。数十メートル離れた斜め下方に、ビルや建物の間から賑やかで華やかな灯りが覗いている。LOVERESS通りの灯りだった。目をこらせば、手のひらに乗るくらい小さなサイズの行き交う人々の姿を確認できた。
ザックスから手を解放されたクラウドは、錆びてざらざらになったフェンスに手をかけて何となくその眩しい世界を見下ろした。暗い場所から明るい場所を見て羨んでいるような、そんな気がして、それはまるで自分そのものだと思う。
ここに来て、クラウドの心は凪いだ海のように穏やかだった。自身でもそれが不思議だったが、よかったとクラウドは思う。これからザックスに何を言われても、受け入れられるような気がしたからだ。
クラウドにとってはつらいことでも、ザックスがそうしたいというのなら、それが彼の選んだことならば、それはきっと正しいことだ。そう信じられる。
でも、最後にひとつだけ、クラウドはどうしても彼に言っておきたいと思った。
彼にとっては、もう関係のなくなるクラウドの言う言葉なんて、寄せられる思いなんて鬱陶しいだけかもしれないけれど、それだけは言っておきたかった。
自分がどんなに彼を好きだったか。かけがえのない日々や思い出をくれたことにどれほど感謝しているかを。
吹きさらしの屋上にもうずいぶんと冷たくなった風が吹き抜けていく。
少し寒いな、とクラウドは感じ、そういえばザックスに引っぱられるようにして外へと出てきてしまったので、自分が上着を身につけていないことに今更ながら気がついた。
そんなクラウドの背を、不意に温かいものが包んだ。
フェンスを掴んでいたクラウドの手の甲を上から大きな手が掴み、指を絡められる。
「クラウド」
クラウドの右耳のすぐ横で声がした。驚いて思わずクラウドは身体を揺らしてしまった。
クラウドの背中に張り付いたものはザックスだった。フェンスにはさんで、ザックスは後ろから自分のものより小柄なクラウドの身体を抱え込むようにしているのだった。
「…っ、ざ、ザックス…?」
近すぎる距離に驚いて、クラウドはザックスから離れようとしたが、掴まれた腕に動きを封じられて叶わなかった。振り向けば彼の顔が物凄く近くにあることも分かっているので、それも出来ない。
ザックスの髪の毛が右の耳朶の淵に当たっているのが感触で分かった。
彼の顔があるほうのクラウドの右側が熱くなる。直接触れてもいないのに、彼の熱が頬に伝わってくるような気がして…それは自分が意識しすぎて勝手に熱を上げているだけかもしれないのだが、とにかくクラウドは凄く恥ずかしくなって焦った。
熱くなっているのは頬だけじゃない。ザックスの身体がぴたりとくっついた背中も、掴まれている両手も、そこから火が出るんじゃないだろうかというくらいに熱くて熱くて、痛み出すのではないかというくらいじんじんとした。
「 ……今日は、」
溜息のような重たい息と共に、低く語尾がかすれるような声でザックスは続けた。
「振り払われなかったな」
「……え?」
意味が分からず、クラウドは緊張したまま視線だけを右側に動かしてザックスの気配を全身で探ろうとした。
「前に、医務室で突き飛ばされたから」
ぽつぽつと呟くようにザックスは言う。
あれはあの夜の翌日。体調を崩して倒れたクラウドは医務室に運ばれ、駆けつけたザックスにベッドの上で抱きしめられた。ザックスは謝罪の気持ちをこめてのことだったのだろうが、前夜のショックで気持ちの整理がついていなかったクラウドはパニックになり、そんなつもりはなかったのに彼を突き飛ばしてしまったのだった。
「……ごめん…」
クラウドは俯いて眼下の闇を見つめた。
あの時は、彼の熱や自分の肌に触れる感触、全てが前夜を思い起こさせる要素となってクラウドに襲いかかり、クラウドをたまらない気持ちにさせた。今は…。
「…今は俺が触っても、平気か?」
耳の下辺り、ザックスが言葉を発するたびに彼の息がクラウドの肌を撫でていく。
ザックスの問う『平気』の意味は、多分『触っても構わないか』『気分が悪くないか』を指すのだろう。そういう意味ではクラウドは『平気』だと思う。あの日から時間がたって、自分の中で諸々の感情の収めどころを見つけることが出来たのかもしれない。
だけど別の意味で『平気じゃないかも』とクラウドは感じた。触れた場所から伝わってくる熱にどうしようもな心を揺さぶられる。早くしてしまっている鼓動を彼に知られたくないのに。
「…平気だけど……、平気じゃないかも……」
今の心の状態を正直にクラウドが言葉にすると、ザックスはびくりと微かに身体を震わせ、クラウドから離れていこうとする。離れた手を追いかけて、クラウドはザックスの指先を自ら掴んで止めた。
「クラウド…?」
困惑を滲ませたザックスの声が背後から聞こえた。
「違うザックス、そうじゃなくて…」
何て言葉にしたらいいんだろう。
咄嗟に掴んでしまった彼の指を見つめて、クラウドはどうしたらよいのか分からなくて困ってしまう。離れていこうとする彼を少しでも引き止めたかっただけだったが、自分から手を伸ばしてしまったことを少なからず後悔した。自分からこういうことを求めるのは、果たして彼に許されているのだろうかと考えると少し怖くなる。
「ごめ…」
惑うクラウドの指から力が抜けたのとほぼ同時に、しかし今度は逆にザックスがまたクラウドの指を握り返した。先程よりも強い力でクラウドを引き寄せ、ザックスはクラウドの身体を自分の懐に抱きこむ。驚いたクラウドの足はたたらを踏んでしまい、クラウドは背後のザックスに体重をあずけた。
「なんでお前が謝んの、さっきから」
「だ、だって…」
「謝んのは俺のほうだろ。最低だ。今日まで引っぱって、ちゃんと謝りもせずに」
「…なんで? ザックスが謝ることなんてないよ…?」
「本気で…本気でお前がそう思ってんなら、お人よし過ぎる」
「……あの夜のことを言ってるんなら、あれは俺が悪いんだから…」
「お前が? 悪いって?」
「だって俺、逃げなかったし…」
「逃げ出せなかった、の間違いだろ」
「………」
掴んだ指ごと力任せに後ろから腕を拘束されきつく抱き締められている。
友達というつながりをもうすぐ切ろうとしている二人に、この抱擁がどんな意味を持つのかクラウドには分からなかったが、嫌な気持ちではなかった。二人の間の空気が冷たく冷え切ったまま別れるのではなく、もしかしたら少しでも心象をよくした状態でさよならが出来るかもしれないと思ったからだ。
彼の中に自分という存在がどれほど残るかは分からない。今だってどれくらい彼の中に自分という存在がいるのかは分からないけれど、でもこの先ほんの少し、忘れた頃かも知れないけれど、ちょっとでも彼がクラウドのことを思い出すときがあるとしたら、そのときに彼に嫌な思いをさせるばかりでなければいいと願いたい。
それに、こうやって彼が自分に触れてくれることで、頭から完全に嫌われている訳ではないのかもしれないと感じられて、むしろクラウドは嬉しかった。
だからザックスにずっと聞きたかったことを口にした。もうこうやって彼と話すのも最後だろうから聞いておきたかった。
「…ザックスこそ俺のこと平気なの? 俺の側にいるのが嫌だったり、触ったりするの気持ち悪くない…?」
「気持ち悪い? なんで」
「…だって、俺トモダチだし…男だし、なのに…」
「じゃあクラウドは俺が触るの気持ち悪いか?」
クラウドはぶんぶんと首を横に振った。
「許してくれるんならお前に触りたいよ。いつも、ずっと触りたかった」
「…?」
許すも何も、いつもザックスは過度だと感じるくらいのコミュニケーションを自分に仕掛けてきたではないかとクラウドは思う。肩を抱かれたり、ふざけて飛びつかれたり。おっかなびっくり、慣れないそれにいつもクラウドは振り回されて…それでも思い返せば、彼のトモダチとして過ごした日々、今はいい思い出になろうとしている。
「…ザックスがそうしたいんなら俺は構わないけど…」
「突き飛ばされてお前に拒絶されて、辛かった。自業自得だけど…凄くあれからへこんで」
「ザックスが…へこむの?」
そんな理由でなぜザックスがへこんだりするのか、クラウドには分からない。
しばらくしてからザックスの腕から力が抜けて、クラウドは拘束から解放された。
持ち上げられるようになっていたクラウドの踵が地面にやっと下ろされる。今度こそ本当に離れていく体温をクラウドは名残惜しく思いながら、乾いたコンクリートの上に自分の足で立った。
相変わらず冷たい風が身体に吹き付けているのに、先程感じたように寒さを感じないのは、きっとザックスの熱が自分に移ったからだとクラウドは思った。顔が熱い。熱が冷めるまでザックスに顔を見られたくなかったし、振り向く勇気もなかったので、また目の前のフェンスに手を伸ばし、ごまかす様にクラウドは話題を変えた。
「…ここ、よく来るの?」
ザックスが前に出てクラウドの横に立った。
「一人になりたいときとか、考えたいことがあるときにな」
「…一人…」
いつもザックスの周りには人がいて、楽しそうで、それが当たり前のような気がしていた。
「意外っていう顔してるな」
「えっ…」
顔に出したつもりはなかったが、ザックスに苦笑混じりにそう言われて、クラウドは慌てて否定しようとして振り向いた。その先でとても優しそうに細められた蒼い双眸とぶつかる。近くに光源のない薄闇に覆われた場所で、その眼差しは眠る海のように深く遠く穏やかな光を湛えていた。
「足元に広がる灯りもいいけど、俺は…」
ザックスはクラウドから視線を外すと首を伸ばして振り仰いだ。クラウドも真似て顔を上げる。
「俺はいつもここに来ると空を見上げる。星を探すんだ」
「星…」
ここミッドガルは夜でも明かりが消えることはない。明るく照らされた地上には星の瞬きも届かなくて、空気の澄んだ季節でもぽつぽつとしか空の輝きを見つけることが出来ない。
今もぼやけたような黒い空間が広がるばかりで、クラウドには星らしい存在を確認することはできなかった。
「…どこかに見える…?」
「見えないか?」
ザックスが半歩ほどクラウドに近づいて横から上空に向けて腕を上げ、空の一点を指で指し示してくれたが、その先にクラウドは輝きを見つけることは出来なかった。
でもザックスがそう言うのなら、本当にそこに星はあるのだろう。クラウドが眉間に縦ジワを寄せて一生懸命目をこらす様子を見て、ザックスは笑った。
「ちっちゃな星だからな。今日は雲が出てるから他もあんまり見えねぇ」
「…ソルジャーの目とおんなじものが見えるわけない」
「そうかもしれないけど、ソルジャーだからって何でも見えるわけじゃない。一番大事で、肝心なモンが見えないんじゃあな」
含みを持たせた物言いに、クラウドは空から視線をザックスに戻す。
「肝心なものって?」
ザックスは夜空を見上げたまま、それには答えようとしなかった。
「ザックス?」
彼の目には今、幾つもの星が見えているのだろうか。
「……お前さ」
彼と同じものを自分も見る事が出来たらよかったのに。
もどかしい思いとともに、ザックスの横顔からクラウドは目が離せなかった。
幾分強い風が吹いて、闇に溶けそうな色の彼の髪を乱す。
「俺のこと信じすぎだ。そんなんじゃ俺が付け上がるだけだって」
自分でその存在を確認できなくても、ザックスがそこにあるんだと言えば、クラウドは一片の疑いも抱かずにそう信じる。それは妄信しすぎやしないだろうか。
ザックスはゆっくりと振り向いた。
口許は幾分柔らかい笑みを浮かべているが、目は強すぎるくらい真っ直ぐにクラウドをひたと見つめる。
「知ってるか。お前はいつも俺の勝手にぶーぶー文句言ってるけど、俺だってお前に振り回されてばっかなんだってこと」
クラウドは意味が分からずに大きな瞳を瞬かせた。
自分が彼を振り回すなんてことがあるのだろうか。あるとすれば考えられるのは…。
「…俺、いつもザックスに迷惑かけてたんだ…」
何かをやらかして彼を不快にさせていたのに、自分はそれに気付きもしなかったのか。
「鈍くてごめん…」
「違う、そういう意味じゃない。お前がかわいいからって意味。時々小悪魔に見えんだよ」
「…?」
かわいい? 小悪魔? ますます意味が分からない。
クラウドが首を傾げると、ザックスは「あーもー」とかなんとか唸りながら唇を突き出し、天を軽く仰いで、額に落ちかかった髪の毛を少し乱暴な仕草でかき上げた。
かわいらしく首を傾けて見上げてくる姿が、ザックスの心をぐるんぐるんに振り回しているだなんて、クラウドは微塵も分かってはいないのだ。
「ああもういい、その話は終わり。そういうの分かんねぇのがお前だし、自覚されてても困るし」
「……」
「皮肉じゃねぇって」
「……よく分かんない…」
自分の短所を指摘されたと思っているのだろう、俯いてしまったクラウドの頭に手を置いて、ザックスはわしゃわしゃと金色の髪をかき回した。
クラウドが複雑な顔をして視線を上げると、やけに嬉しそうな顔のザックスと目が合った。
「…なんでそんな顔…?」
「そりゃあ、ここんとこのモヤモヤが少し晴れたからな」
「モヤモヤ…」
「いらねえ嫉妬も杞憂だって分かったし、確かめたし、今日中にお前に会えてホントよかった」
そういえば先刻電話で話したとき、明日からザックスは任務でミッドガルを離れるといっていた。
電話で交わした内容を思い出して、本来彼と話さなければならないことを、まだ全然話していないということにクラウドはやっと気付いた。明日のいつ頃彼が出立する予定なのかは知らないが、こんな場所でいつまでもクラウドなんかとゆっくりしていていい訳がないのだ。
「ザックス、ごめんね。遅くなったけど、俺、もう覚悟は出来てるから、これ以上あんたを困らせるつもりはないよ。話、ちゃんと聞くから」
今ならザックスを困らせることなく終わらせられるような気がする。
クラウドはザックスの目を正面から見つめ返した。
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