CALL ME 05





 その噂がクラウドの耳に届いたのは、クラウドが社の一般食堂でキャベツの上に乗った野菜コロッケをフォークでつついているときだった。
 もう何日も食欲がなく、空腹感も覚えず、食べ物を前にしても憂鬱な思いをするだけだったが、それでも食べないことでこれ以上に体調を崩し、日々の仕事や任務に差し障りがあってもいけないと思い、何か腹に入れなくてはと無理して定食と向き合っていた。
 しかし揚げ物の油の匂いをかぐと、それだけで胃の奥からぐっと何かがこみ上げてきそうな気持ち悪さがある。表面のカリカリした香ばしそうな衣をフォークの先で引っかいては、無理してでもこれを食べようかどうしようかとクラウドが思案していたとき、
「ローラ・ユングのニュース聞いたか?」
「舞台女優の? あのコかわいいよな。俺ファンなんだ。ニュースって何だよ」
 隣のテーブルで向かい合って座っているクラウドと同じ神羅の一般兵の制服に身を包んだ男たちの会話が耳に入ってきた。クラウドは別に聞き耳を立てていたわけではなかったし、ローラ・ユングの名にも興味はひかれなかった。だからすぐに意識から二人を追い出そうとしたのだが、続けて彼らの口から出てきた思いがけない名前に、クラウドはびくりと身体を揺らした。
「ファーストの、ザックスさんいるじゃん」
「ソルジャー・ザックスが何?」
「昼間ニュースで流れてんの見たんだよ。ローラに恋人!?深夜にホテル街で密会!?とかって写真撮られたみたいでさ。その相手がザックスさんぽいって。あんまり写真鮮明じゃなくて角度も悪くてホントかどうなのか分かんねえんだけど、相手が今をときめくソルジャー様かってんですんごい大騒ぎになってるみてぇ」
「すっげえビッグカップル? てかすっげえショックなんですけど! ローラ好きなのに〜」
「や、でもザックスさんて色々他にも噂あんじゃん。女関係が派手だって」
「ローラが遊ばれてたら許さねえ!」

「噂なんて多少の誇張ややっかみが入ってるもんだぞ、クラウド」
 隣の会話を瞬きも忘れるほどに緊張して聞いていたクラウドの頭上から、不意にそんな声が降ってきた。
 振り仰ぐと、顔なじみの同僚スティーヴ・ウォンが、やや不機嫌そうな顔でクラウドを見下ろしていた。
「スティーヴ」
「いいか、前」
「あ…、はい」
 クラウドがテーブルの上のトレイを少し自分の方に引き寄せるのを見ながら、スティーヴはクラウドの前に回り大柄な身体を折り曲げて席に着いた。
 スティーヴはその立派な巨体に似合ういかめしい顔をしたクラウドよりも三つ四つばかり年上の男だが、時々こうやってクラウドに声をかけてくれる。彼は顔に似合わず気が優しくて面倒見のよいところがあるから、頼りない自分を放っておけなくて仕方なく気にかけてくれているのだろう。それを思うとクラウドはいつも申し訳なく、また不甲斐ない自分を悔しくも思っていた。

 クラウドはフォークを置き、代わりにカップを手のひらにおさめた。中にはもうすっかりぬるくなってしまった茶が入っている。その表面に映りこんだ自分のぼんやりした顔をクラウドは見つめた。
(舞台女優…)
 ザックスが女の人に凄くもてるというのは知っている。噂でも何でもなく、本当に知っている。
(舞台女優とソルジャー…か)
 ローラ・ユングという女優がどんな人なのか、クラウドは知らない。けれどきっと二人が並んで立てば、誰が見てもお似合いだと褒めるような組み合わせの二人なんだろうとクラウドは想像した。
(…何もかもが遠い…)
 ソルジャーとか、知り合う機会なんてゼロに等しそうな舞台女優とか、自分から見れば手の届きそうもない華々しくて眩しすぎる世界。日陰から足を踏み出せずにじっと膝を抱えているばかりの自分とは違う、想像もつかない世界だ。
 胸の中にじわじわと気持ち悪いものが広がっていく。
 友達だとザックスが言ってくれて、付き合うようになって、物凄く彼を身近に感じて、でもきっとそれは自分の錯覚だったんだろう。自分と彼とでは余りにも色々なことが違いすぎるのだ。彼は自分が欲しいものを全部持っていて、自分には何もない。

「食べないのか」
 その声に、自分の思考に沈んでいたクラウドは我に返った。
 ちぎったロールパンをコンソメスープにほんの少しひたして口の中に放り込みながら、スティーヴが眉をひそめてじっとこちらを見つめていた。食堂で出されるパンはいつもぱさぱさしていて、そのまま口に入れても喉の通りが悪いのだ。
 クラウドのトレイには、日替わり定食がほとんどカウンターで手渡されたままの状態で残っていた。
「…あ、いいえ、これから食べ…ます」
 もうこれ以上今は食べることができそうな気がしなかったけれど、クラウドは作り笑いを浮かべて答えた。
 スティーヴは食べるのが早いから、さほど時間をかけずに全てを食べ終え、そうしたらクラウドを置いてさっさと食堂を出て行くだろう。それを待ってクラウドが立ち上がっても次の仕事の集合場所に行くのには充分まだ間に合う時間の余裕があった。
 わざわざ食堂まで食べに来たのに、ろくに食べずに帰ろうとすれば、スティーヴは心配してまたあれやこれやとクラウドに聞いてくるだろう。心配されるのが鬱陶しいとまでは言わないが、今は正直いらぬ気を他人に遣いたくはなかった。
 しかしスティーヴは、そんなクラウドに誤魔化されてはくれなかった。
「体調が悪いのか」
「……」
 口先だけでも大丈夫、とすぐに言えなかったのは、数週間前にクラウドが任務中に倒れたとき、彼を医務室まで運んでくれたのが他ならぬスティーヴだったからだ。
「最近ずっと元気ないな。倒れてからずっとか」
「…そうですか? 自分ではもう平気だと思ってるんですけど。あの時は本当に迷惑かけて…」
「迷惑だなんて思ってない。だが、ザックスさんと何かあったのか?」
 ザックスの名前が出てきて、クラウドはビクリと身体を震わせてしまった。自分でもきっと不審な態度を取ってしまっているだろうと思ったが、慌てて何度も首を横に強く振る。
「な、何もありません」
「どうしようか迷ったんだが、俺がザックスさんにお前が倒れたことを知らせた。知らせない方がよかったか」
 スティーヴのこの問いにはクラウドはどう答えていいのか分からなかった。なんでそんなことを聞くんだろう。
 クラウドの本音には少なからず、余計なことをして、という思いは確かにあった。
 まだあのとき、クラウドはザックスに再び会う心構えや準備が全然出来ていなかったので本当は会いたくなかった。だがスティーヴはクラウドとザックスが友人として付き合っていることを知っているので、クラウドがここで後ろ向きな受け答えをすれば、面倒見のよい彼のことだ、そんなクラウドの態度から何かを読み取って「何かあったのか」「どうしたんだ」と切りかえしてきそうな気がする。これ以上ザックスについて、彼につつかれたくはない。
 だが、そうして言いよどむクラウドの様子から、スティーヴは勘よく何かを察したらしい。
「…俺でいいのなら、相談に乗るが」
「そ、相談…?」
 何をどう相談すればいいと言うのだろう。あんなこと…誰にも言えない。言えるわけない。
 うろたえてクラウドが顔を上げると、思っていたよりもずっと真摯で真っ直ぐなスティーヴの視線とぶつかった。
「俺には言えないことか」
「…え…と、だって…」
 誰かに相談したら、何かいい方法が見つかるんだろうか。
 スティーヴはクラウドよりも大人だ。年で言ったらザックスよりも上だ。
 だからもしかしたら、未熟なクラウドひとりではどうあがいても導き出せない答えについても、何かいい解決方法やアドバイスになるようなことをスティーヴなら知っているかもしれない、とふと思う。
 今の今まで、自分が全部を飲み込んで、あんなことは何でもないのだというような顔をしていれば、それで元に戻れるのだと頑なにクラウドは信じていた。でも実際には、あのときの衝撃は自分が思っていた以上にクラウドの中で大きな傷となっていて、忘れることは愚か、何でもないフリを彼の前でするのさえ難しくて、日々の生活にも影響が出ているほどだ。
 それでもザックスと一緒にいたいという想い、だけど実際にザックスを前にすると身体も心も意識せずともがちがちに固まって緊張してしまう。思うようにならない自分自身の心と身体に振り回されて苦しかった。
 相談できたら…、でも何をどうやって、どこまで他人にこんなことを話せるというのだろう。
 少年の潔癖さは、口に出すのさえ羞恥に感じ躊躇わせる。
「キスマーク」
「…え?」
 スティーヴは自分の首元を人差し指でとんとんと指し示した。右耳の下、浮き上がった筋の真上だ。
「この間倒れたとき、のけぞったお前の首筋に赤い痕が見えた」
 赤い痕…き、キスマーク…。自分では全然気付かなかったが、覚えがないわけではなかった。
「……っ」
 クラウドは、もうそんなものがそこに残っているわけなんてないのに、咄嗟に自分の首を手のひらで隠してしまった。そんな態度を取ってしまったら、その後にどんな言い訳や嘘を口にして取り繕って見せたところで、それを信じてもらえそうにないことにも気付く。
 顔を赤くしたり青くしたりして口ごもっているクラウドは、キスの痕跡を肯定したも同然だった。
 スティーヴはそんなクラウドを、いつもの何を考えているのかわからない表情でしばらく観察していたが、不意にクラウドから視線を外し、食堂内をゆっくりと見渡した。それから再びクラウドを見つめ、溜息まじりに目線を落とした。
「すまん。ここでする話ではなかった」
「…あ、あの…違います、あれはその…」
「夜は空いてるか」
「…え?」
「今晩メシを食った後に俺の部屋に来い。続きを話そう」
「続きって…」
 グラスの中のベジタブル・ジュースを一飲みするとそれを空け、スティーヴはトレイに戻した。見ればいつの間にかトレイの上の皿は、乗っていたフライや野菜が綺麗になくなっている。クラウドと会話しているほんの短い間に、スティーヴはそれを平らげてしまったらしい。いくら食べるのが早いと言っても、いったいいつの間に…とクラウドにはそれが手品か何かのように思えてびっくりしてしまった。おそらくまだ五分も経っていないはずだ。
 スティーヴはトレイを手にして椅子から立ち上がった。クラウドの返事を待たずに食器の返却口のカウンターへと歩き出す。
 話しかけるタイミングを逸し、クラウドはただただその広くて厚い背中をぽかんと口を開けて見送ることしか出来なかった。


 スティーヴが去り、また一人の食事に戻ったクラウドは、再び手の中のカップに視線を落とした。
「夜……」
 一方的に取り付けられた約束だ。何か理由をつけて断る考えも頭に浮かんだが、今まで誰かに相談してみるという頭にちらとも浮かばなかった選択肢が、急に目の前に現れてクラウドの心は揺れていた。
 全部を細かく説明して助言を求めよう、などとは流石に思わない。
 遠まわしな言い方だとか、例え話だとか、実は知人の悩みなんだけど…と他人事のように話してみるとか、方法を選べば何とかなるかもしれない。
 スティーヴは男同士のあれこれなんていう話、聞きたくもなんともないかもしれないが、相談に乗ると言い出したのは彼のほうだ。それに…、そうだ、別に男同士って馬鹿正直にそれを説明しなくたっていいのではないだろうか。
 自分の友達が酔って前後不覚になったせいで勘違いして、ただの友達だった子に手を出してしまって、その後ぎくしゃくしちゃって…とかなんとか。性別を言ってないだけで内容は間違っていないから、そんな説明でも大丈夫な気がしてきた。話の流れからいって、普通にスティーヴは男女の話だと受け止めてくれるに違いない。
「話してみようかな…」
 どうせ夕飯を食べたらその後はもう風呂入って翌日の準備をして寝るだけだ。他にやることもない。
 以前は、ミッションや遠征に出かけていなくてミッドガルにザックスがいるとき、暇なときや二人の時間が合うときは、割と頻繁に彼の部屋に遊びに行ったり、彼がクラウドの部屋に来たり、ちょっと外に出て会ったりしていた。それもあのことがあってからは、ぱたりとなくなっている。
 今まで当然のように彼と過ごす時間が存在していたのに、それがなくなっていた。それを寂しく思わないはずはない。
(あの夜が全部全部悪いんだ)
 間違えた彼も、拒まなかった自分も。
 思い出したくないのに、暗い記憶、暗い思いにすぐにクラウドは支配される。
 忘れたいのに、いとも簡単に負のループに囚われ、あの日の後悔に思考が戻っていってしまう。
 早くここから抜け出せたらいいのに。
 時間が経てば、いつかは何でもないことになるのか。
 今はこんなに辛くても、自分を消してしまいたいくらいに恥ずかしくても、悔しくても、いつかは。
 だけどザックスに離れていってほしくない。でもどうしたらいいのか分からない。自分では答えが出せないからザックスに絡まった糸を解いて欲しいのに、彼も未だに明確な答えを返してはくれない。少し身体を引いて俺から距離をとって、でもまだ彼はこちらを見ていてくれているから、最悪な状態ではないのだろうと思うけれど。

 今夜。
 気は重いが少しだけスティーヴと話してみようか。
 相談する相手がいるということのありがたみを教えてくれたのはザックスだったのに、その彼に今回のことを相談できないのは…できないのは当り前だが、皮肉なことだと思った。
 スティーヴの部屋の訪問を今夜の予定に入れ、クラウドはほとんどの料理がまだ皿の上に残っている状態のトレイを両手で持ち上げ、席を立った。





***





 一日の仕事を終え、一般兵の共同宿舎に帰る。
 昼間の任務で全身が汗と砂まみれになったので、シャワールームへと向かい、ざっと湯で洗い流した。短時間で済ませて自室に戻り、適当に清潔そうなシャツを引っ掛けて身なりを整え、髪を乾かすのも程ほどにして壁にかけられた時計に目をやる。
 どうせ食事は喉を通らないだろうと踏んで食堂には寄らなかった。
 しかしシャワーを浴びてすっきりすると微かに空腹感を覚えたので、机のひきだしにしまっていた固形の栄養補助食品に手を伸ばした。狭い部屋の中、机のすぐ脇にあるベッドの淵に腰掛けて、ぺりりと外袋を開け、中身のビスケット生地を一口噛んで飲み込んだところで、もう食べる気がなくなり再び箱の中にそれを押し込む。見慣れた社章が外箱に印刷された神羅製のそれは、味気なく、もそもそしていて、ふと賞味期限に目を移せば、数ヶ月前の日付だった。
 同室で生活している同僚のカイン・バートンはまだ部屋に戻ってきていない。
 部屋にひとり、とても静かな空間に、クラウドは溜息をついて立ち上がった。
 ぼんやりして色々考える時間が出来ると、決意がすぐにでも揺らぎそうな気がするから、今は何も考えずにスティーヴの部屋に向かったほうがいいような気がする。ベッドの上に放り投げてあった携帯電話を拾い上げ、出口へと向かった。

 スティーヴの部屋は同じ建物内の二階上、長い廊下が続くフロアの一番奥の部屋だった。
 クラウドの住む宿舎は、つい最近外壁を塗りなおしたおかげで外観は小奇麗に見える建物だが、内部は所々に古さが目立つ。設置されているエレベーターも時々調子が悪くて停まったり、反応が鈍くなったり不穏な音を立てたりする。その一機しかないエレベーターに乗り込み、目指すフロアに到着したところで、ズボンのポケットの中の携帯電話がブルブルと振動した。画面を開くと、電話の着信を告げる記号とザックスの名前が表示されている。
 エレベーターを降りたところで、クラウドは立ち止まった。どうしようか迷う。
 任務中にマナーモードにしたままで、そのまま放っておいたので電話に出なければ留守電の録音に切り替わると分かっていたが、電話がかかってきたのを知っているのにそれを無視するのは、クラウドの真面目な良心が痛んだ。電話を握り締めた手のひらがじっとりと嫌な汗に湿る。
 少し悩んだ後、クラウドは意を決して電話に出た。
「……もしもし、ザックス…?」
『クラウド、ごめん、今電話やばかった?』
 耳元で、すぐ近くで彼の声が聞こえるのに、緊張する。
 電話の向こう側のザックスに見えるわけがないのに、首を横に振りながらクラウドは答えた。
「ううん。大丈夫だけど…」
 電話で彼と話すのは久しぶりだった。最近は…あの夜からはメールのやり取りだけで、翌日の医務室、それから数日後に本社ビルで偶然顔を合わせた時以来、彼の顔を見てもいないのだと、突然そんな現実に思い当たった。
『あのさ、今夜これから空いてるか』
 それはクラウドにとって思いもかけない言葉だった。
「こ、んや…?」
『ああ。話さなきゃってずっと思ってた。俺…』
 話す…。何を話すのかなんて分かっている。今二人で話さなきゃいけないことは、あのことしかない。
『今どこにいる?』
「今…はまだ仕事中…」
 クラウドは咄嗟に嘘をついてしまった。心臓が嫌な具合に脈打っている。声が震えてかすれてしまったのを、彼は気がついただろうか。
 もしかしたら気が動転しているクラウドの気のせいかもしれないが、ザックスが電話の向こうで重たい息を吐き出す気配がした。不自然な沈黙が流れる。この沈黙の意味するものはなんだろうか。
 どうしていいのか分からずにただただ電話を耳にくっつけて立ち尽くしているクラウドに、ザックスがしばらくして口を開いた。その声は低くてどこか冷たい響きに聞こえて、クラウドの耳に知らない他人のもののように届いた。
『あとどんくらいで仕事終わる?』
「…あの、今日じゃないと駄目かな…? 今日はちょっと…」
『ほんの五分でいい。とにかく会って話したいことがある』
「………」
『クラウド?』
 ザックスに会いたい。でも会いたくない。怖い。何を言われるんだろう。あんなことをしてしまった自分のことをどう思っているんだろう。あの夜のことをどう思っているんだろう。
 ずっとずっとクラウドの中で不安や疑問が自家中毒のようにぐるぐる回って溜まっていって、クラウドを苦しめ続けてきた。
 本当はもしかしたら、彼の口から直接自分を傷つける言葉でも何でも、正直に言ってもらった方がクラウドは今よりも楽になるのかもしれない。こんな中途半端な気持ちで放って置かれるよりもきっと。
 だけど…。
「…ごめん、ザックス。他に約束、あるんだ。だから…」
 嘘は言っていない、と自分に言い聞かせる。
 今ザックスに会うよりも、スティーヴに相談してから会った方がいいような気がするのは、臆病な自分への言い訳だろうか。
『約束……そっか。じゃあ仕方ないな』
 そうザックスが呟くように言った後、しばらくまた二人の間に言葉のない時間が流れた。
 電話の向こうで彼は今どんな顔をしているんだろうと、クラウドは思う。
 彼の喋る声がいつもより低いような気がする。
 本当は…本当はこんな風に自分と喋るのももう嫌な気持ちになっているんじゃないだろうかとクラウドは考える。彼は人がいいから自分をこのまま放っておくこともできずに、気を遣ってくれているのではないか。だったらこんな風に彼を不快にさせるようなことを自分がしてはいけないような気がする…。
 もう充分嫌われてるかもしれないけど、これ以上嫌われたくない。
「あの…あのさ、ザックス、やっぱり…」
 声が震えた。
 嫌われたくない。彼が会いたい、話したいことがあるというのなら彼の思うとおりにしないといけない。自分の都合も気持ちも二の次だ。クラウドは指先が冷たくなるくらいに強く電話を握り締めて、自分の爪先をただ見下ろしていた。
 だけど会ったら、自分は傷つくんだろう。もう以前のように自分に接してくれない彼を前にして傷つく。もしかしたら彼の一言で『トモダチ』のザックスをも失うかもしれない。それでも彼を煩わせることでクラウドが感じる恐怖よりもずっとマシに思えた。
「…だ、いじょうぶ。今からでも会え…」
 そうクラウドが必死に乾いた喉の奥から搾り出すように言った言葉に被せるようにして、ザックスの声がクラウドの耳に届いた。
『俺、明日からミッションで、しばらく遠くへ行ってくる。帰って来たらまた連絡するよ』
「…え…、待ってザックス、俺…」
『必ず、連絡する。じゃあな、おやすみクラウド』
 クラウドの返事を待たずに電話は切れた。





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