CALL ME 04





 やっぱり以前と同じように、なんて無理だった。
 二人の間に出来てしまった距離がとても悲しいし寂しい。





 例えば本社ビルの通路で偶然顔を合わせたとき。
 そういうときは、いつも自分のほうが彼に気がつくのは先だった。
 彼の声とか彼の周囲の賑やかさだとか。彼の気配はいつも、どこにいても、とても分かりやすい。
 だから、俺はそんな彼をじっと見つめ、彼を観察できる。
 彼が俺に気がついて、その顔をほころばせ、たくさんの人の輪から外れてこちらにやってくる。

 元気か? 明日の約束覚えてる? あとで電話するから。

 二人きりのときはもう大丈夫だけれど、人目のあるところではまだ少し彼といることに俺は緊張してしまう。
 だけど彼はいつものように、こちらのことなんてお構いなしに、ひとりで喋りたいだけ喋って、最後に人の髪の毛をくしゃくしゃにかき回して嬉しそうに去っていくのだ。
 俺はその背中を見送りながら、いつも仏頂面で乱れた髪の毛を直している。

 でもね、でも、本当は凄く嬉しいんだ。
 彼にとって自分はちょっとは特別なのかなって、錯覚かもしれない、でもこうやって構ってくれたり友達として付き合ってくれるのが、凄く嬉しかった。
 あのソルジャー・クラス1stのザックス・フェアが俺と、というのも密かに自慢だった。
 だってソルジャーだよ、誰もが憧れる、なりたいって思う凄い人だ。

 初めて彼と喋ったあの日のこと、今でも鮮明に覚えてる。
 田舎出身モン同士…、なんて少し恥ずかしかったし、雪山で遭難なんてツイてないと思ったけれど、あんなことがなければ彼と喋れる機会なんてなかっただろう。一般兵の俺が、ソルジャーと、しかもクラス1stと知り合いになれるなんてあの日まで想像もしていなかった。
 彼は人見知りのしない…人懐っこい、とでも言うのだろうか。
 とにかく会った最初の日から、人の懐に勝手に飛び込んで振り回すような人だった。悪く言えば無遠慮だった。
 彼のペースでがんがん引っぱられるので、俺は最初、戸惑うばかりだったと思う。でも不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
 その後も何回か偶然任務が重なり、少しずつ俺も緊張を解き心を開き始めた頃、彼と携帯電話の番号とアドレスを交換した。話の流れの延長線上の社交辞令のようなものだと思っていたし、自分からは絶対電話もメールもする用事なんてありそうもなかったから、その番号は自分の電話の中のお守りか宝物のようにそっとしまいこんで眠らせておいたのだけど、何日かしたあと、彼からメールが届いて、その文面に俺は物凄くびっくりした。
『なぁ、元気なのか? いつまでたってもメールも電話もくれないから心配だ』
 何を心配されているのかが分からないし、彼が本気で自分からの連絡を待っていたとも思えなかったので、正直首を傾げたが、とりあえず『元気』とだけ返信したら、
『初めてのクラウドからのメールだな』
 と訳の分からない喜び方をされた。
 何回か他愛のないメールのやり取りをしていたら、最後に『これからは最低一日一通のメールがノルマな。仕事のことでもその日食べた晩飯のメニューでも何でもいいからとにかく何か一回は定期連絡』と勝手に決められてしまった。
 交友関係の広そうな彼のことだから、他に何人も同じように付き合っている友人がいるんだろうと思う。いくら俺でもそれぐらいは分かるから、そのメールの約束が俺だけに向けられた彼の特別な何かなんだとは流石に思っていない。
 だけど特別じゃなくても、彼の数いる友人の中の一人にもしかしたら自分がなれているのかもしれない、そう思うことはとても嬉しかった。
 彼が俺のメールを読んでくれているとき、俺へのメールを打ってくれているときだけは、俺のことだけを考えてくれている、俺だけのために彼は時間を使ってくれているんだ、そう思うと幸せな気持ちになれたんだ。

 …だけど、そういうやり取りにいい気持ちになって、少し図々しくなっていたのかもしれない。度を過ぎて馴れ合いすぎたのかもしれない。
 自分の立ち位置を見誤って、ハメを外しすぎた。


 友人として付き合い始めて数ヶ月、この頃は一緒に休日を過ごしたり、少しでも時間が空いたら、会って食事を一緒にとったり、トレーニングに付き合ってもらうこともあった。
 剣の手合わせをしてもらった時には感動した。筋がいいって褒めてもらえたことは嬉しかった。
 ドライブにも行ったし、二人で見た海は綺麗だった。砂浜に座り込んで子供のようにはしゃぎながら作った砂山の思い出は記憶に新しい。途中で、遠くからでも目立つでっかい山つくるぞと彼が言い出して、上にどんどん足されていった砂のせいで、頂上が不恰好で頼りないひょろっとした砂山が出来上がった。
 俺が誰かとこんな風に付き合うのはとても珍しいことだ。いや、初めてだと言ってもいい。
 人付き合いが得意ではない俺は、いつも人と距離を作りたがる。
 他人に内部まで踏み込まれて余計なことをつつかれたくない、気を遣いたくない、面倒ごとはごめんだ…そう思っているからだ。でも本音は自分が傷つきたくないだけなのかもしれない。
 不確かな人の心に勝手に期待して、心を預けた相手に、裏切られるのは怖い。
 そんな俺が、今までの自分の何もかもを忘れたみたいに、彼に心を開いていった。
 文句なしに彼とは気が合ったし、一緒にいると楽しくて、彼も楽しそうだったからいいんだと思った。


 でも…でもあの夜は―――
 久しぶりに会った俺たちは、馴染みの料理屋で夕食を一緒を共にした。
 彼がオーダーしたその飲み物の名前を俺は知らなくて、じゃあちょっと飲んでみる?と彼に言われて少しだけ飲んでみた。独特の香り、胃に流し込むと途端にかっと体内に火がともったように熱くなった。顔をしかめた俺を彼は悪戯っ子のような、どこか楽しそうな目で見つめていた。
「未成年に酒飲ませちまった」
 自分もまだ充分未成年なくせに、舌を出しておかしそうに笑う。そして赤く染まった俺の頬を指でつついた。
「内緒な」
 言われなくても、誰にも言わない。
 俺はほんの少ししか酒を飲まなかったけれど、アルコールに耐性がないせいか、それからはふわふわと少し気分が高揚して気分がいつもより良かった。
 彼はまるでソフトドリンクを飲むかのように、何でもない顔をして酒を何杯も飲んでいた。顔色もほとんど変わらなかったしアルコールに強いんだなと俺は感心した。少し気になることがあるとすれば、いつもよりほんの少し口数が少ないかな、という程度のことだった。
 だから、自分が誰といるかが分からなくなるほどに彼が酔っているなんて想像も出来なかった。





“内緒な”

 誰にも言えない。
 その夜にあったことは誰にも。

 そして知った。
 自分がどんなに彼という存在に依存していたのか。
 失いたくなかった。
 なんとしても、なんとしてもだ。
 何事もなかったように振る舞えば、今まで通りでいられるんじゃないかと思った。
 だけどあの夜の自分の判断はきっと間違っていた。
 今なら分かる。
 なんて馬鹿なことをしてしまったんだろう。
 今更、今更どうしようもないけれど、できるならあの夜に戻ってもう一度やり直したかった。
 動けなかった自分を叱りたい。愚かな自分を、無知だった自分を。

 まだ今でも一日一メールの約束は続いている。
 俺は何でもなかったかのように、忘れたふりをして彼にメールを送る。
『今日はおかしなことがあったんだ。現場待機中に隊長が…』
『お疲れさま。そっちはどう?こっちは暑い日が続いて…』
『母さんの誕生日がもうすぐなんだ。何か送りたいんだけどプレゼント何がいいと思う?去年は…』
 彼から届くメールも以前と余り変わらない。
『そっちは暑かったのか。こっちも凄く…』
『プレゼント選びは難しいよな。でもきっと心をこめて選んだもんなら何だって…』
 表面上は以前と同じ。会えない日に交わす他愛のない文章のやり取り。
 でも互いにきっと気付いている。
“今度いつ会える?”
 いつまでたっても出てこない、次の約束の言葉に。





 この間、通常勤務時間終了間際の夕方に、本社ビルのエントランスで彼に偶然会った。
 その日は、彼のほうが先に俺に気付いていたようだった。
 誰かの視線を感じて振り向いたそこに彼がいたからだ。
 二人の距離は互いの表情を見て取れる程度の、近くもなく遠くもない距離。
 彼の視線がじっと自分に注がれている。
 いつもの快活さは鳴りをひそめ、何かを探るような視線だった。
 俺が彼に気がついても、彼はこちらに寄ってこようとしない。表情も変えずにただ難しい顔をしてこちらを見ているだけ。
 彼はそのときひとりだったし、自分もひとりだった。声をかけることを誰に遠慮する必要もない状況だった。
 彼のそんな様子は初めてで、俺は緊張した。
 落ち着かず、すぐさまこの場所から逃げ出したい気分になった。でもこのまま無視して立ち去る不自然さを考え、どうすればいいのかと迷う。
 立ち尽くす俺に対して、彼は変わらずこちらを凝視していた。
 俺は向けられる視線に耐え切れずに、しばらくして自分から目をそらした。知らず握り締めていた拳は指が白くなるほどに力が入っていた。

 その目は、嫌だった。なぜだろう、あの夜の彼を思い起こさせる。

 俺は大きくひとつ息を吸い込み、震える心を宥めてから彼の方へ歩きだした。引きつる頬に気付かれないように笑顔を浮かべる。彼にこれからも友人でいてもらうためには無視するわけにはいかないと思った。
「久しぶり、ザックス」
 俺が近づいていくと、彼も表情をがらりと変えた。
「よう、クラウド。元気だったか」
 いつもの笑顔、いつもの彼のように見える。
「こっちに帰ってきてたんだ?」
「ああ、でも今さっきな。セフィロスのおっさんがこき使うから、俺もうくたくた。勘弁して欲しいよ」
「おっさんなんて失礼だよ、もう」
「お前はセフィロス信奉者だかんな。一緒にあいつと働いてみ? 夢や憧れなんて淡い気持ちは、たちまちどっかに消えていっちまうって」
「現実と理想は何とかってヤツなのかな」
 大丈夫、以前と変わらない関係でいられる。
 今だってほら、前みたいに軽口叩いて笑いあって―――。
「……お前さ…」
 不意に彼の笑い顔に翳りがさした。声のトーンが低くなる。
 俺はビクリと体を揺らした。嫌な予感がした。
「…その、もう大丈夫なのか…」
 言いにくそうに訊いてくる。
「…何が?」
 彼が何を言いたいのか分かっていたけれど、あえてそう聞き返した。
「……身体…、あれからもう随分経つけど……」
 彼の顔から笑顔が消える。視線をそらし、俯きがちになって口ごもる。俺はそんな彼の様子を見つめながら、胃の辺りの気持ち悪さを我慢して、必死に冷静になろうとした。
「…何のこと?」
 とぼけていたら、この会話を流してくれないだろうかと少し期待する。
 彼が視線をさまよわせ、何かを言い渋った。彼らしくない態度を取らせている原因が自分なのだと思うと悲しい。居たたまれない気持ちになった。
「…と、ごめんザックス。俺もう行かなくちゃ」
 先を急ぐふりをした。
「あ、ああ、うん」
 彼が幾分ほっとしたような顔になる。
「それじゃあまた」
「うん、またね」
 片手を上げて笑って別れる。
 いつものように、彼の腕が髪の毛をかき回すために俺に伸ばされることは、なかった。





 どんなに忘れたふりをしても、あんなことは何でもない気にしないでと言ったところで、もう以前のようには戻れないのだろうか。
 変わってしまった関係。
 どんなにあの夜のことを後悔したって時間は戻らない。なかったことにはならない。

 でも彼は俺の友達でいようとしてくれている。
 だけどどこか無理をしている。
 互いに気まずさを感じ、ぎごちなくなっている。

 俺は…俺はどうしたいんだろう。
 できるなら以前のように戻りたい。
 それが無理なら、せめて知人の一人として。
 擦れ違ったら挨拶を交わす程度に、時々忘れた頃に食事を一緒にするぐらいでもいい。名前と顔を覚えていてくれるなら、それだけで。
 多くは望まない、行き過ぎた期待も希望も持たない、ただただ―――嫌わないで欲しい。
 なんで…なんで自分はこんなに彼に固執するんだろうと思う。
 彼にあんなことされても、嫌いになれない。
 身体の奥を好き勝手されたときの訳の分からない強烈な感覚も、与えられた熱も痛みも何もかもにただただ戸惑うばかりで…だけど全部が全部思い出したくもないようなことじゃなかったからだろうか。
 あの朝、彼に抱かれて眠りから目覚めたあの瞬間は、懐かしささえ感じる心地よさに確かに包まれていたのだから…。



「嫌いになれるわけないじゃないか」

 だって好きなんだ。

「あんなことがあったら、やっぱり俺といるの、あんたは気まずかったりするんだろうな」

 今後俺と付き合って、変な気を遣ったり面倒臭い思いをするよりも。

「もう『トモダチ』は終わりかもしれない」

 たくさんいる友達の中で、その中から俺一人を切り離して捨てても、きっと彼には大したことじゃない。

「俺にとっては、あんたは心を開ける唯一の人だけど」

 いつの間にか俺の中であんたは、そんな特別な人になってたんだ。

 おかしいね、いつからだろう。いつからこんな―――――





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