CALL ME 03





「お前、大丈夫か」
「…?」
「顔色真っ青だぞ」
 確かに気分が悪かった。
 全身を包む倦怠感、身体に力が全然入らない。本当は立っているのも辛かった。腹の調子もずっと悪い。
 食欲もなくて朝から水しか飲んでいなかった。
「ああ…、ちょっと気分悪いだけだ。平気…」
「全然平気って感じじゃないぞ」
 同僚が心配して顔を覗き込んでくる。
 クラウドは余り自分を見られたくなくて俯いた。
 床に移した視界がぶれて見える。熱が出ているのかもしれない…。
「おい…、おいお前っ!?」
 同僚の叫ぶ声が聞こえたが、意識が遠のいてもう答えることが出来なかった。



***



「……静かに…さい」
「………から、大丈夫な……か!?」
「…んしなさ……ですよ。君が……?」
「俺が……たから、すみませ…」
「…いことを私が……つもりはないですが、…さ…い。あれでは……す」
「…はい」
「…を持った……で、…なさい。彼が……すよ」
「分かってます…はい……お…になりました」


「…………」
 近くで誰かの話す声が聞こえる。
 クラウドはまだぼんやりとした頭で瞼を持ち上げた。
 つんとしたにおいが鼻を掠めた。消毒液のにおいだ。
 自分が寝ているのは医務室だろうと推測した。
 そうだ、確か自分は任務中に倒れて…。
「クラウド」
 ベッドの周囲にかけられている白いカーテンが不意に揺らめいた。
 その向こうから、横向きに寝ている自分の視界に、見慣れた黒い服が飛び込んできた。
 顔を確認するまでもなく、それが誰なのかをクラウドは瞬時に理解して身体を硬くする。
 刀身の幅が広い独特な形の大剣を背中に背負ったソルジャー・クラス1st、ザックスがベッドの脇に膝をついて心配そうな表情でクラウドの顔を覗いた。
「気がついたのか、クラウド。大丈夫か」
 言葉をつむぐ彼の唇に目が釘付けになる。
 そして蒼い煌めき。真っ直ぐに自分に向けられる…。

 まだ―――あれはまだ、昨夜のこと、だ。

 何ひとつ、彼に会うための心の準備がまだ出来ていなかったクラウドは、ザックスを前にして、心臓がひやりと冷たくなった。
 彼から少しでも離れたくて、手を伸ばせば容易く互いに届いてしまうこの距離は余りにも近すぎるような気がして、クラウドは身体を起こして逃げようとした。しかし腰に痛みが走り、小さく呻いてうずくまってしまう。
「おい、無理して動くなって。お前倒れたんだぞ。まだゆっくり寝て…」
 身体を支えようと伸ばされたザックスの手がクラウドの身体に触れる寸前に、クラウドはビクリと身体を震わせてベッドの端まで慌てて逃げた。そして上掛け布団をたくし込み、自分を隠すようにベッドの上に座り込んだ自分の前で抱き締めた。
「な、なんで…っ」
 腰を浮かしかけたザックスとの間に微妙な距離が出来る。
「なんであんたがここにいる…!?」
「お前が倒れたって聞いたから…」
「だ、だからって…、に、任務は…?」
「トレーニング中だったから飛んで来れた。お前の同僚のスティーヴが倒れて医務室に運ばれたって、メールで教えてくれたんだ。俺、いても立ってもいられなくなって…」
「何で…」
「だって倒れたの、俺のせいだろ」
「………っ!」
 昨夜のことを言われているのだと分かって、クラウドは顔を青くした。羞恥よりも恐怖の方が大きかった。
「……昨夜のこと…お、覚えてるの…?」
「…っていうか…、その俺……」
 ザックスが、らしくなくクラウドから視線をそらして気まずそうにしている。
 たとえはっきりと覚えていなかったとしても、残された状況が全てを物語っていただろう。
 汚れたシーツにクラウドの不審な態度。何があったのかなんて簡単に想像できる…。
 クラウドの心臓が震えた。

「しばらく寝ていなさい」
 カーテンの向こうから、細いフレームの眼鏡を指先で押し上げながら白衣姿の男が顔を出した。以前にもクラウドが世話になったことがある四十代ぐらいの医師だった。
「こっちの男には今さっき言ったんだが、無茶なことはするんじゃないぞ。プライベートにまで口を出す気はないが、せめてこういうことは、しっかり知識を持ってから無理のないように……」
 横で医師の話を聞いていたザックスが慌てて途中で遮った。
「せ、先生、ちょっと! い、いいから、そういうのは俺がちゃんと言うし分かってるから! これからは…っ」
「大切なことだぞ。今言わないでいつ言うんだ。君たちがちゃんと理解出来ていないようだから私は…」
「空気読んでよ先生! そういう生々しいのは今ちょっと…、な、先生はあっち行ってて」
 ザックスは医師の体をぐいぐいとベッドの側から押し出している。
 医師はこれだけは言っておきたいと思ったのか、クラウドが視界から完全に消える間際、首だけ回して早口に言った。
「クラウド・ストライフ、一応治療報告をさせてもらうが、内部が傷ついて腫れていたので洗浄して薬を塗らせてもらった。君は女の子じゃないんだから、事後そのままにしておくなんて無茶…」
「だーーっ、もういいから先生! あっち行ってて! ちょっと外してて!」
「ザックス・フェア。注意しておくが二人きりになったからといって、ここでよからぬ…」
「しねえってのっ!!」


 ザックスが医師を追い出すような形で、部屋の中は、二人だけになったようだった。
 ザックスはベッドの脇に立ち、クラウドはベッドの端で体を小さくしていて、二人の距離は先程と変わらない。
 だがその間に横たわる空気は確実に数分前よりも重たかった。
「………」
「………」
 クラウドは顔まで上掛けを引っぱり上げ、その向こうで涙をこらえていた。
 医師に身体を見られたことも、穴があったら入りたいくらいにかなり恥ずかしかったが、その医師の言葉をザックスにしっかり聞かれてしまっていることが、更にクラウドを居たたまれない気持ちにさせていた。
「…その…だな、クラウド…」
「………」
「…昨夜のことだけど」
「………」
「…俺…夢と間違えたみたいで……」
「………」
 夢と、間違えた。
(……間違えたんだ、やっぱり)
 分かっていたけれど、彼の口から実際に言葉になって耳に届いた現実は、クラウドの心に重く圧し掛かった。
「…悪かった、クラウド」
 今更そんな風に謝られたってと思う。胸が苦しくて息が出来ない。
 誰かと間違えられたんだという事実を突きつけられたことに、今更自分が傷ついているとでも言うのだろうか。
「あ…謝らないでよ。俺も悪かったんだから……」

 何が悪かったんだろうとずっとクラウドは考えている。
 酒を飲んだことか。
 あの夜、彼の部屋に転がり込んだことか。
 部屋の明かりをつけなかったから?
 誰かに間違えられるようなことを自分は何かしたんだろうか。
 逃げれば良かった…なんとしてもやめさせるべきだった。
 だけどどんなに考えたって、後悔したって、もう何もかもが遅いのだ。

「…今朝も言ったけど、俺のことは気にしないで。大丈夫だからザックスはトレーニングに戻って…」
「全然大丈夫じゃないだろ。倒れたんだぞ」
 ぎし、とベッドがきしんだ。
 顔を隠していた上掛けをザックスに取り上げられる。
 二人の視線が一瞬絡み合う。
 ザックスの蒼い双眸が、冬の湖面のような薄青いクラウドの目を真正面から見据える。
 直後、何が引金になったのか…目を大きく見開いたクラウドが喉の奥で空気が漏れるような悲鳴を上げて、その場から逃げ出そうと物凄い力で暴れだした。
「―――っ!」
「クラウドっ?」
「いや、や、やっ…っ」
 闇雲に腕を動かし、クラウドはザックスから何とか逃れようともがいた。
 目尻にたまっていた涙が雫になって宙を飛ぶ。
 しかしすぐにその暴れる両腕は、黒い皮グローブをはめたザックスの手によって動きを封じられてしまった。
 目の前のザックスの顔を再び見て、クラウドの喉がひくりと変な具合に脈打った。
 その顔は何か怖いものを見るように歪んでいて青白かった。
「…、お前……」
 ザックスはその様子に息を呑んだ。
「はな…はなし、て……、いや…っ」
 掴んだ腕から、クラウドの身体の震えがザックスにも伝わった。
 青白い頬の上を、次から次へとぼろぼろ涙が落ちていく。
「…お、ねが…いだから…っ」
「……っ、クラウド!!」
 手を引っぱられ、クラウドの身体が前にのめる。
 そして。

「…っ!?」

 次の瞬間には、ザックスの広い胸の中にクラウドはしかと抱き締められていた。
「クラウド…、クラウド、ごめん」
 つぶれそうなほどに強い力で束縛される。
 クラウドの耳元に呻くような声が聞こえた。
「俺のせいで、ごめん。頼むから落ち着いて俺の話を聞いてくれ」
 密着した身体から伝わってくる彼の体温。彼の、熱。
 クラウドの鼻先にある彼の肩から微かに汗のにおいがする。汗に濡れた昨夜の記憶の断片が脳裏を過ぎる。

 熱、汗、自分に向けられた受け止めきれないほどの激情、心までえぐられた狂気にも似た―――

 クラウドの背中がぞくりと波打った。
 思い出したくないのに。意味のないことなのに。
 昨夜の記憶に、呑まれる。


「…あ、あ、あああーーーっっ!!!!」
 大きな悲鳴が部屋の中に響き渡った。
 どこにそんな力があるのかと疑うくらいの力でクラウドはザックスの身体を両手で押し退けると、その場で自分の体を掻き抱くようにしてうずくまった。
 勢いに驚いて、後ろに尻餅をついたザックスは呆然とクラウドを見つめた。
「ク、クラウド…」
「さわ…、触らないで…っ、いや、いやいやいや…っ!!」
「聞いてくれクラウド! 俺は…」
「聞きたくない! 出て行って、出てって!! 側に来るな!」
「クラウド……」
 高揚した感情をどうやっても抑えることができなくて、クラウドは泣いた。
 こんなみっともない姿を彼の前で晒したくなんかないのに、思うように自分をコントロールできない。
 何度か突っ伏したまま出て行けとクラウドがそればかりを繰り返していると、しばらくしてザックスが溜息をつき、ベッドから降りようとしているような気配がした。
 自分から離れろと言っておきながら、いざそうなるとクラウドの心に今度は不安が渦巻いた。
 ザックスが自分の側から離れていこうとしている…、このまま、このまま離れていってしまったら…。
「ま、待ってザックス!」
 ベッドを降りて踵を返そうとしていたザックスの腕にクラウドは必死にしがみついていた。
「ごめん、ごめんザックス! ねえ、大丈夫だよね? 友達で…、これからも俺と友達でいてくれるよね…?」
 振り向いたザックスが目をすがめてクラウドを見下ろした。
 彼は何かを言いたそうにしていたが、クラウドの切羽詰った形相と掴まれた腕を見つめた後に、ぽつりと呟いた。
「……ああ、勿論」
 その表情も声も、硬く、強張っていた。





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