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CALL ME 18
ぶくぶくぶく…。
夕食後、バスタブいっぱいにためた湯につかり、鼻の下までもぐりながら、クラウドはさっきから子供のように口で気泡を作っていた。
ぶくぶくぶく…。
唇を尖らせて、泡の行方を目で追っているその頬が桃色に染まっているのは、何も湯に温められて上気しているせいばかりではなかった。
(…なんか…なんかやっぱり今までと勝手が違うんだな…当たり前か…)
友達から恋人に。
その変化が、ふとした瞬間に二人の間に流れる空気に如実に現れた。
気がつけば知らぬ間に今までとは違う甘やかな雰囲気が漂っていたりする。見つめあうだけでも気恥ずかしくて、どうしたらいいのか分からなくなってクラウドは落ち着かない気分になった。
いつかは慣れるんだろうか。この背中がこそばゆくなるような感覚に。
尖らせた唇だって、今日はもう何回彼と触れ合っただろう。彼としたキスを思い出すと恥ずかしくて頭の芯がじんと痺れるようだ。
一緒にいるだけでもどきどきするのに、触れ合えばもっともっと心拍数は跳ね上がる。
これ以上のことをしたら、息も出来ないくらいになってしまうんじゃないだろうか。それとも…。
不意に不安と緊張感がクラウドに忍び寄る。
彼と気持ちが通じ合ったということは…つまりそういうことがこの先待っている、ということだ。
全ての始まりだった、ふたりの関係を変化させるきっかけになったといってもいいあの夜の、忘れられない行為。
ザックスのことは好きだ。キスだってもう何回もしたし、そうやって触れ合うことも全然嫌じゃなかった。
けれど―――。
(……っ)
クラウドは何かを振り払うようにぎゅっと目を瞑って鼻まで湯の中にもぐったのだった。
*
両手いっぱいに食材を抱えて買い物から帰ってきたザックスは、間を置かずにシャツの腕をめくりあげてキッチンに立った。
クラウドはソファに座ってていいと言われたけれど、特に何もすることがない上にひとりで座っていても落ち着かないので、何か彼の手伝いができればいいなと考えてザックスの脇に近づいていった。
シンクの前に立つ彼の手元を横から覗く。
ザックスは水洗いした野菜の葉をぺりぺりと芯から手でもいでいるところだった。それぐらいなら、いくら料理経験がほとんど無いクラウドにだって出来そうだ。
「それ、俺にやらせて」
そう言うと、ザックスは眉毛を下げて、なぜだか少し困ったような素振りを見せた。
クラウドが手を伸ばすと、すっきりしない笑顔でためらいがちにその手に野菜を乗せる。
「俺も少しくらい手伝いたい。…俺には何も出来ないって思ってる?」
クラウドが手伝うのをザックスが迷惑に思ったんだと感じたクラウドは頬を膨らませた。これしきのことが出来ないと思われているのははっきり言って面白くない。
するとザックスは慌てて首を横に振った。
「そんなこと思ってないって! じゃ、じゃあそれ頼むな!」
そう言うと、まるでクラウドから一刻も早く離れたいとでもいうような素早さで彼はコンロの前に移動してしまった。
こちらには目も向けないで、火にかけている鍋の中の様子をじっと見ている彼の横顔をクラウドは呆気にとられて見つめる。しばらくそうしていたら、ザックスの頬が微かに赤く染まっていることに気がついた。その理由がクラウドには分からなかったが、彼が照れているのは分かったから、それを意識した途端にクラウドも落ち着かない気分になった。
シンクとコンロの前に立つ二人の間には、人ひとり入れるだけの距離が空いていたが、直接触れ合っていなくても相手の熱が伝わってくるような、そんな不思議な感覚がした。
今までは何とも無かったことが、その距離が、互いの気持ちが同じ方向に向かって重なった途端に全く別の意味を持つものに変化したりするのだとクラウドは初めて知った。
そわそわと落ち着かない気持ちに包まれながら、クラウドは自ら進んで引き受けた手の中の野菜の攻略にとりかかっていた。こんな単純な作業も出来ないのかなんてザックスに呆れられたくはない。一心不乱に芯から葉をむしりとっていたら、気づけばかなりの量の葉っぱの山が目の前に出来ていた。手の中の野菜ももうほとんど芯だけになってしまっている。こんなにたくさんの量はいらなかったかな…とちょっと気まずい思いで顔を上げると、ザックスの蒼い目とクラウドの目がばちりとあった。
ザックスは軽く目を見開き、慌てたように笑顔をこちらに返す。
いつからだか分からないが、どうやら彼は野菜に向き合うクラウドを見ていたらしかった。
「あ…、終わったか? ありがとな」
「う、うん。こんなにいらなかった…?」
「ダイジョブダイジョブ、ふわふわしてっから量あるように見えるけど、実際はそんなでもないから」
「それならいいんだけど…、え?」
その時、クラウドの鼻にあやしげなにおいが届いた。
なんだか焦げ臭いような…。
視線を転じれば、ザックスの前の鍋から黒い煙がもくもくと出ている。
「ざ、ザックス! 焦げてる…っ!!」
「え…、おわっ、やべっ!!」
ザックスは急いで鍋をコンロから下ろしたが当然手遅れで、下ごしらえのために炒めていた鍋の中の野菜たちはこんがり狐色を通り越した見るも無惨な色に変わってしまっていた。
「……」
「……」
隣まで寄っていって爪先で伸び上がりながらザックスの手元を覗き込んだクラウドは、その位置のままで傍らのザックスの顔を見上げた。
「…珍しいね。ザックスが失敗するなんて」
「ははは…やっちまったな」
ザックスは苦笑いをしながら、首の後ろを指でかいた。
そしてクラウドから視線を外すと息をひとつついてからぽつりと呟く。
「…見とれてた」
「え?」
「お前のこと見てたら、なんかその…、幸せだなあって思ってさ」
突然何を言い出すんだろう。
「こんな時間夢みたいだって思ったらお前から目が離せなくなっちまって…料理のことちょっと忘れてた」
クラウドはきょとんとして目を瞬いた。
「…夢みたいって…一緒にキッチンにいるだけだけど…」
日常にありふれた光景だ。
夢のようだと思われるような特別なことはしていないとクラウドは思うのだが。
「うまく言えねえけどさ…、いや、実際もうさっきからずっと夢見てるようだと思ってんだけど…。だってずっと無理だと思ってたもんが手に入って、なんか信じられないくらい嬉しくて、それからホントにお前がこうして隣にいてさ…」
ぽつぽつと語るザックスの真っ直ぐな言葉が、クラウドの鼓動を速めた。
「…ザックス…」
「…俺の隣でさ、お前がかわいい顔してひたすら野菜むしってて」
ザックスは笑いながら身を屈めてクラウドの頬に触れるだけのキスをした。触れられた頬が瞬時に熱を持ち、クラウドの心臓は大きく跳ねた。
「…っ」
「こういうのって恋人っぽいなあ、俺たちもうホントに恋人同士なんだなあって思ったら、胸がいっぱいになっちまって。マジで俺幸せすぎる…」
ザックスは何の前触れもなくキスをする。
こういうことに免疫がないクラウドには心臓に優しくないということをちゃんと訴えるべきだろうか。
「お、大袈裟だよ。別に恋人じゃなくたって一緒にキッチンぐらい立つだろ」
「や、もう心の持ちようで全然違うんだって。なんか新婚ほやほやな男が嫁さんの隣にいる心境ってこんな感じだと思う…!」
意味が分からないが、要はザックスは浮かれている…ということだろうか。
「嫁さんてなんだよ。俺は…っ、」
幸せそうに目を細めたザックスがこちらに手を伸ばす。その手に腰を抱かれて引き寄せられたと思ったら、すぐに唇が重なってきた。
「…ん…っ」
キッチンの壁に背中を押し付けられる。
唇を合わせたままでザックスの指に顎を捕えられ上向かせられると、自然に開いてしまったクラウドの歯の間からザックスの舌が口腔に入り込んでくる。
今日何度目になるのかもうわからないキス。けれど他人とのキスなんて初めてで、まだその与えられる感覚に慣れることが出来ないクラウドは、深く入ってこようとするザックスの舌にどう応えたらいいのか少しも分からなくて、まだまだ戸惑うばかりだった。奥で縮こまってしまっているクラウドの舌を執拗に追いかけてくるザックスに泣きそうになる。
熱くて柔らかくて濡れる――決して嫌な感覚ではないけれど、なんだか嫌だとも思うのは、自分の中の恥ずかしい何かを暴かれて曝け出されてしまいそうになるからだとクラウドは思った。
「…クラウド…」
一度唇を離し、ザックスの唇がかすれた声でクラウドの名前を呼び、それから目の前の唇をついばむようにしてまた何度かくっついたり離れたりを繰り返す。そういう優しい触れ合い方は嫌いじゃないと感じてクラウドが素直にキスを受け入れ始めたところで唐突にザックスの唇は体ごと離れていってしまった。離れていってしまった彼の唇が少し惜しいと思い、そう思った自分がクラウドは恥ずかしくて赤面した。
こんな風に誰かと自分がキスするなんてクラウドは昨日まで考えてもいなかった。ザックスのことが好きだと意識した後でさえ、キスはその気持ちに付随する行為のはずなのに、なぜかしたいと思っていなかったから、なんだかクラウドは自分の気持ちの動きが不思議だった。
「…なあ、クラウド。手伝いはいいから、お前はあっちでソファにでも座って休んでろよ」
…やっぱり役に立たないからここにいるのは邪魔なんだろうか。
視線を落としたクラウドの頬にザックスは慈しむように触れた。上目遣いに顔を上げると、またザックスにキスされた。
「お前が手伝ってくれんのは嬉しいんだけど…俺今日は相当舞い上がってるから、お前が近くにいるだけで他のことが何にも見えなくなっちまって困るっていうか。ほら、今みたいにお前に見とれてて料理焦がしちまったりとかな」
「え…、ほ、本当に俺見てて焦がしたの?」
「ん。あと誘惑されそうになってヤバイ」
「ゆうわく…」
きょとんとするクラウドにザックスは笑って耳打ちした。
「料理よりもお前を先に食べたくなっちまう」
「……っ!!!」
クラウドは真っ赤になって反射的にザックスから後ずさった。ザックスは悪戯が好きな子供がするような笑みを口許にたたえて、ことさら明るい調子で言った。
「な? だからさ、お前はあっちで待ってな。今日はお前の退院祝いでもあるんだから、どーんと遠慮しないでだらけてたっていいんだよ。ほら、リビングに行った行った」
*
夕食はクラウドの好物ばかりがテーブルの上に溢れんばかりに並べられた。どれだけ甘やかされてるんだろうとクラウドは思う。
こんなに食べきれないよと言ったら、ザックスは「食べ切れなかった分は明日ふたりでまた食べればいいだろ」と当たり前のことを言うように返された。クラウドが明日もザックスと一緒に食事を取るのはもう彼の中では決定事項らしかった。
笑い声が響く楽しい食事の時間はすぐに終わり、クラウドはせめて食器の後片付けの手伝いぐらいはしたいとザックスに申し出たがばっさりと断られて、只今ゆっくりのんびり優雅にバスタイム中なのだった。
“料理よりもお前を先に食べたくなっちまう”
ザックスの言葉を思い出して落ち着かなくなる。
(俺…このあと食べられちゃうのかな…)
今夜はこのままザックスの部屋に泊まることになっているから…風呂なんかもすすめられたし、そんな流れになっているから、きっとそうなんだろう。
(ザックスと同じベッドで寝たら…)
バスタブの中に沈んでいる自分の体をクラウドは見下ろした。
湯の中でぐにゃりと歪んで見える、白くて頼りない体。こんな体を彼の前に晒すことになるんだろうか。
「……」
考えるとなんだか急に不安になってきた。
当たり前だけれど、クラウドには女の人のような胸のふくらみは当然無いし、彼は骨ばったこんな細くて面白味のない体を抱いたとして、果たして本当に楽しかったり嬉しかったりするんだろうか。
(…ザックスは俺とそういうこと…したいって思う夢を見るくらいには、したいんだろうけど…、というか実際もう1回してるんだけど…)
でもあの晩は、暗闇の中、クラウドのことなんてこれっぽっちも見えなかっただろうし(あ…でもソルジャーの人って普通の人より夜目が利くって聞いたことがあるけど)、夢を見てると思っていたと言っていたぐらいだから、目の前のクラウドの体をどれくらい意識してその行為に及んでいたのか怪しいものだった。
…あの夜の彼はどんなだっただろうか。
あの時のことは、何が何だか分からないうちに自分の全てを持っていかれたような印象とともにクラウドの中で記憶は黒く塗りつぶされている。
痛みと、濡れた感触。でもそれだけじゃない、彼の吐いた息が肌をかすめた、その熱さもおぼろげだが覚えている。
自分の身に起こっていることが信じられずに、体の上にいるのが本当に彼なのかと疑いもした。
体全体で感じる何か、与えられるものを受け止めながら、その行為に異常さを感じて戸惑い、彼が寝ぼけて相手を勘違いをしているのだと思いこもうとした。そうでなければ、ザックスの想いになど微塵も気づいていなかったクラウドには自分を納得させる術が他になかったからだ。
でもザックスの気持ちを知った今、あの夜のことはクラウドの中で何が何でも絶対に忘れたいというものではなくなった気もする。まだ少し思い出すのは怖いけれど…複雑だった。
(あの夜みたいなこと、この後するのかな…ザックスはしたいのかな…?)
ザックスのことは好きだ。
その気持ちにもう揺るぎはない。
ザックスもクラウドのことを好きだと言ってくれている。
彼に求められれば応えたいと思うし、自分でも不思議だったがザックスのことが欲しいと思わなくもない…というか欲しいような気もしている。想いが通じ合って舞い上がっているのは何もザックスだけではないのだとクラウドは言いたい。
「……」
湯につかりすぎて、少しのぼせたかもしれない。
もうそろそろバスルームから出ようと、クラウドは立ち上がった。
体と、ついでに頭の中の熱を冷まそうと、湯の温度をやや低く調節してからシャワーを頭からかぶる。
肌の表面を流れ落ちるシャワーの生ぬるい湯が、尻の狭間を伝っていくのを、なぜか不意にその時クラウドは意識してしまった。無意識に右手を自分の後ろに動かしていた。
双丘を割って指が奥に忍び込む。そして自らの人差し指が、自分でも見たことがない隠されたその場所の入り口に触れたときに、はっと我に返ってクラウドは慌てて指を引っ込めた。
ひとり赤面し、ぶんぶんと頭を大きく左右に振ると、クラウドは乱暴な動作でシャワーのコックをひねり、バスルームを飛び出したのだった。
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