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CALL ME 15
「…ザックスは、俺の友達。誰も代わりなんていない、ただ一人の、大切な友達だから、それ以外には考えられない」
彼を少しでも困らせたくないから嘘をついた。
自分の心を裏切る、自ら口にした言葉が己を傷つける。けれどこれが最善だと思っていた。―――彼の表情の変化を見るまでは。
「……そっか…」
その瞬間、呟くようにそうこぼしたザックスの顔からすうっと感情を表す全てのものが消えた。
掴まれていた手も離れていく。それから一歩二歩と後ろに下がって彼はクラウドから距離をとった。
「…そ、だよな…」
目を伏せ、少し長めに伸びた髪の上から緩慢な動作で自分の首の後ろを指でかいている。声はいつもより元気がなく、少し頼りなく揺れていた。
クラウドはザックスのその反応に違和感を覚えた。
彼の性格そのままに真っ直ぐな彼の眉は心なしか下がっているように見えたし、いつも姿勢のいいその背も丸まり、両肩も下がっているように見えた。
まるで…まるでクラウドの返事に気落ちしているとも見て取れるザックスの反応だった。
それはクラウドが予想していたのとは明らかに違った。
「…ザックス…?」
「…トモダチ…うん、トモダチ以外には…、普通はそうだよな…」
落ちつかなげにザックスの体が時折左右に小さく揺れている。
明らかに彼は動揺していた。
クラウドには意味が分からなかった。友達だと自分が言えばザックスは安心すると思っていたのだ。
「…ザックス、何で…?」
「……うん、うん…、ちょ…ちょっと待ってクラウド」
クラウドが一歩足を踏み出して彼に近づこうとすると、ザックスは慌てたように腕をクラウドに向けて上げ、伸ばした腕でそれ以上のクラウドの接近を拒んだ。もう片方の、首をかいていたほうの手で自らの目を覆う。
「悪ィ。ちょっとだけ時間くれ…」
そうするとザックスのの表情は手の下に隠れてしまったが、彼が今どんな顔をしているのかクラウドには想像できた。
どうして。
どうしてそんな顔をするんだろうと思う。
ザックスはその場でクラウドに背中を向けると、ひとりで何度もうなずいたり「トモダチトモダチ…」と呟いている。まるで自分に言い聞かせるかのように繰り返される言葉は、自分の気持ちを偽って返事をしたクラウドの胸をちくちくと棘のように刺した。
向けられた彼の背中がクラウドを拒絶している。
いつもは広くて頼もしく見えるその背が、今は何故かとても小さく見えた。そして不意に彼の存在が遠くなったように感じて、クラウドはさらに動揺した。
指先から冷えていく感覚。
自分は何かとんでもない間違いを犯したのではないだろうかと、胸の痛みとともに大きな不安に襲われた。
そのとき、パシン、という音が辺りに響いた。
ザックスの動揺が理解できず半ばパニック状態に陥っていたクラウドは、その音に不意をつかれて驚き、ビクリと体を震わせた。
それはザックスが両の手のひらで自分の顔を叩いた音で、彼にとっては心を切り替えるためのスイッチだった。
ザックスはくるりとクラウドに振り向く。
そこにはもう彼らしいいつもの笑顔が戻っていた。
「分かった。返事、ありがとな、クラウド」
彼は笑って言った。
笑っているけれど、…クラウドには何かが違う気がした。
いつもならクラウドを優しい気持ちにさせてくれる彼の笑顔が、今はクラウドの胸の痛みを酷くさせるばかりだったから。
「さぁてと、帰るか。今日はやっぱり真っ直ぐ返ったほうがいいな」
ザックスは明るい声でそう言うと、バイクの方へと歩き出した。
彼の背中が遠ざかる。
その背を見つめながら、今更ながら自分の間違いに気がついた。
愕然とする。
自分が傷つきたくないからって、そんなくだらない言い訳をして逃げた自分を馬鹿だと思った。
「…ックス」
行ってしまう。
彼が遠くなる。
友達なら、今までと同じでいられるのだと思っていた。
自分の気持ちを押さえ込んで我慢さえすれば、全てが元通りに、また前みたいな距離に戻れるのだと思っていた。
でも、今、離れていく背を見ながら、分かってしまった。やっと気がついた。
このままでは、きっと。
「…ザックス、待って…」
彼に嫌われたくないから。
疎ましく思われたくないから。
思えば最初からそうだった。
あの夜の後でさえ、大変なことをしてしまったと悔やみ、彼に申し訳ない気持ちになり、それでも彼の側にこれからもいさせてもらえるにはどうしたらいいのかとクラウドは必死に考えていた。
相談に乗ってもらった同僚のスティーヴに、そんな仕打ちをしたザックスを怒ってもいいのだと言われたが、そんな気持ちはクラウドの中には湧いてこなかった。
長い夢から覚めたように彼のことが好きだと自覚したとき、とても自然にクラウドの気持ちの中に馴染んでそれを受け止めることができたのは、最初から自分の中にその答えがあったからだったのだろう。経験の浅いクラウドにはなかなかその存在も名前にも気づくことが出来なかっただけで。
そして恋心は人を臆病にさせた。
拒まれると分かっている想いを伝えて、自分が無為に傷つくのを恐れて。
彼に疎まれてその僅かな繋がりさえも切れてしまうことが怖くて、保身に回った自分。
けれど、間違いだった。
彼にそんな顔をさせたかったわけじゃない。
笑いかけられて、心が離れていくなんて冗談じゃない。
このままでは一番失いたくなかった大事なものを永遠に失ってしまうかもしれない。
でも、彼を追いかけたいのにクラウドの足は凍りついたように動かない。
「待ってザックス…!」
離れていく彼の背に、クラウドは半ば叫んでいた。
ザックスの足がゆっくりと止まった。
「…クラウド、俺さ」
ザックスは振り向かない。
「…どうしてか、もしかしたらいい返事がクラウドからもらえるんじゃないかって、ちょっと思ってたんだ。根拠なんて全然ないんだけど、何となくな…。でも笑っちまうよな、実際は…」
そんなことない。
笑わない。だって用意していた返事は――。
「でもさ、俺諦め結構悪いから、まだしばらくは…その、何ていうか、お前には悪いんだけど、自分の心の中でお前を想うぐらいは許してくれねぇかな。お前には絶対迷惑かけねぇし、それにもしかしたらその…時間が経てばなんか色々変わってくることもあるかもとか…例えばお前の気持ちももしかして…なんて……」
そこでようやくザックスはクラウドを振り返った。
頭をかきながら自信なさ気な視線をクラウドに向ける。
「…ないか、ないよな、ないない。友達宣言された直後に俺何言ってんだろ。馬鹿だよな、ごめんな」
「…、そ…なこと…ない」
胸が苦しかった。痛くて、うまく喋ることができない。
この胸の苦しみは、けれど悲しくてつらいものじゃない。
「…? どうした、クラウド」
「…俺…、ご、めん…、ごめんザックス…っ」
「なんでお前が謝る…、え? な、なんでお前また泣いてんだよ…!?」
なぜ泣いているのかなんて自分でも分からなかった。
自分を守るためにつまらない嘘をついた自分が情けなかったのかもしれないし、彼がそれでも自分を好きでいてくれると聞いて嬉しくて涙がわいてきたのかもしれなかった。
泣いているクラウドを心配したザックスが慌てて戻ってくる。手を伸ばせば互いの体に届くくらいの距離が二人の間に戻った。実質的な距離が縮んだだけのことにでも今のクラウドは酷く安心した。
「どうした? 俺余計なこと言っちまったかな。別にお前が謝ることなんてない。一方的に気持ち押し付けてんのは俺なんだし、そんな気がまるでないお前にとっちゃあ、迷惑なだけだってちゃんと分かってるから。こっそり心ん中で想うってのが気持ち悪いか? 悪かったよ。ごめんなクラウド」
違う違う違う。そんなことが言いたいんじゃない。
「でもさ、ホントに最初に言ったとおり、俺は今のままの関係でいいって思ってる。それよりもお前が俺の前からいなくなることのほうが怖い。こうして無事にいてくれるんなら、友達としてでも側にいてくれるんなら、それだけで俺は幸せなんだ」
きっと同じなんだと思う。
互いに互いの存在の喪失に怯えている。
けれど自分が彼と違うのは、伝えなければならないことをまだ伝えていないこと。
勇気が欲しい。
ただ一歩でいい、前に踏み出す勇気が。
その勇気がなかったせいで、彼を傷つけてしまった。
これ以上間違えたくない。
例えそれで全てを失うことになっても、何もしないで失うよりは遥かにいい。
「…俺はそんなのいやだ…!」
涙で視界が滲む。
見返したザックスが息を呑むのが分かった。その顔が翳る。
きっと彼は勘違いしている。
そうじゃないと、ちゃんと自分の気持ちを伝えたいのに、後から後から涙が溢れてきて、胸が苦しくて、言葉にならない。
「…側にいるだけでも、もういやなのか…?」
クラウドが何も言えないでいると、案の定、ザックスは沈痛な面持ちでクラウドの泣き顔を見下ろしながら言った。
クラウドは言葉の変わりに何度も首を横に振った。
涙と鼻水が邪魔をする。もどかしくて仕方がなかった。
早く、早く伝えたい。誤解を解きたい。
ザックスのそんな顔は、これ以上見たくない。
言葉にならないのなら――
手を伸ばした。
一歩でいい。
踏み出す勇気を。
「クラ―――」
彼が僅かに体を引く。クラウドの思わぬ行動に驚いたのだろう。
クラウドは構わず伸ばした手を彼の背中に回した。
逃がすものかと夢中になって彼の体にしがみついた。
「…嘘、だから…っ」
あの夜、ビルの屋上でクラウドに好きだと告白したときのザックスの真剣な様子を思い出す。ザックスがいかにクラウドよりも恋愛経験があるからと言ったって、何の波風も立たない平常心でクラウドに告白出来たとは思えない。それなりの勇気が必要だったはずだ。けれど彼は正面から誠意をもってクラウドに向き合い、自分の心を包み隠さず見せてくれた。
だから今度はクラウドも正面から正直に彼に接したいと思う。
誠心誠意真っ直ぐに彼に向き合いたい。
それが自分に想いを告げてくれた彼に返せる唯一の、精一杯のことだと信じているから。
「…すき…」
短い言葉に、ありったけの想いをこめる。
ちゃんと伝わってほしい。
言葉で足りないなら態度で、態度で伝わらないのなら言葉で。
「…好きだよ、ザックス…っ」
ああ、本当に、それだけのことを言うのに、なんて遠回りをしたんだろう。
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