CALL ME 13





 クラウドが入院していたのは、神羅カンパニーの本社ビルに隣接する科学部門所轄の医療科学部内の建物の病室だった。当然入院しているのは神羅関係の人間ばかりだ。
 打ちつけた場所が場所だったので、クラウドは諸々の検査を受ける羽目になった。
 頭のコブは多少触れば痛みはしたが、その他の場所は全然平気だったし、クラウドにしてみればすぐにでも退院して仕事に復帰したかったのだが、こればかりは仕方がない。
 それに何よりも誰よりもザックスが過分なほどクラウドの身体を心配して、検査結果が出るまではおとなしくしていろとクラウドをベッドに縛り付け、側を離れずほとんどべったりなのだった。
 クラウドにしてみれば、検査と食事以外の時間は退屈で単調な時間が大半だったので、隣でザックスが話し相手になっていてくれると楽しいし嬉しかった。しかしクラウドが意識を取り戻した後、すぐに個室から六人部屋の病室に移ったため、はたから見て鬱陶しいぐらいにクラウドに張り付いて世話をし、辺り構わず話し続けるザックスが、他の入院者の迷惑になっていないだろうかということが気になって仕方がなかった。
 同部屋には、クラウドの他に三人いた。皆クラウドと同じ一般兵だった。
 警邏中に足を骨折したウェリントン、実技訓練中に流れ弾が当たって腕を負傷したアーカム、体術の訓練中に腰を痛めたコストナー。幸い三人とも気立てのいい人たちばかりで、むしろウェリントンやコストナーはザックスと意気投合してワイワイやり始める感じだったので、クラウドの心配も杞憂に終わった。アーカムだけは無口で物静かな男だったが、騒がしいのは気にならないようで、時々馬鹿話で盛り上がる男たちに鋭いツッコミをいれていた。
 はっきりと言葉にしてクラウドとザックスの関係を説明したわけではないが、三人は何となくクラウドとザックスの間に流れる雰囲気でそれとなく察したらしい。二人の仲のよさを冗談めかしてよくからかった。
 確かにザックスはクラウドに対して愛情を隠そうともしていなかったのだが…傍から見れば、そう見えるんだろうか、とクラウドは考えた。自分たちは恋人同士に見えるんだろうか。男同士だとかそういうのを差し引いても、自然に…?
 そういう風に周囲に見てもらえているということが、クラウドにはくすぐったかった。悪い気はしなかった。
『俺が帰ったら、返事を聞かせて欲しい』
 ザックスと交わした約束。
 周囲にどう見られていようと、クラウドはまだ彼にきちんとした返事をしていなかった。
 目覚めたあの日、どさくさに紛れて自分からザックスの手にキスなんてしてしまったが、その時は側にいてくれたことへの感謝の気持ちだと言って誤魔化してしまった。照れくさくてそう言ってしまったのだが、嬉しそうに「そうか」と言って笑っていたザックスには、もしかしたらクラウドの気持ちはばれてしまっているのかもしれない。
 それはともかく、退院したらちゃんと言葉にして自分の気持ちをザックスに伝えようと思っていた。
 心は決まっている。彼の不在が自分の気持ちを気づかせてくれた。
 たったひとつの返事を胸に抱いて、クラウドは病室を出るその日を心待ちにしていた。



 数日後、どこにも問題は見当たらないという検査結果がようやく出て、クラウドが退院を許されたその日、ザックスはいつものようにクラウドの傍らで世話を焼いていた。退院の準備を手伝っている。
 何が何でもクラウドの退院の日には仕事は休むと前々から言っていたザックスは、本当に休みをもぎ取ったらしい。退院したクラウドを宿舎まで送り届けてくれるつもりのようだった。
 入院中、ザックスは一日一回は病室を訪れ、そのいずれのときも結構長い時間クラウドの横に居座っていたので、仕事を疎かにせずにちゃんとやっているんだろうかと心配になるくらいだった。今日だって無理して休んでここに来ているんじゃないかとクラウドは考えたが、自分の荷物をまとめてくれている彼が、時折自分を振り向いたときに嬉しそうな笑顔を見せるので何も言えなくなってしまう。
「準備できたか、クラウド」
 荷物をまとめ終えると、ザックスは肩に鞄をしょった。
 準備も何もザックスが全部やってしまうので、ニットとジーンズの私服に着替え終わったクラウドのしたことと言ったら、自分の使っていたベッドのシーツの皺を何となく伸ばしてみたりだとか、窓から外を眺めてみたりだとか、足元に落ちていた菓子の包み紙のゴミを拾ってダストボックスに捨てたりだとか、そういうどうでもいいことだけだった。
「うん」
「んじゃ、行こっか」
 まだ退院の日を迎えられない三人と別れを告げ、二人は病室をあとにした。



*



 ミッドガルは、神羅カンパニーの本社ビルがある零番街を取り囲むようにして、壱番街から八番街までの八つに区切られた人々の生活空間がぐるりとプレート上に広がっている。
 クラウドが住んでいる合同宿舎もザックスが住んでいる建物も伍番街にあった。伍番街は神羅の社宅が数多く存在している地区だ。一般兵の住む宿舎は、伍番魔晄炉の周りをぐるりと取り囲むようにしてある神羅が所有する倉庫の手前にあり、神羅の本社ビルが建っている零番街、すなわちプレート部の中央からは一番遠い場所だ。ザックスはそれよりももっと中央に近い交通の便が良い場所に住んでいる。その場所がそのまま一般兵とエリートであるソルジャーとの扱いの違いを表していた。一般兵のクラウドの給料では立地のいい場所に単身で部屋を借りることなど出来そうもない、つまりそういうことだ。


「どうする? 買い物とか、どっか寄ってから帰るか」
 建物の脇の奥まった場所にある駐輪場で足を止めたザックスが振り向いた。ザックスの少し後ろを歩いていたクラウドは、彼の向こう側に一台のバイクが停まっていることに気がついた。
「ザックス、バイク買ったの…?」
「いや、友達から借りてきたんだ。病み上がりのクラウドを列車で帰すのもどうかと思って」
「俺は病み上がりじゃない…ていうか、こういうときはバイクじゃなくて普通四輪選ぶんじゃないの」
「まあ、ようは俺がクラウドと一緒に乗ってみたかっただけって言うか。…ダメ?」
 別にダメってことはないが、二人で一台に乗るということは、その、つまり…。
 じわりと熱くなった顔を隠すようにクラウドは俯いて「…別にいいけど」と小さな声で言った。
 ザックスは笑ってクラウドにヘルメットを投げて寄こした。
「で? 直行? まあ今日は部屋でおとなしくしてるほうがいいか」
「…行きたいとこがあるんだ」
「どこ? あ、この時間ならちょっと早いけどメシ食ってから――」
 食事のことを能天気に話しているザックスに、クラウドは彼に続いてバイクの後ろに跨ると目の前の広い背中に腕を回してぎゅうと力をこめて抱きついた。
 驚いたのかザックスの身体が微かにびくりと震えた。
「ク…ラウド?」
「……」
「どうした…?」
「……ックスの…部屋」
「…え?」
「…行きたい場所」
「あ…うん。部屋…な」
 胸が狂ったように鳴っている。くっついた場所から、うるさいくらいの鼓動がザックスに伝わってしまっているかもしれない。
「…迷惑じゃなかったら、行きたい。ザックスの部屋」
 ザックスが息をのんだ気配がした。
「…お、俺の…?」
「…うん」
「な…なんで」
 なんで、なんて返してくるザックスのことをクラウドは少しだけ恨めしく思った。
 クラウドからしてみれば、早打つ胸をなだめながらの決死の覚悟で「ザックスの部屋に行きたい」と告げたのだから、ザックスも少しは察してくれたらいいのにと思う。
 でも伝わらないのならちゃんと言うしかない。
「…返事」
「返事?」
 ここまで言ってもザックスは分からないんだろうか。
「…だから、約束の…返事、したいから。ちゃんと」
「や、くそく」
 そう呟くように言ったザックスの声は、呆けたように気が抜けていた。
 なぜだかそこで二人の会話に間が空いた。
 クラウドはザックスの返事を緊張しながら息を潜めるようにして待ち続けた。
 彼の腹に腕を回してしがみついていると、密着したところからザックスの熱が伝わってくる。
 まだバイクはエンジンもかかっていないから、抱きつく意味もないのに、我ながら大胆なことをしているとクラウドは思う。
 あの夜の後は、彼とのちょっとした接触にさえ緊張していたはずなのに、今ではこの温もりを感じられることをとても嬉しいと思う。触れていたって、いなくたって、本当はいつだって、この安心出来る温かみを自分は身近に感じていたのではないだろうか。
 ザックスの背中の筋肉が動くのを身体で感じ取り、彼が振り向いたことがクラウドに分かった。けれどクラウドは恥ずかしくて、どんな顔をしてザックスと向き合ったらよいのか分からなかったから、ザックスの背中に頬を押し付けたままでいた。
「え…と、俺の部屋は今日はちょっと…。それに返事って…あれのことだよな、その…」
 声が身体を通して響いてくる。クラウドの好きな、声。

「クラウド、それ、無理にしなくてもいいから…」

 え、と思った。
 想像もしていないザックスからの返事だった。
 自分の頼みなら喜んでザックスの部屋に連れて行ってくれると思っていたのに、返されたのはザックスの低く沈んだ声だった。
 どうしてそんなことを言うんだろう。
 クラウドは混乱した。
 返事はもういらないんだろうか。
 理由は? 
 返事をいらない理由…クラウドからの返事が必要ないその理由は……。
 考えるまでもなくすぐにひとつの答えにクラウドはたどり着いた。
 その答えが彼の胸の中を黒く塗りつぶしていく。
 頭から冷水を掛けられたように、さあっと一気に体温が下がっていくような気がした。

 …やっぱり。

「急がなくてもいいよ。ていうか何か別に…俺今のままでもいいかなってそんな気もしてきたし…」
 なぜか慌てたようにそう言いつのるザックスの声が、遠くで聞こえる。
 ザックスの胴に回していた腕から力が抜けた。
 身体からも力が抜けてぐらりと倒れそうになったが、何とか地面に着いた足で踏ん張った。
 目の前の広い背中がぐにゃりと歪んで見える。
 息が苦しくて口から嗚咽が漏れそうになった。でもそれはみっともないと混乱している頭でも何とか分かったから、唇をかんでこらえた。
「お前のことだからすっげえ悩んだだろ。変なこと言ってごめんな」
 悩んだ。考えても考えても答えが出なかったのに、でもそれは唐突に自分の中で形になった。名前を、呼んでくれたから。それが光となってクラウドを導いてくれた。何が自分にとって大切なのか、やっと分かったのに。
 分かった途端に、行き場をなくしたこの想いはどうしたらいいんだろう。
 いいじゃないか、今まで通り友達でいさせてくれるって言ってくれている。
 それでいい。それで―――
 …だけど苦しい。どうしようもなく。
 もう少し早く返事が出来ていたなら、違ったんだろうか。
「だから、クラウド――」
「……分かった。もう…ザックスは返事はいらない…」
 声は不自然に震えていないだろうか。
 胸が詰まって苦しくて、うまく話すことができない。
「いらないって言うか、だってほら、お前だって友達のほうがいいだろ。俺は…お前が側にいてくれればそれでいいんだ」
 一緒にいたいと思っているのはクラウドも同じだ。
 ただ一緒にいられればいい――その関係を『トモダチ』から『恋人』という名前に変えようと言い出したのはザックスのほうだった。だから、それをやめたいと言ったのもやっぱりザックスだった、それだけのことだ。
「勝手なことばっか言ってホントにごめんな、クラウド。友達としてこれからも――」
 友達として、これからも、今までと変わらずに。
 ザックスの言うとおり、それでいいはずなのに、どうしてこんなにザックスの言葉が心に虚しく響くんだろう。
 誰か――誰か、この苦しさをどうにかして欲しい。自分ではどうすることも出来ない。
 目の前のこの男がどうにもしてくれないのなら、今は一緒にいたくない。
 これ以上彼と一緒にいたら、今はもっと苦しくなるような気がする。勝手に悲しくなって苦しんでいる自分の姿を彼に見せたくはない。
 さとられないように、そっとクラウドはバイクから降りた。自分の荷物を手に取る。
 早くその場から立ち去りたかった。けれど走ろうとしても足に力が入らなくて駄目だった。
 顔がこわばっている。涙がもう少しで溢れ落ちそうだ。
 泣きたくない。
 泣きたくない。
 すぐに気がついてザックスが追ってくるだろう。
 泣き顔なんて見せたくなかった。
 こらえていたら鼻水が垂れそうになる。それを手の甲でおさえようとしたら眦から涙が落ちてしまった。一度落ちてしまえば、止まらなくなる。
 そうこうしているうちに背後から追いかけてくる靴音が近づいてきた。まだエンジンをかけてもいなかったから、彼はバイクを降りて走ってきた。
「く、クラウドっ!?」
 右肩をぐいと掴まれた。それだけでクラウドはもう動けなくなってしまった。
「おい、どこ行くんだよクラウド?!」
「………」
「クラウド?」
 振り向かないクラウドに、ザックスは肩に手を置いたままクラウドの前に回り込もうとする。 クラウドは俯いてザックスから顔を背けた。 
「どうしたんだよ、いきなり」
 ザックスは逃げた顔をさらに追ってクラウドの顔を覗き込もうとする。
「……ひとりで帰りたい」
 この後ザックスと一緒にいてもいつもの自分でいられる自信がない。楽しい気分で食事をしたり話したりなんて出来そうにない。そんな自分といたらザックスはきっと心配する。そんなことはせさせたくないから、ここで別れて一人で帰りたかった。
「なんでそんな…、…え? お前泣いてんのか…?」
「……っ」
 俯いているし、顔の前に落ちた前髪が表情を隠してくれているはずだとクラウドは思っていたが、ザックスはクラウドの足元に落ちて染みになっている涙の跡に気づいたようだ。
 泣いていることに気づかれたことが恥ずかしくて、クラウドは肩を掴まれていた腕を少し乱暴に振り払うと、また足早に歩き出した。
「な、何で泣いてんだよ!? 俺なんか悪いこと言ったか?」
 ずんずん歩いていくクラウドの横にザックスはすぐ並ぶ。
「悪い、お前俺の部屋にそんなに来たかったのか?」
 見当違いのことを言っているザックスに、クラウドはたまらない気分になる。
「違う、ザックスは悪くないよ…っ!」
 そう、自分が勝手にがっかりして悲しくなっているだけだ。馬鹿みたいに本当に。
「だったらどうしてお前…」
 理由は言えない。言ったって意味がない。言いたくない。
「ひとりでいたいんだ…、ごめんザックス、放っておいて…っ」
 クラウドが走り出そうとしたら、腕を掴まれた。
「、や…っ」
「クラウド!」
 強引に腕を引っ張られた。肩から鞄が落ちる。
 次の瞬間には、足の裏が浮くほどに強い力で広い胸の中に抱きこまれていた。
「放っておけるかよ…っ!」
「…!!」

 近い、体温。
 抱き締める腕にこめられた、力。
 もう覚えてしまった彼の、におい。
 切なく胸に響く、声。


 どうして…どうして。
 友達でいたいというのなら、こんな風に抱き締めたりしないで欲しいのに。





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