CALL ME 12










 声が。

 彼の声に、

 名前を呼ばれたような気がしたんだ。






 最初に目に飛び込んできたのは、薄暗く沈んだ天井だった。
 天井に張り付いた電光パネルがぼんやりと弱弱しい光を放っている。部屋の中の様子や物の輪郭が確認出来ればいいという程度に光源が絞られているようだった。
 見慣れない天井に、クラウドは自分の部屋で目覚めたのではないことを理解した。
 横になったまま視線を巡らせて周りを観察する。
 思ったよりも狭い部屋のようだ。
 無機質な白っぽい壁に四方を囲まれている。右手側の壁に大きな液晶モニターが埋め込まれていたが、それも電源が落とされていて鈍く辺りの薄暗さを映しているだけで、その他には小さな窓がひとつあるだけの殺風景な部屋だった。
(どこなんだろう…?)
 なんだか長い夢を見ていたような気がする。


 ふと、右手に違和感を覚えた。
 なんだろう、手のひらと甲がじんわりと熱い。熱くて何かが乗っているように重たい。
「……?」
 気になってクラウドはそちらに視線を動かそうとしたが、そのままだと体勢的に無理な角度だったので、頭を少しだけ動かした。大した動作ではないのに、やけに身体が重く感じられ、頭や肩にツキンとした痛みが走る。
「っ」
 肩や頭だけでなく、そういえば背中など身体全体が凝り固まったようにだるくて痛むような気がする。厳しい実習訓練の後にたまに訪れる筋肉が悲鳴を訴える痛みとはまた別の種類のものだと感じた。
 一体自分はどうしたんだろうと首を傾げつつ、視界に入った自分の左腕の内側に点滴の管が刺さっているのに気がついた。
「……?」
 点滴で思い出したことがあった。
 以前、屋外での訓練中に情けなくも熱中症に陥って倒れたことがあった。そのときに医務室に担ぎ込まれ、点滴を受けたのだ。また同じように倒れた可能性を考えたが、いやいや、今はもうすぐ冬になろうという季節だ。それはないだろう。


(…俺、ホントにどうしたんだっけ…?)
 思い出せない。
 ここは病院なんだろうか。
 何度か世話になったことがある社の医務室ではないように見えるが…よく分からない。
 これでも神羅カンパニーの社員の端くれ、勤務上クラウドの拠点となっている本社のビルやそれに隣接する施設などの建物は、各フロアも広く、クラウドには足を踏み入れたことのない場所のほうが多いから、即座にここが社に関係する建物内であるかどうか否かの断言は出来なかった。いつもクラウドが入室を許され、通されている医務室の部屋だって、その向こう側の廊下の奥には入ったこともなし覗いたこともない。
(…夜みたいだし、このまま寝ていたほうがいいのかな。でもここがどこか気になるし…部屋の外をちょっとぐらい見てまわるくらいなら構わないかな…?)
 自分がどうしてここにいるのか、経緯が気になった。
 部屋の外には何かその疑問に対してのヒントや、自分の事情を知る人物がいるかもしれない。
 クラウドは硬くなってぴりぴりと痛みが走る背中をベッドから引き剥がし、上半身をゆっくりと起こした。
 そのときになって、さっき右手に感じて気になった熱さや重さのことをやっと思い出す。
 おもむろに自分の右手に視線を移したクラウドは、実際に目にして確認したその正体に驚いて、思わず大きくベッドの上で飛び上がってしまった。

「……っ!!?」

 ベッドの脇に、大きな黒い塊が丸まっていた。
 その塊から伸びた太い二本の腕から繋がった先の両の手のひらが、クラウドの右手をまるで壊れ物を扱うかのように大事に包んでいた。
 暗い色のツンツンと奔放に伸びた短い髪の毛が、重なりあった手のすぐ横のシーツの上に広がっている。
 クラウドの手にもう少しで触れそうな近い位置に彼の唇があった。彼が吐いた息が指先に当たっているんじゃないかというくらいの距離だった。

(ザザ、ザ、ザックス!? なんでここにいるんだ!?)

 確かにそこにいたのはクラウドの友人で神羅カンパニーのソルジャー・クラス1st、ザックス・フェアその人だった。ベッドの脇に置いた椅子に腰掛け、クラウドの寝ていたベッドに上半身を伏せて眠っていた。
 クラウドが感じていたのは彼の手の感触、熱さは彼の体温だったのだ。
 でもどうしてこんな場所で彼が眠っているのだろう。
 そもそもなんで…。

 そうだ、そう言えば彼は遠くに任務に行っていたのではなかったか?

 内心ではかなり動揺しているクラウドだったが、彼を起こさないように口から漏れそうになった悲鳴は辛うじて飲み込んで我慢した。けれど驚いて反射的に彼から逃れようとした身体の動きから生まれた振動は、しっかりとザックスに掴まれて繋がったままだった二人の手から彼に伝わってしまったようだ。
 もぞりと彼の身体が揺れた。
 クラウドはどうすることも出来ず、緊張しながらじっと彼の瞼が開いていくのを見守ることしか出来なかった。
 覚醒したザックスは、クラウドの気配の変化や彼の視線をすぐさま感じ取ったのか、間を置かずに跳ね起きる勢いで身体を起こして振り向いた。薄暗い部屋の中で、彼の特徴的な蒼い目が、瞬時に強い意志を宿してクラウドを見つめる。
「起きたのかクラウド!」
 起き抜けだとは到底思えないはっきりとした声で叫ぶように言ったザックスに、クラウドは怯んでしまった。
「え…、あ、うん、あの…」
「よかった…!」
 くしゃり、と目の前の男らしい顔が歪む。
 掴まれていた手を有無を言わせぬ強い力で引っぱられ、クラウドの身体が前に倒れこんだ。それをザックスは己の胸で受け止め、クラウドの身体に腕を回して力いっぱい抱き締めた。驚いたクラウドは声のひとつも出せなかった。
「ホントによかった…っ!」
 何を指して良かったとザックスが喜んでいるのか、クラウドには訳が分からない。分からないけれど、密着した身体から伝わってくる彼の体温を、指先だけでなく全身で感じられることに、クラウドはなぜか今は酷く安心した気持ちになった。
 ザックスの背中を抱き返そうかどうしようか迷い、そわそわしだしたクラウドは、目の前の彼の身体から、汗や泥のような重たいにおいがすることに気がついた。嫌なにおいだ、と言うのではない。軍隊生活において、それらはそこら中にあるごくありふれたにおいで、気にしていたら兵士なんてやっていられない。
 抱き締められている体勢で、可能な限りザックスの格好を改めてクラウドは観察した。薄闇の中、視界がききにくい状態で、近くに寄ってやっと気づけたことがあった。
 彼は汚れていた。
 頬や顎に当たって抱き合うには邪魔だと感じる肩当てに、よく見ると派手な汚れや傷が見えた。
 錆びの放つものに似たツンとしたにおいもどこかからか漂ってくる。だとしたら肩当てから胴当てのサスペンダーにかけてべったりとこびりついた黒いものは、もしかしたら血液か何かかもしれない。他人の血か、それともモンスターのものか。一見したところ、ザックス自身に怪我の様子は見られないが…その血が彼のものでなければいいと思う。
 よく見ればそのぼさぼさに乱れた彼の黒髪も砂をまぶしたように汚れていた。ここが病室だとすれば、なんとも不似合いな恰好だった。

 クラウドがザックスの格好に気を取られているうちに、ザックスは彼を抱き締める腕にさらに力をこめ、クラウドの頭を自分の胸に押し付けた。抱き締める力は、そのまま、今の彼の心の中の在り様を示していたが、クラウドにそんなことが分かるはずもない。
「…ザックス…? く、苦しいよ?」
 彼の厚い胸板に押された自分の頬はきっと不細工につぶれているに違いないとクラウドは思った。
 その息苦しいぐらいの抱擁に胸がどきどきする。彼の胸から聞こえてくる心音に同調して、もうその音がどちらのものかも分からないくらいになってしまっている。
「お前がもう目を覚まさないんじゃないかと思った。凄く…凄く怖かった」
 重なった身体から、いつもとは違うトーンの低いザックスの声が響いてくる。何かを無理に押しこめて我慢しているかのような声だった。
「帰ってきたらお前いないし、聞けば怪我して入院してるって言うし、もう何日も意識が戻らないって聞いて…」
「俺が…怪我…?」
 怪我なんてしただろうか。
 そのせいで何日も入院して…? だから身体が固まって痛かったのか?
 ザックスは体を離し、少し躊躇うような仕草でクラウドのこめかみの辺りに指先でそっと触れた。
 間近からクラウドを見下ろす彼の顔は、眉尻が下がって泣きそうに歪んでいた。彼のほうがどこかが痛いんじゃないだろうかという感じの表情だ。
 ザックスの指先がそこに触れて、クラウドは初めて自分の額に包帯が巻かれていることに気がついた。
「頭を打ったらしい。人とぶつかって床に転がって、傷は大したことないけど打ち所が悪かったのかもしれないって医者は言ってた。覚えてないか」
「ぶつかって転がった……」
 自分で包帯に指で触れながら、記憶を手繰り寄せ、そういえば、と思い出す。
 射撃訓練の後、物思いに耽りながら廊下を歩いていたら角を曲がった直後に人とぶつかって尻餅をつく形で地面に転がって、確か頭を打った…。
 思い出したせいではないだろうが、後頭部に一瞬鈍い痛みが走る。クラウドは眉をしかめた。
「痛むのか、クラウド」
「…ちょっと…だけ、大丈夫…」
「医者呼んでくる。待ってろ、今――」
 立ち上がり、部屋からすぐにでも出て行きそうな勢いのザックスの腕をクラウドは掴んで引きとめた。今はまだ彼と二人でいたい。離れてほしくなかった。
「大丈夫、だから」
「でも…」
 彼はとても心配そうだ。
 クラウドは改めて横に立っているザックスの姿を薄闇の中、目をこらして見つめた。
 髪も手足も制服も、本当に彼はどこもかしこも汚れていた。
 ミッションを終えてミッドガルに帰着したその足でここに来たとでも言うような印象だ。…いや本当にそうなのかもしれない。
「…ザックス、いつこっちに帰ってきたの…?」
「昨日…いや一昨日の夜か」
「もしかしてそれからずっとここにいてくれた…?」
 身体を洗い流す暇も惜しんで、ずっとずっと傍にいてくれたんだろうか。
 彼の格好を見れば一目瞭然なのに、クラウドは聞かずにはいられなかった。
「お前の寝顔見たら心配で動けなくなっちまって…呼びかけてもお前全然起きないし…」
 クラウドは胸に熱いものがこみ上げてきて苦しくなった。
 甘く狂おしい想いが胸に溢れる。幸せの苦しみだった。


 自分が眠っている間、彼は一緒にいてくれた。
 いつ目が覚めるとも分からない自分の傍で待っていてくれたのだ。
 目頭が熱くなった。
 嬉しさに涙腺が刺激され、目から熱いものがこぼれ落ちそうになってクラウドは俯いた。


 どうしてこんなにこの人は自分のことを想ってくれるんだろう。
 自分にはもったいない、友達以上に、大切で、かけがえのない人。
 あの夜のこと。誰かと間違われて抱かれたんだって思ってた時だって、無体を働いた彼に対して憤りを感じたり嫌いになったりはしなかった。その理由も今は分かっている。
 もうとっくに答えは自分の中に出ていたのかもしれない。
 その意味も名前にも気づかなかっただけで。


 しかし俯いて黙ってしまったクラウドにザックスのほうは慌てた。
「どうしたクラウド? やっぱりどっか痛いのか!?」
 クラウドは嗚咽が漏れそうになるのを唇をかんでこらえ、首を横に振った。
 涙が玉になってぽたぽたとシーツの上に落ちた。
 ザックスはクラウドの肩を両手で抱いて、クラウドの顔を心配そうに覗き込む。
「泣いてんのか…? 俺力入れすぎて痛かったか、ごめんな。どこが痛いんだ?」
「……っ」
 そうじゃないよ。痛くて泣いてるんじゃない。嬉しいんだ。嬉しいからだよ。


 肩を抱く彼の手にクラウドを気遣う優しさが見える。
 ソルジャーの標準装備そのままの格好のザックスだったが、両手のグローブだけは外していた。
 任務の間、終始グローブに包まれていただろう手首の少し上の辺りから指先まで、そこだけが何の汚れもなく綺麗なままだった。その彼の右手にクラウドは自分の右手を重ねた。
 クラウドと同じように武器を扱うザックスの手だが、クラウドのものより骨格ががっしりとしていて、指の一本一本も太くて長い。長年剣を握り続けている彼の指や手のひらにはタコがたくさん存在している。
 クラウドは彼のその手が好きだった。綺麗なばかりじゃないかもしれないけれど、たくさんのものを守り、様々な局面を切り開いてきたその生き様を正直に表した手だ。彼のような手に自分もなりたいと思う。
 クラウドは彼の指をそっと握った。

 確かに繋がっていた。
 寝ている間、この熱をずっと感じていたように思う。
 覚えてはいないけれど、クラウドはそう確信していた。


「ザックス…ありがとう…」
「え…?」
「ずっと…握っててくれたよね。声も聞こえたよ…」

 迷わないように、いつもそっと、そうやってさり気なく彼は道を示してくれる。
 まだまだ頼りない自分を見守っていてくれる。

「約束…守ってくれた。呼んでくれただろ。だから俺、戻ってこれた…」

 甘やかすだけの手を差し伸べるのではなく、時にはそっと背中を押してくれる。
 その先へ、自分を導いて手助けをしてくれる。
 だから自分は彼に寄りかからずにすむし、自分の足で立とうと頑張れるような気がする。





「ありがとう、ザックス」
 ザックスの手を取って、クラウドはその指先にキスをした。
 それが自然な動作だというように、照れや気負った気持ちなんて微塵も感じずにそう出来た。
 この人が好きだ、という気持ちがすんなりとクラウドの心の中に落ちてきて馴染んだ。










「………クラウド…?」
「うん……」
「…や、うんじゃなくてだな…、その、今何したかお前自分で分かってんのかなーとかって…き、聞いてみちゃったりして…」
「うん……」
「俺の見間違いじゃなけりゃ、お…、お前の唇がその…」
「……ん…」
「……」
「……」
「……」





→back
→next13