*大切なもの06





 ザックスが素面でキスしたりだとか好きだなんて言ったこと、それらの意味をあの後しばらくクラウドは自分なりに考えたが、結局「やっぱり彼の思考回路はさっぱり理解できない」という答えにしか行き着けなかった。というか無理矢理そこに落ち着かせた。クラウド自身のためにも。
 だってあのザックス・フェアという男は、自分の理解の及ばない突拍子もないことをしたとしても「ああ、彼だったらそういうのもありなのかも…」と何となくそんな感じで許し、納得できてしまいそうな気がするからだ。常にクラウドの考えが及ばないことをしでかすびっくり箱のような男だ。
 真面目に彼のすることを一から十まで受け止めていたら、こちらが馬鹿を見る。
 だからクラウドはファーストキスを奪われたという不幸を忘れることにした。
 彼のほうもきっと次に会ったときはすっかり忘れているんじゃないだろうかという、淡い期待を胸に抱いて。



 それから数日後、クラウドは本社ビルのエントランスで偶然ザックスに会った。
 クラウドはちょうどその日の任務を終えて宿舎に帰るところで、ザックスは数人の同僚と一緒に話しながらエレベーターホールへと続く階段を昇るところだった。
 黒のジャケットとジーンズに身を包んだ私服姿の彼は、クラウドと目が合うとぱっと笑顔になり、目を輝かせて大勢の中から抜け出し、クラウドがいるほうに引き返してきた。
 クラウドは少し前からザックスがいることに気がついていたが、仕事中は友としではなく社内での立場をわきまえ、同僚らと楽しそうに会話をしている彼にあえて声をかけようなどとは思いもしななかったから、なんとなく視線で彼の姿を追いながらビルをあとにしようとしたのだが、目を外そうとした瞬間に彼がこちらに気がついたのだった。
 近づいてくるザックスを見つめながら、クラウドは焦った。出入り口の自動ドアの前で立ち尽くす。
 次にザックスと会うときは、この前のことは忘れて普通に接しようと思っていたが、まだ心構えが全然出来ていなかったのだとクラウドは気付かされた。
 クラウドの目の前までやってくると、ザックスはなぜだか一瞬だけ恥ずかしそうに視線をそらして微妙な表情をしたが、すぐにまた笑顔になる。
「よおクラウド、今日はもう仕事終わり?」
「う、うん…」
「そっか。一緒にメシでも、って言いたいとこだけど、残念、俺ちょっとこれからヤボ用があってさ」
「そうなんだ…」
 クラウドは目を合わせられなくて俯いていた。
 食事に誘われなくてよかったと思ってしまう自分の心の狭さや余裕のなさが情けなくなる。
 あの夜のことをザックスは忘れているだろうか。
 今までの会話の中には、それらしい含みを匂わせるようなものはなかったように思う。普通の、ごく普通の友達同士の会話だった気がするが、どうだろう。
「あのさ、クラウド」
 急に、それまでの声のトーンとは違う迷いがあるような低く揺れた声がして、クラウドは思わず顔を上げてしまった。
 苦笑いをするザックスと視線が合う。
 気まずさを感じているのが、何もクラウドだけではないということを彼のその表情が物語っていた。ということは、この間の夜のことはなかったことにはなっていないのかもしれないとクラウドは感じ、ますます緊張した。…そうだ。間違いない。ザックスはきっと覚えている。
「実はお前に渡したいもんがあって…」
 とザックスは言いながら、片手をジャケットの内ポケットに突っ込み、何かを探る。すぐにその指先が目当てのものを探し当てたのか、ポケットから引き抜かれた彼の指がクラウドの胸の前に差し出された。
「え…?」
 彼の指がつまんでいたのは一枚のカードだった。
 表地は白地にシンプルなラインと文字でデザインされている何かの電子カード。クラウドにはそれが何のカードなのか分からなくて目を瞬いた。初めて見るようでもあるし、いつかどこかで見たことがあるような気もする。だが思い出せない。
 ザックスは少し笑ってカードをひらりと持ち上げて見せた。
「これ、俺の部屋のカードキー。持ってて」
 クラウドはびっくりしてザックスの顔を見上げた。
 カードキー。
 ザックスの部屋の、鍵。
 それを俺に?
「なんで…?」
 そんな大切なものを自分がもらってもいいのだろうか。
「クラウドに持っててほしいんだ」
「でも俺…」
 それに持っていても使う機会はないと思うのだが…。
「手、出して」
 言葉尻は決して強くはない。むしろ柔らかいのに、そこにザックスの、自分の意思を通そうとする強い思いを感じて、クラウドはおずおずと手を持ち上げた。
 ザックスはクラウドの手のひらにカードを乗せる。そしてクラウドの指をやんわりと包んでカードをしっかりと握らせた。
「実はさ、俺明日からミッションでちょっと遠くに行くんだ」
「え…」
「詳しくは言えないけど聞いた感じじゃ長くなりそうで、なんかやばそうなとこでさ…」
 クラウドは自分の耳を疑った。
 ザックスは視線を落としながら自分の首筋を指でかいている。それは彼がはやる気持ちを持て余したときや対応に迷ったり困っているときなど、彼が自分を落ち着かせようとしているときによくする仕草だとクラウドは知っていた。
 それはそんなにキケンな任務なのだろうか…?
 確かに自分たちは職業上、時として自らの命を賭けた任務に赴くこともある。一般兵のクラウドよりもソルジャーであるザックスのほうが、より難易度や危険度の高い任務を与えられることが多いだろう。
 けれどザックスはいつだって仕事に対しての気負いや不安な面など、クラウドの前で見せたことはなかったし、同様にクラウドもそうだった。
 だからザックスの口から弱気な言葉を聞いたのはこれが初めてで、クラウドは心底驚いた。同時に動揺した。言いしれぬ不安が水に落とした墨のようにクラウドの胸にじわじわと拡がっていく。
「な…に、らしくないこと言ってるんだよ。そんなこと…」
「ん…、でも万が一ってこともあるかもだし」
 万が一。万が一何があると言うのだろう。
「何言ってるんだよ!」
 そんなこと言わないで欲しい。
 クラウドは思わず叫んでいた。
 顔色を変えるクラウドに対して、ザックスは淡々と続けた。
「だからさ」
 クラウドが握っているカードキーにザックスは視線を落とす。
「それ、クラウドに持ってて欲しいんだ」
 ザックスの声音はやけに静かで、何かを決意した男の覚悟のようなものを感じた。
 クラウドも自分の手の中のものを見つめた。
「おまえと俺を守るお守りとして、おまえに持っていて欲しい。俺が必ずおまえの元に帰れるように」
「おま…もり…?」
「そう。おまえの待っているここに、ミッドガルに、絶対帰ってくるから」
「ザックス…」
 いつか見た映画に似たようなシーンがあったような気がする。
 色の褪せたセピア色みたいな印象の映画だった。
『絶対に帰ってくるから、待っていて欲しい』
 兵隊の男が恋人を故郷に残して戦場へと出発するときの別れの言葉、女に決意を語るときの言葉だ。
 あの映画の結末は悲しいもので、男は結局戦場から生還することはできなかった。
 ザックスに限ってそんなことは…と思いたいが、浮かんでしまった怖れや不安は簡単には拭えない。どうしても映画と重ねてしまう。ザックス本人だって「万が一…」と言っていたではないか。

「おまえが俺のことを待ってるんだって思ったら、どんな窮地に立たされても、必ず生きて帰らなきゃって思える気がするんだ」

 そんな…そんな言葉聞きたくない。

「もちろん、使ってくれて構わない。そうだな、俺が帰ってきたときにおまえが部屋で待っててくれたりしたら、すっごい嬉しいんだけど」
「そういうのは…俺じゃなくて…」
「実は部屋の鍵を人に預けるのはおまえが初めてなんだ」
 俺が――初めて?
 驚いてクラウドは顔を上げた。
 視線の先でザックスが照れくさそうに、だがとても穏やかな表情で笑っていた。
「おまえは、俺の特別」
 合鍵を渡されることの意味。
 いくら鈍いと言われるクラウドにだって分かる。
 個人のテリトリーに入ることを許される、自分の存在を無条件に受け入れてもらえるということだ。よっぽどの仲だ。ただの友人関係のふたりの間では成り立たない。
 ザックスにはガールフレンドがたくさんいて、この間は現在はカノジョなし、なんて言ってたいたけれど異性にすごくもてて…。なのに。
「おまえがいいんだ、クラウド」
「……それって、どういう…」
 クラウドの胸が鼓動をはやめる。顔が熱くなる。
「言ったろ。おまえのことが好きだって」
 ああ、やっぱりザックスはあの日のことを忘れていなかった。
 クラウドからファーストキスを盗んだこともしっかり覚えているに違いない。
 ここが本社ビルのエントランスだということも忘れて、クラウドはザックスのまっすぐな瞳を見つめ返した。
 ザックスは人の目をそれほど気にしない質だったが、逆にクラウドは日頃から必要以上にそれらを気にするタイプだ。けれどこのときはそんなことに気が回らないくらいに、目の前のことにクラウドは頭がいっぱいいっぱいだった。周囲の人間の視線を集めていることに全然気付かなかった。

 特別。
 自分が誰かにとっての「特別」であるということ。
 好きだと言われたこと。
 急にザックスの言葉が現実味を帯びてクラウドに襲い掛かってくる。

 信じていいのだろうか。
 …いや、自分は信じたいのだろうか。
 ザックスの言葉を。
 ザックスの想いを。

 この想いを受け止めたらどうなるんだろう。
 もしも…と想像して、不覚にも胸をときめかせている自分がいる。
 そんな自分が信じられない。信じたくなかった。
 好きだって言われた。
 なら自分は…。

 だって彼は…彼は自分と同じ男で、周りの人にもたくさんもてていて…だから困る、間違ってる…、でも…。
 先日からこの問題にぶち当たるとその度に何度も繰り返してきた答えの出ない自問のループにクラウドはまた嵌まる。
 何かしらの答えが出てもすぐさまそれを否定したくなる、自分でも整理のつかない自身の気持ち。

「大好きなおまえの元に帰ってくる。必ず」

 ザックスが立ち去った後も、クラウドは手の中のカードキーを握り締めて立ち尽くすことしか出来なかった。










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