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告白季節
その日の夕方もなぜだか自分の上官であり親友のその男は、人の部屋に我が物顔で上がりこみ、いつものように床にスナック菓子の袋を並べていた。…いや、ひとつ訂正しよう。いつものように菓子を並べてはいたが、いつものように馬鹿みたいに口の中にそれを放り込んではいなかった。
男の子なら誰もが憧れる…かもしれない神羅カンパニーのエリート中のエリート、ソルジャー・クラス1stという地位にいるこの男、ザックス・フェア。しかし今は贔屓目に見てもカッコイイとは言いがたい落ちつかない様子で、机に向かいマテリア学についてのテキストを捲っているクラウドの背中にちらちらと視線を送っていた。その目が背中から離れても、部屋の中をきょろきょろと何かを探るように見回している。その手の中にあるコーンをからりと揚げた黄金色のチップスを、もうどれくらい握り締めているのか。思い切り不審な様子だ。
人の部屋で勝手にくつろぎだすザックスには、当初は「この人一体なんなんだ…」とクラウドは困惑したが、何回も続くといい加減慣れてきて、今では彼が無言で上がりこんでこようが、寝始めようが気にならなくなっていた。彼ならこんなもんだろう、という思いがある。
しかし今日のザックスはいつもと様子が違うようだ。自分の背中に注がれる視線と部屋の中に流れている何とも言えない空気。人によく鈍いといわれるクラウドも、さすがに変だなということを感じ取っていた。
落ち着かないザックスを意識しだすと、クラウドも同じようにそわそわと落ち着かない気分になってくる。
何か自分に言いたいことでもあるんだろうか。
意味がわからないのだが、息がつまるような気持ちになって居た堪れなくなり、クラウドはとうとう降参して振り返った。ザックスと視線が合う。
「………なに」
少しイライラとした気持ちが尋ねる声に混じってしまった。ザックスは椅子に座るクラウドを床の上から見上げ、ほんの少し迷うように視線を泳がせた後、「おし!」とひとりで何か気合いを入れた後、目の前の菓子の袋を脇に追いやってその場に正座した。
「クラウド、訊きたい事があるんだけど」
やはり何か話したい事があったらしい。
ザックスは自分の前を指さしてクラウドに座って、と促した。
そんなに改まって一体何の話だろうと思いながらも、クラウドは言われるままザックスと同じように床に腰を下ろした。
正面からザックスの顔を見る。
男の自分から見てもザックスは男前だとクラウドは思う。すうっと真っ直ぐに伸びた眉、切れ長の瞳、筋の通った鼻、…あれ、鼻の穴がいつもより少し開いてるような気がする。目もきょときょとしてるし…少し緊張している…?
(……なんだろう)
クラウドは何となくこれからザックスがしようとしている話に嫌な予感がした。
ザックスはコホンとわざとらしく咳払いをしてから、クラウドから視線を外したまま口を開いた。その頬が赤く染まっているように見えるのは…気のせいだと思いたい。
「今日が何の日だか、知ってるか」
「今日…?」
カレンダーのある机の方に目を向けようとして、その前に今日の日付を思い出し、クラウドは「あ」と小さく声を上げた。
2月14日。
あれだ。世の男どもがもしかしたらという期待とか、どうせ俺なんてという不貞腐れた感じとかで、落ち着かなくなるバレンタイン・デイという日だ。
クラウドは別段意識していなかったので、今の今までスコンと忘れていた。
そういえば日中、勤務地が同じだった同僚が「俺はチョコレートなんて好きじゃないからいいんだ」とかなんとか言っていたのを思い出す。その時は適当に彼の話に相槌を打って流したのだが、そうか、あれはそう言う意味だったのかとやっとクラウドは納得した。彼は付き合っていた彼女と最近別れたといっていた。
「そういえば、バレンタインだね」
ザックスはクラウドの顔をちらりと見ては、またそっぽを向いた。…やはり顔が赤いような気がする。
「く、クラウドはその…チョコ、誰かに貰った?」
「貰うも何も、今までそんな日だって忘れてたくらいだし。…貰ってないよ、悪かったな」
目の前のこの男が、物凄く女の子にモテるヤツだということをクラウドは思い出していた。
「何?自慢したかったの?自分は両手で持ちきれないくらいチョコ貰ったって」
ム、とした顔で言い返すクラウドに、ザックスはぶんぶんと大袈裟なほどに両手を胸の前で振り回した。
「違う、違うって!俺今年誰からも貰ってねえもん!」
「?」
「今年は本命のコからしか貰う気ないから、全部断った!誓って誰からもひとっつももらってねえし!」
そこまで自分に向かってムキになって力説することだろうか、と思ったが、本命、という言葉がクラウドの心に引っかかった。
「…本命……」
ザックスの周りにはいつも何人もの女の人たちがいた。その中の誰かに、ザックスがこの人だと思うような本気でお付き合いしたい人が現れたということなんだろうか。
クラウドは、未だに女性に対して興味が薄く、ザックスが色々な女性と連絡を取り合っていたり、付き合ったりしているのを見たりしてもしても、羨ましいなんて思ったことはなかった。ザックスは女の人が好きなんだな、マメだなあと思う意外に大した感慨を抱かなかったのだが……なんだろう。彼が一人の女性に決めたというのなら、クラウドとしてはその方が女性に対して誠実で好ましいことのような気がするはずなのに、なぜだか胸の中がざらついたようにモヤモヤする。
でも、トモダチに恋人ができた、ということはきっと普通は喜んであげるべきことなのだろう。
「……よかったね。恋人、できたんだ。じゃあこれからはあんたの周りの女の人たち、少しは落ち着くかな」
クラウドは努めて明るく、笑って言ったつもりだったが、顔の筋肉が意に反して引きつった。
なんでこんな気持ちになってんだろう、とクラウドは自分でもよく分からないけれど泣きたい気分がこみ上げてきて困った。胸に重たい石を乗せられた感じだ。苦しい。
ザックスは首の後ろをかきながら、「あー」とか「うー」とか言いながらクラウドの顔をうかがっている。
「…やー…、その、恋人同士じゃないんだ、まだ」
「………?」
「まだ俺の片思いっていうか…まあ、そいつも俺のこと嫌いじゃないんだと…うん、多分そう思うんだけど……」
「片思い?まだ告白してないの?」
こくり、と無言でザックスは頷いた。
その恥じらいよう、どこの純情ヲトメですか、という風情だ。
頬はやはり見事に赤く染まっている。気のせいじゃなかった。
ザックスって…とクラウドは思う。いつも調子が良くて女の子にモテて扱いに慣れてて、それなりに遊んでいるように見えるが、意外に根っこは純朴な男なんだろうか、なんて今更だがそんなことを感じた。
「告白すればいいのに。ザックスならきっと大丈夫だよ」
「んー…、そっかな…」
恋愛相談なんて自分には全然できそうもなかったが、トモダチとして彼を励ますつもりで、クラウドはさっきからずっと苦しさを覚えている胸をなだめながら無理して笑った。
ザックスは難しい表情で、クラウドの顔からなぜか視線を離さない。
(……変な顔、してるのかな、俺)
無理しているのが分かるんだろうか。
「本当に、そう思うか?そいつ、少し鈍くてさ、多分俺が告白したら凄く驚くと思うんだ。俺のことただのトモダチだって思ってるから」
何でそんなことを自分に聞くんだろう。
恋愛なんて分からなくて、なんて答えたらいいのかクラウドには分からない。
俺にそんな話しないでほしい。それになんで…。
なんで、俺、こんな気持ちになってるんだろう?
苦しい。そんな風に見つめないで欲しかった。
彼は自分の知らない誰かの話をしていて、その人と彼はこれから自分の知らない時間を共有するのだろう。トモダチの自分には入り込めない関係…、当たり前のことなのに、この心の中に渦巻く重い感情はなんだというのだろう。
ザックスに想われているただ一人の、顔も名前も知らないその彼女のことが、羨ましいとでも言うんだろうか。
ザックスはおもむろにジーンズのポケットから、小さな箱を取り出した。少しつぶれて形がいびつになっているそれには、細めの青いリボンが巻かれていた。
「チョコ、そいつにもらえそうにないからさ、なら自分が渡せばいいかと思って、昨日の夜作ったんだ」
ザックスはリボンをスルスルと解き、箱の蓋を開ける。
中には小ぶりの丸くて茶色い菓子がころころと幾つか入っていた。見かけは形が揃っていて綺麗だ。
「……ザックスが作ったの?」
「ああ」
彼は料理なんてしそうもないと思っていたが意外に器用なのかな、と思う。
「ちょっとクラウド、口あけて」
唐突にそう言われて、クラウドはびっくりする。
「え?」
「いいから。あーんして、ほら」
ザックスはチョコをひとつ、指先でつまみあげてクラウドの鼻先にかざした。目の前の彼の全身から、さっきまでのモジモジとした感じとは違って、今度はうきうきとした嬉しそうな雰囲気が伝わってくる。
彼と一緒に過ごすたびに思うが、彼の思いつきや心の切り替わる瞬間、その切欠が何なのかというのがクラウドには掴みきれなくて、訳も分からず彼に振り回されることが多々あった。
今も彼の中でスイッチが切り替わる瞬間があったのかどうかがクラウドには分からなかった。
目の前のチョコをクラウドはじっと見つめる。
彼女のためにザックスが作ったチョコ…。
自分が食べていいのだろうか。そうか、味見して欲しいんだろうか。
クラウドは複雑な気分だったが、余りその理由を深く考えたくなくて、素直に口を開いた。
口の中にそっと放り込まれるチョコレイト。
舌の上に乗せてから噛み砕く。
苦い、と思ったら、中からとろりとミルクのような甘いものが流れ出した。
クラウドはびっくりして目を見開く。
いつの間にかすぐ目の前にザックスの顔があって、不思議な光を湛えて青く瞬くその双眸がじっとクラウドの目を覗き込んでいた。
チョコを飲み込むのも忘れて、クラウドは戸惑う瞳で見つめ返した。口の中の甘ったるい匂いが鼻に抜ける。
「どう?おいしい?」
「お…いしい…けど、」
そんな至近距離になんでいるんだよ、と思う。慣れない距離に戸惑い、顔に血が上った。そんな風に、熱がこもっているような真っ直ぐな目で見つめられたら、どうしていいのか分からなくなる。
ザックスがにっこりと笑った。
「良かった。じゃあ、お礼に俺にも味見させて」
「は?あんた、人に味見させといて自分では食べてな」
食べてないのか、と続けるはずだった言葉は、しかし最後まで言えなかった。
不意に伸ばされたザックスの右手に首の後ろを掴まれて、引っ張られる。クラウドはバランスを崩しそうになったが、その身体をザックスが難なく受け止めた。
さっきも相当至近距離だと思ったけれど、更に互いの顔が近づいて…。
唇と唇が触れた。
これは、キス。
触れた、と思ったら、クラウドの唇の上をぬるりとした感触がして、それがザックスの舌の仕業だと理解したら、クラウドの頭の中は真っ白になった。驚いて思わず悲鳴を上げようと口を開いたところを、好機とばかりにザックスの舌がクラウドの口内に入り込んでくる。
こんな風に内側まで入り込んでくるような、他人との深い接触をクラウドはしたことがない。
…、いや思い出した。前に一度だけあった。二ヵ月前のクリスマスイブ。みんなで集まって騒いだあの夜、罰ゲームと称して同じような深いキスを彼としたことがあったのを思い出した。
意味も分からず、されるがままに口の中を好き勝手されているクラウドではなかった。あっという間に我に返ると、ザックスの胸を押し返す。それぐらいでは彼の身体はびくとも動かないと分かると、拳で叩いた。すると意外にあっさりと簡単に彼は唇を解放した。
口が自由になった途端、クラウドは今度こそ力いっぱい彼の身体を突き放し、睨み返した。
「な、な、なにするんだよっ!?」
「ん、やっぱ甘い」
「……っっっ!!」
ザックスは満足そうに笑いながら、自分の下唇をぺろりと舐め上げた。クラウドの視線は自然とそれに釘付けになる。あれが自分の口に引っ付いて、さっきまで……。感触とか、思い出したくもないのにしっかりと頭の中に記憶されていて、どきどきと胸はうるさいくらいに高鳴った。
何か言いたくても口をパクパクと動かすことしかできなくて、顔どころか首筋まで真っ赤に染めたクラウドは、目の前で「ごちそーさま」と照れくさそうに笑っている男の顔をただただ見つめる。
「お前に合わせて、ちょっと甘めなの作ったんだけど、気に入ってくれた?」
ザックスのその言葉に、クラウドは自分の耳を疑った。
「ちょ、どういう意味?俺に合わせてって、…だって、これあんたの本命の彼女にプレゼントするためのチョコだろ?俺の好みに合わせたって…え、え??何で……??」
意味が分からない。
顔を赤くしながら、本当に分からないというように首を傾げているクラウドに、ザックスは苦笑まじりの笑みを浮かべた。
「うーん…、やっぱ遠回りにじゃあお前には伝わんないんだなあ。さっき俺言ったじゃん。本命のコからしかもらいたくないけど、もらえなさそうだから自分でチョコあげることにした、って」
「え…、うん、言ってた、けど」
「そんで、別にさっきのはお前に味見させた訳じゃなくて…だな」
「…………」
「えっと、これでもまだわかんねえ……?俺の本命、ちょっと鈍くて、俺のこと“トモダチ”としか見てないやつで…」
それって、つまり。
いや、でも、まさか、そんな。
「ひ……っ、」
「ん?」
「ひひ、ひ、人のことからかって、そんなに楽しいかっ」
彼が自分を好きだなんて。
そりゃあクラウドだってザックスのことは好きだけれど、それはあくまでもトモダチとしてだ。クラウドの数少ない友達の中で、「好き」に順番をつけるとしたら、それは確かに1番かもしれないが、それ以上でも以下でもない…筈だ。
それに何より自分は男だ。ザックスと同じ、男。それだけは、何があっても覆されない事実だ。
だから、まず最初にクラウドの頭に浮かんだのは“からかわれている”という可能性だった。
「そりゃあ俺はバレンタインなんてイベントには無縁で、一度も誰からもチョコなんて貰ったことないよっ。こんな…っ、き、キスまでして、クリスマスのときといい今日といい、人の唇なんだと思ってんだ!?あんたには、いつもしてるような何でもないことなのかもしれないけど、俺にとってはな……っ」
「え、待てって、クラウド!別に俺、からかってないって、すっごく真面目!」
「真面目なわけあるかっ」
「何で!?大真面目だよ俺!」
怒鳴るクラウドに、必死に訴えるザックス。二人して身を乗り出したために、再び両者の距離が近づいた。
「…なあ、じゃあ、俺ちゃんと言うから。しっかり聞いてくれ、クラウド」
ザックスの右手が持ち上がり、今は怒りのために染まったクラウドの頬を、それから耳にかけてを優しく掌で撫で上げた。それが慈しみの心がこもった動作であることは、いかに鈍いクラウドにも分かった。
自分を見つめる真剣な青い双眸にも、明らかにいつもと違う熱がこもっているような気がして、クラウドの心から一気にすうっと怒りが消えていく。
「今日は特別な日だから、言ってもいいよな。お前も俺なら告白しても大丈夫って言ってくれたし…、ホントは今日は言おうか言うまいか迷ってたんだけどさ、…うん、言うよ。ずばっと言っちまったほうが、お前にはいいような気がするし」
「は…、ま、待って、ちょ、あの、」
怒りに代わって、今クラウドの心をしめているのは、溢れそうなほどの不安と緊張だった。自分の心臓の音がうるさい。
嫌な、予感がする。
聞いてはいけない。
それを聞いたら、もう元の場所には引き返せないような気がした。無意識にでも心を預けてしまえるくらい居心地の良かった、自分の中の彼の場所が変わってしまうような気がする。
「俺、いつの間にかお前のことが」
こんな、微塵もからかった響きなんてどこにもない声で、顔で、全身を自分に向けて。
笑えない。
信じられない。
嘘だろ。
こんなことって。
誰か嘘だといってくれ。
けれど頬に感じる彼のぬくもりが、彼を全て肯定する。
「お前のことが、好きになってた。俺はクラウドが、好きだ」
好きだ、なんて。
そんなこと、言われたって困る。
あんたの求めるものは、「トモダチ」のそれじゃないんだって分かるから、困る。
だけど。
顔が熱い。視線がそらせない。胸は苦しくて身体はジンとしびれたように動けなくて。
どうしたらいいのか分からない。
戸惑いと…、でもほんの少し、片隅に、喜んでいる気持ちがあって。
クラウドにはそんな自分自身が信じられなかった。
床の上、箱からこぼれ落ちたザックスのチョコレートがころころと転がっていた。
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