願い





 コンコンコンコン、と。
 何かが窓を打つ音がした。
 時間は早朝。何事かと部屋の住人が起き出す。
「……?な…んだ?」
 眠い目をこすりながらカインが体を起こした。部屋の反対側のベッドの上で丸まるようにして眠っていたクラウドが「うー」と不明瞭なうめき声を上げる。
 依然としてカーテンの向こうから窓を打つ音が続いている。注意して耳を傾けると、途中からその音が何かのリズムに乗って軽快に鳴り出した。
「…窓の向こうに誰かいるのか…?」
「………う」
 クラウドものそりと体を起こした。金色の髪が寝癖であちこち跳ね上がっている。不機嫌全開でベッドから降りると、窓に近づき躊躇うことなくカーテンを開けた。そして窓の向こうに見えたのは……。

「よ、クラウド!」

 なぜか窓に張り付いたソルジャー・クラス1st、ザックス・フェア。
 ジャケットにセーター、首元にはマフラーをぐるぐる巻いた私服姿の彼が、寒さに鼻の頭や頬を幾分赤くして窓の向こうから手を振っていた。
 どうやら彼が調子よく窓を打って、室内の人間に「起きてくれ〜」の合図を送っていたらしい。

「げっ!ザックスさん!?」
 驚いたカインはベッドから転げ落ちた。
 クラウドの方はというと、さほど表情を変えず、むしろまだ眉間にシワを寄せながら、無言で窓の鍵を外した。ザックスは開いた窓から悪びれもせず入ってくる。
「おはよ、クラウド。それとこんな時間に悪ィな…、ええと……」
 ザックスは部屋を横切りながら、ちらりと床に転がっているカインを見て、?という顔をした。どうやら名前を思い出せないらしい。この人結構クラウド意外には適当だからな…と内心でカインは溜息をついた。
「カインです。カイン・バートン」
 起き上がりながらカインはザックスの行く先を目で追う。案の定彼はクロゼットの前で立ち止まった。何ヶ月か前にも同じような光景を見たような気がする。
「おう、カイン。すぐ出てくから、ちょいごめんな」
 例の如く勝手に人のクロゼットを開け放し、クラウドの服を物色し始める。
 毛糸のセーターとコート、ブラックジーンズを次々と引っ張り出してクラウドのベッドの上に並べた。
 それをずっと腕を組みながら眺めていたクラウドが、この時になってやっと口を開いた。
 不機嫌さを隠そうともしない。
「……こんな時間に何なんだよ」
 深い青色のマフラーを手にとってザックスは振り返った。
「よしクラウド、これにちゃちゃっと着替えちゃって!」
「………なんで」
 人が寝ていたところに突然やってきて着替えろとはどういうことだ。
 ザックスはクラウドに近づいてきて寝間着に手を伸ばした。ご親切にも着替えを手伝ってくれる気らしい。
「出かけんの!ほら急いでクラウド、時間がない!」
「ちょ…、意味わかんないって。今日は別に約束してないよね?俺オフじゃないし数時間後には仕事だし眠いし……って、そういえばザックス、いつこっちに帰ってきたの?」
 しかし不服そうな顔はしているものの、ザックスが着替えさせようとする手をクラウドは拒まなかった。頭からセーターを被せられると腕を通し、寝癖を撫で付ける彼の手をさせたいように許した。
「今さっき帰ってきた。ホントは昨日のうちに帰ってきたかったんだけど」
「だったらこんなとこに来てないで、ゆっくり休みなよ。こんな時間に一体どこ行くつもり…」
「よし、準備万端っと!」
 最後の仕上げとばかりにザックスがマフラーを首に巻ききゅっと締めたので、クラウドは「う」と呻いてしまった。
「靴履いたか、履いたな、よし行くぞ」
「え、だからどこに……」
 よいしょ、といきなりザックスがクラウドを横抱きに抱き上げた。
「え、ええっ!?何すんのザックス!?」
 ザックスはにやりと笑い、クラウドを抱いたまま窓に近づいた。そこでカインを振り返る。
「んじゃ邪魔したな。ゆっくり眠ってくれ!」
 ザックスは足を窓の桟にかけた。乗り上げ、間を置かずにその向こう側へと体を飛び出させる。クラウドの体ごと夜気の中へと消えた。

「……!」
 びっくりしてカインは窓に走り寄った。
 クラウドの悲鳴だか悪態だかが尾を引くように小さくなっていく。
「ここ六階だぞ…!?」
 遥か下の闇を目を凝らして見つめたが、二人の姿を視認できなかった。
「またクラウド拉致られた…」
 ザックスの唐突な行動に良くも悪くも慣れつつあるクラウドの同室者カインだが、毎度毎度嵐のように現れては去っていく彼の勢いに圧倒されて感じる疲労感はどうしようもない。
(あの人、やっぱりここまで壁をよじ登ってきたんだよなあ……)
 その様を想像してしまい「すげぇとは思うけどカッコ悪いかも…」と思わず呟いてしまった。


 宿舎の入り口のところに停めてあったバイクの脇でザックスはクラウドの体を下ろした。神羅製のシルバーボディが闇夜に鈍く光っている。
「び、びっくりし、た……」
 真夜中の空中ダイブは、クラウドの眠気を完全に吹き飛ばした。ほとんど涙目になって、地面に下ろされたときも一歩よろめいてしまう。
 ザックスはバイクにまたがり後ろに乗れよとクラウドを促す。
「だからどこ行くんだよ…」
「いいとこ、ほら乗って!」
「………」
 渋々クラウドは後ろにまたがり、控えめにザックスの腰に手を回した。
「もっとちゃんと掴まってねえと落っこちるぞ」
「うわっ」
 クラウドの手をぐいっと引っ張り自分の前にしっかりと回させる。
「お、そういえばおまえ乗りモン弱いんだっけか?」
「バイクは大丈夫だと思う…ねえ、メットは!?」
「悪ィ、置いてきちまった。寒かったら俺を風除けにして、はみ出ないようにしとけ!」
「安全運転してよ!」
 とクラウドが言い終わらないうちに、急な加速をつけてバイクは走り出した。


***


 二人を乗せたバイクはミッドガルの市街を抜け、荒野を走る。砂煙がもうもうと立ち込めた。
(シャレになんないくらい寒いんだけど…っ)
 クラウドは少しでも暖が欲しくて、ザックスの背中にぎゅとしがみついた。すると背中越しにかすかにザックスの体から振動が伝わってきて、彼が笑ったのが分かった。
 バイクは小高い丘を登っていく。幾らか坂を上り、ひらけたところに出たところでザックスはバイクを停車させた。部屋を出てからかれこれ30分ほどの時間が経過した頃だった。
「間に合った〜」
「ここが目的地?」
「ああ」
「………?」
 見渡す限りこれといって何もない場所だ。この辺一体では一番高い丘の上かもしれないが、周囲には人もモンスターの気配もなく、目の前にただ横たわっているのは砂、砂、砂の荒地のみ。
 バイクを降りてからぽかんと立ち尽くしているクラウドの手を取って、ザックスは見晴らしのいい場所まで彼を連れて行く。そして水平に腕を上げて指さした。遥か、地平線を。
「もうすぐだと思うんだ」
 天と地の境界線が薄っすらと明るんでいる。
 何がもうすぐなのか、なんて聞くほど野暮でもないクラウドだったが。
「な…んで…?」
 一日の始まり。
 光の生まれる時間だ。
「ホントは昨日来たかったんだ」
「昨日?」
「一月一日。一年の始まりだっただろ」
「そうだけど」
 それと日の出と何の関係があるのかクラウドには分からない。楽しそうなザックスの横顔を戸惑いながら見上げていたら、にやりと笑われてクラウドはムと口を曲げた。
「俺がかっこいいのは事実だからクラウドが見とれても仕方ないけど?」
「っ、んなわけないだろっ」
「今は俺を見るよりも、ほら」
 二人の体を橙色の光が照らし出す。
 冷えた空気の中、遮るものなく真っ直ぐに届いた生まれたての暖かな光。
「………」
 クラウドは声もなく、ただその光景を見守った。
「凄い…」
 見とれていたら、ザックスに肩を叩かれた。
「よおしクラウド、願い事か一年の目標とか、なんかとにかく祈れ!」
「は!?え??何いきなり?!」
「ダチに聞いたんだ。初日の出…要するに一年の最初の夜明けに向かって手を合わせて祈ると願い事が叶うってさ。だから早く」
 ザックスが大地に顔を出した太陽に向かって両手を合わせて目を瞑るのを見て、クラウドも慌ててそれに倣った。
(いきなりそんなこと言われたって…、願い事願い事……ええと……)
 目をぎゅっと瞑りながら、願いごとを探したクラウドだった。なかなか思いつかず、おかげでずいぶん長いこと手を合わせていたようだ。やっとのことでクラウドが合わせた手を解いたとき、とっくに祈り終わっていたザックスがこちらをじっと見つめていた。
「………な、に?」
「……ホントに綺麗だと思って」
「え…?うん、そうだね」
 朝陽のことを言っているのだと思ってクラウドも頷く。
 だが自分を見下ろす彼の視線が余りにも穏やかで優しい感じがしたので、クラウドは落ち着かない気分になって目をそらしてしまった。何となく気恥ずかしさがこみあげる。
「終わったか、お祈り」
「う、うん」
「何祈った?」
「何って…、別に何でもいいだろ。そういうザックスは何お願いしたんだよ」
「俺は……」
 ザックスはやや考える素振りをしてから答えた。
「うーん、やっぱ内緒」
「なんだよ、人に聞いといて」
 ははは、とザックスは笑って、クラウドから朝陽にまた視線を戻す。早くも太陽は地平線から完全にその姿を出していた。
「昨日仕事じゃなかったらなあ。もう二日だから初日の出じゃないし、効力薄かったりするかな」
 冷たい空気の中、朝陽に照らされて独りごちる彼の横顔に、クラウドはどこかいつもの彼と違うものを感じて胸が騒いだ。
「でも思いついたらやっときたいなって思ったんだ。一日遅れでもやっときたいなって。後で後悔したくないからさ。来年なんて……」
「……どうしたんだよ、ザックス。何かあった…?」
 遠征先で何か嫌なことでもあったのだろうか。彼を不安にさせるようなことが。
「………」
 ザックスの青い双眸は地平線の上に上がった太陽に向いたままで、それには答えない。
「ザックス…?」
「………」
「ザッ……、」
「なーんてな」
(え?)
 不意にザックスがくるりとこちらを振り向いた。ぺろりと舌を出す。
「ホントはただおまえと朝のデートしてみたかったとか、そんな理由だったりしてな」
「は?」
 ザックスは両腕を上に伸ばし大きく伸びをすると、よし!と大声を出してから踵を返した。さっさとバイクの停車してある場所に向かう。
 さっき自分が感じた彼の違和感は気のせいだったのだろうか、とクラウドは思った。
 バイクにまたがり自分を手招く今の彼はいつもの彼と何ら変わらない。
 明るく気さくで少し落ち着きのない、自分が知っている親友だ。
「帰るぞー、クラウド」
「え、もう帰るの?だって今さっき来たばかり…」
「おまえ今日仕事なんだろ」
「そうだけど…」
 バイクのエンジン音が朝の静けさの中に響いた。

「………気は済んだの?」
 クラウドはザックスの後ろに収まる前に、その背中に向かって聞いた。
「ありがとな、クラウド」
 ザックスは笑ったようだった。


***


「ザックス!俺また見たいな、日の出!」
 バイクは荒野を走り抜ける。
 クラウドは風に負けないくらい声を張り上げた。
「俺と朝デートしたいって?」
「バーカ!デートはともかくさ、あんたが見たいんならいつだっていいんだ!別に一月一日じゃなくたっていいと思う!俺いつだって付き合うからさ!」
「今朝みたいに壁よじ登って、いきなり思いつきで夜中におまえを叩き起こすかもよ?」
「あんたの『いきなり』は今に始まったことじゃないだろ!いいよもう、あんたなら!」
 それに何かザックスが答えたようだったけれど、クラウドの耳は聞き取れなかった。


 あんたが何を祈ったのかは知らないけど、俺の願いはね、ザックス。

“またザックスとこの景色を見ることができますように”









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