36520





 テーブルの上に並べられた料理を前に、シャワーを浴びて浴室から出てきたクラウドは首を傾げた。
 いつもの夕食よりも確実に5品分ほど皿の数が多かった。ご馳走、と言ってもいいほどの豪華なそれらをじっくり眺め、考え事をするときの癖でいつものように眉間にシワを寄せる。
「……?」
 今日は何か特別な日、だっただろうか。
 キッチンからワインのボトルを片手にやってきたザックスが、にこにこしながらテーブルに着いた。
「お、出てきたなクラウド。さ、座って座って」
 やけにザックスは上機嫌だった。
「…何?」
「ん?」
「や…、この料理…」
「お祝い」
 にっこりと笑うザックスの顔を見ても、クラウドは彼が何を祝いたいのかが分からなかった。
「あんたの誕生日…じゃないよな」
「違うなあ」
「じゃあ何」
「なんだと思う?」
 こういう風にきいてくるときのザックスは、試すような視線をクラウドに向け、楽しそうだ。どうせ分からないだろうと彼に思われているような気がして、クラウドはそれが悔しくていつもムキになってしまう。
「……なんか任務中にいいことがあったとか?」
「はずれ」
「…スクワットの連続回数記録更新とか…」
「毎回記録更新だし、俺」
「………」
「ヒントは、俺の、じゃなくて俺とお前のお祝い」
 途端にクラウドが顔を上げて焦りながら言った。
「だから俺OKしてないっっ!!」
「ん?」
「あんたのふざけたプロポーズの返事だよっ」

 このクラウドの目の前にいる(見た目は)爽やかな神羅カンパニーが誇るソルジャーである男は、数週間前、クラウドに朝昼晩の挨拶をするかのような調子で、「結婚しようか」と持ちかけたのだった。
 勿論クラウドは冗談だと思った。いくら身体の関係が彼とはあると言っても、自分が彼の恋人だと思ったことは一度もない。
 とにかくクラウドは生まれてこの方、結婚なんていうものを一度も考えたことがなかったし、彼が本気で言っているとも思えなかったので(本気だったら頭がおかしいと思う)、そのときすぐさま「しない」とはねつけたのだが、「少しは考えてくれたっていいだろ」というザックスの一方的な話の結びで、プロポーズの返事は保留ということになっていた。
 そしてなぜかあのなんちゃってプロポーズの翌日から職場にクラウドとザックスの結婚の噂が広まった。
 あるわけないだろ。ていうか噂の出所はどこだ。
 陰でこそこそからかう者、向けられる好奇の視線、クラウドの機嫌は一気に氷点下に落ちるほど悪くなったが、その噂も近頃は大分おさまってきていたから、クラウド自身も忘れかけていた。

「返事はいつまでも待つぜ。いい返事がもらえるまでな」
 ザックスは器用な手つきでボトルの栓を抜いた。小気味よい音が部屋に響いた。
 いつまでも突っ立ったままのクラウドに、再度座れと促す。
「え…違うの?」
 クラウドが結婚に前向きらしいとか何とか、そういう間違った噂がザックスの耳に入って、それで喜んだザックスが先走ってご馳走を用意したとかじゃないのか?
 ザックスは苦笑した。
「…まあこれからの二人の未来に乾杯、には変わりねえけど」
 クラウドは腑に落ちない表情のまま椅子を引いて席に着いた。
 ザックスが手を傾けて注いだグラスの中の液体の揺れるさまをじっと見つめる。
 自分のグラスにも注いでから、ザックスはグラスを掲げてクラウドに笑いかけた。
「今日という日に、感謝をこめて」
 微笑まれても、クラウドには相変わらず何を祝ったらいいのか分からない。
「だから、今日っていったい何…」
「ほら、クラウドも」
「………」
 渋々、クラウドもワイングラスを持ち上げる。
「ありがとな、クラウド」
「……どうも…。意味わかんないけど…」
 喉を潤すワインは香りがよく、とても優しい味がした。


*


「いい加減、教えてくれたっていいだろ。気持ち悪いよ」
 食事はおいしいし、全然文句はないけれど、何を祝っているのかが分からないのでは、クラウドは気になって気になって仕方がなかった。ザックスがいつにも増してにこやかなのも気持ち悪い。
「えー、でもクラウドに自分から思い出して欲しいなぁ」
「思い出す…? なんだよそれ。あんたがこうやって引っ張るときって、ろくなことがないんだよな。あ、もしかして下ネタっぽいの…」
「確かに俺は下ネタで生きてるけどねー」
「だよね。なんでこんなヤツがもてるんだろ」
「そんな俺が今じゃお前一筋だってことホントに分かってる?」
「はいはい、ありがとーございます」
「信じてねえし」
 棒読みなクラウドの返事に、ザックスは唇を突き出して面白くないという顔をしてみせる。
「それで? 今日が一体何の日なのかって話してくれる気あるの、ないの?」
「うーん、どうしよっかな」
 ザックスが話してくれる気がないのなら、クラウドは割り切って、目の前の料理に集中したほうがいい。何よりこんなにおいしいものをおいしく楽しく頂かなければ勿体ないというものだ。

 ふと、世間一般的には、彼みたいな人が理想的な恋人なんだろうかとクラウドは考えた。
 ソルジャーっていうのは微妙な職種だが、料理は出来るし、まあ性格は優しいし、見目もカッコイイし、女の子は喜ぶかもしれない。
 ベッドの中では意地が悪いような気がするけれど…、待て、そんなことはどうでもいいこと…いや重要なことか…? だってこの男ときたら人の上に乗っかればそりゃあもうやりたい放題で……。場に似合わないことを思い出しそうになって、ひとりであわあわと赤面したクラウドの耳に、ザックスの声が飛び込んだ。


「365」


 さんびゃくろくじゅうご。数字だ。
「な、何?」
 それだけ言われても何を意味するのか分かるはずがない。唐突過ぎるそれに、クラウドが慌てて顔を上げると、ザックスはそっぽを向いていて、切り分けたローストチキンをもそもそと口に運んだところだった。

「だから365日目、なんだ」
 365。そうだ、それは1年という暦を区切る数だ。

「何が365日目?」
「俺とクラウドが会ったの、丁度去年の今日だった」
「え……」
 そう…だっただろうか?
 クラウドの視線の先で、ザックスは目を伏せて少しだけ笑った。
「俺は覚えてるよ。あの日は俺が大切な人を失った日で、そしてお前に会った日だ。一生忘れられない1日になった」


 雪深いモデオ渓谷の上空で起きたアクシデントのせいで、クラウドがザックスと話をする機会を得たあの日。
 ザックスは、大切な人と決別したのだと彼と休日を過ごすようになった頃、それからもう大分後になってから彼の口から断片的にだが聞いていた。その人との別れは余程辛かったのだろうか。現に今でもザックスはそのとき受けた心の傷をを引きずっているような気がする。
 こうして決して短くはない時間を彼と共有するようになってから、ザックスがただ底抜けに前向きで明るい男だというわけではないのだということをクラウドは理解していた。彼の中の闇をや迷いを時折感じ取れるようになった。それを彼がクラウドには見せないようにいつも気にかけているから、クラウドも気づかないふりをしている。


「……そっか。もう1年たったんだ…」
「ああ」
「じゃあ、お祝いというよりはその人を懐かしむ…みたいな感じだね。俺その人のこと知らないし、俺が相手じゃ、話もはずまないよ? それでもよくて、あんたが話したいんなら聞くけど」
「え? いや、別にあいつの昔話したいわけじゃねぇよ」
「じゃあ何?」
「だから人の話聞いてたか、クラウド。その日はお前と俺が始めて話した日だっての」
「……うん?」
「お前に会えた日ってのは俺には嬉しい日で、お前だって俺と話した日なんだから、なんかこう特別な日だったりしねぇ? お祝いとかしたくねぇ?」
「…別に?」
 ザックスと初めて話したあの日のことを思い出せば、今でも少し面映く甘酸っぱい気分にクラウドをさせるのだが、ザックスのように日にちに思いいれはなく、特別な日だから祝いたいなどとは思わなかった。
 しかし、ザックスの言い分を素で否定する返事に、ザックスは納得がいかなかったらしい。
「1年も付き合いが続いてて、しかも恋人になって今度結婚するんだから、祝いたいだろ、フツー!?」
 チキンの刺さったままのフォークを力いっぱい握り締めてそれを振り回しながら、ザックスは力説した。
 対してクラウドは、聞き捨てならない言葉にかちんときて言い返した。
「は!? だから結婚て何!? 俺はしないって言ってんだろ!!」
「俺ん中ではもう決定事項なんだよっ。故郷の父ちゃん母ちゃんにも手紙書いて送るぜ今度っ」
 さっきはプロポーズの返事はいつまでも待つとかなんとか言っていたくせに、だ。
「勝手なことするなよ! ていうか恋人って何!? 俺がいつからあんたの恋人になった!?」
 ザックスの両親だって、自分の息子の結婚相手が男だと知らされたら、気持ちのいいものではないだろうとクラウドは慌てた。このザックスという男は、思ってもいないことを口に出したりはしない。放っておけば、本当に数日後には故郷に向けて手紙を書きそうな気がする。
「こ、恋人だろっ! てかちょ、お前、じゃあなんだと思ってたわけ!?」
 ザックスがぎょっとして気色ばみ、勢いよく椅子から腰を上げた。
「え…っ」
 何って…何だろう。
「……セフレ…とか」
 本当のところ、ふたりの関係性を言葉で表すのに、これというぴったりのものをクラウドは今まで見つけられないでいた。
 友達だとは思う。でもただの友達ならばセックスなんてしないと思うし、だけどただの友達というには少し近すぎる存在のような気もするのだ。
 しかし、ザックスはクラウドの口から出た単語に目を見開いて絶句した。
「……っ!」
 ザックスの蒼い目が落ち着きなく左右に何度か泳いだ後、やがて瞼の奥に隠れ、がくりと肩を落とした。
「…ザックス?」
 その口から出てくる重い溜息に、クラウドは慌てた。
「あのさ、でもちょっとそう思ってるだけで、友達だけど、ただの友達じゃないよなって思って、だからその…っ」
「…20」
「え…?」
「…ちなみに今夜で20回目」
 ザックスは抑揚のない声で言った。
 俯いているので表情は分からないけれど、声の調子から彼は怒っている…のだと思う。
 365の次は20。今度は何の数字だろう。
 ザックスは静かに椅子に座りなおすと、黙々と食事を再開した。
 クラウドは彼にどう声をかけていいのか分からなくなって俯いてしまう。
 ザックスの様子が気になるけれど、どうしたらいいのか分からなくて、だけどザックスのように何事もなかったかのように食べ始めることも出来なくて、じっとしていると、ザックスが口を開いた。
「…食えよ」
「………ザックス、ごめん」
「謝んな。悪いと思ってないくせに」
「………」
 ザックスの言葉がクラウドの胸に突き刺さる。


 だって、クラウドは自分がザックスの恋人だなんていうおこがましいことはこれっぽっちも考えたことはないのだ。なのに、結婚とか両親に紹介とかそんなことを言われても困る。放っておくと本当に彼がそれを実行しそうで…、だって彼は冗談めかしていつもそういうことを言うけれど、基本的には凄く真っ直ぐで、偽りなんて口にしない人で―――

(―――え…?)
 そこまで考えて、クラウドははたと気づいた。
(彼は、偽りなんて、口に、しない)
 しない?
 だったら。
 だったら、結婚とか…、結婚しないかと言ったあれも、彼の本心?


「ざ…、ザックス、その…もしかしてホントに…?」
「何が?」
 戸惑いに揺れるクラウドの声に、顔を上げたザックスの顔は、まるで拗ねた子供のようだった。
「結婚て…本気だったの…? だって…俺…」
「そんなこったろうと思ってたけどさ。お前この間も終始ずっと話流してたもんな。やっぱ本気で受け止めてくれてなかったんだな」
「だって唐突過ぎるだろ!!」
「そうか? 俺はお前と会ってから今まで、付き合って話して手ぇつないでキスしてセックスして、色んなことして一緒にいて、ああ、こいつだなって思ったよ、俺にはお前だなって。だから結婚のことは、別に何かを吹っ飛ばして出した結論じゃない」
「あ、あんたの中じゃなんかの順序がたってるのかもしれないけど、俺には想像もできてないことだったんだよ!」
「結婚が?」
「結婚も、それから恋人ってのも!」
「お前、ホントに俺のことセフレだと思ってたわけ? めちゃくちゃ傷ついたんだけど、それ」
 クラウドは、ぐ、と言葉に詰まった。
 自分の中で曖昧にしてきた彼に対しての立ち位置が揺らぐ。肌を合わせることをなぜ自分が彼に許しているのか分からないままにしていた。正直、考えて答えを出すのが怖いような気もする。

「俺いつも言ってるのに、それさえもお前は冗談だと思ってたわけか」
「いつもって、何を…?」
「何って、“好きだ”“愛してる”ってお前にだよ」
「……そんなの言われたことない」
「ない? あるだろ! 俺いつも言ってるぞ!」
「…ないよ」
 クラウドは俯いて頭を弱々しく振った。
 そんな甘い言葉などクラウドは聞いた記憶がなかった。
「言ってんだろ!」
「…ないもん。他の人にじゃないの」
 クラウドも言っていて何だか段々悲しくなってきて涙がこみ上げてきた。そんな言葉を彼がいつもかけてくれていたなら、プロポーズの言葉だってもう少し違う捉え方ができていたかもしれないと思う。
 クラウドが小さく洟をすすったら、ぽたりと膝の上で握り締めた拳の上に涙が落ちた。
「言ってる! 例えばほら…そうだな、キスしたあととかこの間だって俺…いつも…、…いつも…? え、あれ?」
 尻すぼみに疑問系に変化していったザックスのあやしい主張に、クラウドが真っ赤に充血した目を上げれば、ザックスは天井を睨んだ状態で眉をしかめていた。
「……?」
「えと…もしかして、俺、いつもクラウドに………」
 やはり他の女性とのことなのに、クラウドに言っていたと勘違いしていたことに今更気がついたんだろうか。
「…言ってないだろ。言われたことないもん」
「いやいやいや! 言ってる! 言ってるけどっ!」
 椅子から腰を浮かせたザックスは、身を乗り出してかなり慌てた様子で首を振り切れるんじゃないかというくらい激しく横に振った。なぜか頬が紅潮している。
「もっ、もしかしたら覚えてないのかもって…、だってクラウドいつも……だし…っ」
「…え?」
「お、俺そういえば、いつもなんかそーゆーの言ってたの、アレのときだけだったかも…、思い返せばっ」
「あれって…」
「だだだ、だからつまりその、ベッドの中…でとか…っ」
 ベッドの中の、あれ。つまりそれって。
「………」
「……俺、こんなでも愛してるとか面と向かって言うの、こっぱずかしくて苦手って言うか…」
「………」
「でもアレんときって、盛り上がった勢いでこう…言っちゃえるみたいな…」
「………」
「…でもそーゆーときってクラウドもその…すっげえやっぱ盛り上がってんだよな。イっちまってるっていうか…」
「………」
「…だからお前、聞いてるけど覚えてないかもなって――」

 確かにザックスとのセックスは、何かもう嵐のようにめちゃくちゃな海原に放り出されて、訳も分からぬ波にのまれ、気がつけばもう……なんてこともしばしばだったが。でもだからってそんな。

「う…、嘘……」
 そういえばいつもそういう時、物凄く恥ずかしいことを彼に言われてるような気がクラウドはしていた。言われた言葉の詳細を覚えているわけではなく、あくまでぼんやりとしたイメージに過ぎなかったが。そしてそんな時は同時にクラウドもとんでもなく恥ずかしいことを口走っているような気が…。
 目の前の豪勢な料理を完全に無視して、二人とも顔を赤くしている。
「嘘じゃねえよ! お前だって、俺のこと好きって言っ…」
「えっ、言ってない!」
 本当に驚いた様子で、クラウドは顔を真っ赤にさせて声を張り上げた。
「俺そんなこと言ってないよ!」
 好きだなんて、言うわけがない。言えるわけがない。
「言われた俺がちゃんと聞いてるんだから、言ってるよ! 覚えがないって言われても、俺はお前が言ったことは忘れねぇ。好き好き言われてしがみつかれてるなんて嬉しいこと、忘れるかっ」
「そんな…、そんなこと俺は…っ」
「お前は覚えてないんだろ。でも俺は覚えてんだ。覚えてる俺の言うことが間違ってるって、お前には否定できないだろ」
「……っ」
 唇をかんでクラウドは俯いた。確かにザックスの言うことを否定できるだけの確かなものが自分の中にはないとクラウドは感じた。
「……なぁ」
 そっと、ザックスの指がクラウドの額に触れた。髪の毛を優しく撫でる。声音も穏やかなものになった。
「お前さ、ただの友達とは寝ないだろ」
「………」
「俺以外とあんなことしてんのか? したいと思う?」
 クラウドは無言で首を横に振る。
「だろ? その理由考えたことがあるか?」
 理由…。


 髪の毛を弄っていたザックスの指が離れていくのを感じた。彼が椅子を引く音がする。
 何も答えずに下を向いているだけのクラウドに彼は呆れたのだろうか。
 いくら好きだと言ってくれていたって、それがもし彼の本心だとしても、心が離れていく切欠なんてクラウドの周りには沢山あるような気がする。
 クラウドは自分がまだまだ色々な部分で未熟で幼いということを自覚していた。ザックスと一緒にいると、それを尚更強く感じることがある。どうしても比較してしまう。たかがふたつの年の差、でもあらゆる面での圧倒的な経験の差は歴然とふたりの間に存在している。それは仕方がない、ないことなのだけれど悔しい。もし自分がもう少し大人なら、もっともっとうまく色んなことに対処出来るような気がするのに…。

 彼に身体を許している理由、なんて。
 そんなの、決まってる。


「クラウド」
 ふわり、と温もりを感じた。いつの間にかザックスがテーブルを回りこんでクラウドの傍に立っていた。
 ザックスの両腕にクラウドの頭は引き寄せられ、その頬は彼の身体にぴたりとくっついた。クラウドはされるがままにその腕の中で身体を硬直させる。目尻にたまっていた涙がまたひとつ、ぽたりと溢れてクラウドの薄い頬を滑り落ちた。
「……ザッ…ス、俺……」
 背中に回されたザックスの手のひらが、動揺に細かく震えるクラウドをなだめるように優しく撫でた。
「分かってる。ごめんクラウド。俺も…言い過ぎた。ちょっと焦ったな」
「……ザックス…だから…だよ…?」
 戸惑うことも多いけれど、彼だから、ザックスだから…。
「俺だから許してくれてんだろ? 分かってるよ、ちゃんと伝わってる、大丈夫」
「うん……」
 ザックスだけだ。ザックスだけ、ザックスだから。
「伝わってるけどさ、俺も時々不安になって、ちゃんとした形にして確かめたくなることもあって、だから…、ごめんな、クラウド」
 クラウドは椅子の上で身体をひねり、めいっぱいザックスの方に自分の身体を預けてしがみついた。
 ザックスの大きな手がクラウドの背中や後頭部を何度も撫でた。こうしていると、クラウドは身体の隅々までを彼の身体にすっぽりと包み込まれているような気がする。彼の腕の中は無条件に安心する。



「好きだ」

 心の奥深くにまで響く、声。

「愛してる、クラウド」

 すとん、と心に落ちて全身に拡がっていく、甘さ。

 ――――そう、確かにいつか聞いたことがあるような気がした。
 甘やかに胸を締め付け、痺れさせるこの感じを知っているような気がした。



「ザックス…、俺…俺も……」
 ぎゅっと抱き返す腕に力をこめる。
「“俺も”、何?」
「す…っ」
 だから嫌わないで、呆れないで。
 こうしていて欲しい。
 そして早く大人になりたい。ザックスを困らせなくてもすむようになりたい。
 最後までちゃんと言えなかったクラウドの言葉を、ザックスは正しく受け止めた。
 幸せそうに頬を緩めながらザックスはクラウドの耳元に唇を寄せて囁いた。
「だったら、俺と結婚して?」
「けっ……っ」
 結婚、の言葉に、クラウドは飛び跳ねるような勢いでザックスの腕から体を離した。ふたりの間に漂っていた砂糖菓子のようなムードは途端に霧散した。
「そ…、それは別問題!」
「別なのか?」
「そうだよ! 大体俺まだ…っ」
「年のことを言うなよ。俺だってそこんとこちょっと引っかかってんだから」
「だろ!? 早いよどう考えてもまだっ」
「そうじゃなくて、何にも知らなかった純粋でいたいけなお前に手ぇ出して、俺お前のことうまいこと丸め込んじまってるかなぁっていう意味で。よくよく考えると俺のしてることって犯罪スレスレっぽ…おぅわっ」
 クラウドは顔を真っ赤にして、どんと拳をザックスの胸に叩き込んだ。彼にこれ以上喋り続けて欲しくなかったからだ。
「いっ、いたいけってなんだよっ! 気持ち悪い言い方すんなっ! 俺は子供じゃないっ」
「あぁ〜かわいい、たまんねえ」
「!」
 ザックスの指に顎をひょいと軽く掴まえられると、クラウドは難なくキスされてしまった。
 勢いをそがれて悔しそうにザックスを睨むクラウドに、ザックスはにこりと笑いかけると、彼の薄い肩をぽんぽんと手のひらで叩いた。
「さ、食べようぜ」
「………」
 席に戻ったザックスは、再び皿の上をフォークでつつき始める。
 その様子に何となく納得のいかないクラウドだった。眉間にシワを寄せ、上機嫌に料理を口に運び入れているザックスを睨んでいると、ザックスがおかしそうにちらりと視線を上げる。
「食べろって。自分で言うのもなんだけど、うまいよ?」
「………」
「いーっぱい食べて体力つけろ。お前すぐバテるから」
「…体力って…、あんたたちソルジャーと比べられたくないんだけど」
 そもそも比べること自体が間違っている。クラウドだって毎日トレーニングを積んでいるし、一見華奢に見えなくもない外見からは想像できないかもしれないけれど、人並みには筋力だって体力だって身についていると自負している。
「たーんと食べてエネルギー満タンでクラウドにちゃんと準備してもらおうって、俺今日はいっぱい料理作ったんだし」
「…準備?」
「今夜は頑張ってもらわねぇとな」
 今夜、という言葉に嫌な予感がして、クラウドのこめかみがぴくりと引きつった。構わずザックスはにこやかに言う。
「20回目だし」
 ここでまた、忘れかけていた“20”という数字が再び登場した。
 キーワードは、今夜、頑張る、20回目…。

 悪びれもせず、恥ずかしげもなく、ザックスは爽やかに微笑んだ。


「今夜はクラウドとの20回目の夜だからな」


 正確には、15回の夜、4回の昼のセックスという内訳だったが、まあ細かいことはこの際こだわるところではないだろう。ただの友達としての付き合いだったものが、身体を重ねる関係に変化してから数ヶ月、なかなか共に過ごす時間が合わず頻繁に会えない二人にとって、この20回というのが多いのか少ないのか…いや、それよりも何よりも―――


「ザァッックス!」
 これが叫ばずにいられようかだ。眉を吊り上げて、クラウドはばんっとテーブルを叩いて立ち上がった。
「数えてんのかっ、そんなの数える意味がどこにある!? 20回目だからがんばんなきゃいけないっていう意味が分からないっ!」
「数えてんじゃなくて覚えてるんだもん」
「だもんじゃないっ! 屁理屈言うなっ」
「まあまあまあクラウド」
「あんたホントにそういうとこ気持ち悪いよ! 頭ん中ほとんどイヤらしいことで詰まってんだろ!?」
「そういう俺に付き合えてんだから、お前も相当エロいと思うけど?」
「……っ」
「誤解は解けたわけだし、今夜はふたりの愛を正しい方向に修正して深めるいいチャンスだと思うわけだ。よって今夜はいつもより更に心をこめて張り切ろうと思う。寝かせねぇから覚悟しとけ」
 いつもより、の響きが怖いクラウドだった。
 今まで友達同士の戯れの延長線上にあると思っていた行為が、今夜クラウドの中で違う意味合いに変化したばかりだ。それに伴う心の整理が出来ていないのに身体を重ねようというのはクラウドを少し戸惑わせた。決して嫌という訳ではないけれど…。
「きょ、今日は俺たちの1周年祝いより、ザックスの大切だった人を偲ぶほうがいいんじゃないのかな?」
 ダメもとで提案をしたクラウドだった。
「あいつはじめじめしてる俺らより、ぱーっとやってる俺ら見てるほうが喜ぶと思うんだ」
 そんなの知るか! ていうかぱーっとやってるって、やってるって…ヤってるって!!!?


「あんなの人に見せるモンじゃないだろっ!!!!!」
「きゃっ、クラウド見られて燃えるタイプ?? ヤダも〜」


 いや、別にそういう意味じゃないんだけれどね。
 ていうかザックス、きゃっとか言うな。



 ふたりが出会ってから365回太陽が昇って沈んだその日、20回目(ザックス談)の肌を合わせる(予定)その夜はまだまだ先が長そうだった。










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