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03 草原でのひととき
その日、カンセルはどうしても外せない仕事が入っていてゆっくりもしていられないということなので、翌朝三人で囲んだ食卓はかなり慌しいものになった。
食後、出立の準備のため、クラウドがティファから餞別にもらった枕を昨日のように背中にくくりつけていたとき、カンセルとザックスは少し離れたところで話していた。久しぶりの再会だ。一両日ではまだまだ話し足りないのだろう。
そのカンセルがクラウドのほうに視線を一瞬送り、苦笑まじりに何か言うのを受けて、ザックスが両手を大きく振って慌てて何か言っている。会話の内容はクラウドには分からなかったが、どうやら自分のことが話題に上ったようだということは分かった。ザックスが落ち着かない様子でこちらをチラチラと気にしている。
二人が何を話しているのか気にはなりつつ、クラウドが背中の枕の位置をおさまりのいいように手を回して調節していると、カンセルが笑いながらクラウドの方にやってきた。その後ろからザックスもなぜだかやはり慌てた様子でついてきた。
「クラウド」
「…?」
「ちょっと後ろ向いて、体ごと」
カンセルの言うとおりにクラウドが素直に背中を向けると、カンセルは彼の背中の枕を両手で掴み、何やらごそごそとそれを動かしている。
「え、何…」
枕が動かされて背中に当たる感触がくすぐったくて、クラウドは身じろいだ。カンセルの横でザックスが「何してんだお前っ」と気色ばむ。
「よし、これでいい」
しばらく枕を弄った後に、ぽん、と枕を叩いてカンセルがにこりと笑った。
クラウドには何が何だか分からない。
首をひねって肩越しに自分の背中に視線を送る。それからカンセルとザックスの顔を困惑気に見つめた。
「それな、常にどんなときにも“NO”の文字が外っかわになるように使えよ、クラウド」
「? どういう意味ですか?」
「カンセル! だからそーゆーのは…っ」
「遅かれ早かれバレると思うんだがなあ、ザックス。むしろ知らないで持ち歩いてるほうが、クラウドにとってよからぬことにも繋がりかねな…」
「だって多分知ったらこいつ絶対それすぐに捨てるって!絶対!」
絶対、を二回も重ねて使用するほどに、ザックスにとってそれは確信に近い事柄らしいが、クラウドには依然として話の主旨がいまいち掴めない。
「この枕のことですか? 旅の餞別にもらったんですけど」
「できれば何かに包んで持ち歩くことを俺は勧めるな。人のたくさんいる場所では目立たなくさせといたほうが…」
「カンセル! だからさ、俺が道中ずーっとクラウドの横にいるんだからそーゆーのは俺が注意するし、も、全然問題ないって言ってんだろ!」
「………」
カンセルが横目半笑いの顔で腕を組んでザックスを見た。溜息混じりにぼそりと呟く。
「………何としても枕を有効活用してやるって、彼にプレゼントした相手に対しての意趣返しとでも?」
「おうよ! 敵に送られた塩はありがたく頂戴してうまいこと役立てねェとな!」
役立てる…のは枕のことだよな。
相変わらず訳が分からないながらも、クラウドは何となくこの枕には何かあるんじゃないかとこの時になってやっと気にしだした。これってやっぱりただの枕じゃないのか?
「カンセルさん、この枕が何か…?」
不安そうな顔で尋ねるクラウドの肩をぽんぽんと手のひらで軽く叩いてカンセルは苦笑した。
「俺に言えるのは…そうだなあ。どちらの友情も考慮するとして、お前に言えるのは、“自分が嫌だと思うことには大きな声でNOと叫べ”ってことかな…、これ非常に大切だからな、クラウド」
何にも知らないコにこんな風にしか言えないのって、俺良心が痛む…と続けて、カンセルは大きく溜息をついた。その横でザックスが、まあまあまあ、と何だかよく分からない慰めを友人にしている。クラウドはやっぱり理解できなくて目をパチパチとさせたのだった。
ヒーリンロッジを後にしたザックスとクラウドの二人は、昨日だらだらと登ってきた山道を、軽快な足取りで行きよりも速いペースで麓まで降り、お昼頃にはひらけた草原を歩いていた。
別れ際、カンセルにしっかり「何でも屋+配達屋合同チラシ」を二枚ほど手渡してきたクラウドである。
ザックスが殊の外、力を入れて余白にバイクの絵を描き込んでいた一枚と、細かく華やかに植物の絵を描いた一枚を選び、人が集まる場所や目立つところにチラシを貼って欲しいと念を入れて頼んだ。その辺りは抜かりない。
「まだ話し足りなかった?」
脛の辺りまで伸びた草の間を縫い、または踏みしめながらザックスの少し前を歩いていたクラウドが、振り返り唐突にそう尋ねた。
「ん?」
「カンセルさんと。久しぶりだったから、もっと話したいことあったんじゃないかなって」
二、三日あそこにとどまりたかったらそうしても良かったのにと、クラウドは言った。どうせ細かく予定を立てているわけでもない気ままな旅だ。
「んー、でもこれで最後って訳じゃないんだし、これからは会いたかったら、あいつとはいつでも会えるだろ。俺とカンセルはそれ位の距離感でいいんだよ」
「距離感…」
ザックスはクラウドが歩みを止めている間に、彼の横に近づき、その手に自分のそれを絡めた。
「お前と俺の距離感は常にいつもこんな風にくっついてたい感じ、だけどな」
茶目っ気いっぱいにウィンクして見せて、クラウドの手を引っぱって歩き出す。
「ザックス、手…っ」
「だいじょーぶ、こんな草原の真ん中じゃ誰も見てないから」
「そうだけど…」
「今日はこのまま東に向かって…どこまで行くかな。カームはいつもの行動範囲内んとこだから今回はスルーな。んで…って、お? あれ?」
「な、何?」
ザックスがクラウドの手を握ったまま、その場でぴょんとひとつ上に飛び上がった。続けてもう一回。彼の背に納まっている二人の大きな荷物もその動きと一緒に大きく跳ねた。
「あっちになんかいる!」
「なんかって何だよ」
「行こ、クラウド!」
「え、ちょ、」
ぐいとクラウドを引っぱり、ザックスは草原を走り出した。
クエェエ、クエッ
「………」
クエッ、クエクエエェッ
草原に黄色いチョコボが二羽…ではなく。
数分後、一羽のチョコボに思い切りぐりぐりと頬に頭をこすり付けられてるクラウドの姿がそこにはあった。
「……お前、ギザールの野菜とか持ってねぇよな?」
「………」
むうとクラウドは唇を尖らせて眉間にシワを寄せた。
ザックスが遠目で気付いて近づいたのは、のんびりと草を食んでいた一羽のチョコボだった。
このチョコボ、二人が近づいても警戒心の欠片も見せず、むしろ驚くことにクラウドに自ら近づき、甘えるように頭を寄せてきたのだ。
クエーッ、クエクエッ
頭頂部と尾の羽毛が長くぴんと立った特徴のある空を飛ぶことができない黄色い鳥だ。
二年前、仲間とともに星を救うために旅をしたあの頃は、移動手段としてよく世話になったもんだとクラウドは思い出す。なじんだこの鳥くささ。懐かしい。
クラウドは顔を寄せるチョコボのくちばしの上に手を伸ばして撫でてやった。チョコボが嬉しそうに今度は身体全体で擦り寄ってきたので、クラウドはよろめいた。
「すっげえ懐いてんだけど」
ザックスもそーっと近づいてそのふかふかの身体に手のひらで触れたが、チョコボは警戒のケの字も見せなかった。
「……どういうわけか、昔からチョコボにはよく無条件に懐かれるんだよね…、時々こういうヤツにあう」
「それって…、え、もしかして」
「黄色いからとか言うなよ! 俺の頭がチョコボに似てるから同類と勘違いされてるとか、それ以上言うな!」
「や…、俺の言いたかったこと、クラウドが全部今言っちゃったな…」
クエエッ
チョコボが足を折り曲げて頭を下げる。どうやら背中に乗れ、ということらしい。
「…こいつ、野生じゃないのかも。もしかして俺と初対面じゃないのかな」
ザックスが腕を組んでうーんと唸った。
「俺はそんなことよりも、このチョコボがオスなのかメスなのかが気になるな。俺のクラウドにべたべたしやがって。おし、ちょっと股の間を拝見…いってッ」
こめかみをひくつかせたクラウドの足蹴りが透かさずザックスの脛にヒットした。
「そうか、お前ここのコか」
クエッ、とクラウドを背に乗せたチョコボは一声鳴いた。
ならば本当にこのチョコボとクラウドは初対面ではなくて、過去にこの背に乗ったこともあるのかもしれないと思った。
チョコボの背に揺られるがまま進んだ先には、最近はすっかりご無沙汰だが確かに見覚えのある懐かしい風景が広がっていた。
レンガ造りの家、大きな小屋、背丈の高いサイロ。
小屋の前に設けられた広い柵の中では色々な種類のチョコボが思い思いにのんびりと過ごしている。
確か年老いた老人とその二人の孫が経営しているチョコボファームだった。
「ぼ、牧場?」
背に乗せてもらえず、チョコボの後を駆け足でついてきたザックスは流石に息を弾ませ、チョコボから降りたクラウドの横にやっと並んだ。その額は汗で光っていた。
「うん、チョコボの。二年前ぐらいに世話になったんだ」
「ふうん」
「…俺のことなら何でも知ってるんじゃないの、ザックス。二年前って言ったら、あんた上から神様のように俺のこと見てたっていう時期じゃん」
「…や、だから四六時中見てたって訳じゃなくてだな…。いやそもそも最近何だかあの頃のことも、結構記憶が曖昧になってきてるんだよな、俺。これって地上に戻ってきて、こっちに馴染んできたってことかな、前向きに考えると。…後ろ向きに考えると物忘れ…?」
ザックスがそこまで言ったところで、不意にクラウドがザックスの白いシャツに手を伸ばした。裾をぎゅっと掴んで不安そうな視線を向ける。
「ん? どうした?」
「………」
おずおずとためらいがちな動作で、ザックスの身体の左側にクラウドの身体が寄り添う。
白い頬が汗で貼りついたザックスのシャツの肩にぴたりとくっついた。
「……クラウド?」
「…ごめん。自分で話、振っといて墓穴掘った…」
「?」
何か今の会話のやりとりで、こんな風にクラウドの顔を曇らせるようなことがあっただろうか。
クラウドは俯いたまま小さな声で続けた。
「…現実って凄くシビアだから、奇跡なんてそう何度も起こらない。色々思い出して、あんたが戻ってきたの、凄くいきなりだったから、反対に何の前触れもなく突然いなくなっちゃうのもありなんじゃないのかなって考えた。ずっと考えてた。だって今だって思うよ、こんな夢みたいなこと…」
「長続きするわけねぇって?」
こくりとクラウドの頭が小さく肯定する。
隣でチョコボがクエェとまるでクラウドを心配するかのように小さく鳴いた。
「俺どっか変? いつか消えちゃいそう、なんてそんな儚い感じ? 前と比べてなんか様子変わった?」
「ううん、そんなことを言いたいんじゃないんだ。…ただ」
「ただ?」
「…不安になるのは仕方がないだろ。俺はあんたを失う辛さ、嫌って程一度味わってるんだし…。またって考えたら、俺……」
ザックスは寄り添う愛しい人の身体に手を回し、自分の胸にしっかりと抱き締めた。
「また、なんてない。ずっと一緒だ。離れないって誓っただろ、クラウド」
「………」
「俺は消えない、置いていったりなんかしない。約束する」
二人でいること、ともに歩むこと。
お互いがお互いであるために、必要なこと。
それが分かった今はもう迷わない。
「だからお前も俺を置いてどっか行っちまったりすんなよ」
「…俺にはもうあんた意外に居場所、どこにもないんだ……俺にはあんただけ」
クラウドの顔を上げさせると、潤んだ瞳とぶつかる。
彼を不安にさせているのが自分だというのなら、不安を取り除けるのもまた自分しかいない。
自分はここにいると安心させたくて、ザックスはクラウドの唇に自分の体温を伝えた。
彼を抱き締めるこの腕が、触れる唇が、本物で、現実で互いに必要なのだと伝わるように。
少し離れたところで、がっしゃん、という音がした。
二人が振り向くと、数十メートル離れたサイロの前で、ひとりの少女がこちらを見て立っていた。彼女の足元にはバケツが転がり、中から野菜がこぼれて地面に広がっている。お下げの中央にある愛らしい少女の顔は、遠目でも赤く染まっているのが分かった。
背中に回っていたザックスの腕を振りほどき、クラウドは慌てて彼から体を離した。
「覚えてるよ。山チョコボや海チョコボに一時期すごいこだわってたお兄さんだよね。その後、新聞の写真でも見た。星を救ってくれたんでしょ、驚いたの覚えてる」
クラウドの記憶の中よりも確実に成長した少女は、少し照れたように笑った。クリンという名前だ。
「久しぶり」
クラウドは苦笑した。
「おじいさんとお兄さんは元気?」
「うん。あ、でもね、おじいちゃんはこの頃めっきり弱気になっちゃったっかな。元気だけど時々腰が痛いって言ってるわ」
「その…アレは相変わらず?」
クリンは舌をぺろりと出して笑う。
「うん。おじいちゃんもお兄ちゃんもお金大好きは相変わらず。でもね、二人とも大切なのはお金だけじゃないんだってホントは分かってるって、そういうの私にも分かるようになったから、今のままでもいいのかなって思えてきたんだ」
「…成長したね。二年って凄いんだな」
「お兄さんはあんまり変わってないような気がするわ」
相変わらずチョコボに好かれてる、と、もうずっとさっきからクラウドの横をくっついて離れないチョコボを見て笑った。
クラウドとクリンが話している間、クラウドの傍らで彼に懐くチョコボに牽制をかけながら、会話に入りたそうにして落ち着かなげに二人の様子を窺っていたザックスをクリンがちらりと見る。
確か彼とは初対面のはずだとクリンは思う。見上げると首が痛くなりそうな長身、頬の傷、尻尾と耳が見えるのではないかというその犬のような雰囲気、どれも記憶にはなかった。クリンはクラウドを手招きし、身を屈めたクラウドの耳元にそっと囁いた。
「ねえ、この人だあれ?」
「え…と、名前はザックスっていう…」
「お兄さんの恋人?」
「ぅええっっ!?」
うろたえたクラウドが大声を出して後ずさった。それにザックスが反応する。
「どうしたクラウド!?」
「え、いや、な、な、なんでも…っ」
このテの事柄を他人に突っ込まれると、覿面にクラウドは顔に出てしまう。苦手なものは仕方がない。
「違うの? だってさっきキスしてた。私驚いちゃって邪魔しちゃったよね、ごめんなさい」
「えっ、あれはだから…っ、だってお、俺たち男同士なんだからそもそも変とかって思…っ、思うよね普通…っ!? 気のせいとか見間違いとか思わない!?」
「えー? 思わないよ別に。この間町で買った本にそういうの書いてあったもん。サベツとかヘンケンはよくないんだよ。理解あるでしょ?」
「ほ、本!?」
ザックスの腕が横からひょいとクラウドの腰を抱きすくめた。クラウドの赤くなった顔に自分の頬をくっつけてにっこりと笑いながら、空いているもう片方の手をクリンに向けて差し出した。
「話はよくわかんねぇけど、そ、俺たち今新婚旅行中なの。俺はザックス、よろしくな、かわいいお嬢さん」
「新婚りょ…っ、ばっ、そーゆーことを子供の前で暴露するな! 教育上良くないかもだろ!」
「えー、むしろこそこそ隠そうとする方がよくないんじゃね? なあお嬢さん」
「なんかね、どきどきしてる。お似合いだと思うわ」
「だろだろー」
「ばかザックスっ!」
傍から見ると犬とチョコボがじゃれあっているという風に見えなくもない光景に、クリンはおかしくてふふふと笑った。
「ねえ、お兄さん達急いでる? そうじゃなかったら、今からお客様から預かってる運動不足のチョコボを数羽、散歩に行かせたいって思ってたところだったんだ。手伝ってくれたら嬉しいんだけどな」
ふわふわの羽毛から生えた二本の力強い足が大地を軽やかに蹴り上げる。
それぞれチョコボに跨った三人は牧場を出て広い草原を駆けていた。
ザックスの騎乗したチョコボは、他の二羽と比べて少し肉付きが良くて気性も荒く、乗り手の都合などお構いなしにあっちこち道草を食っていた。ザックスが機嫌を取ろうとすればチョコボは背中から彼を振り落とそうとする。チョコボに振り回される彼を見て、クラウドとクリンは笑った。
何で俺の乗ってるチョコボだけ…とぼやき、悔し紛れにぼそりと「チョコボがチョコボに乗ってるし…」とクラウドの背中に呟いたら、耳ざとく聞きつけたクラウドの機嫌を損ね、チョコボごとクラウドに突進されて見事ザックスはチョコボの背から投げ落とされた。
草まみれになったザックスが逃げまわる太っちょチョコボを追いかける。
青い空の下、笑い声が響き渡る。
爽やかな風が草原を吹き抜けていった。
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