01 旅立ちの日は晴れて





「い〜天気だよなあ」
 聴こえてくるのは鳥たちのさえずり。
 息を吸い込めば胸を満たす清清しい空気。
 空を見上げれば雲ひとつなく、透き通るような青さが広がっていて、周りを見渡せば青々と茂る木々に囲まれている。
 のどかな風景の中で、心まで癒される至福の時間…をしかしザックスは単純に楽しんでいるわけではなかった。
「なあなあ、いい天気だよなあ、クラウド! 見ろよ、俺たちの旅立ちの日を祝ってくれてるよーなこの青空!」
 山間を縫うように引かれている道を歩いているザックスは、少し前を歩く相方の背中に声をかけた。
 山道に入ってからずっとクラウドは無言のままで、こちらを振り向きもしないでずんずん先を歩いている。
「なあ、ちょっと待てってクラウド」
 すらりと伸びた背筋とその後姿、彼が好んで着る黒の服の上下はいつも通りで、ズボンの上を半分だけ覆うような形で巻かれている長いエプロンのような布が歩くたびにひらひらと風をはらんでひるがえっていた。腰にはベルトに下げた一振りの愛剣…でも、もうずっと、それこそエッジを出発したときからザックスの目に入っては、彼に溜息を運んでくるものがクラウドの背中に張り付いているそれ―――“NO”という大きな文字だった。
 かわいらしいピンク色の線で描かれた“NO”の二文字。あれの裏側には“YES”の三文字が書かれていることもザックスは知っている…。
 その文字が彼の背中に収まることになった経緯を知っているザックスはその存在に何となく面白くない思いを抱いていて、無意識に“NO”の文字を睨んでいたとき…その背中がやっと止まった。
 振り向いたクラウドの顔が不機嫌なものでなかったことにザックスは安心する。…いや、むしろ「どうしたの?」という悪気なんてまるで感じていなさそうなきょとんとした顔だ。

「もうちょっとゆっくり歩こうぜ。つうかできれば一緒に歩きたい。先に行くな」
「ザックスが歩くの遅いんじゃないか」
「だって重たいんだよコレ!」
 背中に背負った大きな荷物の存在を大袈裟なゼスチャーでザックスは訴えた。彼の背中には旅には欠かせない二人分の寝袋とか水とか非常用の携帯食糧などがどっさりどっしり乗っていた。彼はさっきから緩やかだったり急だったりの舗装されていない山道を背中に大荷物を背負って登っているのだった。
 一方彼に比べて格段に身軽な格好のクラウドは、しかしその言葉に胸の前で腕を組み眉をしかめた。
「あんたがそれ持つって言ったんだろ。それに徒歩を選んだのもあんた。俺はバイクにしようって言った」
「二ケツ却下したくせに〜」
「当り前だ!」
「お前のバイクはカッコよくていいよな。俺も欲しいなあ」
「………」
 鼻でクラウドが笑ったような気がした。…気のせいだと思いたいのだが。
「何!?今の笑い何!?」
「欲しけりゃ死ぬほど働いて金貯めるんだな。一ヶ月も二ヶ月も旅行して遊ぼうって考えてるヤツじゃ、あのバイク買えんのは二十年も三十年も先だろうな」
「げ、そんなに?!」
「……まあ、俺はあるツテで、安くしてもらったけど」
「いいなツテ! 俺にもそのツテ教えてくれよ!」
「誰が……、……って、あれ?」
 不意にクラウドが黙り込む。何かを考える仕草で視線を地面に落としている。
「………ん…?」
 眉をしかめてなにやら真剣だ。
「どうした、クラウド」
「…いや、俺、今の今までバイク代安くしてもらったと思って喜んでたけど……確かに月々の支払いにバラつきはあるけど、払う金額は小さ……いや、待てよ」
 ザックスを置いてきぼりにしてぶつぶつクラウドは独り言を言い始めた。
「もしも〜し、クラウドさ〜ん?」
「仮に一ヶ月三万ギルとしてそれが一年で三十六万…それがあと…ヤツの残りの人生最低でもまだ三十年残っているとして……えっ、ええっ、嘘っ」
 がつんっ
「痛えっ」
 大声とともに手を振り上げた腕が、クラウドの前に身を屈めて何やらやっていたザックスの頭に見事にヒットした。
 ザックスが何をしていたのかというと、無視されて面白くなかったので、クラウドが自分の世界に入ってしまって無反応なのをいいことに、彼の剣をさげたベルトの上に巻きついている紐を好機とばかりに解こうとしていたのだった。その紐はクラウドの背中の“NO”の字を彼の背中に固定しているものだ。
 しかし、今のクラウドはザックスの頭の心配よりも何よりも(ていうか気づいてない)、

「俺もしかしてものすっごく、ぼったくられてる!!!??」

 愛車フェンリルの、真実。がーんである、ものすごくがーん。
 ある人物が一生セブンスヘブンでタダで飲み食いできる権利を…その飲食代をクラウドが代わりに払うという条件で手に入れたバイクだ。その取引を持ちかけられたときは、まだ今のようにクラウドは金に気をつかうこともなく(ザックスと暮らすようになってからは、お金を計画的に使うことに気を回さざるを得なくなった。…なんせ彼が余りにもその辺のことに適当なので)、一ヶ月に払う金額を頭の中に描いてから、まあこれくらいで最新式のバイクが手に入るならいいか…、と思ったのだった。
 もしかしたらクラウドの、バイクを見る目が輝いていたのを先方に見破られていたかもしれない。今思えばうまい言葉に乗せられて…だったのだろう。
 なぜあの時、安くてお得、なんて思ったのだろう。
 実際はバイク一台で家が買えそうだ。馬鹿だ…。
「…だ、騙されてた…」

 しばらくしてからやっとクラウドは、頭を抱えて自分の足元にうずくまっているザックスに気がついた。
「…? どうしたんだよ、ザックス」
「……呪い。きっとこれティファの呪い……」
 何とかして絶対あのピンクの文字のヤツをクラウドから遠ざけてやる!
 根も葉もない言ってしまえばタダの八つ当たりだが、じんじん痛む額をさすりながらザックスは心に強く誓うのだった。



***



 慌しく旅行の日程を決め(ザックスがほとんど独断で決定し準備を進めてしまった)さて、出立の日。
 かれこれ数刻前のことだ。
 見送りに来たティファが餞別にとクラウドに大きな包みを送った。
 それはふわふわの羽毛が内部に詰まった枕だった。ただし何の変哲もない枕ではなく、使用者の意思表示をさり気なく(?)主張できるという代物だった。
 ティファは微笑みながら、表にYES、裏にNOという文字が縫い付けられている枕をクラウドに渡した。
「旅行中って、何かと気持ちがオープンになったりして、はしゃいだり暴走したりってあるかもしれないし。クラウドって押しに弱くて心配だから、これよかったら使って。役に立つと思うんだ」
「……え」
「………」
 ザックスはそのプレゼントを見て、傍から見てそれと分かるほどに顔を引きつらせた。
 一方、当のクラウドはきょとんとしている。
「どう? 気に入ってもらえた?」
「枕なんて持って行くつもりなかったけど…野宿のときとか役に立つかな」
「うん、こっちのね、NOの文字が書いてあるほうを表にして寝ると、疲れてるときなんかはぐっすり眠れていいと思うから」
「へえ…何か違いがあるのか?」
 枕をくるくる回し、裏表を比較して違いを見つけ出そうとしているクラウドだった。本当に全く枕の用途、活用法を知らないのだろう。いわゆる夜のアレやコレをコントロールするためのものだとは微塵も想像できていないに違いない。
 さらりと“NO”を勧めるティファをザックスが恐る恐る見ると、にっこりと笑うティファの笑顔とぶつかった。瞬間バチバチと二人の間に電気が走ったような気がする。

 じわりじわりと何かピリピリした不穏な空気が彼女から伝わってきて、ザックスは思わず唾を飲み込んだ。
 ぴしりとこめかみに血管が浮く。「こんの小娘…」とフェミニストにあるまじき暴言を心の中で吐いた。
 彼女はその枕を真の意味で活用して欲しくてクラウドに送ったのではないのだろう。
 当のクラウドがその使い方や枕の意味を知らないのであれば仕方がないからだ。また、用途を知らない彼を相手にするザックスにはその枕の存在は重石にもならない。
 枕は、ほんの少しやっかみも込められたティファからの遠まわしなザックスへのメッセージだ。

(二人のことは悔しいけど認めてるわ! でもね、クラウドに無茶なことをして困らせたり泣かせたりしたらこの私が許さないんだからね! いいザックス??!)
(…俺を牽制しているつもりか? こんな枕ごときで…っ)

 枕の用途を正しくクラウドに解説してやろう、そうすればクラウドはそれを旅に持って行かないはずだ(なぜなら恥ずかしいから!)、そう思いザックスが振り向けば、クラウドはいそいそとその枕をザックスがまとめた旅行の荷物の一番上に乗っけようとしているところだった。
「待て待て待てクラウド!それ持ってくのダメ!」
「? なんで? せっかく貰ったんだから」
「そんな大きいの、荷物になるだろ。それにそんなの持ってったらお前が恥ずかし……っ」
「恥ずかしい?」
 その荷物をそのまま背負って歩いたら、道行く人にばっちり“YES”の文字を見られてしまうではないか。
「とにかくそれはダメ! 大体なあ、その枕は夫婦や恋人が夜ベッドで……」
「大事に使ってね、クラウド」
 ティファがワザとザックスの言葉を遮る。
「ありがとうティファ。ちゃんと持って行くから」
 ……彼の中で枕を持って行くことはもう決定事項らしい。



***



 そうして今、彼の背中には“NO”の文字が収まっているわけだ。
 山道を歩きながら、やっと横を歩いてくれる気になったらしいクラウドをザックスはちらりと見た。
「……んで、まだ教えてもらってねぇんだけど、俺たちどこに向かってんの? さっき道の脇にあった看板に、この先ヒーリン・ロッジって書いてあったけど、そこ?」
 まだ先程強打された額が痛むような気がして、ザックスは指でその場所を触っている。
 クラウドは顔を前方に向けたまま目だけをこちらに動かした。
「……会わせたい人がいる」
「こんな山奥に?」
 誰? と聞いたがクラウドは「すぐに分かるよ」としか答えなかった。
 エッジを出た後、ザックスはてっきり北東に向かって手始めに隣町のカームに向かうのかと思っていたのだが、クラウドは廃墟のミッドガルを抜けてから山の方へと歩き出し、坂道を登り始めたのだった。
 そこはザックスが初めて足を踏み入れた場所で、まあ気楽に見知らぬ地を歩く楽しさを味わっていたが、クラウドは勿体ぶっているのか何か他に理由があるのか、なかなか行く先を教えてはくれない。

 クラウドが自分に会わせたい人…誰だろうか。自分の知っている人間だろうかとザックスが記憶を巡らしていると、ぽつんとクラウドが嫌に真剣な声音で問いかけてきた。
「………ちょっと疑問に思っていることがあるんだけど」
「何?」
「あんた死んでたとき…つまり、ライフストリームの一部だったこの間まで…その間も俺のこと見てたとか言ってたよな」
「見てたぜ」
「見てたんならこの先に誰がいるのか分かるんじゃないのか? 俺、今まで結構ここ何度も来てるし」
「そーだっけ?」
「……見てたっての、嘘くさい…でもそんないい加減な感じだったらいいんだけど…」
 クラウドは迷うように視線を巡らせてから、言葉を続けた。
「……あんたが戻ってきてから何となくずっと心に引っかかってて、気になってることがもう一つあって、…その、つまり具体的にはどういう風に見てたわけ?」
「具体的? ええと上から…分かりやすく言えば何かこう雲の上から覗いてるっぽい感じかな。感覚的なモンでうまく表現できねえけど」
「………」
 何ともいえない表情でクラウドはザックスに視線を送ってきた。
 何、その嫌そうな目……。
「え…、今お前引いた? ちょっと、おい」
「それなんかストーカーっぽい…見られたくないとこまで見られてるっぽくて嫌だな…」
「何だよオイ、あの丘でお前『いつも俺のこと見守っててよザックス』みたいな感じだったじゃん。心配で心配で、お前のこと見てた俺の気持ち、行き場ないんだけど。切ないんだけど!」
「だってアレだろ、風呂とかトイレとかひとりで気ぃ抜いてるときに、ホントは誰かに見られてましたっていうの気分悪いだろ! 知らないとこでいつ何を見られてたんだろうって気になるだろ!」
「仕方ねえじゃん、俺死んでたんだし!」
「気持ち悪い!」
「ひでえ、おまっ、それひでえ!!俺はなぁ…っ」
 気持ち悪いなどと言われカチンと頭にきたザックスが尚も言葉を続けようとしたとき、クラウドが両頬を両手で覆いその場に座り込んだ。
 え、とザックスは一瞬意味が分からず固まる。目の前でうずくまったクラウドの、その背中の“NO”の文字が予期せぬタイミングでザックスの目に飛び込んできたので、途端に焦った。
「突然どーしたクラウド!? 気分でも悪くなったか!? おい、クラウドっ」
 クラウドは顔をザックスから隠したまま首を横に振る。
「……ごめん、違うザックス…、言いすぎた俺」
 クラウドの前に膝をつき、ザックスはクラウドを覗き込む。あえて口を挟まずに彼の続きを促した。
「…今更なんだけど改めてそうなんだなって思うと…恥ずかしいんだ、どうしようもなく。あんたが見ていてくれたって言うの、ホントは嬉しいんだけど、色々俺馬鹿なことずっとしてたし、そんなの全部リアルタイムであんたに見られてたんだなって思うと、いたたまれない気分になる…」
「馬鹿なことって…」
「俺あんたのことしばらくの間忘れてた。元ソルジャー・クラス1stだってうそぶいて、あんたみたい俺もなれたらってそりゃずっと憧れてたけど、あんなふうな形でなりきってるつもりで馬鹿みたいにさ…、全部をジェノバのせいになんてできないよ。俺の駄目なとこ全部見られてたって……そう思うと凄く恥ずかしい」
 ザックスは首の後ろを指でかいた。
「ダメなんてことないと思うけど…うん、忘れられてたのはやっぱりちょっと寂しかったかな…」
「…ごめん……」
「ん…、や、でもどっちかって言うと…」
 目の前でうな垂れる金髪にザックスは手を伸ばし、短く刈り込まれてツンツンたっている後頭部を掌で優しく撫でてやる。神羅にいた頃、何かにつけては落ち込み、じめじめオーラを放ってよくこうしてうな垂れていたクラウドの頭をザックスはやはり今と同じように撫でてやっていたのを思い出した。
「…それよりも、自分を取り戻してからのお前のほうが見てんの辛かったな。自分のことを必要以上に責めちまうお前だからさ、誰か傍にいるヤツが助け舟出してやれよって…ホントは俺が傍にいて、お前のこと引っ張りあげたかったけど無理だったからさ…。お前が泣いてても、俺何もできなくて悔しくて、もどかしくて」
「…死んでたんだから当り前だろ。それに俺泣いてないし…」
「そうか? 泣いてただろ?」
「泣いてな…」
「いやいやいや、俺ちゃんと見た…」
「泣いてないって!! いつ!? どこで見たんだよ!?」
 子供同士のような言葉のやり取りでムキになったクラウドが、顔を上げて叫ぶ。
 事の真偽は別にして、いい年をして男が泣くなんてカッコ悪い、他人に指摘されるなんてもってのほか、恥ずかしすぎて我慢ならないとクラウドは思っているのだろう。
 思ったとおり顔は真っ赤で、目尻にはうっすら涙も浮かんでいた彼の顔が上がるや否や、彼のその細い顎にザックスは指を添えると、唇にキスを送った。当然のこと、予想だにしないザックスの切り替えにクラウドは目を丸くして言葉を失う。
「じゃあ俺の気のせいかな。泣いてたような気がしただけかも」
 にっこり笑うザックスだった。
「………っ!!」
 引っ掛け!?
「ひ、人をからかって…っ」
「いやいや、そんなことは」
「ザックス!」
「いいからいいから、さ、立ってクラウド。こんなとこでぐずぐずしてたら初っ端から野宿になりそーな予感びんびんだっての。俺は別にそれでも構わないけど」
 クラウドの背中からはみ出している枕にちらりと視線をやる。
「ティファにもらったその枕もあることだし? 固い地面に敷いて大いに活用できそーだ」
 ザックスは自分も立ち上がりながら、クラウドの手首を掴んで上体を引っ張りあげた。
「ま、枕は俺が貰ったんだからあんたには貸さないからな!」
「勿論、お前が使え、つうかお前に使うし。いや〜、山ん中で野宿、大自然に二人きりっての、モエそうじゃねえ? 思いがけず早い段階で夢が実現しそうだなあ」
 燃える? 実現て何を? お前に使う? 夢?
 何やら目の前でにんまり鼻の下を伸ばしているザックスの顔に、鈍いクラウドもさすがに嫌な予感がしてきた。
 こういう顔をしているときの彼は大体頭の中でろくなことを考えている例がない…ということを今までの付き合いの中でクラウドはいやと言うほど知っている……。
 クラウドの片手を引いてザックスは歩き出した。引きずられるようにクラウドも足を動かす。

「星空の下かあ。いいなあ」

 だから、何が。

「しばらくご無沙汰だったしなぁ。お前階下の人を気にして俺をベッドルームから追い出すし」

 ……………。

「やー、マジ久しぶりだから頑張っちゃいそう」


 顔にはほとんど出なかったが、クラウドは内心で青ざめていた。うわあああと思い切り叫んでいた。
 反射的に掴まれた腕から逃れようと、力をこめて振り払おうとしたが、がちりとした力で捕えられていてかなわない。冷や汗が出てきた。
 恐怖ではない。嫌悪でもない。しかし腰が引けて仕方がない。
 そりゃ少しは積極性は欠けるかもしれないが、クラウドとて恋人と抱き合うこと、愛を交し合うことがいやな訳ではないのだ。いやむしろ…、と思う。だからこの旅行も了承したのだから。
 ザックスが数日前に表現した『蜜月』という言葉。
 奇跡的な再会を果たし、微妙にすれ違っていた気持ちも通じ合い、将来の話もした。
 気持ちが盛り上がっている今この時期、できるなら想い人と一緒にいたいと願っているのはクラウドだって同じなのだ。
 あの狭い家から出れば、いつもより素直に恋人の胸に飛び込むことができるような、そんな気がしたから。

 しかし。しかしである。
 こんなふうに、あけすけに夜のアレコレを目の前にちらつかされると、クラウドは逃げ出したくなってしまう。重ねて確認するが、決して嫌というわけではないのだが。

 ザックスが振り向く。
「夜が楽しみだな、クラウド」
 余裕のある笑顔が癪にさわる。爽やかそうに見えて、頭の中で何考えてるんだ。ザックスの脳ミソの半分以上はイヤらしい事で詰まってるんじゃないのか。クラウドは心の中で毒づく。
 だけどそんな彼が大好きなのだからどうしようもない。

「…せっかくだけどザックス」
「ん?」
「目的地、もうすぐだから。夕方に山を降りようなんて無理をしなければ、野宿にはならないと思うよ」
 クラウドは眉間にシワを寄せ、仏頂面でザックスに前方を促した。難しい表情を作るのはクラウドの小さな抵抗だ。でもその頬は誤魔化しようがないほどに紅潮していたが。

 道の先、木々の間に建物が見えた。

「そっか、残念。ま、旅はまだまだ長いしな。楽しみは先にとっておくか」
 のんびりそう言うと、ザックスはまた笑う。
「…だから手を放してよ」
「なんで」
「人に見られるかもしれないだろ」
 外見は大人になって美人度もぐんと上がってるのに、こうしてほっぺた赤らめて上目遣いで睨んでくる様は昔と変わらずかわいいなとザックスは思う。
「見られたって、なかよくハイキングしてんなあ程度にしか見られねえよ」
「そんなわけあるか!」
「なあ、俺に会わせたい人って誰? 俺の知ってるやつ?」
「話をそらすなよ、手を放せって、ザックス!」
 腕を振り回して何とか掴まれた腕から逃れようとするクラウドを気にするでもなく、ザックスはそのまま歩き続ける。
 少し後ろでぎゃーぎゃー言っているクラウドの気配を感じながら、ザックスは顔が自然にほころぶのを止められなかった。こんなふうに他愛のないやりとりをして、じゃれ合って、小突き合って、笑い合って。とても穏やかな時間を過ごしていることが嬉しかった。
 今こうしてクラウドと一緒にいられるのは…、ザックスは青い空を見上げた。
(ありがとな、エアリス)
 緑色の優しい瞳を思い描き、心の中で感謝の言葉を送る。彼女や、みんなや、星の力が起こした奇跡のおかげで自分は地上に戻ってこれた。深く考えると、そんなふうにして理を曲げて不自然に戻ってきた自分は普通の人間(?)と同じような身体なのだろうかと疑問に思うこともあるのだが、とりあえず今はクラウドと一緒にいられる幸せに浸っていたいと思う。
(この旅行で色んなことをクラウドと話して、距離がもっともっと縮まればいいな)
 離れていた時間を埋められたらいい。


「そっちがその気なら!」
 耳元にクラウドの大きな声が飛び込んできた。
 物思いに耽っていたザックスは反応が遅れた。それよりも前に、クラウドがザックスの前に回りこむ。
「!」
 一瞬の出来事だった。
 クラウドに胸ぐらをつかまれ引き寄せられて。
 キス、というには色気のない、唇と唇がくっついたというか、むしろぶつかった勢いの衝撃。
 不覚にも驚いてしまったザックスの指から力が抜けた。
 自由になった手で、クラウドはザックスを突き飛ばすと踵を返して山道を走り出す。
 目指す建物まであともう少しという距離だった。敷地の入り口らしきものが見えている。


「ざまーみろザックス!」
 振り返りそんな言葉を投げてくるかわいい俺の恋人。
「…つうかざまーみろって何だよお前…」
 そんな俺も彼の温もりを感じた唇を手で触っちゃったりして、俺たちどんなバカップルぶり?
 墓穴を掘ってるのはお前のほうだと言いたい。クソ、今夜は覚悟しとけよ。





 しかし遠ざかり小さくなっていく“No”の文字を見送っていたら、不意に他人の視線を感じて、ザックスは感覚を尖らせた。
 視線を少し上げると、建物の入り口から伸びたスロープの先に人影が見えた。
 腰に手を当てて少し斜めに立つその仕草にザックスは見覚えがあった。まだ距離があって顔の判別は難しいが男のようだ。自分が拾ったのは彼の視線の気配だったらしい。
 その男は先に走っていったクラウドに声をかけ、クラウドも彼に近づき、二人は二言三言言葉を交わしている。
 クラウドがザックスの方を振り返った。その向こう側で男が笑っているようだった。

 彼は、まさか。
 ザックスは走り出した。


 懐かしい友に会うために。





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