00 前夜のふたり





 明日はいよいよ旅行の出発日。
 準備はほとんどザックスが一人でやった。
 クラウドのしたことといえば、チラシを百枚用意しただけだ。
 配達屋と何でも屋の合同宣伝チラシ。これだけはと力を入れ、地元向けにニュースペーパーを作っている町の印刷屋に頼んで本格的に刷ってもらった。なかなかの出来でクラウドは満足している。
 新婚旅行気分で浮かれているザックスに対して、クラウドは「この旅の第一の目的は仕事の宣伝なんだからな」という冷めた姿勢を見せてはいたが、内心では…クラウドも多少浮かれていた。もしかしなくても純粋にバカンス的な旅行は初体験のクラウドなのだった。





「そろそろ寝るか〜」
 荷物の最終チェックを終えたザックスが、あくびをしながら大きく伸びをする。
 でもクラウドは全然眠れる気がしなかった。
 それまでザックスが独りであれこれ準備している様子を風呂上りに発泡酒をちびちび飲みながらソファに座って見ていただけのクラウドだったが、おもむろに立ち上がるとザックスに向かって言った。
「チラシどこ入れた?」
「はぇ?」
 寝室に入り二人がともに休むためのベッドシーツを整えていたザックスは、間抜けな声を出した。どうやら二度目のあくびの最中だったらしい。
 ザックスがクラウドを振り向いたとき、彼はザックスが今さっきまとめ上げた荷物を床に広げそうな雰囲気だったので、びっくりして寝室から駆け出た。
「え、何、どうしたクラウド?」
「俺の作ったチラシどこ」
「ちゃんと入れといたから心配ないない! すぐ取り出せるようにそこの下のファスナー下ろせば…」
 クラウドはチラシをちゃんと入れたかどうかを心配しているわけではないのだが、ザックスはそう受け取ったらしい。ザックの側面のポケットのファスナーを引き下げ「ほら、ここに入ってるだろ。安心した?」と慌てて言った。
 クラウドは筒状に丸められて入っていたチラシをがっぽり掴みあげて取り出すと、それを手に立ち上がり、東側の小窓の下に置いてある机の上に向かった。椅子を引いて腰を下ろすと、幾つもの走り書きされたメモ用紙がピンで止めてあるコルクボードの前に置いてあった筆記具をあさり、その中の一本を手に取る。
 さあ今から寝るぞというときに、突然彼は何をしようとしているのだろうとザックスは目を瞬く。意味が分からず眠気がどこかに吹っ飛んでいった。
「クラウド? ちょ、何…??」
「先に寝ててくれ。俺はもうちょっとしてから寝る」
「は? だ、だって…お前何してんの?」
 ザックスがクラウドの後ろから机の上を覗き込めば、クラウドは目の前に置いたチラシをしばらく無言で睨むように眺めたあと、おもむろに手にしていたカラーペンのキャップを外すと、紙の上にそれを走らせた。
 紙の下のほうに書かれている店の連絡先の住所と電話番号にアンダーラインを引いている。
 蛍光ペンで引っ張られた線は、手先が意外に不器用なクラウドらしく真っ直ぐに引けていなくて、その線を眺めながら、ザックスは口をつぐんだまま一枚また一枚と線を引いては紙をめくりを繰り返し始めたクラウドにもう一度尋ねた。
「えっと…だからクラウド、突然何を始めたワケ…?」
「…寝てていいって」
「………」
 深夜静まり返った部屋の中に紙をめくる乾いた音と紙の上をペンが滑るキュキュという音がやけに大きく耳に響いているような気がした。
「………」
「………」
 やや間があって、クラウドの頭の上からその作業を覗き込んでいたザックスがぽつりと呟いた。
「……それ、今どうしてもやりたいのか?」
「………」
 クラウドは答えなかったが、一瞬だけペンを握る手の動きが止まった。そこまできて、ザックスは彼の背中がいつもより緊張して少し強張っていることに気がついた。なぜだろうと思う。
「クラウド」
 ザックスはクラウドの背中にはりつくような格好で上からクラウドの顔を覗く。すると上目遣いにそろそろと視線を上げたクラウドのそれとぶつかった。目が浮ついていて決まり悪そうだ。
「………」
「どした?」
「………」
 クラウドの引き結ばれた唇は、でも右端が少し歪んでいて、何よりもその瞳は何かを言いたげで、奥底のほうで何かしらの感情が揺れているような気がした。ザックスは根気強くクラウドの口から言葉が出るまでじっと待った。
 しばらくしてクラウドは視線を落とし、弱くかすれた声で言った。
「………明日から…」
「明日から?」
「……旅行だから……」
 旅行だから何?
 え、もしかして。
「おま、今更行きたくねえとかそんなんナシだぞ!」
「ち、違うよ!」
「だったら何!?」
「むしろその逆!」
「は…」
 顔どころか首筋まで真っ赤に染まったクラウドは叫ぶように言った。

「どきどきして落ち着かないんだよっ!!!」

 どきどきして? クラウドが?
 その瞬間頭の上に思いきりクエスチョンマークが浮かんだザックスだった。
「…え、いや…お前、それは…な、ないだろ……」
「どういう意味だ!?」
「だ、だって、お前今の今までいつもとテンション全然変わんなくて…、アレだよ、準備も全部俺一人でやったじゃん。お前興味なさそーで…」
「行く気のない人間がこんなチラシをわざわざ作るか!」
 蛍光色のラインが途中で明らかに脱線しているチラシをザックスの前に突きつける。その勢いにザックスは少し怯んだ。
「や、え…っと、まあそーだけど…、てっきり仕方ないから行ってやるかーみたいな感じかなって…」
「正直言うと俺も最初はそんな感じだった! けど、なんかこう…なんかここにきて…っ」
 遠足の前日の夜、楽しみでどきどきして眠れない…というのをクラウドが幼いときに体験したかどうかは分からないが、今夜のクラウドは正にそれだった。心がそわそわして落ち着かない。もうそろそろ眠っても良い時間だというのに眠気は微塵も感じていなかった。
 昼間は旅行前の最後の仕事ということで、いつもより多めの依頼をこなし、あちこちバイクを走らせて飛び回っていたから身体はそれなりに疲れているはずなのに、深夜になっても精神が変に興奮していてばっちり覚醒しているのだ。
「…明日からのこと考えると……」
「……えと…つまり、旅行のこと考えてたら楽しみになってきて、眠れそうにないとか、そーゆーの…?」
「………っ」
 唇を噛み締め、悔しそうな顔をするクラウドの顔がかわいいなと思い、そう思ったら愛しさが急に胸にこみ上げてきた。こんなことにも素直になれないクラウドがたまらなく愛しいとザックスは思う。

 クラウドは普段はよく他人から「クールで落ち着きのある無口な人」と見られているようだが、それは表面上のこと、ザックスから見れば些細なことにも感じやすい、繊細で感情の起伏の激しい人間だと感じている。そんな彼が自分の前でだけは、他の誰よりほんの少しでも分かりやすい形で感情を見せてくれているということが嬉しい。
 多分こんな風な顔を見れるのは恋人である自分だけだ。

 かわいくて愛しいクラウドの顔を両手ですくい上げるとザックスはその唇にキスをした。
「よかった。旅行楽しみにしてくれてるなら俺もすっげえ嬉しい」
 のけぞった彼の首が少し苦しそうだったが、ザックスは続けて顔中にキスの雨を降らせた。今自分の顔は心底幸せそうな笑みを浮かべているだろうという自覚があった。
 クラウドも抵抗せず、椅子の背もたれに背中を預け、身体から力を抜いてザックスの首に手を回す。もっと、という風に自分の方に引き寄せた。
 最近は二人とも何かとばたばたしていて、更にはクラウドが家で抱き合うことを拒んでいたから(騒音問題…が原因)こんな風に甘い雰囲気になったのは久しぶりだった。
 明日からの旅行先では、あれやこれやの手段を使い、甘くてとびっきりスウィートな日々を送ってやるぜと密かに心の中で拳を固めていたザックスだったが、うっとりと目を瞑り自分のキスに応えている目の前のクラウドを見ていると、明日からなんて言わなくても今夜からいけちゃう?みたいな考えが急に浮かんできた。
(え、もしかしていけそう? この雰囲気のままもっていけそう?)
 下心が急にむくむくと湧きあがってきて頭の中いっぱいになってしまったザックスなのだった。
「……な、クラウド……」
「………、ん……」
 金色の長い睫毛が切なげに揺れる。
 風呂上りでまだ少し湿っている髪の毛の間に指をもぐらせ、ザックスはキスの合間に言葉を紡いだ。
「……クラウド、行こう」
「………、」
 熱に溶けた青い瞳が緩慢に瞬いた。どこへ、と視線で問いかけてくる。
 ザックスはクラウドの髪から首、そして鎖骨から胸元へと掌を滑らせながら、身を屈めもう一度舌を絡ませた。
 甘い…今すぐ食べてしまいたい。
 唇を離すとクラウドを椅子から引っ張りあげた。抵抗はない。立ち上がった彼を正面から抱き締めた。
 触れ合った箇所から、衣服越しでも互いの上昇した熱が容易く伝わったはずだ。少なくとも今目の前にあるクラウドの細い首筋は、ほんのり桃色に染まっていて艶めかしく匂い立つようだった。ともすれば湧きあがる情動のまま走り出してしまいそうな身体をザックスは理性で抑え、クラウドの耳元で低く囁いた。
「……ベッドに、行こ」
 腕の中の身体が微かに震えた。小さく息を呑む音が聞こえる。でも自分を突き放そうとしないのは脈がある証拠だとザックスは根気強くクラウドの返事を待った。
 二人の間に流れる空気と身体にともりだした熱、この空間全てが、この後に続く甘い時間へと背中を押してくれているようだった。

 クラウドはなんだかんだ口先では言っていても、ムードや押しにはめっぽう弱い。この流れだと99%ベッドまで持っていける!とザックスは鼻の下がだらしなく伸びるくらいどきどきしていたが、勿論顔には微塵も出さなかった。本当はクラウドを抱き上げて飛び跳ねてベッドに今すぐ直行したかったが、今日はスマートに男らしくキめたかったので、ぐっと我慢した。

 今でもザックスの中には「俺クラウドより年上だし」な気持ちがあって、年上らしくリードしたいだとか格好つけたいだとか、そういう小さなこだわりが存在する。
 もっとも一度は死んで離れ、しばらくの空白の後に再会した時点で、年がどうのとかいう意識は二人の間では結構あやふやでどうでもいいことになってしまったような気もするのだが。
 何より今のクラウドは昔のようにザックスが何かと気を遣ったり守ったりしてやらなければならない存在ではない。
 勿論守りたいと思う存在なのは間違いないが、色々なことに立ち向かい乗り越えてきたクラウドは、成長して大人になり、何ていうか…そう、自分の背中を預けられると思えるほどにしっかりしたというか逞しくなったというか、そんな気がザックスはしている。同じ立ち位置でやりとりできるようになった、というところだろうか。

 でもそれはそれ、これはこれ。
 要はイニシアティブを握っていたいという男の意地だ。好きな相手の前ではスマートで格好良くありたいというザックスの自尊心だ。

「…うん、俺も寝たいのは山々なんだけど…」
 クラウドはザックスの胸をやんわりと押し返しながら俯きぽつりと言った。

 クラウドも俺と寝たいって(ハートマーク)!
 おっしゃ、乗ってきた、もう一押し、あともうちょっと押せばこのまま――
 ザックスが内心でガッツポーズをしていたら、クラウドがその後に続けた言葉につんのめりそうになった。いや、正しくつんのめってこけた。

「横になっても俺今はやっぱり眠れそうな気がしないから…」

 ………?
 ??!?!
 え、いや、待て待て待て、俺が言いたいのはそうじゃな……っ

「だからもうちょっと起きてるよ。ちゃんと寝るから大丈夫、ザックス先に寝てて」
 そして机の上のチラシに視線を転じ、
「こういうライン引っ張るだけの単純な作業してたら、眠くなるんじゃないかと思うし、やりかけなのも気持ち悪いから全部やっちゃうよ。明日の出発の時間は予定通りで。寝不足にならないように気をつけるから心配しないで」

 え、えええええええ、何何何何何!?何であそこまで甘い雰囲気になっててそっちに流れていかないの!?
 思わずザックスは叫んでいた。格好つけとかスマートさからは程遠い素っ頓狂な声で。

「ちがーう!! おま、恋人がキスして抱き締めてベッドに誘ったら、それすなわちアレだ、アレに決まってんだろ!」
 叫んだ拍子に唾が飛んだ。さすがのクラウドも少し怯んで後ずさった。
「え…、あれって…」
「何きょとんとしてんだよ、それ素か、それとも計算か!?」
「ええと……」
 目を丸くしている彼の表情はどこにも作りめいた演技のようなものは見受けられなくて、やはり天然なのだろう。
 大人になって、他人の目を引く魅力的な美人に成長して、なのにこの鈍感さ…。でもこれがクラウドの魅力といえばそうなのだろうけれど。
 ややあって、クエスチョンマークを浮かべていたクラウドの顔が徐々に赤くなり眉間に力が入り、やっとザックスの言わんとしていることが理解できたようだった。深夜とか近隣迷惑とかそんなものをどこかに捨て去った勢いで今度はクラウドが叫んだ。
「ね、寝るって…え、えええっ、そういう意味!? ちょ、何言ってんだよバカっ!!」
「バカってこたねーだろ! 今の流れだとそうだろ、不自然じゃねーだろ!」
 自分より細い腰にがっちり手を回し自分の身体に引き寄せて、ザックスはもうなんか体裁をつくろう気もなく強引にベッドまで移動しようとしたが、クラウドはザックスの胸を押し返したり叩いたりして足を踏ん張って抵抗した。こうなったらもう色気も何もないガチンコ勝負のような様相だ。
「往生際が悪いっての!」
「往生際とか関係ない! しないって言ったよね!? このうちじゃしないってこの間俺言った!」
「色っぽい顔して、んなこと言ったって説得力ねえよ!」
「そんな顔してない!」
「落ちる寸前のクセに!」
「してない落ちないあんたの気のせいだ! って、ちょ、バカっ、そんなとこ撫でるなよっ! 放し…っ、」
「クラウドっ」
「馬鹿ザックスっ」
「クラウド」
「放せよっ、信じらんな…っ」
「クラウド…、クラウド、静かに」
「っ!」

 トーンダウンした声で名前を呼ばれ、クラウドはハッと我に返った。そして自分を見下ろす青い瞳がいつの間にか怖いくらいに静かに自分を見下ろしていることに気がつく。大声で言い合っていたさっきまでのけたたましさはどこにもない。
「……欲しいんだ、ダメか」
「………っ」
 熱のこもった真剣な顔で見つめられる。真摯な声音で乞われる。
 クラウドはさっきまでのような拒む言葉をもう紡げずに唇をかみしめた。
 弱い。彼のことが好きで、それは何が、どこが、どんな風に好きなのかとか自分でも分からない不確かな感情で、でも見つめられると、乞われると、無条件に自分は彼に弱いとクラウドは思う。何かもう諸々のことがどうでもいいとか気にならないくらい些細なことに思えてくるから不思議だ。……後でそういう時のことを冷静な頭で振り返ってみると後悔する事も多々あるのだが。
「クラウド」
 赤く染まった耳朶に唇を寄せ、ザックスは囁いた。

 作戦変更だ。
 名付けて「下手に出て甘えて頼んでクラウドをベッドまで連れて行くぞ作戦」実行である。
 やり方がいやらしいと言わないで欲しい。なんせ本当にここのところお互い忙しかったり、時間が合わなかったり、クラウドが家でやるのを嫌がってベッドからザックスが蹴り出したり、そういうのばかりで、ここしばらくさっぱり(以下略)。
 なので、本当に久しぶりに甘い雰囲気になって盛り上がって、クラウドも満更ではなくて、だからここは行くっきゃないでしょみたいな感じなのだ。
 行くだろ、勿体ないだろ、そうだろ!(ザックス心の叫び)


 じわじわと俯いたクラウドが、ザックスの肩口に額をくっつけた。
「…明日から、旅行……」
「ん、楽しみだな」
「……だから別に……今夜……くても……」
 語尾が小さく小さくなっていく。
 ザックスはシャンプーの匂いがふわふわと漂う金色の髪に鼻先を埋めた。
「そうだよな。明日から心置きなく二人っきりの旅だし」
「……だったら」
「でも今めちゃくちゃ欲しいんだ」
「………」

 これでもクラウドが首を縦に振らなかったら、さてどうしよう。今夜は諦めるか明日は出立だし…それとも抱き上げてでも寝室に連れて行くか、いやいや無理強いは本意じゃない…。
 心が揺れているのは分かるが、それでもすぐに答えようとしないクラウドに、ザックスはひとり頭の中でぐるぐる考えをめぐらせた。
「………分かった」
 そうか、分かったか。…ん? 何が?
 ザックスが視線を下げると、のろのろと顔を上げたクラウドと目が合った。いつもは白い雪のようななめらかな頬が面白いくらいに桃色に染まっている。ああやっぱり綺麗だなコイツ、と感嘆する。やっぱりこのまま抱き上げてベッドへ行こうか―――。
「……いいよ。でもお願いがふたつある…」
 薔薇色の唇が開いた。
 恥ずかしそうな素振りで恋人は言葉を続ける。
「…ひとつめは、い、いれるのはなし…で……」
「………」
 ?
 一瞬何をクラウドが言ったのか理解できずにザックスは反応を返せなかった。その反応をクラウドは彼の機嫌を損ねたと勘違いしたのか慌てて言葉を付け足す。余計なことをベラベラ続けた。
「だ、だって俺いれられるといつも何かもうどうにでもなれって感じになっちゃうし、声抑えるの無理だから、こらえればいいとかそういうの全然無理……っ!」
「………」
「こ、声だけじゃなくて、俺たち夢中になるとホント近所迷惑なんて気にしないくらいにお互いエキサイトしちゃうだろ。分かってるんだ、だから困るんだ嫌なんだ!」
 顔を真っ赤にしながら、でも言っていることはかなりきわどい。
「……うん、確かに。ノってくると俺たちいつもかなり曲芸か格闘かよな域だよな」
「でも別にそれが嫌って言うんじゃないんだ。だって俺だっていつも…だし……だからあんたのせいだけじゃないから……」
 今夜のクラウドはなんだか凄く爆弾発言というか墓穴堀というかサービスてんこ盛りというか。
 これは明日からしばらく羽を伸ばせるという、普段とは違う微妙な心理のおかげということなのだろうか。
(こいつ、自分の言ってることの本当の意味、ちゃんと分かって言ってるのかな)
 ザックスは思わぬ展開に嬉しくて仕方がない。
 普段はあまり自分達のこういったことに関して、どう感じているのかとか思っているのかなんて口に出して言わないクラウドだったから、ザックスは彼の行動や反応から心情を汲み取ることしかできなかったのだ。
「俺に挿れられると、どうでもよくなっちゃうから怖い?」
 気持ちよくて他のことなんてどうでもよくて考えられなくなって見えなくなるから。
「っ、そ…ゆこと、言うな」
 ザックスは幸せで口許がゆるむまま、今度こそ本当にクラウドを抱き上げた。
「わっ」
「りょーかい、今晩は譲歩しましょ」
 愛しい恋人を横抱きに寝室へと向かうザックスに、しかしそのクラウド本人はまたしてもじたばたし始めた。
「待って、ザックスまだ!」
「何がまだ」
「お願いふたつめまだ残ってるだろ!」
 そういえば、二つあるって言ってたっけ。
「……ふたつめ何」
 仕方なく足を止めてザックスはクラウドを見下ろした。ちょっと眉間にシワが寄ってしまうのは仕方がない。
「やっぱり途中で終わらせるのは気持ち悪いから、チラシのライン引き、最後までやらせて欲しいんだ」
 これにはさすがのザックスも絶句してしまった。やや斜めな見方の勘ぐりもしてしまう。
「………なんかさ、あれやこれやで結局逃げる気じゃねえの、クラウド」
「そ、そんなことないよ!」
「あやしい…。そもそも別にラインなんて引かなくたって充分…」
「俺とあんたの店の宣伝だろ! 凄く大事なことだよ!」
「そうだけどさ…、あ、なんか俺とお前の店、って言い方いいな」
「何の味気もない一色刷りのチラシより、色が少しでもついてるほうが、気に止めて貰ったり興味を持ってもらえるかもしれないって、俺思ったから」
「……なるほど」
 なんかもっともらしいことをクラウドが言っているような気もする。だが、である。
「でもさ、気分とかその他諸々がこうわーって盛り上がっちゃってるときに、何で我慢して紙に向かって線引っ張んなきゃならないわけ」
「それは…お、俺の気持ちの問題だけど…、ほら、ザックスも手伝ってくれたらあっという間に終わると思うんだよね。ね、ちょっとだけだから」
「………ちょっと…」
「そう、ほんのちょっと」
「……………」
「………だめ、かな」
 そんなかわいい顔で、声で、お願いされたら。
 もやもや、もじゃもじゃ、ええぇ〜な心境のザックスも首を縦に振らざるを得なかった。





 早く作業を終わらせてクラウドとベッドへ!
 ザックスの頭には当初それしかなかったが、蛍光色のペンの横に八本入りのクレヨンの箱を見つけた時点で何かの路線変更がまたもやあったようだ。
 元来凝り性でマメで手先が器用なザックスは、クレヨンで何かできないかと考えてしまい、それでチラシの余白にイラストを描き始めた。二人の似顔絵やバイクの絵、コミカルでかわいらしい動物の絵など、クラウドからすれば感嘆するほど達者な絵を描いていく。褒められて図に乗ったザックスはウキウキと更にチラシの端に額縁のような飾りを描き込んでみたり…時間も忘れてクラウドの横でペンとクレヨンを動かし続けていた。
 さあ全部描き終えたぞと満足して隣のクラウドを振り向いたときには、彼は机に顔を伏せて眠っていて、窓の外を見れば朝日が輝いていて。

「………」

 何やってんだろ、と自分でも思ったが、眠っているクラウドの顔が微笑んでいて幸せそうだったので、まあいいかと思う。
 彼の身体を椅子から抱き上げて今度こそ寝室へ向かう。
 数時間眠ったら…そう、昼頃に出立すればいい。そういやクラウドが遅くても昼前には出たいっ言ってたっけ。何か理由があるのかな。急に眠くなってきた頭でザックスは思う。大きなあくび。二人だけの、旅。何にも誰にも邪魔させはしない、されない時間をすごそう。
 何が待っているんだろう。どんな思い出を作れるんだろう。
 寝室のドアを足で押す。ベッドに彼を横たえ、ザックスもその隣に倒れるように横になる。
 おやすみ、と自分の言葉がちゃんと声になったかどうかは分からない。ザックスは急速に眠りの世界に引きずり込まれた。すぐ横の温もりが身体に擦り寄ってくるのを感覚の端で感じる。
 あたたかい。
 それがとても嬉しく、満たされた気持ちでザックスは意識を手放した。





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