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09 悩む
「うーん…」
ザックスがなにやら唸っている。
仕事を終えて家に帰ってきたばかりのクラウドは、腰に下げた剣を外していつもの場所に立てかけながら振り向いた。
ザックスはソファの上で胡座をかいて腕を組み、難しい顔をしている。その視線の先には並べられた2枚の…何か布状のものが置いてあるようだった。
「ザックス、どうしたんだ?」
「悩んでる…」
「何を?」
「うん、ちょっと…」
「…?」
今日は少し遠出をして砂っぽい場所を走り抜けてきた。この時期にしては日差しが強く、日中の気温が大分上がって…1日をざっとクラウドが思い返していると、なんだか自分の体がざらざらして少し汗くさいように感じたので、シャワーを浴びようと浴室へ足を向けた。けれどその背をザックスの声が引きとめた。
「なあ、クラウドはどっちがいい?」
「?」
どっち? 何がだ?
話を振られるとやはり気になる。クラウドはリビングルームを横切ってザックスの横まで引き返した。
そして彼がにらめっこをしていたものの正体を近くで確認して絶句した。
ひとつはひらひらのフリルがついた目にも鮮やかなピンク。
もう片方は細い紐の先に面積の少ない三角形の黒。
それはクラウドにだって見間違えようもない、女性もののショーツだった。しかもちょっと目をそらしたくなるような色気たっぷりの。
「なあ、どっちがいい?」
ザックスはソファの上から傍らのクラウドの顔を見上げて
目をくりくりさせている。なんだか大好物のおやつを前にしてはしゃぐ子供のようにいきいきと楽しそうだ。
ザックスとクラウドが同居を始めてもうすぐ1年になる。
昔いつかした約束通り、今現在はふたりで何でも屋をやっている。そして恋人同士としても何ら問題なく、ほぼ順風満帆な日々を送っていると、少なくともクラウドのほうは思っていた。
けれど…。
女物の下着をこんな風にクラウドに見せて、一体ザックスはどういうつもりなのだろうか。
もしかしたら遠回しに「好きな女ができたから俺と別れてくれ」と言う意思表示をしているつもりなのだろうか。
もしそうならば…
ついにその時が来たのかとクラウドはずきりと痛んで重くなる胸を手のひらで押さえた。
そう遠くない未来にその時が来るだろうとずっと思ってはいたから、クラウドにとってそれは今更慌てたり焦ったりするものではなかった。
むしろこの不自然な関係が1年もよくもったものだと思う。どうしたって自分とザックスとでは所詮釣りあわないのだという思いをクラウドはもうずっと抱いている。
下着は女性へプレゼントでもするのだろうか。その人とは下着を贈るくらいの仲なんだろうか…と考えながらクラウドは目を伏せてザックスの姿を視界から追い出した。そうしてから心の準備のために息を吸い込む。
その時が来たなら、別れることに対してザックスに変な罪悪感を抱かせないようにしてやりたい、なるべく彼を困らせないようにして自分は身を引きたい―――そのために自分はどうすればいいのか、クラウドは頭の中でもうずっと何度も考えて色々シミュレーションしてきた。それには物分かりのいい人間を演じればいい、彼のためにだったら自分の気持ちに嘘をつくことも厭わない…そして今がそれを実行に移す時なのかもしれない。
「…ザックス、俺…」
クラウドは決意して顔を上げた。
ザックスはクラウドなら見るのも恥ずかしいようなそれを平気で指で摘み上げてしげしげと眺めていた。
クラウドの内心の動揺に全く気がついている素振りもない。
「こっちはさ、なんか白い肌にすっげえ映えそうそうだよな。スケスケだし、はいてても中身見えそう。こっちは…いろいろはみ出そうだよな。うわあ、はいたとこ想像するだけでもクるかも。我ながらナイスチョイス!」
見も知らない女性に対してこみあげる嫉妬心をクラウドは奥歯を噛んで心の奥底に押し込めた。
…胸が痛むのは仕方がない。クラウドはザックスのことが好きなのだ。けれど彼がもうそうでないというのなら自分の取るべき道はひとつしかない…。
「ザックス、分かったから…。すぐにここを出ていった方がいいか…?」
からからに乾いた喉の奥から、自分で予想していたよりも平坦な声が出てクラウドは自分でも少し驚いた。感情を一切消した顔を作ることには成功しているはずだ。
ザックスが目を丸くして顎を上げる。
「ん? 出てくって…、あ、そっか、ごめんな、そんなにシャワー早く浴びたかったか? そういえば今日は暑かったもんなー。じゃあ選ぶの急ぐわ…ええと、そだな、よし決めた、今日はこっちのにする!」
彼はそう言って、目に優しくないピンクのひらひらを選んで手にとり、その両端を指で左右に引っ張ってクラウドの目の前に掲げて見せた。
クラウドは目を瞬いた。
「……な、に…?」
それって…その、ピンクのひらひらを、クラウドに受け取れと言うことだろうか。その下着を持ってこの家を出ていけと言っているのか??
クラウドは混乱した。意味が分からない。会話が通じていないような気がする。
ザックスはにかっと笑った。白く輝く健康的な歯がまぶしい。
「シャワー浴びたら、それ着て出てこいな」
―――――は??
クラウドは自分の耳を疑った。
ザックスは今なんて言った?
俺にその女物の下着を着ろと言ったのか?
「ザックス…それ、どう見ても女物…」
「見りゃ分かるだろ」
「分かってないだろ! 俺は男だっ、そんなのはけるわけ…っ」
ザックスはソファから身を乗り出してクラウドの腰に下着をあてがった。その様子から、彼が冗談でも何でもなく、本気で言っているのだということが分かった。
ならばその下着は…。
「…ざ、ザックス、一応聞くけど、その下着、俺のために用意したとか言わないよな…?」
ここまで来ると、なんとなく彼からの返事は予想できたが、クラウドはおそるおそるといった風にザックスに確認した。そしてクラウドの想像を遙かに越えた答えが彼から返ってきた。
「もちろん、当たり前だろ」
クラウドは絶句した。
もちろんてなんだ、なんでそこで断定なんだ。
「店員のコと相談して決めたんだ。クラウドのこと話して、サイズとかアドバイスとか聞いたり。候補は10枚くらいあったんだけど、厳選してとりあえず2枚買ってきた」
にっこり笑うザックスに、世間体を気にするだとかいう様子は微塵もない。
「俺のこと、は…話したって…」
「うん、俺もさすがに男に着せる女物の下着っていう買い物は今までしたことがなかったし、いろいろ教えてもらいたいかなあって。店員のコ、すごい丁寧に教えてくれたぜ、マーケットの…なんて言ったかな、店の名前忘れた。なんか長ったらしい感じの…」
「あああ、あんた、よりにもよって地元で……っ」
もはや返す言葉もないクラウドだった。
顔見知りとまではいかなかもしれないが、この狭い町中でクラウドとザックスのことを知らない人間はほとんどいない。当人たちは特にその関係を大っぴらにはしていないが、皆おそらく薄々と気づいているだろう。
ザックスはその気さくな人柄から地元でも人気者だ。彼を接客した店員がその下着について誰かに他言していないだろうか。しなくても、下着屋から出てきたザックスを目撃した人がいる可能性はある。もしかしたら某かの、下着にまつわる自分たちの噂がもう町中で流れているかもしれない…と思うとクラウドは居たたまれない気持ちになった。考えすぎだろうか。クラウドは頭を抱えた。
「…んで、なんであんたはそう…っ」
ばかなんだ―――――――!!!
がくりとその場に膝をついた。
なんかもうどうしようもない。涙が出てきそうなクラウドだった。
ザックスはひらひらではないもう一枚の下着をびよーんと伸ばしている。
「こっちはまた今度な。ああでも待てよ、マジで悩む〜。これ絶対クラウドに似合うって。あ、途中ではきかえってのもありか。いっそ今夜2枚とも…」
不穏な言葉を次々と紡ぎ出すその口を今すぐ閉ざしたいクラウドはザックスの頭を遠慮なく手のひらではたいた。
「あたぁっ」
「俺はそんなもの絶対はかないっ!」
「ええええ、なんでだっ」
はたかれた後頭部を手でざすりながら唇を突き出して、ザックスはかなり本気で不満そうだ。
「なんでって当たり前だろ! だいたいなんで俺がそんなのはかなきゃならないんだ!? 意味が分からない! あんた頭おかしいっ!」
「だって今夜は久々にふたりでゆっくりできそうだし」
久しぶりなのは確かだった。
最近ふたりの生活サイクルは、多忙な仕事のせいでわずかに自由にできる時間も重なることが少なく、ばらばらに過ごしていることが多かった。しかしそのことと女性ものの下着がどう繋がるというのか。
「で、すっげえ楽しみで、いろいろ考えて」
「…なにを考えたんだ」
「俺はお前も知ってる通り、基本的にノーマルなセックスが好きでいつもそれで大満足なんだけど」
下着から始まったこの一件に、なんだかイヤな予感がさっきからしていたが、案の定セックスの話に飛ぶのかよとクラウドは半眼になった。
「たまには趣向を変えて、違う角度からってのも新鮮な気持ちになれるかもしれないしいいかなーとか思って、いろいろ朝から想像してたら盛り上がっちゃって…あ、ちゃんと仕事はしてたぜ真面目に!」
「……」
「楽しい妄想の中からひとつを選んで、仕事片付けてから店に直行して、とりあえずコレで」
びよーんと楽しそうにショーツをまた伸ばす。
「下着使って羞恥プレイに決めました〜」
黙っていれば男前なのに、下ネタを吐いて鼻の下を伸ばしているザックスはどう見てもただの変態にしかクラウドには見えなかった。
しゅうち…ぷれい。
何でこの男はこう…。
「俺、おまえが恥ずかしがって悶えてんの見んの好きなんだよねー。すけすけひらひらパンツはかせて恥ずかしがらせて、じらして泣かせるとか、もう想像しただけで…」
ザックスの妄想は走り出したら止まらない。
カタン。
物音に気がついてザックスが振り向くと、いつの間にかクラウドが移動していて、さっき壁に立てかけたばかりの剣に手を伸ばし、柄を握りしめているところだった。
「クラウド…? え、なに?」
片腕で軽々と持ち上げた馴染みの剣をクラウドはガッと勢いよく床に突きさした。当たり前のことだが木床に刃が数10センチめり込んだ。
その気迫にザックスはびくりとしてソファの上で思わず体を後ろに引いた。
「……その下着、こっちに寄越せ」
うつむいたままのクラウドの口から、まるで地の底から響いてくるような低い声がした。
「え…はいてくれる気になったのか?」
「寝言は寝てから言え。今すぐ切り刻んで使用不可能にしてやる」
剣を床から引き抜いてクラウドはぶううんとそれを振り回した。側にあったテーブルにぶち当たったが気にしちゃいない。
「えええええ!? やだ! 今夜はこれはいたお前をいじめたり、愛したり、脱がしたりして愛すんだもん!!」
大声で堂々とそんな宣言をする恋人にクラウドは呆れるしかない。
「そんな変態趣味につきあう気はない! 早くそれを寄越せ!」
「ぜえっっっったいダぁメええええええ!! 俺の今月の小遣いはたいたんだからな!」
「そんなの知るかっっ!! 頼むから普通のにしてくれ! 俺は普通でいい! …それとも俺と寝るのが飽きたからそんなことを言ってるのか!?」
「っ、クラウド!」
下着をあっさりと放り出したザックスは、ずかずかと足音をたててクラウドに近づくと、その腕を引いて胸の中に抱きしめた。クラウドの手から剣の柄が離れ、鈍い音をたてて床に落ちる。
しっかりと抱きしめ、クラウドの後頭部を愛しげに撫でながらザックスは熱くクラウドの耳に囁いた。
「…なにバカなことを言ってるんだ。飽きるなんてことがあるはずないだろ」
「………だったら、どうして、そんな…」
下着を着せたいのは純粋にただの俺の趣味、とはさすがのザックスもその場では口をすべらせなかった。
「ゆっくりお前と抱き合えるの久しぶりだし、下着のことは、あったらより盛り上がるかなと思っただけだ。俺だってクラウドがこうして俺の腕の中にいてくれればそれだけでいい」
「本当…に…?」
「ああ。なんだったら俺があれ着てもいいし。おまえが脱がしてくれてもいいぞ?」
どうだっていいと言う割には結構下着にこだわるザックスだった。
「ザックスが着るって…」
ザックスが腕の力を緩めてクラウドの顔を覗き見ると、クラウドは顔を真っ赤にしてうろたえている。どうやらそれらを頭の中に思い描いてしまったらしい。
「…俺はそんなザックス見たくない…」
だいたいそんな小さな布でザックスの股間のアレが綺麗におさまるとは思えない。はいたらかなり卑猥な状態になりそうだった。それにそんなのをはいているザックスなんてはっきり言って見たくない。
顔をしかめるクラウドに、ザックスは笑って彼の瞼の上にキスをした。
「だったらやっぱりクラウドに着てもらうしかないな。俺はクラウドのお色気たっぷりの下着姿見たいし」
「ザックス…っ」
なんでそんなにその下着にこだわるのかが理解できない。自分がはいた姿だって見るにたえない格好だとクラウドは思うのだが…。
ザックスは再びクラウドの腰を引き寄せて、今度は唇を重ね合わせた。クラウドもキスを拒む風でもなく、唇を開き、ザックスの舌を咥内に迎え入れ、自分からも彼の舌を追いかけて絡めた。
「…ん、…ふ、んぅ……っ」
「……っ」
深い口づけが終わる頃、クラウドは熱のともった目を伏せて甘えるようにザックスの身体に体重を預けていた。
ザックスの手が明確な意思をもって、クラウドの腰から尻にかけてを撫でさする。ザックスによって呼び覚まされたぞくぞくするたまらない感覚に、クラウドはぎゅっと目を閉じてやり過ごそうと努力した。そうしなければ容易く流されてしまいそうだった。
「…ックス、待って。俺シャワー浴びてから…」
ザックスは目の前の露わになった白い首筋に顔を寄せて、ぞろりと舌で舐めあげた。
クラウドの体がザックスの腕の中でびくりと反応する。
「やっぱだめだ、触ったら我慢できねえ。後にしろ」
「だめ…すごい汗かいたし、汚れてる…し…、あ、待っ…っ」
「気にしない。どうせ汗をかく。それよりもしたい。今すぐ」
「だめだったら…っ」
ザックスは派手な音を立ててキスをしてから、クラウドの背と膝裏に手を添えて、ひょいと彼の体を抱き上げた。
問答無用に寝室に運ばれるのかと危ぶんで抵抗しようとしたクラウドだったが、彼が浴室に向かっていることに気がつき、びっくりして彼の顔を見上げた。
「ザックス?」
こういうときのザックスは我を通す傾向があるので、クラウドの希望に耳を傾けてくれることは珍しい…と思ったのだが。
「予定変更。今日のメニューの前菜は風呂えっちに決定」
「…って、は!?」
「泡プレイとかしよか? それとも…」
「あんたもうその変態どうにかしろっっ!!!」
「男はみんな変態です」
「開き直るな!」
「パンツの楽しみはまた次の機会にとっておくよ」
日頃は感心するくらい爽やかで好青年なのに、なぜかクラウドと二人きりになると頭の中がイヤらしいことでいっぱいになるそんなザックス・フェアという男ーーーでもそんなザックスが大好きで仕方がないクラウドは、とどまるところを知らないくらいに広がりと奥行きを見せる彼の性欲にどう自分は応えればよいのかと、もうずっと悩み続けているのだった。
今夜もこれからきっと恥ずかしいことをいっぱいされて、自分からもして、散々に翻弄されて、泣かされるのだろう。
何度身体を重ねてもその手のことに関して羞恥心を振り払えないクラウドは、セックスを気持ちいいものだとは思うがザックスのように楽しむことがなかなかできない。…嫌いじゃないのだが。
間違いなく、愛されている実感はある。
彼を愛している気持ちに揺らぎはない。
けれどセックスに関しては彼に言いたいことがある。
しつこい。変態くさい。いやらしすぎる。
俺、普通でいいのに。適度でいいのに。
彼にそれを分かってもらうには、どうしたらいいと思う?
もしそんなことを仮に、他人にクラウドが相談する機会があったとしたら(絶対にありえないけど)、相手はたぶんこう答えるだろう。呆れながら。
ごちそうさま。
ただののろけかよ、と。
「あの下着着たクラウドが、俺が仕事から帰ってくるのを家で待ってたりしてくれるってのもいいよなー。いやいやいや、外で仕事中、服はいつものやつなのに、中身はさり気なく普通にあの下着ってのも興奮しそ…うあああ、シチュエーション万歳! どれしてもらうか悩むなあ。ていうか全部順番にやってもらおっかな」
「あんたホントに恥ずかしい! そんなことで悩むなバカっ!!」
「クラウド愛してる! 俺に頼まれたらお前なんだかんだ言ってても絶対やってくれるよなー?」
「しない絶対しない変態っっ」
「そんな俺に付き合えるお前もじゅうぶん素質あるって」
ははは、と笑い、クラウドの額に愛しげにキスを落として。
ばたばたしながらも、ふたりの姿はバスルームの扉の向こうへと消えていった。
end.
→お題 top
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