熱3



「…そもそも、ザックスはなんでここに来たんだよ。来るって俺聞いてない」
 クラウドは眉をひそめてベッドの上から友人を見上げた。
「え…、まあ、それは、その」
 ザックスはそこでなぜかちょっと照れくさそうな顔になり、クラウドから視線を逸らして自分の鼻の頭を人差し指でかいた。
「おまえの顔を…見たくなったから」
「…何だって?」
「だ、だから、ホントは昨日お前とメシ食う予定だっただろ? なのにできなかったから、会えなかったわけで…、けど俺、昨夜ミッション終わって帰ろうってなったときにさ、すっごくクラウドに会いたくなっちまって、そう思ったらなんかこう引き寄せられるように気がついたらここにだな…」
 ザックスは笑っているが、黙って聞いていたクラウドは眉間に皺を寄せた。
「何それ」
「うん…、なんだろな」
 なんだろうな、とはどういうことだ。
「…馬鹿にしてる?」
 ザックスはあわてた様子で首を横にぶんぶんと激しく振った。
「えっ、バカになんてしてないしてない!」
「…」
「ホントにおまえに会いたくなったから来たんだって!」
 どうやらそれはザックスの本心のようだった。
 会いたかったから、だなんて直球に言われると、なんだかクラウドも照れくさくなって、不機嫌な表情を続けるのが難しくなる。
 ザックス以外に今までクラウドは他人にそんなことを言われたことがなかったから、なんだか胸の奥を見えない手でくすぐられているようなこそばゆさに落ち着かない気分になった。
「そんで一日の終わりにクラウドの寝顔見たら…なんかさ、なんて言うのかなあ…」
 ザックスはそこで腰を深くベッドの上に乗せて座り直してから、クラウドの頬を両手で包むと自分の顔をクラウドに近づけた。
 深みのある青い双眸にクラウドは間近で見つめられる。そのまっすぐで綺麗なきらめきに吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚えてクラウドはどきどきした。
 そしてザックスは、深い森の中にひっそりとある湖面のような薄青の色の、澄んだクラウドの瞳に自分の姿が映っているのを見た。この美しい瞳が映しているのは今は自分だけ。自分ひとりだけがこの美しいものを独占していることを無意識に喜んでいた。これはどんな類の独占欲なのだろうと、そう遠くない未来にザックスは考えることになる。
「ザックス…?」
 顔の近さに戸惑いながら、クラウドはそれでもザックスを見つめ返す。
 ザックスは目元をゆるませて微笑んだ。
「そしたら、ここだなあって思ったんだ」
「…え?」
「クラウドの寝顔見て、胸があったかくなって…なんでだろう、安心したのかな。それで、俺はここにいたいんだなあって思った」
「ここって…」
「クラウドのいる場所。クラウドのとなり」
「……」
 クラウドは自分の耳がじわりと熱くなるのを感じた。
 自分と…クラウドと一緒にいたいのだとザックスは言う。
 悪い気はしない。しないけれど…胸がどくりと波打ち、指先まで熱くしびれるような、自分でも不可解で制御できない反応を身体がして、クラウドはどうしていいのか分からなくなる。
 どうにか取り繕うとしたクラウドは、仏頂面になって、その口からはいつものようにかわいげのない言葉が出てしまった。
「…人の寝顔とか勝手に見んな」
 クラウドの気性をよく理解しているザックスは、そんなクラウドにぷっとふき出す。
「ごめん。でもお前を起こしたくなかったから」
「…」
 そこでクラウドはあることにふと気がついた。
 ソルジャーであるザックスならば気配を消すことなど造作もないことだとは思うが、クラウドとて末端でも神羅の兵士だ。なのに他人に部屋に侵入され、そればかりか同じ寝具に入られても全く気配に気づけなかった。兵士としての自分の資質を疑われてもおかしくない失態なのではないだろうか。
 この友人は確かに自分よりも何でも出来るし、能力は上だ。当たり前だ、ソルジャーなのだから。けれど…面白くない。

「なあクラウド」
「………なんだよ」
 不機嫌さが増したせいでますますクラウドの声が低くなった。
「おまえの『ここ』をさ」
 ザックスはクラウドの頭を抱えたまま、さらに顔を寄せた。ふたりの額がこつんと当たる。
「俺の居場所にしてもいいか」
 ザックスの端正な顔が眼前にアップになる。
 クラウドは目をぱちぱちとさせた。彼の言葉の意味が分からなかったわけではない。ただ、なぜそんなことを聞くのかと不思議に思ったのだ。
「居場所…」
 クラウドが見つめ返すと、ザックスは何かを迷うような素振りで、らしくなく静かに目を伏せた。
 瞼のきわをびっしりと縁取った黒々とした彼の睫は間近で見ると意外に長いことをクラウドは知った。
「そう。いつでもおまえの近くに俺が居てもいいっていう権利がほしい」
 居場所。
 近くに居てもいい、権利。
 そんなの、とクラウドは思う。
「何言ってるんだよ」
「…クラウド…」
 クラウドの返す声に少しだけ非難がましい響きが混じってしまったせいか、瞼を大きく開いたザックスの双眸が不安げに揺れ、その青いきらめきにさっと影が差した。
 そんな顔をする必要などないのにとクラウドは腕を持ち上げて彼の額に垂れた前髪に指をくぐらせた。
 朝から具合の悪かったクラウドのために冷たいタオルや氷を用意したりと、服を身体にひっかけただけで早々にあちこち立ち回っていたザックスは、髪の毛をいつものように後ろに流してセットすることもなく、寝癖もそのままにぼさぼさだった。
「俺たち、友達だろ?」
「え…」
「だったらそんなこと、いちいち俺に聞くなよ」
 クラウドの言葉に今度はザックスが目を丸くして瞬きをする番だった。
「それとも友達って、そばにいてもいいかとか、そんなことをいちいち相手に確認したり許してもらわなきゃいけない関係なのか」
 クラウドの言葉に、きょとんとしていたザックスが、あっと言う間に笑顔に変わる。
 クラウドはくしゃっとなった笑い皺のできたザックスの笑顔が好きだ。ザックスが笑うとクラウドも無条件でなんだか嬉しくなる。
「クラウドおおお!」
 ザックスは横たわるクラウドにかぶさるようにがばっとその身体に飛びつき、クラウドの首の裏に回した両腕に力を込めてぎゅうぎゅうと抱きしめる。
 クラウドはザックスのたくましい胸板に容赦なく顔を押しつけられて目を白黒させた。
「ありがとうクラウド! そうだよな、俺たちトモダチだもんな!」
「ザックス、く、苦しいって…」
「俺の隣はいつでもおまえのために空けておくからな!」
 普段から調子のいいきらいのあるザックスを、少しばかり無駄に調子づかせてしまったかもしれない。
「や…待って、夜中に人の部屋に黙って上がり込んで勝手に隣で寝てもいいってことじゃないからな」
「クラウドもしたかったらしてもいいんだぜ。俺の部屋の合鍵渡そうか?」
「しないよ! いらない!」
 ザックスのプライベートな領域に自分から遠慮もなく飛び込むなんていう勇気は、まだクラウドにはない。
「えー、持ってても損はないと思うぞ。てか持ってて欲しいっていうか俺が」
「俺が鍵なんか持っててどうするんだよ。そういうのは普通ガールフレンドとかに渡すもんだろ。俺があんたの部屋を自由に出入りしてたら、邪魔になるだけじゃないか」
「邪魔? なんで」
「あんたの彼女のことなんて俺は全然知らないけどさ」
「カノジョ…」
「そうだよ。その人をあんたが家に連れてくることだってあるだろ。そのときに合鍵使って入った俺が先に部屋で待っててみろよ。完全に邪魔者だろ。俺帰るしかないし」
 そんな風にザックスと顔も知らない女性のふたりと鉢合わせする場面を想像しただけでもいたたまれない気分になるクラウドだった。
 しかし、ザックスはクラウドを見つめながら眉を寄せて首を傾げた。
「んー…、それはたぶんないな。ないない」
「ないってなにが」
「だから誰かと鉢合わせとか」
「なんで」
「だって俺ここんところ……、」
 そこでザックスはいったん言葉を止めて、なぜからしくなく目を泳がせた。
「ザックス?」
「いや、だからその…そうか。あ、いや、な、何でもない」
「?」
「…そういえば…そうなんだよなあ…前はよく…だったけど最近は…うーん」
「何ひとりでぶつぶつ言ってるんだよ」
「いやなんでもないこっちの話! てか、クラウドだいすきだー!」
 そしてまたぎゅうと力をこめてクラウドを抱きしめる。ソルジャーの腕力でそれをやられたら、クラウドはたまったものではなかった。
「な…っ、ザックス、ばか、苦しいってはなせ!」
「クラウドは俺のカノジョとかそんなこと全然気にすることないんだって! 今度合鍵持ってくるから受け取って!」
「だからいらないって言ってる…っ」
「そうだなあ、うんうん、クラウドが家で俺の帰りを待っててくれるのとかって、なんかいいな! もういっそ一緒に住むって言うのはどうよ?」
「はあ!? 何とんちんかんなこと言ってるんだよ。ていうか俺が今気分悪くて寝てるってこと、あんた完全に忘れてないか!?」
 触れ合った場所から伝わってくる暑苦しいくらいの熱もそうだが、馬鹿力に抱きつぶされるのではないかという危惧にクラウドは嫌味をこめてザックスに訴えた。
「あ…! そうだった、悪いクラウド!」
 ザックスは慌ててクラウドを解放する。


 クラウドは自分の顔が熱くなっているその理由をあえて考えないようにした。
 それでもクラウドはそんなザックスのことが好きで、彼とこんな風なやりとりが出来ることをとても嬉しいと思っていることは確かだ。
 友達。
 クラウドはもう一度口の中でひとりその言葉を噛み締める。
 自分からその言葉を使ったのは初めてだった。使い慣れない単語を口にするのに若干の勇気が必要だった。
 でもとても胸があたたかくなる魔法のような言葉だ。
 彼と友達であることが、彼が自分を友達だと認めてくれていることが嬉しい。
 できればこの先もずっと彼とこんな付き合いが出来ればいいのにとクラウドは願った。





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