こんにちは





 うららかな日差しに包まれた昼下がり。
 前日から続いていた不規則な任務を終え、その日はいつもより大分早い時間に私服に着替え、帰路につこうと本社ビルのエントランスまで降りてきたザックスが、そこで無料お試しキャンペーン中だとかで配布していたポーションを配っていた顔見知りの女性社員と立ち話をしていたときだった。
 ふと目の端に、金色が流れていくのに気がついて目をやると、少し離れたところによく見知った友人の姿を見つけ、声をかけた。同じ会社に勤めているとは言えそれほど接点はなく、こうしてばったり会うというのも実は珍しかった。
「クラウド!」
 呼ばれた彼は、振り向いて「あ」という顔をする。彼の横を歩いていた二人もこちらを振り向いた。
 神羅の一般兵のユニホームを着た三人は、振り向いたものの、その先にいるの人物がザックスだと知ってリアクションに困っているのか、その場で固まっている。
 ザックスは、それまで話していた女性社員が腕に抱えていたポーションの瓶の中から一瓶だけ持ち上げた。
「一本もらっていい?」
 女性社員は笑った。
「彼にプレゼントするなら、アンケート葉書、服用後には必ず書いて提出してくださいって頼んでおいてくださいね」
「…これ別に新薬のテストとかヤバイやつじゃねえよな?」
「少しだけ通常のものとは違う仕様ですけど勿論害はないです。あと少なくとも媚薬効果はないですよ」
「それは残念」
 肩をすくめてザックスは芝居がかった仕草で笑った。茶目っ気たっぷりの表情でウィンクしてみせる。
「ありがと。それじゃ」
 軽く手を振って、ザックスはフリーズしている三人の元に向かった。
 ザックスに名を呼ばれた金色の髪の――クラウド・ストライフだけは、ザックスを目で牽制している。何でこっちに来るんだよ、という不機嫌な顔だった。





「よ、クラウド。俺これから帰りなんだけど」
 クラウドと一緒にいた二人は、姿勢を正して敬礼を返そうとした。それをザックスは手で制した。堅苦しいのは好きではなかったし、もうユニホームも装備も外して今は私服だ。威張って上下関係を振りかざそうという気にもならない。
 しかし軍隊生活で身についた規律は、おいそれと無視できるものではないらしく、二人は困惑した顔で背筋を伸ばした。
 クラウドも上官に向けて姿勢を正す。
「…こんにちは。お疲れさま…です」
 クラウドと呼ばれた少年はぼそりと低い声で呟くように言った。話しかけられるのが嫌そうな態度だ。
 しかしザックスはそれにはとんと頓着せずに、にっこりと笑った。
「おう。で、クラウド、お前今日は何時に終わる?」
「…分かりません」
 クラウドはそうと分かるくらいの仏頂面になった。原因は、その彼の薄い頬の辺りに他二名の同僚の好機に満ちた視線がチラチラと向けられているからだった。それに加えて目の前の、能天気に話しかけてくる上官にもイラッと来ていた。
「あんまり遅くはなんないだろ。晩飯一緒に食おうぜ」
「……いえ、今日は…」
「先約ある? こいつらと?」
 ザックスに視線を向けられた他二名は、慌ててぶんぶんと横に首を振った。
「じゃあ、別に問題ねえよな。俺んち来いよ、お前の好きなもんなんか作って待ってるからさ」
 他二名は、ええっと心の中で絶叫していた。
 何であのソルジャー・ザックスとメシ一緒に食べんの!? てか家訪ねる仲なのかよ、いったいどういう付き合いだよ、どういうことだよおい!? …クラウドとザックスが親友同士だということを知らない二人には、目の前のやり取りに驚くのも無理は無かった。
「…すみません。その件についてはあとでこちらから連絡します」
 思い切り不本意な感情を隠しもせずに前面に押し出して、不承不承と言った風にクラウドが答えた。
 そんなクラウドの気持ちが分かっているのかいないのか、ザックスは自分よりも低い位置にあるクラウドの頭の上に手のひらを乗せてわしゃわしゃとかきまぜた。
「なんだよ、クラウド。んな畏まった喋り方して」
「……別に…」
「なんか他人行儀で感じ悪いなあ。いつもの通りでいいって。あ、そうだ。はいこれ、プレゼント。っつっても、そこで配ってたヤツだけど」
 ポーションの瓶をクラウドの前に差し出す。
「これ飲んで体力つけて夕方までもうちょっとがんばんな」
「…ありがとうございます。でも受け取れません。一般兵の俺には過ぎたもので…」
「いいからいから。もらえるモンはもらっとけっての」
「困ります。だってこんなのもらっても…」
 ポーションの押し付け合いを、他二名の一般兵は興味津々といった風に横目で盗み見ていた。
 彼らにとって、クラウドはその他大勢いる同僚の中のひとりで、普段は特別な付き合いもなく、またクラウド自身も周りの人間と積極的に交わろうとするタイプではなく性格もクールなので、彼の友人関係など二人は知るよしもなかった。気がつくとひとりでぽつんといるクラウドを見ることが多いので、友達とつるんで歩くことなど無いのではないかとさえ考えていた。
 そのクラウドが、あの社内ではちょっとした有名人のソルジャー・ザックスと顔見知りで、しかも交遊があるらしいというのは、二人にとって非常に興味深かった。
 押し問答が続き、頑なにポーションを受け取らないクラウドに、ザックスは後ろ髪をバリバリと指でかきながら溜息をついた。しかしそれほど彼は不機嫌になっていないようだ。
「わかったよ。じゃあこれは夜に渡す」
「………」
 口をへの字に曲げてブスっとするクラウドに、他二名は「貰っとけよ!」「なんで受け取んないんだよ!?」と心の中で叫んでいた。
「…俺たち、先を急いでるんで…」
「ああ、うん。引き止めて悪かったな、クラウド。夜待ってるから、後でな」
 クラウドはそれに何か言いたそうにしていたが結局無言のまま、敬礼ではなくぺこりとザックスに向けて頭を下げ、彼の前から少しでも早く去りたいのか小走り気味に歩き出した。それを見て、慌てて他二名もかかとを合わせてザックスに小気味よい敬礼を返し、クラウドの背を追うように走り出した。
 ザックスは、その三人の姿を何とはなしに目で追う。
 階段を昇ってエレベーターホールへ向かうクラウドに追いついた二人は、クラウドの両脇を挟むように詰め寄っていた。
「ストライフ、お前ザックスさんと知り合いなのかよ」
「家って、お前行ったことあるのか」
「どういういきさつで仲良くなったんだよ?」
 多少興奮気味の同僚らに質問攻めにあっているようだ。それにクラウドがどう答えているのかまではザックスの耳には届かなかったが、ザックスももうそろそろ帰ろうかと踵を返そうとしたとき、その光景が目に飛び込んできた。なぜかそれはザックスの胸にチクリと棘を刺す。彼の意識を再びクラウドたちに引き戻した。
 クラウドの右側にいた男が体を寄せて、クラウドの肩に腕を回して抱くようにして。
 その仕草が妙に馴れ馴れしく感じたから。
(体クラウドにくっつけ過ぎだろ)
(顔それ以上近づけんな)
 クラウドがそれを肘で軽く小突いて男に返している。何てことはない軽いやり取りだった。
 それでもその気安さでさえ、クラウドが自分にではなく彼らに向けているのだと思うと、ザックスの心に引っかかった。
 顔を寄せることも肩を抱くことも、普段自分がよくやっていることだ。なのに、他人がクラウドにそうするのを見てザックスは気分が悪くなる。
 自分はよくても他人は駄目だなんて、それはまるで…。

「クラウド!」

 エントランス内の少しざわついた空気を裂くように、声が響いた。
 エレベーターの到着を待っていた三人が振り向くのと、駆け寄ったザックスの手がクラウドの腕を掴んだのはほとんど同時だった。
 クラウドの同僚は驚いて目を丸くしている。流石にクラウドもびっくりしているようだった。
 掴んだクラウドの手を自分の方に引っ張りながら、ザックスはクラウドにではなく他の二人に向けて笑って言った。営業用スマイルだ。
「ちょっとクラウド借りていいか?」
「え…」
「上にクラウドはどうしたって聞かれたら俺の名前出してもいいから、ちょっと借りるな」
 がしりとザックスの胸に抱きこまれてしまったクラウドは、勝手なことを言うザックスに慌てた。
「ちょ、な、何言い出すんだよ、俺これから…っ」
「よろしくな」
 そう言うと、ザックスはクラウドの手を引き、彼を半ば引きずるようにしてホールを取って返した。クラウドの抵抗など構いもせず、エントランス奥の受付の脇にある展示ルームの扉の方へと歩いていく。その場に残された二人は、エレベーターの到着を知らせるベルの音が響くまで、声もなくそれをぽかんと見ていたのだった。



+++



「………」
「……苦しい…んだけど」
「…もうちょっとだけ」
 展示ルームの扉をくぐった二人は、展示物には目もくれず、部屋の中を横断した。片隅にある化粧室のドアをザックスは迷わず開く。二人の姿はそのまま個室の中に消えた。
 鍵を閉めた途端、ザックスの腕が伸びてきて、クラウドの体をぎゅうぎゅう抱き締めてきた。
 最初こそ、クラウドは「はなせ」「いきなりなにするんだ」と騒いでいたが、三十秒を過ぎる頃にはザックスの腕の中でおとなしくなった。


 ザックスのこういった突然の接触やコミュニケーションは、何も今に始まったことではなかった。クラウドには、その意味や動機が理解できないのだが、そんなに心から嫌だというわけではないので、結局はザックスにそれを許してしまう。
 いつも明るくて笑っている印象のあるザックスだったが、もしかしたらその心の中に何か昏い衝動や重たいものを抱えていて、普段は人に見せることがなくても、何かの拍子に堪え切れなくなる時があるのかもしれない…などとクラウドは勝手に想像している。
 ソルジャーという職種は、華やかで皆に憧れ的なイメージを抱かせるが、それはあくまでも外側からの印象であり、実際の仕事やその任務は決して人々にもてはやされる事ばかりではなく綺麗なことばかりでもないのだということを、クラウドはもう年相応に理解できるようになっていた。子供のときのようにただ憧れているのではなく、ソルジャーを目指すということの意味、そして、しなければならない覚悟も出来ているつもりだ。
 ソルジャーだって人間なんだから、とクラウドはザックスに出会ってから強く感じるようになった。
 ごく普通の、年上の男だった。
 くるくると表情が変わって、人懐こくて、冗談も言う。
 どんなに肉体的に強くなったって、能力が突き抜けていたって、人間だ。
 当然傷ついたり悩んだりもするのだろう。
 任務だ遠征だと日々置かれている過酷な環境上、精神的に不安定になる要素も唯人に比べたら倍以上に多いのかもしれないとクラウドは想像する。ソルジャーのメンテナンスを取り仕切っている科学部門の科学者や医者たちが、彼らのメンタル面をどのくらいフォローしているのかまではクラウドには分からないが、いくつもの死線をくぐり抜けてきた彼らには、ぬくぬくと平和に暮らしている人間とは明らかに違う何がしかのデメリットや不安要素が心の中に存在するのではないだろうか。
 ザックスが時々おかしな行動を取ったりするのはそれが原因で、もしかしたら彼の弱い部分を自分にだけ見せてくれているのかもしれないなんて―――いや、他の友人(もしくは恋人やガールフレンド)にも同じことをしているかもしれないけれど、でも今は、この瞬間だけはザックスは自分を必要としてくれている、頼ってくれているような気がして、クラウドは悪い気がしないのだった。


 三方を白い板に仕切られた狭い個室の中で抱き締められている。
 息苦しいくらいに力のこもった腕に拘束され、クラウドは所在無げに両脇に垂らしていた腕を持ち上げて、ザックスの背中にためらいつつも手のひらで触れた。そうするとより一層彼の腕に力がこめられて、クラウドの体は上に引っ張り上げられ、クラウドの踵がタイルの上から浮いてしまった。バランスを崩してザックスの体に寄りかかるようになってしまったが、ザックスは微塵も揺らぐことなく、自分よりひとまわり小さいクラウドの体を受け止めた。
 こうしてザックスに抱き締められるのも実は初めてではなかったりする。
 でも力の入れ方や抱き締め方が、以前のときとは少し違うような気がした。
 密着する彼の身体から、負の感情が伝わってくるような気がして、クラウドは少し心配になった。
「…ザックス? 何かあった…?」
「…何も」
 クラウドの耳元で、何かを抑えるような低いザックスの声がした。
「何もってことはないだろ。さっきと全然違うし…任務とかで何か嫌なことあっ――」
「引き剥がしたかっただけだ」
 引き剥がす? 何を?
 ザックスはそれには答えず、クラウドの背中を上から下まで多少乱暴な手つきで何度か撫でさすった。
「な、なに、ちょ…っ!?」
 くすぐったさに、クラウドは肩をすくめる。
 ザックスは最後にバンバンと背中を叩いて、またクラウドを腕の中に閉じ込めた。クラウドには意味が全く分からない行動だった。
「ザックス!?」
「…マーキングかよ、全く…」
 また意味の分からない言葉で返される。
 クラウドはザックスの過多な接触に驚いたのと、ちょっと恥ずかしかったのとで頬を染めながら、気が立っている風なザックスを少しでもなだめられればと思い、彼の広い背中にもう一度腕を回した。
「…怒ってる…? ごめん、俺さっきザックスに嫌な思いさせた…」
「…嫌な思いって?」
「言葉遣いとか…。同僚いたし、職場では何となくそういうの、ちゃんとしときたくて…」
「違う。そんなの別にいいって。感じ悪いって言ったけど、本当は気にしてない。お前をちょっと困らせてみたかっただけ」
「………」
「あいつらに、俺と仲良くしてるの、知られたくなかったのか?」
「…だって」
 クラウドはザックスの腕の中で少し身じろいだ。
「あんた社内じゃ有名人だから…、色々面倒だし、噂とか…」
「噂って?」
「俺みたいな一般兵と友達って…なんか普通考えたら変じゃないか。俺は馬鹿にされるのなんて慣れてるし、噂なんてどうでもいいけど、あんたは困るかもって…」
「俺とクラウドが仲いいと馬鹿にされんのか? 困るってなんで」
「噂って本当のことなんてどうでもいいみたいに置き去りにして、尾ヒレついて簡単にみんな面白おかしくするし…、変な噂が広がったら嫌だろ」
「変って…、例えば俺とクラウドがデキてる、とかか?」
「そ…、そうだよ」
 こっちは気を遣って言葉を濁してるのにはっきり言うなよ、とクラウドは内心で毒づいた。
「…女好きのあんたがそんなのあり得ないって当たり前のことなのに、噂は無責任だからさ。そんなのがあんたの彼女の耳に入っちゃったりしたら、嫌な思いするかもしれないし。それにこれから俺のまわりだって、しばらく質問責めの同僚がうるさそうだし、面倒臭いよ。どこでいつ仲よくなった?ザックスってどんな人?って、きっとうんざりするくらいに聞かれる。俺静かなのが好きなのに。…さっきのあの二人、結構口が軽そうだし、もう今頃俺とザックスのこと話題にしてるかも…。これからのこと考えると憂鬱になる…」
「考え過ぎだって、クラウドは。言いたいヤツには言わせておきゃいい」
「俺は別にいいけど、あんたの方が…」
「だったら本当に俺のモンになるか、クラウド」
 耳元でザックスが囁いた。
 すぐには言われたことの意味が理解できず、クラウドは口をぽかんと開けたまま目を瞬いた。
 抱き締められているから、彼の顔は見えない。どんな表情をしているのかが分からない。
 だけどその声に、からかうような響きはどこにも無くて。
 そして、それにどう返事を返したらいいのか一瞬でも迷った自分自身にもクラウドは戸惑っていた。
「…な、に、言ってるんだよ…?」
「こうしてると安心するんだ」
 クラウドを抱き締めていると安心するという意味だろうか。
「さっき俺嫉妬したんだと思う。だからお前を独り占めしたくて連れてきちまった」
「独り占めって…」
「変だよな」
「さっきから意味わかんない…」
「だよなあ、俺も。うーん…」
「うーんってあんた…、自分の言ったことに責任持てよ!」
 変って言えば、もうこうやってトイレの中で抱き合ってること自体が変だろが!とクラウドが続けようとしたとき、扉の向こうで物音がした。誰かが室内に入ってきたらしい。はっとしたクラウドは、ザックスの腕がゆるんだ隙に体を離し、慌てて自分の口を手のひらで覆って押し黙った。息をひそめて気配を殺そうとしているクラウドをザックスはどこか面白そうに見下ろす。
「クラウ――」
「っ!」
 話しかけようとしたザックスの口を、クラウドは自分の口を覆っていた手を外して咄嗟に塞いでいた。
 クラウドの手のひらに、もぞりと動くザックスの唇が当たる。しかしそんなことよりもドアの向こうの誰かの方がクラウドには気になる存在らしい。
「………」
 クラウドは緊張した面持ちでドアの向こうの気配を探っている。
 ザックスはといえば呑気なもので、目の前のクラウドの横顔を眺めて綺麗だなあと改めて感心していた。
 春の陽だまりのようなあたたかい金色の髪や長い睫毛、後頭部から首にかけてのすっとしたラインは美しいと思うし、肌の色も透き通るように白くてその唇も淡い桜色だし、思わず口付けたくなるような…なんて考えたところで、ザックスはぺろんとクラウドの手のひらを無意識のうちに舌で舐めていた。
 驚いたのはクラウドだ。
「ぅわっ…っ!?」
 飛び上がらんばかりの勢いでザックスから手を離すと後ずさった。狭い個室の中、クラウドの背はすぐに背後のドア板にぶつかった。派手な音が室内に響く。
「な…、なな、舐め……っ」
 舌の感触がよほど衝撃的だったのか、クラウドは目を白黒させている。ほっぺたは赤いのに顔色はなんだか青い。
 そこへ、クラウドの背中でドアをノックする控えめな音がした。
「あのー、どうかしましたか、大丈夫ですか?」
 ドアの向こう側から掛けられた少し語尾がかすれ気味の男の声に、クラウドは慌てて返した。
「すみません大丈夫ですお構いなくっ!」
 心配してか、男の気配はドアの向こうにしばらくの間佇んでいたが、ややして男は自分の用を済ませたのか靴音と共に室内から出て行った。
 クラウドは安心してホッと溜息をついた。それを見てザックスはぷっと笑う。
「笑うなよ!」
 クラウドは眉を吊り上げた。
「だってお前…そもそも俺たち、別に隠れなきゃいけないことなんてしてねぇし」
「個室に二人ってのがアヤシイって気づけ!」
「そっかなー」
「別に疚しいことなんてしてないけど…、あ、俺は仕事中だからちょっとまずいのか…」
 ごにょごにょとクラウドは何やらひとりで呟いた後、顔を上げてキッとザックスを睨みつけた。
「とりあえず聞いておきたいんだけど」
「何を」
「他のやつにもよくこういうことすんのか?」
「こういうことって?」
「抱き締めたりとか、さっきの悪戯とかだよ!」
「あー、いやいや、しねえよ。そういえばお前以外したことねえなあ」
「考えた方がいいよ。ドン引きだよ、俺だって引くよ!」
「そうだよなあ。ていうか自分でやっといてなんだけど、トイレに男連れ込むってどんなシチュ?」
「そんなの俺に聞くなよ!!」


 これまでだって、ザックスって変わってるよなとは感じていたけれど(そもそも自分と友達付き合いしてくれてること自体が既にヘンだとクラウドは思うのだ)さっきみたいに抱き締められたりとか、嫉妬だとか独り占めしたいとか、あげく“俺のものになるか”発言は全く意味が分からない。
 意味は分からないけれど…あまり深く考えても意味はないような気がする。だって相手はザックスだ。
 本能や思いつきで行動する傾向のある人間を前にして、筋道の立った何かを要求しても、きっと自分の期待するような答えは返ってこないような気がするし、さらに疲れるような事態に陥る可能性もある。彼に振り回されるのはいつものことだけれど、出来れば無用なエネルギー消費は避けたかった。
 …いや、もう充分疲れてるけど。
 手のひらを舐められた。びっくりした。犬か、何なんだ一体。


「…俺もうそろそろ仕事戻る」
 クラウドは鍵を外してドアを開けた。
 ザックスは特にそれを止める様子は見せず、蓋の閉まっている便器の上に腰を落としそれを見守っていた。
「今夜来いよ」
「……行く前に電話する」
「おう。何だったら泊まってくか」
「その辺は臨機応変で、迷惑じゃなかったら…。なんだよ、何笑ってるんだよ」
「いやいやいや。じゃあお土産用意して待ってるから」
「お土産ってさっきのお試しポーションだろ」
「あはははは」
 ひらひらと笑って手を振ってザックスはクラウドを見送った。



+++



 ひとりしかいなくなったトイレの中で、ごん、と鈍い音がした。
 ザックスは後頭部を後ろの冷えた壁に押し付けて、ぼんやりした顔で天井を仰ぐ。

「あ〜……何やってんだろ、俺……」

 疲れてんのかな。人恋しいとか?
 クラウド相手に何やってんの?
 ハグとか舐めちゃったりとか。
 ちょっとだけあいつに欲情した…っていうのは気の迷いだろ。
 いくらかわいいからってさ、どうかしてる。
 でも夜…夜は楽しみだな。
 何を作ろうか。食べきれないくらい、あいつの好きなモンをテーブルの上に並べてやろうか。
 胃袋から陥落しようというこのパターンは、よく女にするヤツだけど。
 なかなかお目にかかれないあいつのはにかんだ笑顔は殺人的にかわいらしいし、あれを自分の料理で引き出すことが出来るのなら、いくらでも作ってやりたくなるかもしれない。
 友達相手にらしくないことをしているという自覚はあるけれど。
 何よりあいつと過ごす時間は楽しいし、それに―――気になっていることもある。

「…何の独占欲なんだっての…」

 抱き締めて、安心して。
 自分のものだとまるで確かめるみたいに。
 この気持ちがどこからやってくるのかが分からなくて、なんだか胸がモヤモヤする。
 自分に弟がいたらこんな気持ちになるんだろうか。
 心配で、大事にしてやりたくて。…独占欲も?

「あーもー、マジで分かんねえ…」



 呟きは誰にも聴かれることなく、白くて清潔な壁に吸い込まれていった。










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