 |
0811
微かに湿り気を帯びた平たい男の指先が、確かな意思を持って白いうなじを滑る。
くすぐったさに、クラウド・ストライフはベッドの上でむき出しの肩をすくめた。
「……」
しかしそれ以上の反応をクラウドが返さずにいると、しびれを切らしたのか、もぞもぞと背後の男がシーツをたぐってクラウドの身体に腕を回した。クラウドの首筋に男の湿った吐息がかかった。
「…クラウド。まだ機嫌わるい?」
ブランケットの下で男の足がクラウドの足に絡む。そして長い腕でクラウドの痩身を抱きしめながら、その耳元で囁いた。普段より少しだけ甘えるような口調だ。
「……」
クラウドはそれに固く目を閉じて無言で返した。自然と眉間に皺が寄る。
「なあ、クラウド、ごめんて」
男が鼻先をクラウドの肩にこすりつけた。
このまま男のことを無視していたら、永遠にこの『構って攻撃』が続きそうな気がする。それはそれで…うざい。
クラウドは重い溜息をつきながら振り返る。
肩口に男の――自分の恋人であるザックス・フェアの長い黒髪が視界に入った。
「…暑苦しい。はなれろ」
機嫌の悪さを前面に出すために低い声を出そうとしたら、思ったよりも掠れて聞き取りにくい声がクラウドの口から出た。
「悪かったって。ごめん。機嫌直して。だって今日は…」
「そう言って謝ればいいと思ってるんだろ。なにもかもが終わった後でいつもいつも」
「そんなこと思ってないって」
「いいや思ってる。ザックス、今日は何の日だって言ってた?」
「クラウドの誕生日」
「そうだ、俺の誕生日だ。それもあと数十分で終わるな」
時計を見てクラウドの眉間の皺がさらに深くなる。
昨夜から今までのことを思い出すと、クラウドの口からは自然と溜息が出る。
いつもより少し遠方までの配達の仕事から帰ってきて、ザックスが作ってくれた食事を風呂上がりに食べたまではよかった。いつもより何となく皿の数が多いし、こった料理が乗っているなと感じてはいたが、クラウドはさして気にはしなかった。
しかし、キッチンで食事の後片付けをしているザックスにすすめられるまま、クラウドは先にシャワーを浴びて…そのあとが問題だった。
ザックスが誕生日のことを言い出すまで、クラウドは自分のそれをすっかり忘れていた。そうだ、翌日はクラウドの誕生日だった。
覚えていてくれたんだ、と胸がくすぐったくなるような嬉しい気持ちをクラウドが抱いたまではよかったのだが、その後、ザックスがバースデイ・イブだ!とか何とか訳の分からないことを言い出し、クラウドをベッドに引きずり込んだのだった。
それからはもうなにがなんだか…あっという間に裸に剥かれて、いつにも増して甘く攻められ、どろどろに身体を溶かされ、疲れたら寝て、腹がすいたら軽く食べ、ある程度腹が満たされると互いの身体に手をのばし、繰り返し時間を忘れて抱き合った。
ザックスは一応バースデイケーキやクラウドの好物ばかりを集めた食事も用意してくれていたのだが、それは手付かずで冷蔵庫の中で眠っている。
食欲よりも性欲を優先したくなるような、そんな雰囲気だった。
そうして抱き合い、やっと気持ちも身体も落ち着いてきた頃…気がつけば一日が――クラウドの誕生日だったその日が終わろうとしていた。
触れると火傷しそうな熱に押し流される中で、そういえば今日だって依頼を受けた仕事が普通に入っていたはず、こんなことをしている場合じゃないのだと、途中でクラウドが気にしたら、ザックスは「おまえの誕生日にはこうしてふたりで過ごしたかったから、俺が前倒しで依頼を片づけておいたんだ。だから大丈夫、気にすんな」などと言っていた。
ザックスの言う「ふたりで過ごしたかったから」というのが、ベッドの上のことを指していると言うのなら、クラウドとしては素直に喜べな……いやまあ複雑な気持ちになるのだった。気持ちはいいし十分満たされる…のだが、それしかしない1日…というのもどうなのだろうか。
それに冷静に振り返ってみると、ずっとザックスに主導権を握られていて、彼のいいように事が進められているような気がする。彼のペースで。それがクラウドには少々面白くない。
「…これじゃあんたばかりがいい思いしてるみたいで、俺のじゃなくてあんたの誕生祝いみたいじゃないか」
「え、気持ちよくなかった? 俺すっげえがんばったつもりなんだけど」
「……」
むしろがんばりすぎだと思う。
クラウドとて決して体力に自信がないわけではないのに、今はもう疲労困憊で、指一本動かすのさえ億劫に感じるくらいの倦怠感に包まれていた。
シャワーを浴びて身体をすっきりしたいのだが、それさえも面倒臭くてこのまま寝てしまってもいいかという気分になる。
「クラウド?」
「……」
後ろからクラウドを抱きしめているザックスのぬくもりがまた、クラウドを眠りの淵へと誘う。
「おいクラウド、寝ちゃうの? シャワーは?」
寝かせてくれてもいいと思う。
だが…このまま欲に負けて寝てしまっては、目覚めたときにいらぬストレスを感じることになるという懸念も否定できない。
クラウドは目を閉じたままもごもごと口を動かし、ザックスの方に向けて腕を少しだけ持ち上げた。
「…風呂場まで連れていってくれ」
ザックスが笑う気配がした。見なくても分かる。きっと物凄くにやけた顔をしているに違いない。
「りょーかい、お姫さま」
「誰が姫だ…」
「今日はおまえの誕生日だからな、何でも言うことを聞きましょう?」
「…何でも…、じゃあシャワーと…あとおなかがすいた…」
「かしこまりました。…よっと」
ザックスはクラウドの身体をベッドの上から両腕で軽々とすくうと寝室を横切り、そのまま浴室へと向かった。
ほどよく温められた湯が肌をたたく。
クラウドの白い肌を伝い落ちた湯は、足下で跳ねて白いタイルの敷き詰められた床の上をくるくると渦を巻き排水口へと吸い込まれていく。
カランをひねる音がして水音がやむと、泡立てた洗髪剤にまみれたザックスの大きな手のひらがクラウドの頭を包み込んだ。
つい数刻前までクラウドに不埒な行いを仕掛けていた節くれ立った男の指が、今はクラウドの頭皮をマッサージするように優しく触れる。あまりの気持ちよさにクラウドは瞼が落ちそうになる。
「かゆいところはございませんか〜?」
ザックスに話しかけられて、はっと目を開ける。落ちそうになっていた意識を急に引き戻されてがくんと頭が揺れた。クラウドは少し気恥ずかしくなって、照れ隠しに仏頂面になる。
「……平気、だ」
誕生日だから何でもクラウドの言うことを聞くだなんてザックスは先程言っていたけれど、こうしてザックスに背中を預けて身体や髪の毛を洗ってもらっている途中で、ふとクラウドは気がついた。
「…よくよく考えてみたら、あんたに風呂に入れてもらったりご飯作ってもらったりとかするのって…、別にいつものことだよな」
「ん?」
「誕生日だからって言ってたけど、全然特別なことじゃないよなと思って」
そうなのだ。
人一倍面倒見がよくてサービス精神が旺盛なこの男は、年中クラウドのことを構い倒している。それもいつもそうすることが楽しいのだと言って自ら率先して。こんなことは何も今日が特別なわけではないのだ。
「でも特別な日にこうやって水入らずで、ふたり気ままに一日中過ごせるってことには満更でもないだろ。おまえだっていつもより少し甘えたっぽいし」
…甘えたってなんだ、まるで子供みたいじゃないか。
「俺はこうして今年もまたおまえの誕生日を一緒に祝うことができて、すっげえ嬉しい」
「それは…」
それについてはクラウドも異存はない。
「シャンプー流すぞ」
後頭部にシャワーの湯が当たるとクラウドは条件反射で目を瞑った。
しかしザックスは湯が流れ続けるシャワーヘッドをタイルの上に置いて、目を閉じたクラウドの頬に唇を寄せた。クラウドの背中にザックスの厚みのある身体が重なる。
不意をつかれてクラウドが目を見開くと、してやったりという風に笑ったザックスと目が合う。
「髪流すって…っ」
「おまえ、いつまでたってもこういうときの反応が初々しいよな。かわいくてたまんねえ」
顔を赤くしたクラウドの肘鉄が、間髪入れずにザックスの脇腹めがけて繰り出される。ザックスはそれを身体を少し後ろに倒してかわしながら、タイミングを計ってクラウドの腕を掴み、自分の方へと引き寄せた。クラウドはバランスを崩してザックスの身体の上に倒れ込む。
決して広くはないバスルームの床の上に大の男が寝ころぶのはやはり窮屈だった。ザックスの足の裏は派手な音を立ててドアを蹴り、クラウドの足は浴槽に軽くぶつかった。
「いっ…たっ」
「ははははは」
ザックスはクラウドを胸に抱きしめると楽しそうに笑う。悪戯が成功して喜ぶ子供のようだ。
「ザックス…!」
再度ふたりの視線が合わさると、ザックスは整髪剤を落とし切れていないクラウドの髪の毛を手のひらを使って後ろに撫でつけながら、抱きしめる腕にやんわりと力をこめてクラウドを逃がさないようにする。
仕方がないので、クラウドはザックスの身体の上で恋人のまっすぐな視線を受け止めた。
「キスしてよ、クラウド」
「…なんだよ、突然」
ザックスの愛情を隠さない目が穏やかにクラウドを見つめる。
「改めて、ハッピーバースデイ、クラウド。愛してるよ」
そう言って幸せそうに笑うザックスに、クラウドもついにはつられて笑ってしまう。ちょっとした不機嫌など吹き飛んでしまうくらいには、クラウドはこの恋人の表情に弱いのだ。
そしてその笑顔は素直ではないクラウドを素直にさせる魔法でもある。
「…ありがとう」
今年もともに過ごし、年を重ねることが出来た喜び。
それはクラウドとてザックスと同じように、いやそれ以上に嬉しく思っているし、今このときをかけがえのない大切で幸せな時間だと感じていた。
今日の礼は、とクラウドはリクエストに応えてザックスの唇に自分からキスをした。
「次のあんたの誕生日に。楽しみにしててくれ」
こうして身体を寄せてザックスの体温を感じていると、ザックスの言う通り、やはり今日の自分はいつもより少し甘えたい気分なのかもしれないとクラウドは思った。
*
おなかがすいた、疲れたというクラウドの小言も何のその、浴室で結局また、ふたりは甘い時間を過ごした。キスを繰り返しているうちに予想以上に盛り上がってしまった。
クラウドがしつこいくらいのザックスの愛の囁きから解放された頃には、日付が変わるどころか、もう間もなく日が昇るというような時間だった。
メシどうする?と、こちらはクラウドを思う存分補給しておなかがいっぱいなザックスが暢気に聞いてくるのに、クラウドはソファの上で丸まり、げっそりとしながら小さく首を横に振った。
「……寝かせて…もう…」
眠って体力を回復させることを何よりも優先したいと思うほどにくたくたなクラウドだった。こういうときのザックスの底なしの体力には本当に感心を通り越して呆れるばかりだ。
手際よくベッドのシーツを張り替え終えたザックスが、裸足のままぺたぺたとクラウドの元にやってくる。そしてクラウドの隣に腰掛けた。
「ベッドまで連れてってやろうか?」
「んー…自分で行く…」
と言いながらもクラウドはソファの肘掛けに頬をすり寄せて動く気配がない。
ザックスはクラウドの顔を覗き込んで、指先で彼の滑らかな頬を指でつついた。
「さっきの話の続きだけど、俺の誕生日、ほんっとに楽しみにしてるからな」
「…ん……」
「でもさ、俺思うんだけど、自分の誕生日も忘れてたクラウドだから、俺の誕生日になってもころっと忘れてる可能性もあるなあって心配だったり」
「……ん…?」
「一応聞いておくけど、覚えてる? 俺の誕生日」
「…馬鹿にするな。いくらなんでも俺だって…」
「じゃあ何日か言ってみ」
なぜかそこで間があく。答えが返ってこない。
もしかして寝てしまったのではないかとザックスが心配しだした頃に、目を閉じているクラウドの眉間に深く皺が寄った。
「……日付は…たしか……ええと……」
「クラウド」
「……何年か前にティファのところで…みんなで祝ったよな」
ザックスはいつぞやの年の自分の誕生日を思い出す。
どういう流れでそうなったのかいまいち覚えてないのだが、なぜかティファの店を午後から半日貸しきって、顔なじみの友人や、昔なじみの知人などが数十人寄り集まっての、かなり騒がしい飲み会のような様相になったのだった。
お祭りのようで楽しかったし、夜の遅い時間にはなってしまったが、クラウドと二人きりになってから、しっかりと自分だけに向けたとびきりの愛情もプレゼントしてもらったので、楽しく過ごせた誕生日だったとザックスは記憶している。
「あのときのスケジュールを書いたメモがどこかに残ってるかな…それが見つかれば日付も…」
「……」
…やはりというべきか、クラウドはザックスの誕生日を覚えてはいないらしい。まあでもやはりと言うか、想定内だ。
「……おまえってそういうやつだよな。知ってたけど」
「…え…」
眠気のせいで夢と現実の間を行ったり来たりしていたクラウドだったが、ザックスの落胆と溜息をつく気配を感じ取って、薄く目を開いてザックスを見つめ返した。けれどザックスが視線を外したのでクラウドは今度こそはっきりと動揺した。
「…な…んか、怒ってる…?」
「別にぃ」
「だって…そんな顔して…」
「……」
「ザックス…」
クラウドが不安を感じて泣きそうに顔を歪めると、ザックスは苦笑しながらクラウドの頭を抱き寄せて唇を重ねた。
潤って湿っている滑らかな唇を宥めるように優しくついばむ。
「うそ。いじめてごめん。クラウドは困ってる顔もかわいいから、つい」
「なんだよそれ…」
突き出した唇の表面を舌でぺろりと舐めた。
ザックスはクラウドの潤んだ瞳に簡単に欲情しそうになる。
「いいよ。俺の誕生日なんて覚えてなくてもいい。けどその日は一緒に過ごしてくれると嬉しい。今日みたいに」
「…そんなことでいいなら勿論…けどやっぱり…」
「クラウドが覚えてなくたって、俺が覚えてて自分からクラウドにひっついてれば一緒に過ごせるだろ。だから問題ないだろ?」
「なんだか言い方が引っかかる…今教えてくれたら覚える」
「じゃあ思い出せよ」
「……」
困惑を表情に乗せて悔しそうにクラウドはザックスを睨んだ。
そんなかわいらしい顔をするから、ザックスはクラウドをからかうのをやめられないということを、きっとクラウド本人はわかっていない。でもやりすぎるとクラウドが臍を曲げてしまう。そうなってしまうと機嫌を取るのに少々骨が折れるから匙加減が重要だ。
ザックスはふっと息を吐いた。
「クラウド、おまえが忘れても俺が覚えてる。俺たちはいつも一緒にいるだろ。だからそれでいいじゃないか」
ザックスはそう言って持ち前の爽やかな笑顔を披露して見せた。自分の笑顔がクラウドにどういう効果があるのかを正しく知っている。
「でも誕生日くらい教えてくれたって…」
拗ねたようにまだ唇を尖らせつつも、案の定、クラウドは頬を淡く染める。
「じゃあ今度リビングのカレンダーに書いておくよ。あそこだったら、おまえも見るし、日にちが近くなったら気づくだろ」
「…ああ」
と答えつつも、やはりクラウドは心からは納得していないようだ。少しの間難しい顔をして何かを思案しているようだったが、何がしかの納得のいく結論に至ったのか、ふと目をくるりとして輝かせた。
「…なら…、その代わりに、あんたの忘れていることを俺が覚えてる、から」
「ん? ああ、そういうの、いいな」
ザックスは破顔した。
足りないものを互いに補いあえるのであれば、それはともに生きる者同士、理想的な生きかただ。
「俺達はそうやって生きていける」
ザックスが言うと、クラウドははにかみながらも微笑んで頷いた。
「……ザックス、今日はその…本当にありがとう」
「俺のほうこそ、ありがとな。生まれてきてくれたこと、俺と出会って、こうして今一緒にいてくれる。俺はすごくすごく幸せだ」
「うん、俺も…。…ありがとう、あんたが俺を選んでくれて、俺を愛してくれて。世界中で今自分が一番幸せだって誰かに言いたいくらいだ」
「クラウドの口からそんな言葉が聞けるなんて、嬉しくて飛び上がっちまいそう」
窓の外の明らんできた空が、昨日とは違うまた新しい一日が始まることを告げる。
ソファの上でふたつの影がひとつに重なった。
*
「…あ、でもザックスの誕生日、一緒に過ごしてもいいけど…今日みたいに一日中ベッドの上っていうのは無しだからな」
クラウドらしく釘をさす。それにザックスは苦笑し、冗談とも本気とも言えない口調で返した。
「ああ、じゃあリ俺からのクエスト。大自然の中でとか青空の下でとか。思えばあんまり外でヤったことってないよな。たまには開放的でいいかもしれな――」
今度こそ容赦のないクラウドの頭突きが見事にザックスの額に決まったのだった。
「あんた本当にそのことしか頭にないんだな!」
fin.
back
|
 |
|