epilogue





 扉の脇に小さな看板がかかっている。辛うじて引っかかっているという程度の気の抜けた感じのそれには“STRIFE DELIVERY SERVICE”と書かれていた。その看板の下に、どこで拾ってきたんだというようなぼこぼこのアイアンプレートが釘で打ち付けられていて、お世辞でも達者とは言いがたい文字で「何でも屋」と刻まれている。
 クラウド・ストライフとザックス・フェアの二名が住む自宅兼事務所(?)の扉の前で、ティファ・ロックハートは大きく一度深呼吸をしてから扉を拳でノックした。いつもの癖で少しばかり力を入れすぎたようで、木製の扉は耳にうるさいほどの乾いた音を響かせた。
 扉の向こうから調子のいい軽快な返答が返ってくる。
「どうぞー、開いてますよー」
 ティファは、咳払いをしてからノブを回した。クラウドの愛車フェンリルが階下に停まっていなかったのを確認していたので、部屋の中に誰かいるとすれば、それは彼しかいないということは分かっていた。
「ザックス」
 玄関をくぐり、部屋に入ると彼の名前を呼ぶ。
 それほど広くもない部屋を見回しても人影は見当たらなかった。ティファがきょろきょろしていると、玄関から一番遠い場所にある褪せた色の木製のドアが微かに軋んだ音を立てて開き、その間からひょいと黒髪の青年が顔を出した。
「よ、ティファ!どうした?」
 ザックスの手にはほうきが、黒のニットの上には不似合いなエプロンが、そして彼の左頬には青黒い大きな痣があって、ティファはその彼の姿を見て固まってしまった。本題を忘れてどこから突っ込むべきか考える。
「……どうしたの、その顔」
 とりあえず頬の痣のことを訊いた。
 ザックスはそれをやっと思い出したような顔をして、掌で自分の頬をさすって見せた。何を思い出しているのか口許がゆるんでいる。
「んーと、愛のムチ…かな?」
「………」
 愛のムチ…。誰の、というのは分かっているので、ティファはそれについてわざわざ聞こうという野暮なことはしなかった。その代わり、彼が恋人から怒りの一撃を食らうような原因にひとつ思い当たることがあったので、それを聞いてみた。
「昨夜お店に来たお客さんから聞いて、何それって思ったけど、とんでもない噂が流れてるよ。もしかしてそれが原因なの?」
「噂?なんの?」
「“クラウドが実は女だった”」
「ほえ?」
「ほえ、じゃないよ。クラウドってあの通りどちらかと言えば女顔だから、噂聞いた人が変に納得しちゃってたりして、大変なんだから。なんでそんな噂たってるの?」
「わー、やっぱ酒場には情報集まるんだな。や…それ多分、アレが原因だよなぁ。色んな誤解があってだな……」
「誤解?」
「話せば長くなるんだけどさ……」



 ザックス曰く、先日、配達業の仕事で預かった大切な荷物を二人のあれやこれで駄目にしてしまい、依頼人のところに頭を下げに行ったのだと言う。
 クラウドが青い顔をして一生懸命謝っているのを隣で見ていて、居た堪れなくなったザックスが馬鹿正直に「クラウドは悪くないんです、俺が悪いんです!俺が暖炉に投げ込んじまって…本当に申し訳ありませんでした!」と言って土下座した。
 訊かれてもいないのにザックスは続け、暖炉に火を入れなければならなかった経緯やクラウドがいかに自分にとって大切な存在なのかということまで依頼人の前で話し出した。傍らのクラウドは、先程よりも更に青い顔をしてザックスのその口を慌てて閉じさせようとたが、『クラウドを守るぜスイッチ』が入ってしまったザックスの勢いは、ちょっとやそっとのことでは止まらなかった。
 ザックスの話のどこに反応したのか分からないのだが、初老の依頼人はホロリときたらしく「そうか…若いっていいのう…」と涙を浮かべ、ザックスとクラウドの手を取って「うむうむ、もう喧嘩なんぞするなよ。幸せにな…」と頷いて笑った。
「荷物のことは気にするな。他のものを用意するよ。孫の誕生日には少し遅れるが、よい土産話を聞かせてやれる…」
 ザックスは「ありがとうございます!」と喜び、クラウドはその横で「土産話って俺たちのことか…?」と顔を引きつらせた。最後にとどめの依頼人の一言。
「別嬪さんじゃと思っとったが、ストライフさんは女性だったんですな。いや失礼、お似合いのお二人ですよ」
 幸せに…と二人の肩をぽんぽん叩いたのだった。

 恋人同士だということを否定するには、ザックスがつらつらと語った二人の話には無理があるし、だからと言って「クラウド=女性」というところだけを否定するのは、依頼人の頭を混乱させるだけのような気がして…結局二人はそのまま依頼人宅をあとにした。
 クラウドはその日一日中ムッとしていて、「俺のどこが女に見えるんだ…」と呟いたのを聞いて、ザックスとしてもこれ以上クラウドの機嫌を損ねたくなかったので「そうだよなあ」と頷いた。しかしその相槌がかえって気に入らなかったのか、睨み返された。
「元はと言えば、あんたが依頼人に余計なことをベラベラ喋りだしたのが悪いんじゃないか」
「ありのままを話したほうが丸く収まるときもあるんだって。下手な細工するよかさ」
「そうかもしれないけど…あの話し方じゃあ痴話喧嘩が原因だって取られただろ。あんたの言う“ありのまま”じゃないじゃないか!」
「えー、でも意思の疎通ができてなかったから、あんなふうにすれ違ったんだろ。おんなじよーなモンだって」
「全然ちがう!」
 顔を赤くして怒るクラウドの腰をザックスは抱き寄せた。
「でも、ま、クラウドが俺の奥さんなのは事実なんだし」
 結婚、誓ったもんな。
 道の真ん中で、人目のある昼日中で、ザックスはクラウドの耳元に唇を寄せて呟き、それから首筋にひとつ、かすめるだけのキスを落とした。
 次の瞬間、顔をこれ以上ないくらいに真っ赤にさせたクラウドの拳がザックスの左頬にヒットした。
「外でそーゆーことすんなって、前々から言ってるだろ、ザーーーックスっっ!!!」
 前々、というのは神羅時代に付き合っていた頃から、という意味だ。
 ……そういえば、よく往来でべたべたクラウドに引っついては、こういうふうに……容赦ない拳がいつも飛んできたのを思い出す。反射神経は抜群にいいザックスなので、避けようと思えば簡単に避けられるのだが、それが彼の照れ隠しからの行動だと分かっているので、あえてザックスはいつも身体で受け止めていた。
 でも久しぶりに頬で受けた恋人の愛の一撃は強烈で、ザックスはかなり派手に吹っ飛ばされた。そういえば昔と違って今のクラウドの腕力は自分と同じソルジャー並みだった…と思い出したが、後の祭りだった。



 ザックスの話を黙って聞いていたティファは、本当に長い話ねえ…と思いながら、首を傾げて言った。
「その頼まれた荷物の依頼主さんの名前分かる?」
「カームに住んでる…えーと、ドーンじゃなくてゴーンさんだったかな。グレイの顎鬚がもさ〜っとした」
「うん、噂の出所、納得。そのおじいさん、商店組合の役員やってて、よくしゃべる人だし。会合の場で喋ったのがあっという間に広がったのかもね」
「へ〜え」
 ザックスはほうきをまだ手に持ったまま、腕を組んで考え込む。その眉が寄った。
「あー…、なんか不安になってきた。クラウドモテるからなあ、女なんて噂が広がって手を出そうとするヤローが出てきたら心配……」
「………。襲われたってクラウドなら、そんじょそこらの男なんて簡単にぼっこぼこにしちゃうから大丈夫なんじゃない」
 ザックスの心配も分からなくはなかったが、一応フォローはするティファだった。
「わっかんねえじゃん!もしもなこととか不可抗力なことってあるかもだし!」
 握り締めたほうきを振り回して真面目な顔でザックスは訴える。
 すっげえ心配になってきた、とザックスが頭を抱えて部屋の中をうろうろしだすのを見ながら、ティファは(なんだかんだ言ってても、二人ともうまくやってるんだよね…)と少しうらやましい気持ちになる。
 そのときになって、ティファは自分の右手に持っていた紙包みの存在をやっと思い出した。
「忘れてた!ザックス、クラウドもう出ちゃったよね?」
「え、うん、ティファが来る五分ほど前だったかな。そういえばティファの用事って」
「どうしよう。頼んでた荷物、間違えちゃってて、本当はこっちを届けて欲しかったんだ」
 そう言って、ティファは紐でぐるぐる結んでまとめられている紙の包みをザックスに見せた。
「お届けモノ、それじゃないと困るのか?」
「うん、すっごく困るよ!」
「困るのか…。そうだよなあ」
 ザックスはうんうんと頷いてから、にやりと悪戯を思いついた子供のような笑みを口許に浮かべた。
「よーし、俺がちょっくらクラウド追いかけて、荷物とっかえてきてやるよ!」
 ほうきを手放し、エプロンを外してから、ティファの手の中から荷物を受け取ると、ザックスは小さな中庭に面している壁の窓を開けた。枠にひょいと足をかける。
「ティファ、ちょーっとだけ俺が帰ってくるまで店番よろしく!」
「え!?店番て、ちょ、ザックス……!?」
「行ってきま〜す!」
 ザックスの身体が窓の外に躍り出た。

 窓の下、停めてあったバイクに軽快な動作で飛び乗ると、ザックスはあっという間にクラウドを追いかけていってしまった。ちなみにそのバイクは、クラウドが今の愛車であるフェンリルを手に入れる前に乗っていたもので、先日ザックスがティファから借りて乗ったものだ。今はザックスが譲り受ける形で乗り回している。
 一人残されたティファは腕を胸の前で組んで溜息をついた。
「………ほんっとに私の周りの男ってデリカシーがなくて勝手な人たちばかりなんだから……」
 言うなれば新婚生活を始めたばかり?の部屋でひとり留守番しなくてはならいなんて(しかも失恋したばかりなのに!)それってどんな嫌味よ、とティファは思う。
 まだまだ物の揃わない殺風景な部屋の中を見回し、キッチンの水きり場におそろいのマグカップと皿が並んでいるのを見つけ、ティファは一瞬胸がちくりと痛んだが、少しはにかみながらも笑っているクラウドの顔が頭に浮かんだ。
「……彼の笑顔、みんなが見たかったの、知ってるよ……」
 何が本当の幸せなのかなんて分からないけれど。
 彼には幸せになってほしいと誰もが思っていた。願っていた。
 そう、きっと彼女も。
「あなたも彼に笑ってほしかったんだよね。でも私は泣くハメになったんだけど」
 今はもういない友達に語りかけると、どこからか彼女の謝る声が聞こえてきたような気がした。
「お互いさまね。男運悪いね、私たち」
 ティファは掃除でもして待っていようかと考え、先程までザックスが手に持っていたほうきを手に取る。
 部屋の片隅にある綿埃を発見した。掃除のし甲斐がありそうだ。でも寝室の扉だけは何があっても絶対に開くまいと決めたティファだった。
 ザックスのことだから、クラウドに追いついて無事に荷物を取りかえることができても、すぐには帰ってこないような気がする。
(できれば店の開店時間の夕方までには帰ってきてほしいんだけどな…)
 浮かれた恋人同士が相手では、それも少し怪しい。
「んもう、悔しいからもっともーっといい人見つけてやるんだから!」
 格闘家らしく拳を固めてティファは力いっぱい叫んだのだった。





***





 風は少し冷たかったが、その冷えた感じが好きだといつも思う。
 バイクを操る際に感じる高揚感も昔から好きだった。今は昔ほどではないが、とにかくクラウドは乗り物に弱くて、乗ると酔ってしまうので苦手だったが、バイクだけは違った。
 今日も荒野の砂塵を巻き上げて、クラウドは愛車フェンリルを走らせていた。今日の仕事は二件、ティファに頼まれた隣町カームまでの荷物と、もう一件は少し足を伸ばしたコンドルフォートまでの荷物運びだった。
 天気は快晴だ。
 空を見上げ、その青さになんだかとても嬉しい気分がこみ上げてきて、慣れない鼻歌まで歌いだしたくなりそうになったとき、ふいに後方から猛追してくる一台のバイクの気配に気がついた。
 そのバイクはあっという間にフェンリルの横に並ぶ。
 クラウドは車体に装備してある剣に手を伸ばした。
「ちょお、待て待て待て!俺、クラウド俺だって!」
「………」
 バイクの上でクラウドに向けてザックスは必死に手を振ってアピールした。その青あざ全開な顔のザックスをちらりと見て、ゴーグルの下でクラウドは片眉を上げた。気配に気づいたときから、言われなくてもそれが誰なのかなんて分かっていた。そして忘れていたモヤッとした気持ちも思い出してしまった。
 ザックスは風に負けないように大きな声でクラウドに話しかけた。
「荷物、間違ってたんだってさ!ティファが来て取りかえて欲しいって、すっげえ困ってたから持ってきた!」
「………」
 それでもクラウドは速度を落とさなかった。
「おーい、なんか怒ってる?つうかまだ怒ってんのか?」
「………」
「クラウドー??」
「………」
「昨日やっと機嫌直してくれたと思ったのに、また今朝から仏頂面して俺のこと無視するし、訳わかんねえって。理由何?なあおい、クラウド」
「………口ききたくない」
 ぼそりと低い声が返ってきた。
「は!?何で!?どーゆーこと!?」
「……もう絶対しない」
「は?しないって、何を」
「……今朝、ゴミ出しに行ったらゴミ置き場でうちの下に住んでる人と会って、言われたんだ。夜はもう少し……」
「何!?ちょ、もうちょっと大きな声で喋って!聞こえない!」
 クラウドの中で何かがぷつりと切れた。
 顔を真横に向けるとザックスに向かって精一杯の怒鳴り声を上げた。
「夜はもう少し静かにできませんかって!仲よくするのは構わないけれどってニヤニヤ顔で言われたんだぞ俺!最低だ!あの家、思ったより壁薄いし床響くし、もう引っ越す!あの家いたくない!」
「あー…、確かに昨夜はちょっと仲直りで燃え上がっちゃったから、いつもよかは激しかったかもな……」
 ザックスのバイクの横っ面を、クラウドがブーツの底でガコンと思い切り蹴りつけた。車体が揺れ、ザックスは慌ててバランスを取った。
「おわっ、あぶねえって」
「あの家ではもう絶対しないからな!」
「え、ちょ、クラウド!?何言っちゃってんの!?今夜とかどうすんの!?」
「一人でさかってろ馬鹿!俺は今夜は帰んないでコンドルフォート泊まるし!」
「え、何で!?ぎりぎり今日中にエッジまで帰れるだろ。わざわざ泊まんなくたって」
「今日は帰りたくないっ」
「俺は他人にどう見られたってあんま気になんねえけど…、それじゃあ、クラウドが気になるって言うんなら家でしなきゃいいんじゃねえの?宿屋とか、いや、なんだったら外でも……」
 またドカリと車体を蹴られた。
「あんたの頭にはそれしかないのかよ!?」
「あ、あれあれ? もしかして、それ俺誘ってる? 家がヤダって言うんなら、俺も今夜はクラウドと同じとこ泊まればいいってことだもんな!それでなーんの問題もないってわけか!」
「人の話聴けよあんた!」
 ザックスは、蹴り上げるために伸ばされたクラウドの足を今度はかわした。
 クラウドが更にムッとしたのが、ゴーグルで顔が隠されていてよく表情が読み取れない状態でも分かった。
 クラウドは足を引っ込め、今度は手をザックスに向けて突き出した。
「荷物寄こせ!そしたらあんたはさっさと帰れ!」
「照れんなって。ツーリングも楽しいなあ。これってデートっぽくね?なあ、俺もクラウドが乗ってるみたいなカッコいいバイクが欲しいな。それってどこで売ってんの?」
「荷物!」
「まあまあまあ」
「ザックス!!!!」

 ザックスは車体を近づけ、伸ばされたクラウドの掌に、腕を伸ばして自分の指を絡めた。

「分かってる。家でしたくないって言うんならしない。引っ越したいんならそれでもいい。どこでもいいよ。お前が一緒で、俺の近くにいてくれるんなら、それでいい」

 クラウドの肩が揺れる。

「今日は俺と一緒にいたくない?」

「…………」

「クラウド?」

 クラウドの指先が躊躇うように少し動き、それから一瞬だけ重なったザックスの指をぎゅっと握り締めてから離れていった。革のグローブ越しなのが体温が伝わらなくて少し残念だとザックスは思った。
 クラウドは視線をザックスから外し、前方を向いてバイクのスピードを上げた。慌ててザックスも遅れまいと後を追う。
 ザックスは少しクラウドのバイクよりも前に出て彼の様子をうかがった。その彼の唇を見て、ザックスの頬がゆるむ。
 少し突き出すようにして力いっぱい真横に引き結んだ唇。クラウドが照れているときによくする癖だ。よく見れば風を切ってあらわになった綺麗な形の白い耳も、ほんのり赤く染まっていた。

 まずはカームまで、それからコンドルフォートへ。二人の今日のデートコースは決まった。

「ところでさ、お前街で流れてる噂聴いたか?」
「………噂って何」
「俺もさっきティファから聞いてさ、お前が変なヤツに口説かれたり襲われたりしてねえかすっげえ心配になって……」

 二台のバイクは離れたり近づいたりしながらも、大地の上を並んで突っ切っていく。
 二人の時間はやっと足並みをそろえ、また動き始めたのだ。



 あの大剣は、今もあの丘にある。
 後日訪れ、二人でミッドガルの廃墟を見渡せるあの地面に再び突き刺した。
 新しい生活を始めるひとつの区切りになればいいと話した。
 忘れてはいけない場所、大切な場所だと思ったから、何かあればまたこの地に戻ってこよう、二人でそう誓った。










 君と一緒に

 あの空の下、どこまでも行こう


 もう迷わないように

 間違わないように

 傍にいて

 見ていて

 手をつないでいて



 手をつないで、君と僕、どこまでも行くんだ









Fin.

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