深夜二時、天使の誘惑





 年下の友人と食事をしたのは数週間ぶりだった。
 店を出て肩を並べるようにしてぶらぶらと歩きながら八番街の噴水広場の前にさしかかった。
「いっぱい食べたね。凄くおいしかった。ごちそうさま」
 金髪を揺らしてクラウドが俺を見上げた。
「じゃあまた」
 いつもこの場所で二人は別れるのだ。
 手を振ってそれぞれのねぐらや居場所へと帰っていく。
「ザックス、いつもおごってもらってばっかで悪いし、今度は俺が何かご馳走出来るように用意しとくよ」
「そんなの気にすんなよ。俺がしたくてしてるんだし、一般兵の給料なんてたかが知れてる」
「…それって高給取りの嫌味?」
「ばぁか。甘えられる相手がいるんなら甘えとけって話だ」
 自分よりも低い位置にあるクラウドの頭に手を伸ばし、くしゃくしゃと髪の毛をかきまぜた。手の下で「わ、やめろよ」と嫌がる声が聞こえてきたが、構わず自分の胸へと引き寄せた。
 なぜこのとき、いつものように「じゃあな」と笑って別れなかったのか自分でも分からない。
「なあ、まだ時間早いし、俺んとこに来ないか。もう少し一緒に話、してたい」
 いつもと違い、そう言っていた。



*



「でさー、一階の展示ルームにいつもいるヤツがいて…」
「え、うそ、信じらんない」
「俺もあやかりてえな。クラウドはそういえば……」
「俺子供はなんか苦手。この間…」
「そういうヤツに限って好かれたりするんだぜ」
「あんたは…」

 俺の部屋のリビングルームには二人がけのソファがひとつしかないので、クラウドと二人で並んで座った。
 目の前のローテーブルの上には、ここに来るまでに二人で選んで購入した甘い焼き菓子やスナック菓子の袋が広げられている。話に夢中になって時間が経つうちに、何本ものジュースやビールの空き缶が床の上に転がった。
 切れた飲み物を取りに、俺がキッチンの冷蔵庫の中から新しい缶を手にして帰ってくると、クラウドはソファに身体を沈めて小さく寝息を立てていた。
「クラウド、寝ちゃった?」
 壁の時計を見れば深夜の二時を回っていた。
 明日のことを考えれば、もうそろそろ寝たほうがいいのかもしれない。
 俺はクラウドの寝顔を覗き込みながら声をかけた。
「おい、クラウド。今日は泊まってくか」
「……んー……」
 軽く肩を揺らしたが、起きる気配はなく、むにゃむにゃと口を少し動かしただけだった。
「仕方ねえなあ」
 缶をテーブルの上に置いた後、クラウドの身体をソファから抱き上げた。
 両手にかかった重さが思ったよりも軽くて、今度一緒に食事するときはもっと沢山食べさせてやる、と思う。
 彼の身体を腕に抱えて寝室のドアをくぐった。
 照明の落ちている寝室の中は乱雑だった。
 ここ数日、任務で家を空けていたから、最後にあわただしく家を飛び出したときの様子そのままに、寝具の上で毛布ははねのけた形で隅にわだかまり、シーツはよいとは決して言えない寝相のおかげで乱れ、床の上には脱ぎ散らかした寝間着代わりのシャツがだらしなく落ちていた。
 腕の中のぬくもりがガールフレンドじゃなくてよかった…と思う。こんな部屋を見せたら確実に幻滅されるだろう。
「よっと」
 なるべく優しくベッドの上にクラウドの身体を横たえた。
「………ぅ……?」
 暗闇の中、彼が微かに身じろいでうっすらと目を開いたのが分かった。でもそれもすぐに瞼を閉じてしまう。相当強い眠気に襲われているようだった。
「いいよ、寝な。明日の朝は起こしてやるから」
「………ん…」
 なんとなくそんな気分になって、あやすように彼の額を撫でた。
「おやすみ」
 毛布を身体の上にかけてやろうとして、俺はふと考える。シャツにセーター、下はジーンズのズボン。クラウドの格好は、寝るには少し窮屈かもしれない。
「……うーん、しょーがねーなぁ」
 少し迷った後で、俺はクロゼットからTシャツとショートパンツを引き出してベッドに戻ってきた。
「俺にんなことさせんのはお前ぐらいだぞ」
 着替えさせようと、苦笑まじりにクラウドの身体をもう一度起き上がらせると、彼の服に手を伸ばす。意識のない身体はふにゃふにゃで、俺の身体にもたれかけさせた状態でセーターを胸の辺りまでたくし上げたあと、姿勢を変えながら袖と頭を抜き取った。
「……?」
 少し意識が浮上したのか、クラウドの頭が小さく動いた。
「着替えんの。ほら、ボタン外すから」
「…ぅん……」
 両手でシャツのボタンを外しているうちに、クラウドの身体がぐらりと後ろに傾いで、俺の腕が受け止める前にベッドに再び転がってしまった。
「おい」
「…うー……」
 仰向けに寝転がったままではシャツの袖から腕を抜くことが出来ないので、もう一度彼の身体を起こそうとしたとき、不意にそれが俺の目に飛び込んできた。


 開いたシャツの間からのぞくやけに白い肌と、淡く色づいた―――。


「………」
 多分普通の人間なら、この照明のない薄暗い部屋の中では気にもとめないだろう。覆われた闇に境界も存在も曖昧にぼやかされてしまうほどの、些細なもの。
 しかし夜目のきくソルジャーには、その細部まではっきりと視認出来るほど、鮮やかな映像として脳にまで届いた。
 なぜだかその白く滑らかな胸の上にひっそりと存在している突起から目が離せない。
 じっと見つめたまま動けなくなってしまった。
「……っ」
 自分でその反応はおかしいだろと駄目出しをする。

(こいつは男だぞ)
 男の乳首に目を奪われてどうするよ。

(そりゃ顔は奇麗だけど、見ろ、体はどこを見たって男のもんだろ。女のように丸みはないし骨ばってるし、まだまだ子供みたいじゃないか。全然どこにも色っぽいとこなんて…)

 どうして自分はこんなに焦ってんだとグルグルしながら、目の前の白いシャツの間から覗く片胸と臍、細い腰を何度も見ているうちに、口の中に唾液がたまってきた。それをごくりと嚥下して、俺は頭の中に浮かんだそれに従いクラウドに手を伸ばした。

(チラ見せとかいう、この中途半端っぷりがいけねぇんじゃね? 全部脱がせて確実にこいつは紛れもまく男だーっていうのを納得できたら、俺の目も覚めるだろ、きっと)

 我ながらいいアイディアだと思った。
 俺は淡々と実行した。
 クラウドの肩からシャツの袖を抜き、ズボンのファスナーを下ろして両足から引き抜いた。クラウドはその間も目覚めなかった。こんなにいいように身体を動かされても目を覚まさないのは、兵士としてはどうなんだと思わなくもなかったが、今この状態で彼に起きられても言い訳に困るので良かったと思うことにする(いや、ただ服を着替えさせているだけなんだが!)。
 ズボンを床の上に放って、俺は下着姿になったクラウドに改めて目をやり―――





「……っ!!!」

 正直に白状しよう。
 生まれて初めて男相手にアソコが反応した。





(嘘だろーーーーっ、誰か嘘だといってくれーーーーーっっ)
 あまりの衝撃に俺は一瞬倒れそうになった。

 落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け俺!!
(あれか、最近忙しくて抜いてなかったからか!? そうだろ、そのせいだろ!? これはちょっとした間違いってヤツで、勘違いで条件反射みてぇなもんで…っ)

 闇の中にあらわになった白い肢体が、何かを俺に勘違いさせているだけだ。暗闇マジックだ。そうに違いない。
(うおおおおおおぉぉ)
 治まれ俺の心臓、ありえねえありえねえ、あ・り・え・ね・え〜っ!!!!

 部屋の中はうっすらと寒い。クラウドをこのままこの格好にさせておけば風邪をひいてしまうだろう。早くシャツを着せて毛布をかけてやらなければと俺の理性と良心が囁くが、悪魔の囁きがその上に重なって大きく頭の中に響いた。


―――アレに触ってみたくないか?―――


 ごくり。
 目はそこに釘付けだ。
 …触ってみたい…かも。

 俺はベッドの上に乗り上げて、クラウドの膝の辺りを跨ぐように彼の正面に移動した。
 ぎしり、とベッドが軋む。彼がその振動で目を開きやしないかと少し緊張するが、彼は子供のようなあどけない顔ですやすやと寝息を立てている。
 俺は彼の身体の上に影を落として、ゆっくりと慎重な仕草で指を伸ばした。
 左胸の中心の淡い色づき、その先端に俺は右の人差し指の先で触れる。
 軽く一度、躊躇いがちに撫でて離れ、もう一度、今度は少しさっきよりも力を入れて何度か押してみる。
 ふにふにと柔らかい感触に、俺は妙に興奮した。
 触っているうちに、だんだん気持ちが大きくなり、欲望もエスカレートしてきた。
 親指を添えて突起を軽くつまむ。つまんだり押したり、そうしてしばらく指先の感触を楽しんでいうるうちに、そこは徐々に芯を持ってきて、ふっくらとしてきた。

「……、」
 クラウドがかすかに眉を寄せて小さく息を吐いた。俺はびっくりして手を離す。起きたのかと恐る恐る顔を覗き込んだが、そうではないようで安心する。どっぷり夢の中にいたとしても、俺が結構しつこく触っていたので、さすがにくすぐったかったのかもしれない。
「お、驚かすなよー…」
 身勝手な呟きをこぼしてから、俺は再度クラウドの胸を見下ろした。
 さっきまでいじっていた左胸と、何もしていない右胸とを見比べる。尖って立ち上がったいやらしい左と、クラウド本人と同じに眠っているような右。奇妙な倒錯感が胸を満たした。

 男の平べったくて柔らかさもない胸に、身体に、俺は明らかに欲情していた。
(…考えたこと今までなかったし、そういう機会もなかったしなぁ…)
 いや、一度だけなんかそういや昔、男に告白されたことがあったような…。やんわり当たりさわりのない感じであの時は断ったんだったか、と記憶の底から引っ張り出す。女に昔から不自由はしてなかったし、男相手にそういう意味で興味が向くこともなかったから、考えたこともなかった。
 クラウドのことにしたって、あくまでド田舎出身モン同士、気の合う友達という位置づけだったし、今の今までこれっぽっちも性的な意味でどきりとさせられたことも意識したこともなかった。
 なのに。
(…意外とハードル低いのな、俺…)
 気持ちいいことは好きだ。
 自分の気持ちには素直でいたいし、欲望に身を任せることに躊躇いはない。

(どんな感じなんだろ…)
 目の前のこの白く頼りない身体。
 腕に抱き締めてみたい。
 自分の身体の下に抱き込んだらどんな感じだろう。
 舐めて、啼かせて。どんな顔をする?
 見てみたい気がした。
 白い肌がどんな風に濡れるのか、俺の手で色を変えていくのか。
 想像して……。

(やべえ)
 自分の右手に視線を落とす。
 自分で意識してのことではなかったのに、俺の手はクラウドの下着を脱がそうとしていた。
 それはまずいだろうと慌てて手を放す。
 そしてまじまじとそこを凝視する。そうだ、クラウドは男だ。この下は俺と同じモンがついてるんだ。それは…それは……


 …………………………見て…みたいかも……。


(ちょ、ちょっと、覗くくらいなら。全部脱がさないし。ちらっと覗いて見るくらいなら許してくれるかも…)
 誰に言い訳しているのか、だけど思考はどんどんあやしい方向に向かっていく。
 ちょっとさっきからやってることに変態入ってきてるのは分かっていたが、仕方がないじゃないかと思う。だって目の前のこいつが誘惑して来るのだから。

 俺は下着に再び手をかけた。
 引っぱるとゴムが伸びて、下着と肌の間に隙間が出来た。
 ごくり。
 唾を飲み込んで、さあ覗き込もうと身を乗り出したときだった。


「っくしょんっ」

「っ!!??」


 小さなくしゃみがひとつ。
 俺は飛び上がらんばかりに驚いて、クラウドからぱっと手を放すと、慌ててベッドから飛び降りた。
 心の中でみっともないくらい大きな悲鳴を上げる。部屋の隅まで逃げて、壁に背を張り付かせてクラウドの様子を観察した。やはり寒かったのだろう、クラウドはベッドの上でごろんと寝返りをうち、身体の左側を下にすると猫のように背を丸めた。
「ぅ………」
 手がぱたぱたと動き、何かを探している。上に下にと動いた後、指先が隅に丸まって置いてあった毛布に届き、クラウドは横になったままそれを引っぱって自分の前まで持ってくると、また動かなくなった。

「………」

 俺は嫌な具合に脈打つ胸を撫でながら、自分に向けられた白い背中を見つめた。
(あぶ…あぶなかった! あのタイミングで起きられたら言い訳のしようがねえ!)
 でもあのタイミングでのくしゃみは、もしかしたら良かったのかもしれないとも思う。
(そうだ、冷静になれ…いくらなんでも暴走しすぎだろ俺。ちょっと待て、待った方がいいって…っ)
 ふーふーはーはー、息を整えてから、そろりとベッドに近づき、中途半端にクラウドの身体に引っかかっている毛布を、背中までちゃんと覆うように掛け直してやる。
「…よ、よし。これで大丈夫」
 これで、俺は誘惑されねぇぞ。
一息つくと、俺はぎこちない足取りで寝室のドアへと向かう。その足でトイレへと直行した。



*



「なんだかなー……」
 今夜の俺はどうかしていたんだ、と思いたい。
 トイレであの後寂しく下半身の処理をした後、俺はソファに撃沈していた。
 そうだ、クラウドは男で友達じゃないか。
 何をトチ狂ってんだっての。よっぽど溜まってたんだな。馬鹿なことをした、ホントにもう。
「あー……」
 疲れた。
 時間がたって冷静になれば、なんだか悪い夢でも見ていたような気分で、どっと疲労感が全身を包んだ。
 寝よう。俺も寝ちまおう。寝て、今夜のことはぜーんぶ忘れよう。それがいい。そうしよう。
 のっそりと身体を起こして、寝室へと向かう。
 何も知らないクラウドはすやすやと夢の中だ。毛布を半分はねのけていて、白く細い足が外に出ていた。
 俺はなるべくそれを直視しないようにしながら、毛布で彼の足を隠した。
「もうちょっとあっちにいって」
「……ん……」
 自分の眠るスペースを確保するためにクラウドを少し移動させた。
 俺は少し考えた後、少し面倒だったがあくまで事務的にクラウドにTシャツとショートパンツを着せ掛けてやり、自分も淡々とシャツとズボンを無造作に床の上に脱ぎ落としてから、空いたシーツの上に滑り込んで、隣のクラウドから毛布を少し分けてもらった。
 先程の気分の高揚はもうない。
 そうだ、やっぱりさっきの自分はどうかしていた。忘れよう。

「おやすみ、クラウド」

 ひそやかな声で、あどけない寝顔に声をかけて俺は目を閉じた。



*



「………」
 寝れば、忘れるなんて考えていた昨夜の自分を笑ってやりたい。
 明るい日差しの中で目覚めた俺の目の前に天使の寝顔があった。
「…………キス、してぇ……」
 声に出して言えば、その温かで覚えのある想いがすとんと心の中に落ちてきて自分になじんだ。
 窓から差し込む柔らかな光を受けて淡く輝く金色の髪にそっと指を伸ばす。さらさらと指の間を滑って流れ落ちた。白く滑らかな頬にかかった長めの一房を慎重に摘み上げれば、緩くカーブする長い睫毛が見えた。
 年相応にまだ幼さの残るその寝顔を見ていたら、幸せな気分が満ちてくる。
「……これは…そういうことだよなぁ…」
 昨夜の自分とは違う。とても穏やかで落ち着いた状態で、正直に自分の気持ちと向き合えばある結論に達した。
 胸に満ちる想い。身に覚えがありすぎる感覚(今までは女性限定だったが)。

「……恋、しちゃったみてえだなぁ……」

 恋なんて、いつも突然やってくるし、そこらへんに沢山落ちている。
 でも今回のきっかけになったのが、彼が男だということを紛れもなくあらわしている平べったい裸の胸や身体だったというのが、なんとも感慨深い。

 …いや、それは本当にただのきっかけだっただけで、前からクラウドのことは気になっていたのかもしれない、なんて思うのは都合のいい考えだろうか。

 愛しくて。
 抱き締めたくて、独り占めしたくなる。
 したいって言ったら、クラウドはどんな顔をするだろう?

 俺は窓の外を眺めて日の高さを確認してから、隣で眠る天使を起こさないようにそっと静かにベッドを抜け出した。物音を立てないようにして寝室を出て、キッチンカウンターに置きっぱなしだった自分の携帯電話を手にする。
 手のひらに包んだ端末を開きながら、自分がろくでもない計画を実行しようとしていることに笑いがこみ上げてきて仕方がなかった。クラウドかわいそうになあ、と思うが勿論やめる気などない。

「手の中に落ちてきた天使は逃がさねぇってな」


 気に入ったモンに対する自分の独占欲の強さは、自分が一番よく知っている。



*



 電話をかけ終えた俺は、何事もなかったかのように再びベッドに潜り込んだ。
 クラウドはまだ起きる気配がない。
 昨夜といい今朝といい、彼はよほど眠りが深いのだろうか。身体を触っても全然目が覚めないというのは問題があるような気がするが…まあ、そのおかげで自分は結構好きにさせてもらえたのだったが。

(いきなりはまずいよな)

 決して短いとは言いがたい、今日まで築き上げてきた「トモダチ」という関係。崩してまた作り変えるタイミングを計る。

(まあ…、なるようになるかな)

 余り順序だてて考えるのは得意じゃない。
 それにクラウドなら力押しでなんとかなるような気が…しなくもない。

 でもまずは男同士がネックになるかな、あいつ真面目だし。
 何よりそっち方面に免疫がなさそうって言うか、ぶっちゃけまだ経験なさそうっていうか。
 だったら……。


「……ふぁ〜……」
 天使の寝顔を眺めていたら、また眠くなってきた。
 …そうだな。全ては、次に目が覚めてからだ。

(とりあえず今日は一緒にいたいし、帰さないってことで)


 毛布から出ているクラウドの肩を抱くように腕を回した。
 寄り添った温もりが嬉しくて微笑む。
 眠気に逆らわずに俺は瞼をゆっくりと落とした。










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