まどろむ朝、夢の中の君は 2





 ベッドの上、クラウドはザックスに背を向けて、さっきからずっと続いている彼の言い訳を無視していた。
 怒りも少しあったが、どちらかというと恥ずかしくて、という理由が強い。
「ごめんて」
「………」
「怒るなよクラウド〜。びっくりさせたのは謝るからさ」
 何その猫撫で声。ムカツク。クラウドの神経を逆なでする。
「………」
「クラウドー? クラウドちゃ〜ん」
 ぶちり。
「ちゃんてなんだよっ」
 我慢できなくて赤い顔のまま振り向いて叫ぶと、ほっとしたザックスの顔がそこにあった。
「あ、やっとこっち向いた」
「べ、別に俺は気にしてない! びっくりしただけでっ」
 クラウドとて変に意識してるほうがおかしいということぐらい分かっているのだが。
「じゃあ機嫌直してくれるか?」
「寝ぼけてたんなら仕方ないだろっ。でも今度からは絶対あんたと一緒のベッドでなんて寝ない、それは決めたから…っ」
「えー、でも俺んちもお前んとこもベッドひとつしかないし」
「だからっ、泊まんなきゃいいんだろ…、」
 そこでふとクラウドは我に返った。こんなくだらない言い合いをザックスとしてる場合ではなかったことに。
「わっ、忘れてた!! ちょ、今何時!? 俺仕事…っ」
「あー、それはダイジョウブだって」
「何が大丈夫なんだよ!? 俺の服どこザックスっ。明らかに遅刻っぽい…っ」
「だからヘーキ。朝電話しといたから。お前今日は休み」
 さらりとザックスの口から出た言葉に、ベッドから降りようとしたクラウドは動きを止めた。
「…は?」
 今何て言った。
「熱っぽいんで休ませてくださーいってお前んとこの小隊長に連絡入れといたから、あとはうまくやっといてくれてるだろ。そーゆーわけでお前今日は病欠」
「ど、どういうことだよ!? 勝手にそんな電話して…、ていうか、あんたが起きた時に俺を起こしてくれればよかったんじゃ…っ」
 クラウドはザックスのツッコミどころ満載の行動に泣きたくなった。
 なぜにそんな勝手なことをコノヤロウ、である。
「いやあ、なんつうかお前の寝顔見てたら起こしにくくて」
「なんでっ!?」
 気色ばむクラウドに、ザックスはなぜか照れくさそうに視線を外した。…いや、本当に頬を少し染めて照れながら、鼻の頭を人差し指でぽりぽりとかいて言った。
「…だってかわいかったし」
 かわ…いい?
 年上の友人のその言葉はクラウドにとてつもない精神的ダメージを与えた。
 自分の顔が母親に似てどちらかといえば女顔だというのも、まあ不本意ながら自覚して認めているクラウドだ。かわいい、に似たようなことは時々知人にも言われる。だがあくまでもそれはからかい半分のもので、目の前のこの男のように正面から照れた様子で言われたのは初めてだった。
「か、かわいいって何…」
「うん、かわいかった。起こすの勿体なくて眺めてたら、見てるうちにまた寝ちまったみたい」
 ザックスは本当に照れくさそうに笑った。

 …ダメだ。なんかこの人とこれ以上話してても頭が痛くなるだけのような気がしてきた。
 クラウドはがくりと肩を落とした。
 男の寝顔見てかわいいだなんて、しかも長い間眺めていたなんて、悪趣味にも程がある。
「…………かえる」
 今日は夕方までは一般業務、その後に希望者参加の特別講義の予定があった。興味のある兵法の教義なのでクラウドは参加するつもりでいた。
 ベッドを降りようとシーツの上を移動しようとして、しかしまたしてもそれを阻まれる。今度は腰ではなく足首を掴まれて引っぱられた。
「な、何すんだっ」
「だからさっき言っただろ。今日のお前は熱出てダウンしてることになってんの。おとなしくしてな」
「今からでも出社するよ! ズル休みなんて冗談じゃないってのっ」
「クラウドは真面目だなあ」
「ぐうたらしてるあんたは休みっぽいけど、俺は違うんだよっ」
「うんにゃ、俺はこれからちょっとばかり一仕事あるから本社行くぜ」
 のんびりとあくびしながら、さらっとザックスは言う。でも掴んだクラウドの白い足首は離さないままだ。
「俺は行くけど、お前は今日はここにいな。万が一にも、外歩いてて誰か顔見知りに見られて、仮病でサボったって事がばれたらまずいだろ?」
「だから俺はこれから仕事に…」
 両手両膝をついた格好で、クラウドは首をひねって後ろのザックスに抗議した。毛布を背中に背負ったままシーツの上で胡坐をかいているザックスは、顎に手をあてて、人の話を聞いているのかいないのか、うーんとひとつ唸った。その視線は掴んだクラウドの足首から、なぜかふくらはぎ、太腿を往復している。ショートパンツから伸びたむき出しの肌を見られている…ということに、クラウドはうろたえた。たとえ同性だとしても、そんなふうに他人に見られることには抵抗がある。
「ちょ…、ざ、ザックス何…?」
 何かじっと見られてもおかしくないようなものがあるのだろうか。理由が分からなくてクラウドは緊張した。
「…いい加減足はなしてよ。そ、そうだ、俺の服どこ…」
 なにやら難しい顔をしているザックスの手が、何の前置きもなくクラウドの右の内腿に触れてすうっとなぞった。クラウドはびっくりして悲鳴を上げた。
「わっ!?」
「なんつーか、昨夜お前の服剥いたときも思ったんだけど…」
「何して…、どこ触ってんだよ、あんた…っ!?」
 ばたつくクラウドをものともせずに、ザックスの指はクラウドの肌の上を楽しそうに、その感触と弾力を確かめながら動く。それがくすぐったく、恥ずかしくて、クラウドの顔は真っ赤になった。何とか体を反転させて、必死にザックスの手から離れようとする。自由な足の方でザックスの腹を蹴ろうとしたら、その足ももう片方の手に捕まえられてしまった。
「白くてすべすべな足してるし、体も、」
「な、なに、ちょ、ザッ…」
 何だろう?彼に感じるこの違和感は。
 確かに今日はいつもとは違う朝だったかもしれない。時間の合ったザックスと夜に食事をするのは別段珍しいことではなかったけれど、彼の部屋に泊まって、そのまま一日の始まりの時間を共に迎えたのは初めてだった。
 クラウドがザックスの言動に感じるこの違和感は、今まで知らなかった彼の時間を『初めて』共有し、知ったせいなのだろうか?
 それにしては何か不穏な…。
 聞き捨てならない一言も聞いた。昨夜、服を、剥いた、と。
「やっぱあんたが俺の服、替え…」
「俺って親切だよなぁ」
 クラウドの足裏をシーツの上に縫い付けて、ザックスは前に体を倒して近づいた。上半身に何も身にまとっていない彼の裸の胸が、クラウドの立てた膝や脛に付きそうなほどに二人の距離が縮まった。
 少しクラウドの目の位置よりも下方から、ザックスはその蒼い双眸でクラウドを見上げて、にこりと笑う。クラウドが好きな、人好きのするいつもの彼の笑顔のような気がするのにクラウドの心が不穏にざわめくのは、ある予感のせいだ。
「寝ぼけてないの、してみていい?」
 にこやかに、天気の話でもするかのように彼は言った。
 何を、とは聞き返せなかった。きっと藪蛇だ。クラウドは力いっぱい首を横に振り回した。背中にじっとりと嫌な汗がにじんだ。

 意味が分からない。
 意味が分からない!
 してもいいとか聞くのが。そもそもそれを自分となぜしたいのかが。
 目の前の友人が何考えてるのか、いつも以上にさっぱり分からない!!

「ダメ! 絶対しない! よるな馬鹿っ」
「えー、なんでー」
 断られたのが不服そうだが、当たり前だとクラウドは叫びたい。。
「いいじゃん、試してみてぇ」
「試しで俺の唇を奪われてたまるかってのっ」
「じゃあ試しじゃなくて、本気?のならいい?」
「首をかしげながらそんな恐ろしいことを言うな! 本気なら尚更願い下げだっ! と、鳥肌立っただろ!」
「あ、ホントにぷつぷつ」
「いいから離せよ、もう訳わかんないよ! 寝起きだからこんななのかあんたっ、だったら今後ぜえっっったい寝てるあんたの側には寄らないからなっ!」
「や、俺寝起きはいいほうだぜ」
「寝ぼけてさっき間違えて俺にキスしたくせによく言うよっ」
「え…、うん、えーと、あれは別に…、正確に言うと間違えたわけじゃないっていうか…、なあ…」
「どういう意味だよ!?」
 クラウドの剣幕を前にして、ザックスはらしくなく言いよどみ、視線をわずかに落とした。その間が少しだけクラウドを冷静にさせた。
 …あれ?とクラウドは思う。
 いつの間にかさっきよりも二人の間の距離が近くなっているような気がする。開いた足の間に彼の体が入り込んできて、なんかこれって…。
「…夢の続きでっていうか」
 夢。寝てるときに見るアレか。さっき見た、だらしなく口を開いた彼の寝顔を思い出す。
「…何の夢」
「んー、俺も正直ちょっと困惑してんだけど、今朝見た夢がさ、お前と、その…」
 話の流れ上、なんとなくクラウドにも先が読めてきた。それを直接彼の口から聞いてしまったら、鳥肌たつぐらいじゃすまなさそうな嫌な予感がした。
「ザックスっ!」
「え?」
 クラウドの大声にびっくりしてザックスが顔を上げる。その彼の口をクラウドは両手を伸ばして塞いだ。
「いいっ、もうそれ以上言わなくていいっ! 夢は所詮夢だし、だから聞いたら俺が不愉快になるようなことはわざわざ教えてくれなくてもいいっ! 聞かなかったことにするから、あんたも忘れろっ!」
「まららりもいっれらいおれっ」
 クラウドの手のひらに、ザックスが声を発するたびに温かい彼の呼気と、思いのほか柔らかい唇が触れた。
「喋んな、この話は終わり! あんたも俺もこれから仕事行く、それで解決!」
「くらうろ!」
「う、わっ」
 ぼすん、とクラウドの背中がシーツに沈んだ。体ごと突っ込んできたザックスに押されて転がったのだ。
 クラウドの体の上に乗り上げたザックスは、彼の細い手首を瞬く間に捕まえて動けないようにしてから、クラウドの顔を上から覗き込んだ。
 一転して、怖いくらいに真剣な表情で自分を見つめてくるザックスに、クラウドはごくりと唾を飲んだ。

(………あ、)

 彼のこんな目を初めて見る。
 真摯な、熱のこもった目。蒼く揺らめく炎が低く奥底に見える。
 彼が女の人によくモテたり、彼女たちを夢中にさせる理由が分かったような気がした。
 こんな目で見つめられたら、きっと誰だって動けなくなる。囚われる。
 他の事は何も考えられなくなって、暗示にかかったかのように。

「昨夜お前の服着替えさせたあたりから、なんかヤバイなぁって思ってたんだ。気のせいだって思おうとして、でもその後に見た夢が気のせいじゃないって教えてくれたと思う」
 どきどきする。勿論期待にではない。喜びにでもない。
 これ以上、この先を聞きたくないのに、逃げられない。
「ち、違う、気のせいだって、それ。気の迷いだったって後で絶対思…」
「もう一回キスさせて」
「っ、だから後悔…」
「俺の辞書に『後悔』の二文字はない」
「俺はさっきしたんだよ! に、二度としたくないっ!」
「自分で言うのもなんだけど、俺うまいぜ」
「そんなこと聞いてないっ! ザックス!」
「…夢ん中じゃあんなに素直で可愛らしかったのにな」
「っ、ふざけんのも…っ」
「ああもう、うるさい、塞ぐ」
「え…、…ん……っ!?」

 暴れる手足を力でねじ伏せ、ザックスはクラウドの唇を奪った。



*



 隣の部屋を行ったり来たり、うるさいくらいの男の気配がする。
 クラウドはベッドの上に体を丸めてその気配を意識から追い出そうとした。
 起き上がれそうな気力は今のクラウドには残っていなかった。
 頭の中がぐちゃぐちゃで、もう何も考えたくないのに駄目だ。

 むかつく、むかつくむかつくむかつく。
 何だって言うんだ、あの男、好き勝手に人の身体を…っ。
 キスされて。人の口ん中をあんなふうに。
 それだけでも憤慨ものなのに、それでは終わらなかった。
 大きな手が身体をまさぐり、あろうことかあんな場所を。
 容赦のない指使いに攻められて、認めたくないことだがいかされた。
 そのあと、あの男は指についた俺の放ったものを舐めながら嬉しそうに笑ったのだ。
「やっぱ夢より本物のほうがいいや」

 先程までのザックスの所業は、クラウドにがつんと凄まじいショックと衝撃を与えた。
 自分でもその手のことには淡白なのかもしれないと感じていたクラウドは、今まで性的なことにとことん奥手だった。当然まだ童貞で他人の手でいかされた経験なんてあるはずもない。
 それなのに、友人に、男に、それも無理矢理に、が初めての体験になるだなんて。
 悔しいのか、情けないのか、恥ずかしいのか、とにかく頭の中が混乱している。
 あの男は、きっとあまり深くは考えていないのだろう。いつもの能天気な調子で、したかったからしただけ、それだけなのかもしれない。こちらの気持ちなんて考えもせずに。

「……」
 体がだるい。いいようにされてたまるかと本当にぎりぎりまで放出を我慢したせいで、心身ともに緊張した時間を無意味にも長引かせたせいかもしれない。…のだが、そこはクラウドの意地だった。それが人の身体の上で好きにしている彼に対して、クラウドに出来た唯一の抵抗だった。もっとも、それも「お前のそういう耐えてるっぽい顔もクるな…」と色っぽい顔で言われ、彼を喜ばせてしまったことに愕然とする破目に陥ったのだが。

 身支度を整えたのだろう。ばたばたとしていた男の足音が寝室の前にやってきて、クラウドに向かって声をかけた。
「んじゃ俺ちょっと行ってくるわ」
「……」
 その声を無視することでクラウドは今の心境を彼に訴えた。
 毛布を頭まで引き上げて彼に背を向ける。
「テーブルの上にメシ、お前の分は作って置いといたから、起きたら食えよ。今夜はオムライス作ってやるから、おとなしく待ってろな。キノコのクリーム乗ったやつ、お前大好きだろ」
 だから俺は待ってるなんて一言も言ってないのに、とクラウドは内心で悪態をつく。…でもザックスのオムライスには…ちょっと……ちょっとだけ食指が動くな。あれは大好きだから…。
 足音が近づいてくる。
 ベッドの脇に立ったザックスの影がクラウドの上に落ちた。
「必ず、待ってろよ」
 低い、色の滲む声が耳元でして、思わず毛布から顔を出してしまったクラウドの頬にザックスはちゅ、と音を立ててキスをした。
 ザックスに触れられたところから、熱が身体中に広がっていく。
 視線が合って、彼がとても幸せそうに、愛おしげに自分を見て微笑むから、クラウドはさっきまでの怒りも忘れて、彼をぼうっと見上げてしまっていた。
 誰だってきっと――彼にこんな顔で見つめられたら落ちるよな。
 彼のその笑顔で全てを許してしまえるような気がする。
 それは…反則だとクラウドは思う。


「…俺…怒ってるん…だからな…」
 ほっぺたを赤くして睨んで見せたって、その言葉には説得力がないけれど。
「そうか」
 全然悪びれてなさそうな様子で、金色の髪の感触を指先で楽しみながら、笑ってまた顔を寄せてくる。
 触れ合わせるだけの羽毛のような軽い口付け。
 なぜかクラウドはおとなしくそれを受け入れてしまった。

「行ってくるな」
 
「……うん…、いって…らっしゃい……」

 仕事や講義は確かに気になるが、それよりも今は何も考えずに眠りたい。
 彼の匂いのするシーツの上でまどろみながら、多分彼の帰りを待つことになるのだろう。かなり不本意ではあるが、何かもう今日は色々なことがクラウドの許容量をオーバーしていて心身ともにぐったりで、起き上がる気力さえない。

 それに。
(オムライスを食べてからでないと、腹の虫がおさまらないもんな)
 おいしいごはんをご馳走してくれたら少しは許してやってもいいかもしれない、なんて思う。
 彼にされたことは、本当に絶対許すことができないくらい憤慨もののことなのだが。

 クラウドは自分がザックスに甘いということは自覚していた。
 同僚のカインにも言われたことがある。「お前ってザックスさんの信奉者だよな」と。
 だってやっぱり好きで憧れている相手には…弱くたって仕方がないじゃないか。

(オムライスとコーンがたっぷり入ったスープと…)

 玄関のドアが閉まる音を聞きながらクラウドは目を閉じた。



 ―――おいしいオムライスの後に、何が待っているかだなんてこれっぽっちも想像せずに。










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