ありふれた朝に





 その朝、食事をとったあと、仕事に出かけるためにあわただしく支度をしていたクラウドを横目に、ザックスはリビングルームのソファにどっかと腰掛けてのんびりしていた。
 何でも屋の仕事のその日の予定は二件。二人ともそれぞれ別々の場所に向う。そしてザックスはクラウドより少し遅めの出発なのだ。
 ザックスは胸の前で腕を組んで、うーんと唸っていた。
「ザックス、どうかした?」
「んー、いやなぁ、考え事」
「考え事?」
「そう、考え事」
 ザックスは同じ言葉を繰り返す。
 何か悩み事でもあるのだろうか。珍しいこともあるもんだ…と思うのは少しザックスに失礼かとクラウドは思い直す。
 しかし、それ以上、ザックスが考え事の内容について話そうとする素振りを見せないので、こちらから聞き返すのも何だと思い、クラウドはその会話をそこで終わらせようとしたのだが、ザックスはそんなクラウドのほうをちらりと見て、口の端を少し引き上げた。
「気になる?」
「何が…」
「俺が何を考えてたのかって、クラウド今気になった?」
 聞かれて自分の唇が少しムッと尖ってしまったのをクラウドは自覚する。
「…別に」
 自分の反応をザックスに面白がられていると感じ、クラウドは少し機嫌が悪くなった。
「またまたぁ。気になったくせに」
「…どうせまた、いつもみたいにろくでもないこと考えてたんだろ」
 クラウドがザックスに聞き返さなかったのは、なんとなく嫌な予感がしていたせいもある。ザックスが相手だと、変に頭を突っ込んだら薮蛇ということもありうるからだ。
「その考え事が俺に関わりがなければいいって願ってるよ。そういう意味では気にしてる」
 クラウドがそう言うとザックスは破顔一笑した。
「お、勘がいいな。そう、おまえに関係あることだ。でも内容は内緒だ」
「……」
 内緒…。
 ますますクラウドの眉根が寄る。
「そんな顔するなよ。まあちょこっとだけ明かすなら、どうやったらおまえをどーんと喜ばせられるかなっていうのを一生懸命考えてたの」
 ザックスの考えることで、クラウドの喜ぶ事…。
 クラウドの嫌な予感は確信へと変わっていく。
 それはきっとクラウドが喜ぶことではなく、ザックスが喜ぶことなんじゃないだろうか。
「…。ザックス、今夜は帰り遅くなるから」
「へ? や、今日はおまえ早いだろ。待て待てスケジュールの確認――」
 ザックスが壁に張られているカレンダーを見ようとしてソファから立ち上がる。書き込まれているスケジュールを彼に見られたら、クラウドが夕方の早い時間には仕事を終えているということが分かってしまうだろう。クラウドは慌てて先手を打つ。
「いや。違うんだ。その、さっき予定が、入って」
 カレンダーから目を離して振り向いたザックスが、クラウドを凝視した。
 どくんとクラウドの心臓が不自然に脈打った。唾を飲み込む。
「…クラウド。目をそらしたな。おまえ嘘つくの、めちゃくちゃ下手」
 今更思い出したが、あまり言い訳や嘘がザックスに通じた試しがないクラウドだった。後ろめたい気持ちが素直に顔に出てしまうらしい。
「う、嘘なんてついてない。本当に…」
「今夜…今夜か。今夜って…」
 考えをめぐらせ、ザックスはクラウドが嘘をついてまで何から逃れたがっているのかということにすぐにピンと来たようだった。
 にやりと笑いながらリビングと廊下の境目に突っ立っていたクラウドの元に歩み寄る。
「ははぁ、おまえ今いったい何を想像したんだよ、なあ」
 そこまで来て、やっとクラウドは「あれ?」と思う。
 もしかしたら自分は恥ずかしい方向にとんだ勘違いをしたのではなかろうかと遅まきながらやっと気がついた。
「……っ」
「ん? んんん? クラウド?」
 間近からザックスに顔を覗き込まれれば、クラウドに逃げ場はなかった。
「う…ううるさい! 俺は仕事に行ってくる!」
 ザックスはとても嬉しそうに笑っている。
「そっかー。喜ぶことで連想したら、クラウドの中ではそこに結びついちゃうのかー。そっかそっかー」
 たちまちクラウドの頬に朱が走る。ザックスのニヤニヤは止まらない。
「ザ、ザックス、そこってどこだっ。待て、あんたそれはきっと誤解してると思う!」
「残念ながらしてないなー」
 クラウドの無駄な足掻きもばっさりザックスは斬り捨てた。
 確かに、今ザックスが辿り着いた推測と、クラウドが先程想像したものは同じだ。桃色のアレだった。
「だっ、だってあんたの頭の中はいっつも無駄にそればっかりじゃないか、呆れるくらいに!」
「それはまあ否定はしねえけどさ。つうかおまえだって」
「お…俺が何だって」
 ザックスが無言でクラウドの目をまっすぐに見つめる。
 さわやかに笑っている。
 その笑顔にそぐわないセクハラ発言が彼の口から次に飛び出すのだけは阻止しようと、クラウドは咄嗟に思った。それ以上のことをザックスに言わせてしまえば、クラウドは色々墓穴を掘ることになるだろう…。
「…う…、いやもういい、その笑顔怖い。その件については何も言うな。頼むからこっちを見ないでくれザックス」
「じゃあ認めるか?」
「う…、……それは……」
「それにしても、期待されてんだなあ俺。すっげえ嬉しい! もちろん今夜もがんばらせてもらいますけどねー」
「が、がんばるって、ちょ…」
 ザックスは笑いながら、顔を青くしたり赤くしたりと忙しないクラウドを引き寄せ、額に軽くキスを送る。目の前の恋人が愛しくて仕方がないという顔だ。
「――っと、それよりおまえ時間大丈夫か」
「時間…、あっ」
 言われてクラウドははっとなる。
 時計を見れば、予定していた外出時間を少し過ぎていた。
 クラウドは手の中のバイクのキーを握ると、慌てて玄関へと足を向けた。
 ザックスはそんなクラウドの背中をひらひらと手を振って見送った。
「いってらっしゃい、気をつけてな」
 ドアノブに手をかけながらクラウドが振り向いて、少し声を張り上げる。
「言っとくけど、俺はそんなの全然期待なんかしてないんだからな! そこだけは誤解だ!」
「あ、仕事終わったら、そこらへんで無駄な時間つぶしてないで、まっすぐうちに帰って来るんだぞー」
 ザックスは聞いちゃいない。
「いってきま…、あ、だから結局さっき何を考えてたんだよ、ザックス」
「だからそれは、ひ・み・つ」
 立てた人差し指を口元に当て、少しだけ首を傾げてウィンクを送る。かわいらし…くも見えなくはない仕草だが、クラウドは足を止めて胡乱な視線をザックスに向けた。
「……」
 そんな冷たいクラウドの反応にもザックスは慣れっこだ。しかしこのままで、清清しい陽の光が降り注ぐ一日の始まりの時間から、自分もまたクラウドに変な誤解をされるのも本意ではないので、ザックスはこう付け足した。
「俺が考えてたのは…そうだなあ、来たるべき日が来たら、それ、クラウドにもわかる…かもしれない。うんうん」
「なんだよそれ」
「ほら、行った行った」
「…気になるけど、行ってくる」
 真面目な性分のクラウドは、自分の好奇心と仕事の依頼者の信用を秤にかけ、社会人として真っ当な判断を下したようだった。
「おう。また夜な、クラウド」
「じゃあ夜にそれを聞き出す」
「俺が秘密って言ったら、いくらクラウドでも聞き出すのは無理だと思うけどなあ」
「じゃあ俺たちの縁もここまでだな」
「ちょ、おいおい、そこまで話が大きくなるか」
「ザックス、覚悟しとくんだな」
 ドアの向こうに消える直前、もう一度だけザックスを振り向いたクラウドは、微かに笑った。
 ふたりでいる時間を重ねた結果、昔のようにいいようにザックスに振り回されてばかりのクラウドではもうないのだ。





「……参ったなあ」
 部屋にひとり残されたザックスは、首の後ろをかきながら天井を仰いだ。
「今度のクラウドの誕生日をどうやって過ごそうかとか、プレゼントは何がいいかなあとか、そんな半年以上先のことを、なーんとなくぼんやり考えてただけなんだよなぁ。本当のことを言っても信じてくれそうにないかも。ていうかやっぱり誕生日イベントはサプライズだろ。なあ?」










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