CALL ME 23





 翌日、朝の遅い時間。
 クラウドはベッドの上で、毛布を頭まですっぽりとかぶってザックスに背を向けて丸まっていた。拗ねているのだった。
「…結局最後までしなかった…」
 つまり昨夜、結局身体を繋げるに至らなかったというのがクラウド的にはものすごく不本意で悔しかったということらしい。
 ザックスはそんな風にむっすりとしているクラウドに苦笑しながら、毛布の上からクラウドの背中を抱きしめるようにしてのしかかった。
 ザックスにしてみれば、そんなことでむくれているクラウドが大層かわいらしく、また愛しく思えるのだった。
「仕方ねえだろ。あのままやってたら絶対ヤバいことになってたって。すっげえ興奮してたし、俺の大人な自制心に感謝してほしいくらいなんだけどな」
「…嘘つき…あと大人とか言うな」
 昨夜のことをクラウドはざっと思い出す。
 ザックスが理性と欲望の間で闘っている場面などあっただろうか。
 クラウドの目には、彼が一時も冷静さを失いそうになっていた時間があったようには見えなかった。
 それがクラウドとザックスの経験の差だと言われればそれまでだが、ザックスは常に余裕を持って行為をリードしているように見えた。その余裕を大人というのなら言い返せる言葉などクラウドにはなかったが、ふたつしか年は違わないのにと思うと認めるのは悔しい。
「嘘じゃねえって」
「俺は大丈夫って言った…」
「俺は全然大丈夫じゃないって言ったよな」
 ようやくクラウドが毛布から顔を出し、目だけを動かしてむくれた表情でザックスをちらりと見た。そのタイミングを逃さずにザックスは伸び上がって、少しだけあらわになった恋人の白いこめかみに優しくキスをした。
「暴走してめちゃくちゃヤって、トラウマになっちまってるかもしれないお前のセックスの記憶をさらにイヤな方向に塗り重ねちまうのは絶対避けたいし、今度は…今度こそは、お前がイヤな思いをなるべくしないように準備万端で臨みたいから」
「……」
 準備万端って。
 ザックスの言う「準備」とはいったいどれだけのことをしなければならないと言うのだろう。クラウドからしてみれば、昨夜のだって十分すぎるくらいだと思うのだが…。
 けれど、と不思議にも思う。
 そこら中を舐められたり、触られたり、いつかのあの夜と同じことをされたのに、いや、それ以上のこともしたというのに、昨夜はその行為を全然怖いとは思わなかった。
 闇に覆われて何もかもが曖昧だったあの夜とは違い、視覚的に相手がザックス本人だとクラウドが自分の目で確認できる状態だったからだろうか。
 もちろんセックス自体はすごく恥ずかしかったけれど、でも全然…。
 なぜだろう。
 本当にクラウドは昨夜、心からザックスと繋がりたいと思ったのだ。
「…俺は…したかった…」
 でも、ザックスに昨夜されたあれやこれを芋蔓式にいろいろと思い出してしまったクラウドは、はずかしくて居たたまれない気持ちになる。そんな自分を誤魔化したくてザックスを恨めしげにじとりと睨んだのだが、その目元が赤くなってしまっていることにクラウド自身は気付いていなかった。
「無理すんなよ。ときどきおまえが震えてたの知ってる。昨日も言ったけど、俺急がないから」
 震えていたのは…感じすぎて勝手に暴走する自分の身体が怖かったからだ。そんなことはもっと恥ずかしくてザックスには絶対言えない。
「それにおまえ体調万全じゃなかったし、最後のほうなんて疲れて全然身体に力が入ってなかったじゃん」
「それは…しつこすぎるあんたのせいだろ!」
「いやいや、あれで普通だって」
「嘘だ!」
「俺にとっては普通も普通」
「…っ、だってあんなのが普通で、毎回毎回されたら俺…っ」
「ん? 毎回されたら?」
 ザックスと目が合う。
 魔晄を照射された者特有のちらちらと不思議な光を放つ彼のその青い瞳の中に、面白がるような光を認めて、クラウドはうっと言葉につまる。まるで何かを試されているかのような居心地の悪さを味わう。
 ここで下手な受け答えをすると墓穴を掘りそうな予感がした。
「……」
「どうしたクラウド」
「……な、なんでもない…」
「“毎回されたら”何?」
 こういうところがザックスはしつこいと思う。絶対引いてくれない。
 クラウドは観念して言葉にした。
「………死ぬ」
「ああ分かる分かる、気持ちよすぎて死にそうになるんだよな」
「ちがう! 恥ずかしすぎて死にそうになるんだ!」
「そうそう、まとめると、恥ずかしいくらいに気持ちよくて死にそうになる、だよな」
「なんでそこでまとめるんだよ!」
 あはは、とザックスはクラウドの髪をかき回しながら嬉しそうに笑う。
 口の達者なザックスにクラウドは最初から勝てるわけがないのだった。
 それにザックスの言うこともあながち間違ってはいない…と思う。
 というか、そもそもクラウドをそんなに疲れさせないで身体を繋げる方法だって、ザックスならやろうと思えばできたんじゃないかとクラウドは思うのだ。
 つまり、もしかしたらザックスは口先では何だかんだと言っておきながら、やはり昨夜は退院明けのクラウドの身体を思いやって、最初から身体を繋げるつもりはなかったのではないか、と。
「……」
 ザックスの優しさが分かるだけに、その心遣いは嬉しいような、残念なような複雑な気持ちにクラウドをさせる。

「あー、でもホントに俺、今、胸いっぱいおなかいっぱい。そんでほんのちょっぴり罪悪感」
 腕の中に抱いているクラウドの肩と首の辺りにザックスは自分の頭をぐりぐりとすり寄せた。
「…? なんで罪悪感…」
「うーん、なんつーか…、そう、なーんにも知らないお子ちゃまを手込めにしちまったみたいな気分ってのかな」
 お子ちゃま。てごめ…。
 クラウドは眉を吊り上げて、抱きついているザックスを振り払うと、頭の下に引いていた枕をザックスめがけて力いっぱいに投げつけた。
 あはは、とザックスは笑って、甘んじてそれを顔面に受ける。
「うそうそ、すごく嬉しい。昨夜はクラウドがどんなに俺のこと好きかってことがよーくよーく分かったから」
 どういう意味だそれは。
「ザックス!」
「好きだろ?」
 ザックスはウィンクしながら拾った枕をクラウドに返す。
「……っ! 知らないっ!」
 クラウドは枕をザックスの手から奪い取り、顔を真っ赤にしながらぷいっとそっぽを向くと、毛布を掴んで引っ張りあげた。確かに彼のことは勿論大好きだけれど、へそ曲がりのクラウドは自分のことをそんな風に誰かに決め付けられるのは面白くないのだった。
 さっきまでと同じように再び毛布を頭までかぶって横になろうとしたクラウドだったが、ザックスがここぞとばかりにソルジャー仕込みの高い身体能力を利用して俊敏に動き、毛布をめくりあげるとその下に自分の身体を滑り込ませ、クラウドの素肌に腕を回して引き寄せた。あっという間に二人の裸の身体が密着した。
「ちょ…ザックス、ばか…っ」
「一緒に寝させろよ」
「…っ」
 クラウドの身体は大柄なザックスの身体に背後からすっぽりと囲われてしまった。
 今はもう乾いてさらりとした肌が触れ合う。
 何もかもが視認できるこの明るい部屋の中で、ふたりの体温が感じられるくらいに近づくのはクラウドにはやはり気恥ずかしく、軽く嫌がって身体をよじったが、そんなかわいらしい小さな抵抗にザックスが怯むもなく、結局クラウドはそのままおとなしくザックスの腕の中におさまった。
 なんだかんだ言っても、クラウドはこの場所の居心地の良さを気に入ってしまっていた。
「……」
 あたたかい、腕の中。
 あの嵐のような夜からいろいろな事が二人の間にあったけれど、今のこの時間を過ごすためにはそれら全てが必要なことだったのかもしれないとクラウドは思う。どれかひとつが欠けても、彼の胸がこんなにも安心する場所だということを知ることができなかったのではないかと思うのだ。
 クラウドの耳元でザックスが満ち足りた息を吐いた。
「…ん。俺すごくしあわせ、かも」
「…ザックス」
 俺だって、とクラウドは思う。
 好き、という気持ちのその先に、こんな暖かな時間が待っているなんて思わなかった。
 一時は、彼が自分のことをもう好きじゃないのかもしれないと思い、胸が締め付けられるような苦しい気持ちも味わった。
 人を好きになるということは、決して幸せな気持ちだけを運んできてくれるものではないということを知った。
 でも今は、少なくともこの瞬間は、とても気持ちが満たされていて、幸せだなとクラウドは思う。
 誰かとともに迎える朝。共有する時間。重なる想い。
 嬉しくて目頭が熱くなる。
 クラウドはザックスの背を抱きしめ返した。
 顔の真横にある彼の頬にためらいながらも自分から唇を寄せる。するとザックスが抱きしめる腕を緩めてクラウドの顔を正面から見つめた。その表情はほんのりと頬が赤らんでいて、少し驚いている風で、目が…ええと、きらきらしている?
「…」
 何だろう。
 何か自分は変なことをしただろうか。
 自分の気持ちを彼に伝えたくて――つまり自分も今ザックスと同じで、一緒にこんな風に朝を迎えることができて幸せだって――そう彼に伝えたくて行動せずにはいられなかったのだ。自分でもらしくないことをしたという自覚はなくはないけれど…。
「な…なに」
「今の、ほっぺたじゃなくてさ」
 やっぱり気のせいじゃない。きらきらしている。
「え…」
「だからキス、ほっぺたじゃなくて唇にして」
「…っ、え…、なんで…」
「いいから」
「……」
「はい!」
 と言いながらザックスは目を閉じ、軽く唇を突き出す。
「……」
 キスを待っているザックスの顔は、鼻の下がのびていてちょっとだけ間抜けっぽい。
 まさかそんな風にお願いされるとは思っていなかった。
 昨日の夕方、リビングルームで自分からキスしたことを思い出せば、クラウドにとってそれは初めてのことではないけれど、こうして改まって頼まれるとやはり照れくさい。
 クラウドは少しためらいながらもそっと目を伏せながら彼に顔を寄せた。
 そういう雰囲気だった。してほしいと言われたら叶えてあげたいな…と奥手で控えめなクラウドでさえ思ってしまうような甘い空気が、ふたりが目覚めてからのこの部屋には漂っていた。
 しかし慣れていない行為と照れくささも手伝って、ぎこちない動きになってしまったクラウドは、目をぎゅっと瞑って凄い勢いでザックスの顔に突進した。
 がつん!
「!」
「!」
 勢い余ったそれは、キスと言うよりは衝突事故になってしまう。歯と歯がぶつかり互いに衝撃が走った。
 クラウドは口元を押さえてその場にうずくまった。
 ザックスも口を押さえている。
「いてて。ずいぶんと情熱的な…、おい、大丈夫かクラウド」
「…いったぁ…」
「どっか切ったか? 口見せてみろ」
「ぅー…」
 顔を上げたクラウドは涙目でザックスに促されるままに素直に口を見せた。
 薄く開いた唇にそっとザックスの指が触れる。
「唇は切れてねえみたいだな。口ん中はどうだ?」
「ごめん…、だいじょうぶ…唇が痛かった、だけ…」
「念のため一応見せて」
「う…」
 しかし開いた唇は、なぜか次の瞬間にはザックスの唇に塞がれていた。
 遠慮なくクラウドの中に進入してきたザックスの舌は、クラウドの口の中の状態を確かめるようにゆっくりと動く。
 やがて唇をはなすと、屈託なくにこりとザックスは笑った。
「ん、平気そうだな」
「…やっぱりザックスは嘘つきだ」
「なんで。傷ないだろ?」
「口の中見るって言ったのに、キスするなんて…」
「ついでにキスの仕方も教えてあげようかなって」
「お、大きなお世話だ!」
「これからいっぱいいっぱいして覚えような。いや、今みたいなキスを失敗する初々しいクラウドもじゅうぶんかわいいくて俺的にはモエるけどな!」
「もえ…、何言ってるんだよ馬鹿!」
「おまえには覚えさせることがいっぱいだなー。あれとかそれとか…ああ! あれもしてほしいから手取り足取りそのうち…」
「ななな何言って…っ」
「ああもうほっぺた真っ赤だぜ。ホントにかわいい大好き愛してるクラウド!」
「うわあっ」
 今度はぶつかるように身体ごとザックスに飛びかかられ、ふたりはベッドの上に再び転がった。
 ぎゅうぎゅうザックスにのしかかられて抱きつかれて、クラウドは何となく大柄な犬にもふもふされているかのような気持ちを味わった。


「クラウド!」

 彼の声が、自分の名前を呼ぶ。
 それだけのことで、ここが、この場所が自分の場所だって、そう信じられる。
 今は疑いようもなくそう信じられた。
 だから…だから―――。


「クラウド?」
「ザックスの馬鹿! でも――でも、だいすき、だからね!」










*




「ザックス、俺がもしこの先迷いそうになったら…」
「ん? 何に迷うんだ」
「ええと…色々。俺いろんなことに迷ってぐるぐるしやすいし…」
「お、えらいえらい。それってちゃんと自覚してるんだ」
「うるさい!」
「あはは。で…何だっけ?」
「うん、だから名前」
「名前?」
「俺の名前を呼んでね。そうしたら俺なんだって大丈夫な気がする。ザックスが呼んでくれたら俺…」
「え…なんかそれってクラウドなりの愛の告白!?」
「あ、愛!? 何言って…っ」
「俺でよければいつでも呼ぶぜ! クラウドクラウドクラウドだいすきだー!」
「恥ずかしいからやめろー!」






fin.








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